HEAVENーヘヴンー

フジキフジコ

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【第一章】シャングリラ

9【完】愛に流されて

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エアコンのよく効いた部屋で、うとうととまどろむ。
目が覚めると今日も一人で、真理は部屋の中に馨がいないことに寂しさを感じる。
馨に「寂しい」と言ってやればよかった。
本当に、こんなに寂しいのだから。

ROSYの解散後は馨の仕事は舞台が中心で、東京以外の地方公演のとき半月ほど家を空けることは一緒に暮らしはじめてから今までにも数回あった。
そのときには感じなかったこの寂しさは、不破と再会したことに原因があるのだろうか。

考えたくなくて、真理は馨の残り香を探すように枕に顔を埋める。
「馨…馨…かおる…」
自然に右手が自分の股間に伸びた。
別の男の存在を消そうとするように無理やり頭の中で馨のことだけを考えて、快感の入口を探る。
馨に弄られていると想像して、自分のペニスを扱いた。

「…あっ…あ…ん…いい…気持ちい」
そのとき、間の悪いタイミングでインターフォンが鳴った。
普段なら誰が来ても約束のない訪問は無視するのに、自分のしようとしていたことに後ろめたさを感じた真理は、起き上がってパジャマの上に上着を羽織り玄関に出た。

「…はい?」
いつもならしないのに、早く追い払いたい気持ちが先行して、正体を確かめる前にドアを開けてしまった。
そこに立っていたのは思ってもいない人間だった。

「…不破!」
真理は反射的にドアを閉めようとした。
「……ってーっ…」
けれどドアは閉まらなかった。
不破の足が閉まりかけたドアの間に挟まったのだ。

「真理、開けて。ね、これじゃあオレ、不審者みたいでしょ。近所の人に誤解されちゃう」
隙間から顔を入れて真剣に言う不破に、真理は泣きそうな顔で笑った。
「笑った。はじめてだな、再会してからおまえが笑ったの」

手首を切ったあの日から、真理はもう心の底から笑うことは出来なくなっていた。
馨に癒され立ち直った今は幸福だけど、決して過去の無邪気だったときは取り戻せない。
こんなふうに感傷的で複雑な気持ちのときに笑えたことが、真理は不思議だった。
不破は遠い昔に失った自分を、思い出させる。

「ほんとに、真理が嫌がるようなことなにもしないから入れて」
「……コーヒー、飲む?」
「真理…サンキュ」

真理が馨と二人で生活してる部屋に足を踏み入れるのは、不破もいい気分ではなかった。
けれど確かめずにはいられなくて、馨の留守を知っていて来てしまった。

広々とした明るいリビングルームには、センスの良い家具が煩くない程度にシンプルに配置され、大きな水槽の中を色鮮やかな熱帯魚が優雅に泳いでいる。
不破は部屋を見回して、サイドボードの上のクリスタルの置物に触れた。
この部屋にあるものすべてが、馨が丁寧に選んだ物だとわかる。
質の良い暮らしを感じさせた。
この部屋にいる真理を、自分は知らない。
そう思うと胸が苦しくなるような嫉妬を覚える。

「不破、朝飯食べたか?なんか食べる?」
呼ばれてキッチンカウンターに近づくと、真理が慣れた手つきでコーヒーを煎れていた。
「朝食って、おまえが作るの?」
驚いたように不破が言う。
「失礼だな。オレだって、トーストくらい焼ける」
「ああ、トーストね」
「あと…ゆでたまごとか」
クスクス笑いながら不破はカウンターを回り真理の側に来る。
「オレが作ってやるよ。なに食いたい?真理」

隣に立たれただけで意識して胸が高鳴る。
とても顔を見ることは出来なくて、真理は不破から離れるために冷蔵庫を開けて、中を検分するかのように覗きこんだ。
「真理…」
冷蔵庫のドアの上に置かれた手に不破の手が重なる。
「なんか、見つけた?」
耳の側で言われて身体がビクンと反応する。
なにも、ない。
不破はただ聞いてるだけで、深い意味があるんじゃない、過剰に反応する自分の身体にそう言い聞かせる。

「えっ…と、確かレタスとトマトがあったハズ」
「ふ~ん、レタスとトマトね」
言いながら不破は真理の背中にぴったりと身体をくっつけてくる。
「あれ、苺じゃん。季節外れだな」
そう言って真理の後ろから手をのぼして苺のパックから一粒だけ取った。
アメリカ産の苺は毒々しいほど赤かった。

「はい、真理、あーんして」
「え…、なに」
「食べて」
「う、うん」
いらないと言えなくて無理やり口の中に入れて噛み砕き、飲み込んだ。
口中が甘い果実の汁でいっぱいになった。

「…甘い?」
囁くように言って不破は唇を重ねてくる。
「不破!…やめて。しないって言ったろ!」
寸前のところで不破の身体を押さえて、泣きそうな目で睨みながら抗議する。
「嫌がるようなことは、だろ。真理、嫌がってないじゃん」
「そんなこと!」
「じゃあ、どうしてオレに触られるたびに、反応するの」

不破を睨んでいた瞳が途端に頼りなく自信のない眼差しに変わる。
どんなに拒んで見せても、真理の身体は心を裏切って不破に強く抱かれたいと思っている。
違う、本当は心さえも。

今度こそ不破の唇は真理のそれに重なった。
舌を絡めながら二人はずるずると床にしゃがみこむ。
長いくちづけが終わって視線を交わしたとき、真理は死んでもいいから、不破と愛し合いたいと思った。

「抱いて…尊…抱いて」
不破を寝室に招き入れ、いつも馨と愛を交わすベッドの上に誘う。
どうしてこんな大胆なことが出来るのか、真理は自分でも自分の心がわからない。
ただ、禁じられたものを欲しがるように貪欲な自分の心が。

レースのカーテン越しに朝の柔かい光のもれる部屋で、飢えた獣のようにお互いに着ているものをはぎ取って素肌と素肌を擦り合せるように抱き合う。
足を絡めると、硬く昂ぶっている両方の性器がぶつかった。

「すげえ、もう硬くなってる。オレのも、おまえのも。こうするだけで、気持ちいいな」
そう言って、不破が腰を押しつけて、擦りつけてくる。
勃起したペニスとペニスが擦れ合った。
「あ、いやっ…不破っ」
いや、と言いながら真理も同じように腰を動かした。
「ねえ真理、舐めっこしようか」
不破は身体の向きを変えて、真理と逆さまの格好になる。
上体を沈めて、真理の勃起したペニスを口に含んだ。

「あっ…んっ、尊…」
真理のペニスを舐めながら、体重をかけないように注意を払い腰を落とし、真理の唇の先に、自分のペニスを運ぶ。
真理は愛おしそうに、その硬い肉を頬張った。
「……ふっ…んっ…うん…」
肉をしゃぶるピチャピチャという卑猥な音だけが、朝の、清潔な寝室に響く。
同じ快感を与えあい味わうことに夢中になり、思わず射精してしまうまで、唇を離せなかった。

一度、欲望を開放したあとも、二人の性器は萎えていない。
身体を繋がなければ、到底満足出来ない。
「尊、これで解して」
真理はベッド脇の引出しからラブオイルを出して、不破に渡した。
「なにこれ、いつも使ってるヤツ?」
不破は、少し拗ねた口調で受け取る。
「馨とヤルとき、使ってるんだ」
「…ごめん、オレ」
真理は無神経な自分を責めた。
「いいんだ、真理を責めているわけじゃない。嫉妬、してるだけさ。真理、解すから、四つん這いになって」
ベッドの上で四つん這いになって、尻を預ける。
オイルで濡らした不破の指が中を掻き乱す。
体温に触れたオイルは、濃厚な匂いを発する。
それは、いつも馨に抱かれるときに、嗅ぐ匂いだった。

「…あっ…ん、…はぁ…んっ」
顔を見ないで後ろを弄られているだけでは、誰に抱かれているかわからなくなる。
だらしない自分の身体に気づかされたようで、真理はいたたまれなかった。

「…も、いいから。…尊、顔見せて…顔、見ながら抱かれたい」
「真理…いいよ」
尊は真理を優しくベッドに横たえて、正上位で抱き合った。
膝を大きく割って、オイルで濡らしたペニスを侵入させる。
十分に解したそこは、容易に不破を根元まで飲み込んだ。
「…あん…挿った…」
肉壁に不破の熱さと固さを感じて、快感に身体を震わせる。

「…はっ…真理、すげえ、気持ちいい…」
「ねえ、擦って…尊、オレの中で、暴れて…めちゃくちゃに…」
唇から、甘い吐息を吐きだしてねだる真理を、不破は優しく突き上げる。
リズミカルに、小刻みに振動させた。
「…あ、やぁっ…んっ…、はあ…いい…、中が、中が…気持ちいい…っ、ん」

許されない恋だからこんなにも胸が甘苦しいのか。
戯れるようにきゅっと乳首を弄じられると、たまらなくなって、奥が不破を締めつけるのが自分でわかる。
自分の中で容量を増した不破を感じて、真理はさらに甘く高い声をあげる。
「…やだっ!…尊の…、尊のが…んっ、大きくなった…」
我慢出来なくなって、真理もまた、激しく腰を揺らした。
「真理!おまえ…良すぎるッ…」
貪欲に快楽を貪る真理は、よく知っているようで、まるで知らない人間のように妖しく美しい。
馨が真理をこんなふうに変えたのかと思うと、気が狂いそうになる。

「ほら、もっとやるよ、真理…まだイクな」
急に嗜虐的な気分になって、不破は真理のせつなく反り立ったペニスの根元をぐっと押さえて、思い切り突き上げた。
「ああ!いやあ!放してっ、イカせて!尊!」

意識の遠いところで電話が鳴っているのがわかったが、身体の中から不破のものが抜かれる感触に狂わされて、離れることができなかった。

まだ足りない。全然足りない。もっと感じたい。
欲しくて欲しくてたまらない。
この愛を止められない。
死んでもいい。
この腕の中で殺して欲しい。
「……あっ…イク!いっちゃう、また出ちゃうよ!尊!」

このまま身のうちに不破を飲み込んだまま死にたい―そう思う、自分の欲望の深さが怖かった。



身も心もくたくたになった情事のあとで、留守電が点滅しているのを見つけた。
真理は震える指で再生ボタンを押す。

『オレだけど、真理、いないの?』
責められているわけではないのに、馨の声に身動きが出来ない。
『まだ寝てるのかな、お寝坊さん。一人でもちゃんと朝食とらないと駄目だよ。また夜にでも電話するから』

「…………馨」
何かが心の中で音を立てて崩れていく。
真理は床の上に座り込んだ。

こんなふうに頼りなく愛に流されて、いったいどこに辿り着くのだろうか。



第一章 シャングリラ 完



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