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9.桜
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病室に戻ると、那智は窓際に立って、窓の外を眺めていた。
「那智、何を見てるの」
隣に立って、同じ場所から同じものを見つめる。
「桜が…」
那智が呟くように言う。
「散ってる」
「ああ。ここからは中庭の八重桜がよく見えるんだな。下に立つと鳥肌が立つよ。惜しげもなく散る様子があんまり壮観で。後から、行ってみようか?」
樫野の言葉に頷く那智の横顔は、なんだか寂しげだった。
「どうした那智?桜が散るのが寂しい?でもまた来年の春、綺麗に咲いてくれるよ」
そう口にしたとき、以前、同じようなことを那智に言ったことがあると思い出した。
そうだ、最後に那智と一緒にステージに立ったあの日。
コンサートが終わることに寂しそうにしていた那智に「次のツアーがある」と言って慰めたのだ。
けれどあの言葉は嘘になった。
那智には次のツアーはなかった。
胸の痛みを感じながら、樫野は懸命に思う。
それでも、来年の桜を見ることは出来る。
嘘にはならない。
その時の那智が、記憶を持っているかいないのかはわからないけれど。
それでも、那智と一緒に、同じ桜を見ることは出来るのだ。
「那智、思い出したことが辛いのか。それとも、完全に思い出せないことが辛い?」
那智の顔を見ながら、樫野は聞いた。
那智は言葉に出来ない、というように、ただ首を振った。
「那智……」
樫野の目に映るのは、確かに以前の、記憶を持った那智だった。
意志を持ったその瞳があまりに懐かしくて、樫野は確かめるように、那智の頬を両手で包むようにして触れた。
「那智…」
記憶がないままでも構わないと思っていた。
けれどこうして、那智を取り戻してみればそれが欺瞞だったとわかる。
会いたかった。
自分のことをわかってくれる那智に、会いたかった。
溢れるようにこみあげてくる愛しいという想いに負けて、樫野は那智の唇に自分の唇を重ねた。
那智は拒まなかった。
だから、求めてしまった。
舌先で那智の唇を割り、舌を忍ばせ、両腕で那智の身体を抱きしめた。
那智は我に返ったように抗って、樫野を突き飛ばした。
「那智…」
樫野が自分のした失敗を後悔したときには、那智は逃げるように部屋の隅まで後ずさって、震えていた。
「ごめん、オレ…そんなつもりじゃなくて」
那智の脅えきった様子に樫野は打ちのめされた。
そんなつもりじゃなかった。
記憶が戻ったのなら、自分たちの関係も思い出していると思った。
自分たちが、愛しあっていたことを。
触れあうことを拒んでいた那智も、記憶を失くす直前には樫野を受け入れてくれた。
僅かな時間だったが、抱きあって、口づけて、想いを確かめあうことが出来た。
またあんなふうに、お互いに求めあって触れあえると思った。
怖がらせるつもりはなかった。
言い訳は樫野の中を駆け巡るだけで、何一つ口には出来ない。
そのとき、ドアが開いて芳彦が入ってきた。
二人の様子から状況を察した芳彦は気遣うように言った。
「ちょっと驚いたんだよ。そんな大したことじゃない。ここは僕に任せて、ね」
那智の肩を抱いて、声をかけながらベッドに寝かせる。
「すぐ行くから、ロビーで待ってて」
樫野にそう言った。
「那智、何を見てるの」
隣に立って、同じ場所から同じものを見つめる。
「桜が…」
那智が呟くように言う。
「散ってる」
「ああ。ここからは中庭の八重桜がよく見えるんだな。下に立つと鳥肌が立つよ。惜しげもなく散る様子があんまり壮観で。後から、行ってみようか?」
樫野の言葉に頷く那智の横顔は、なんだか寂しげだった。
「どうした那智?桜が散るのが寂しい?でもまた来年の春、綺麗に咲いてくれるよ」
そう口にしたとき、以前、同じようなことを那智に言ったことがあると思い出した。
そうだ、最後に那智と一緒にステージに立ったあの日。
コンサートが終わることに寂しそうにしていた那智に「次のツアーがある」と言って慰めたのだ。
けれどあの言葉は嘘になった。
那智には次のツアーはなかった。
胸の痛みを感じながら、樫野は懸命に思う。
それでも、来年の桜を見ることは出来る。
嘘にはならない。
その時の那智が、記憶を持っているかいないのかはわからないけれど。
それでも、那智と一緒に、同じ桜を見ることは出来るのだ。
「那智、思い出したことが辛いのか。それとも、完全に思い出せないことが辛い?」
那智の顔を見ながら、樫野は聞いた。
那智は言葉に出来ない、というように、ただ首を振った。
「那智……」
樫野の目に映るのは、確かに以前の、記憶を持った那智だった。
意志を持ったその瞳があまりに懐かしくて、樫野は確かめるように、那智の頬を両手で包むようにして触れた。
「那智…」
記憶がないままでも構わないと思っていた。
けれどこうして、那智を取り戻してみればそれが欺瞞だったとわかる。
会いたかった。
自分のことをわかってくれる那智に、会いたかった。
溢れるようにこみあげてくる愛しいという想いに負けて、樫野は那智の唇に自分の唇を重ねた。
那智は拒まなかった。
だから、求めてしまった。
舌先で那智の唇を割り、舌を忍ばせ、両腕で那智の身体を抱きしめた。
那智は我に返ったように抗って、樫野を突き飛ばした。
「那智…」
樫野が自分のした失敗を後悔したときには、那智は逃げるように部屋の隅まで後ずさって、震えていた。
「ごめん、オレ…そんなつもりじゃなくて」
那智の脅えきった様子に樫野は打ちのめされた。
そんなつもりじゃなかった。
記憶が戻ったのなら、自分たちの関係も思い出していると思った。
自分たちが、愛しあっていたことを。
触れあうことを拒んでいた那智も、記憶を失くす直前には樫野を受け入れてくれた。
僅かな時間だったが、抱きあって、口づけて、想いを確かめあうことが出来た。
またあんなふうに、お互いに求めあって触れあえると思った。
怖がらせるつもりはなかった。
言い訳は樫野の中を駆け巡るだけで、何一つ口には出来ない。
そのとき、ドアが開いて芳彦が入ってきた。
二人の様子から状況を察した芳彦は気遣うように言った。
「ちょっと驚いたんだよ。そんな大したことじゃない。ここは僕に任せて、ね」
那智の肩を抱いて、声をかけながらベッドに寝かせる。
「すぐ行くから、ロビーで待ってて」
樫野にそう言った。
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