東京シンデレラ

フジキフジコ

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【番外編】

ナルシスの憂鬱

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生前から夫婦仲が良いと評判だった両親が揃って交通事故でこの世を去ったとき、オレは15歳で中学生だった。

高校の教諭をしていた堅実な両親が残してくれた蓄えのおかげで、大学を卒業するまでの学費や生活費は充分すぎるほどあったが、15歳の子供にはどうしたって保護者が必要だった。

親戚が集まって話し合った結果、オレは母親の年の離れた妹、美恵子叔母さんに引き取られることになった。
叔母さんはそのときまだ25歳で、独身で売れっ子の少女漫画家で、親戚の中で誰よりも金持ちだった。

叔母は、都心から少し離れた郊外で瀟洒な洋館に一人で住んでいた。
仕事部屋はそこから車で20分ほど走った雑居ビルの一室に別に構えていたので、家の中には仕事道具は一切見当たらず、室内のゴテゴテした古めかしい装飾品や調度品を見た限り、少女漫画家の家というよりはヨーロッパの零落した貴族の家みたいだった。

美恵子おばさんはオレを引きとってすぐに、こう言った。
「いいこと、光太郎。どうしてアタシがあなたを引き取ったか、わかる?あなたが綺麗だからよ。私はあなたの母親じゃないから、あなたに干渉するつもりはないわ。ただし、この家にいる間は、あなたは綺麗でいなくっちゃ、ダメ。わかったわね」

美恵子叔母さんは美意識の化け物で、家の中に置くものすべてに、それこそフライパンからトイレットペーパー、電球1コにいたるまで、自分の美意識に適ったものだけを置いた。
そのこだわり方といったら偏執狂そのものだった。
要するにその定義にオレもはめようとしたわけだ。

「キレイ?オレがキレイ?」
オレだって、自分の美醜を全然考えたことがなかったわけじゃない。
結構、イケてる方だという自信や自意識は若干15歳ですでに持っていた。
けど面と向かって「綺麗」だなんて言われたのははじめてで、しかも人間の価値をそんなふうにシンプルに判断し、あっさり断言してしまう叔母に驚いた。

顔が綺麗なことより心が綺麗な方が尊く美しいという教えは叔母には無縁だった。
「綺麗よ。そこらへんの女の子より、光太郎、あなたの方がよほど綺麗」
美恵子おばさんは角の尖った、昔の漫画に出てくる教育ママがかけるようなメガネの奥の瞳を細めてオレを見た。
「美恵子叔母さんこそ、そんなヘンな格好してなけりゃ美人なのに」

教育ママ風メガネもヘンだが、頭のてっぺんにだんごのように結ってある髪型もヘンだった。
もっと言うならネグリジェみたいなレースのドレスを日常着に着てるのも一般人から見たらかなりあやしい。
髪をほどいて、ジーンズにTシャツなんて格好をすればスレンダーで小顔の叔母さんにはきっと似合って今風の美人に見えるのに。

「美恵子叔母さんなんて、呼ばないで!アタシのことは『怜名さん』と呼んでちょうだい。それから二度とあたしのことを美人だなんて言わないで」
涼風怜名すずかぜれいな、というのが叔母の職業上のペンネームだった。
叔母は、自分の容姿に異常なほどコンプレックスを持っていた。
その分、自分の身の回りに置く物の検分に情熱をかけたのだ。

多分、凡人には理解しがたいであろうこの風変わりな叔母が、オレはわりと好きだったし、過剰に構われることもなくはじめはそれなりにうまく暮らしていた。
けど、それはオレたちが抜き差しならない関係になるまでの、ほんの短い間のことだった。



わざわざ通学に1時間以上もかかる、都外の高校を選んだのは、涼風怜名と暮らしていることを誰にも知られたくなかったからだ。
最近、叔母の描く漫画の主人公の男はいつでもオレに似ている。

オレに似た主人公は漫画の中で恋の遍歴を重ね、いろんな女を抱いて青春時代を謳歌しながら成長していく。
現実のオレはと言えば、漫画の世界にも劣らない絢爛豪華な刺激に満ちた生活を送っていた。
叔母に連れられて、オレはいろんなことを経験した。
乗馬やスキューバーダイビング、スキー、スノボー、ギャンブル。
そしてセックス。

叔母はありとあらゆることをその道のプロに、あるいは自分で手取り足取りオレに教え込んだ。
「あなたは最高級の男になりなさい」というのが叔母の口癖だった。
叔母の言う「最高級の男」というのは、要するに叔母の見かけのいいペットでいることだった。
おかげでオレは磨かれた。
高校に入る頃にはいい見世物になっていた。

しかし、これが他人が思う以上にシンドイ。
通学の途中、学校にいる間の時間のすべて、他人に見られているような気がして気の休まるときがない。
なんでそんなにオレを見るんだ?
聞いてやりたくても視線が一つや二つじゃないから、きりがない。
カッコいい、とみんながオレのことを持ちあげてそう言ってくれる。
ありがたいことだが、オレはそっとしておいて欲しかった。

自分で得ようと思って得る注目以外は煩わしいだけだということを、理解してくれる人間はいない。
誰に相談しても贅沢な悩みだと言われて、笑われるか怒られるかだ。
とにかくオレは一人になりたかった。

学校にいる間、他人の視線から逃げるように校内に身を隠す場所を探した。
校舎の裏なら日中は影になってジメジメしてるし、誰も寄りつかないだろう。

ある日そう思いついて、昼休みに弁当を持ってそこに向かった。
そこには先客がいた。
どっかで見た顔だな、と思ったら同じクラスのヤツだった。
ところが名前が出てこない。
他人に興味が持てないオレは、人の顔と名前を覚えるのが苦手だった。
そんなところにオレはもう重大な人間的欠陥を抱えていた。

名前がわからないので声をかけることが出来なくて、結果的にオレはそいつを盗み見していた。
地べたの上に体育座りで座り、菓子パンをかじっているそいつの横顔は、どこを見てるのかはっきりしない、ぼんやりとした無表情だった。
オレははっとした。

そいつがひどく整った顔立ちをした、綺麗な男だということに、遅ればせながら気づいて。
オレのことをそういう評価で見るなら、こいつの方が中性的な分よっぱど「綺麗」なのに。
なんで名前も思い出せないほど、印象が薄いのか不思議だ。

そうこうしているうちにそいつがオレに気づいて、ぎょっとしたように座ったまま後ずさった。
なにもマズイところを見たわけじゃないのに、そんなに大袈裟に驚かなくても、と言いたいような慌てぶりだった。

「た、高杉…」
そいつはオレの名前を呼んだ。
オレは名前を呼ぶことが出来ずに、申し訳ないような気持ちでじっとそいつの顔を見ていた。
少しづつ、そいつの顔が笑顔を作って、そうすると不思議なほど凡庸なイメージに変わった。

「な、なんでこんなとこにいるんだよ」
「メシ、食えるとこ探してた。たまには一人でゆっくり食べようかなあ、と思ってさ」
「そうか。あ、オレもう終ったから、ここいいよ」
それだけ言うのに顔を真っ赤にさせている。
さっきの、一人でいたときとは別人のようだった。
直感で、オレは思った。
こいつは、集団の中でわざと目立たないように自分を殺してるんじゃないかって。
そんなワザがあるならぜひとも教えて欲しい。

「じゃあ」
「ちょっと!おい」
引きとめたけど、そいつは逃げるように走り去った。
あいつもまた、他人の目から逃げたいのかもしれない、そんなふうに思って、オレは後を追うのを諦めた。

昼休みが終って下駄箱で名前を調べた。
椎名広海。
それが彼の名前だったが、他人に対して執着心も持ち合わせていなかったオレは、そんなことがあったこともすぐに忘れた。




天蓋つきの真っ白なベッドの中で怜名さんに聞いた。
なんで漫画家になったの。
「女であることをやめたかったのよ。社会に出れば、女はみんな美醜で評価されるものよ。性から逃げるには、才能の世界で成功するしかないじゃない」

そうは言っても、叔母は自分の容姿に対して強いコンプレックスと同じくらいの優越を持っていた。
女であることから逃げてなんかいない。
男を美醜で判断して、基準にあたいすれば自分の甥でもベッドに入れる。
叔母は骨の髄まで女だった。

「そうか。なるほど。だったらオレは作家になる」
叔母は笑った。
「無理だわ。あなたは華よ。大輪の薔薇よ。神様が与えた美から決して逃げられないわ」
「ねえ、美恵子叔母さん。もしオレが醜い子供だったら、オレを引き取らなかった?」
「怜名さん、よ」
質問の内容よりも名前を呼び間違えたことの方が彼女には重大だった。
付け加えるように、叔母は言った。

「当然だわ。アタシはあなたの姿形を愛してるのよ」
オレの姿形を愛してくれる人間は大勢いる。
あなただけじゃない。
綺麗だのカッコイイだの、そんな言葉は聞き飽きてありがたくもなんともなくなった。
だからどうした。
それのどこに価値がある。
オレは表面だけを磨かれたダイヤモンドのようなものだ。
中身は腐って自分でももうどうしようもない。
こんな男を本当に愛してくれる人間なんかいやしないだろう。

神様からは逃げられなくても、叔母から逃げることは簡単だった。
オレは大学に入学するのと同時に親の遺産を手に叔母の家を出た。
しかし、叔母のもとで身についた桁ハズレの贅沢クセと、育たなかった金銭感覚が災いして2年で破産し、大学も中退した。

けどその頃は処女作を出版したばかりで、生活の心配なんて少しもしていなかった。
その後が続かなくて堕落するのは早かったが、自分が薄汚れていくことには妙な快感があった。

どんなにみじめになっても優しく接してくれるお人好しの人間は必ずいて、そういう人の善意だけでやっと生きているような状態が続いた。

他人を騙すようなこともした。
金の余ってる女から金をくすねることに罪悪感なんか感じなかった。
ホストとか、そういう仕事が出来ないワケじゃなかったけど、オレは「男」を売り物にしたくなかった。
叔母のもとで培った見せかけの魅力を奮うのはまっぴらだった。
それなら他人の情けに縋って生きる方がいい。

作家になる夢は、他人の同情を買うための餌というよりは自分自身への言い訳だった。
叔母のもとで『最高級』を目指したオレは、今や『最低俗』の男に成り下がっている。
そのことを愉快に思ってるんだからオレはやっぱりかなりイカれているらしい。

でも他人が見たら顔を顰めるようなこんな暮らしが、性にあう。
オレはどんどん楽天的に、自由に生きられるようになった。
漂っている。
何かを待って。

多分夢とか恋とか、いつのまにか遠くなったそんなものを。
根拠はなかったが、どんなに最低の男になっても、オレがいいと、オレじゃないとダメなんだと、そう言ってくれる人間がこの広い世の中に一人くらいはいそうな気が、今はしている。

そんなロマンチックな希望を胸に生きている。



★END★



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