東京シンデレラ

フジキフジコ

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11.悪い取引

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買い物から帰ると珍しいことに客が来ていた。
高杉が、集談社の編集者だと言って紹介した山田という男には、かすかに見覚えがあった。
オレが見覚えのある男なんて、ろくなヤツじゃないだろうと胡散臭く思いながらも、一応頭を下げる。

慣れない手つきでコーヒーを煎れながら話を聞いていると、居間ではエイプリルフールの冗談か新種の詐欺かと疑いたくなるような話が展開されていた。

「出版業界は高杉さんのようなスケールの大きい、奇想天外な作家を待ってるんですよ」
奇想天外。
なるほど、モノは言い様だ。
高杉の書く小説の陳腐さを、そんなふうに表現出来るこの編集者こそ、文を書くべきだとオレは思った。

「ぜひ次回作はうちから出させてください」
あんまり驚いて古伊万里のコーヒーカップを落して割ってしまった。

なに考えてんだ、いったい。
集談社っていうのはよほど金が余ってるのだろうか。
税金対策に売れないに決まってる本を出して赤字計上でも企んでるとしか思えない。

オレはコーヒーを出しながら、山田という編集者を猜疑の眼差しでジロジロと見た。
まだ若いだろうに頭のハゲたネズミのような男はそわそわとオレから視線を外して、高杉に向かって唾を飛ばしてまくし立てる。

「高杉さん、頑張ってください!直木賞、狙いましょう!」
山田が帰ると、ノセられて充分その気になったらしい高杉は仕事部屋にこもって天才盆栽少年たっくんの冒険記の執筆作業に没頭している。
けどオレは絶対裏があると思って、あの男をやすやすとは信用できなかった。



案の定、山田は次の日になって店にやってきた。
どこかで見たことがあると思ったら客だったらしい。
いちいち顔まで覚えてないので、忘れていても無理はない。

「ねえねえ、高杉さんってヒロくんの恋人?」
身体を洗っていると、そう聞いてきた。
ちなみに「ヒロくん」というのは本名の広海のミをとっただけだが、オレの源氏名だ。

「違いますよ。高校のときの同級生でワケあって同居してるだけです」
「なんだ、そうか」
ワザとらしく笑いながら、そいつは手を握ってくる。

「ね、店が終ったら外で会わない?二人っきりで…」
「そういうのは、ちょっと、困ります」
「高杉さんの本ね、本当に出してもいいと思ってるんだよね」

最初っからそれで釣ろうとしていたのがミエミエすぎて、驚くふりも出来ない。
「……あれを?」
あからさまに呆れた声でオレは言ってやった。
読んだことあんのかよ、あんた。
いくらなんでも、大手の出版社がそんな無茶をするもんか。
そんな口調で。

「あらら、知らない?出版業界なんてみんなデキレースでね。賞をつければどんな駄作でも本は売れるの。賞は金やコネで買う。作品の良し悪しなんか関係ないだよねえ」
「それで、あんたなら出来る、ってわけ?」
「まあ、力にはなれるんじゃないかなあ」

ふーん。
そういう仕組みになってるのか。
知らなかった。

オレの身体を舐めたい、というのがこの日のこの男の要求だったので、オレはマットに横になって、身体を這い回るねっとりしたしつこい舌の感触に堪えながら、「あん、あん」と声を出して頭の中では損得勘定を計算していた。

こいつと外であって、まあ多分、セックスされて、高杉の小説がまがりなりにも本になることと、いつ実現するかわからない夢に、高杉が絶望する日が来るかもしれないリスクを計りにかける。

夢に破れた人間は自ら命を絶つと言う固定観念が首をもたげ、確信に変わっていく。

「広海、父ちゃん、必ずもう一度会社をやるからな。家も買い戻す。幸せに、家族みんなで幸せになろうな」
オレを肩車して、嬉しそうに夢を語る親父を本当言えばオレは嫌いじゃなかった。
カッコいいとも、誇りにも思っていた。
親父はきっとその夢を、実現させるに違いないと信じていた。
おふくろだって、そうだったんだと思う。
苦労しながら、一度も、親父を詰ったことはなかった。

親父がビルから飛び降りたと、警察から連絡があった日を思い出す。
親父はかつては自分の会社だったビルから飛び降りた。
未練たらしい死に方だった。

霊安室で見た親父の死に顔が、高杉とダブる。
恐怖に捕らわれる。
高杉を、あんなふうに失うのはいやだ。

考えるまでもないような気がした。
どうせ店でしていることだって、セックスと大差ないんだ。
引き換えにできるものは大きい方がいいに決まってる。
オレは山田の誘いに乗ることに決めた。



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