5 / 24
5.転職のすすめ
しおりを挟む
箪笥の中にしまっておいた現金が、ない。
「高杉!」
オレは仕事部屋でパソコンに向かってる高杉を呼びながら、ドアを開けた。
「なに」
高杉は振り返って、おもむろにノンフレームのメガネを外した。
再会したときはどうしようもない格好だったが、D&Gのセーターを着て、不精ヒゲを剃り、ロン毛を後ろで束ねた姿はさすがにサマになってる。
これであのパソコンに打ち込んでるつまらない小説が金になれば、言うことないんだけどなあ。
「箪笥の引き出しに入れておいた金、知らねえ?」
「おまえさあ。前から言おうと思ったんだけど、部屋の中に現金置くのやめろよ。物騒だろ」
高杉は眉を寄せて、教師のような真面目な表情で説教をたれる。
「そんなこたあ今どうでもいいんだよ?!知ってんのか知らねえのか、どっち?!」
高杉はしばらく無言でオレを見つめたあと、いきなり椅子から下りて土下座をかました。
「ゴメン!絶対倍にして返そうと思って借りたんだけど…負けた」
「ま、ま、ま、負けたって、なににっ!!!」
オレは酸素を求める金魚のように口をパクパクさせて、ようやくそれだけ言うことが出来た。
「………………競馬」
「200万だぞ!全部か?!」
「うん」
なにが「うん」だ、なにがっ!バカヤローッ、あの金はなあ!
言いたいことはいろいろあったが、オレはあんまり驚いたせいで腰が抜けてその場にへたり込んでしまった。
オレのありふれた常識感覚では競馬で200万も損をする人間が、この不景気な日本に存在することを信じることさえ難しい。
高杉はどういう育ち方をしたのか、とにかく金銭感覚というものが欠落し、趣味といえば貯金通帳を眺めることくらいしかないオレと違って多趣味で、しかも金のかかる道楽ばかりを好んだ。
ギャンブルはその中の最たるモノだ。
「し、椎名?大丈夫かあ?」
驚いた高杉が駆け寄ってきて、オレの腕を掴んだ。
「……触るな。出てけっ、バカヤロー!二度と帰ってくんな!」
正気を取り戻したオレは実に理にかなったことを、言った。
高杉には充分すぎるくらい生活費を渡してるし、服だって、そのパソコンだってオレの金で買ってやった。
そりゃあ、その見返りに高杉は家事全般をやってくれている。
飯は上手いし、掃除も洗濯も多分下手な女よりもよほど器用にこなす。
なにより、そういう雑用を渋々という感じじゃなく、鼻歌まじりに楽しそうにこなすところがスゴイ。
高杉のおかげで一人で住んでいたときに比べれば、快適な日常を手に入れたことは認める。
だからってヒトの金を勝手に使っていいわけねーだろ!
しかも200万も!
「だから、ごめんって。許して、ね?」
「許せるかっ!バカヤロー!」
「いや、絶対自信あったんだって。キングメジロスター。当たったらさ、軽く1千万にはなってたんだよ?買うだろう、普通」
もうオレには返す言葉がない。
高杉はそれを「許された」と解釈したのか、微笑を浮かべながら、顔を近づけてくる。
「シイナ」と囁くように言って、首筋にキスした。
「やめろよっ、バカッ」
「まだ怒ってんの?心配すんなって。絶対返すから。な?今書いてるの、結構自信あるんだ。出版社に持っていけば、採用されると思うよ」
高杉の金銭感覚以上に、この根拠のない自信はさらに理解不能だ。
「んなワケあるか!誰が今時、盆栽の小説なんか読むんだよ。おかしいだろ、あれ。なんでラーメン屋の家に生まれた主人公が盆栽の天才なんだ?全国流浪して盆栽オタクの奇人変人とワザを競ってそれがなんだ?どうした?どこにロマンがあるんだ?!」
ちょっと言い過ぎかな、と思ったが感情が昂ぶってもう自分でも止められない。
「こうなったら言ってやるけど、一番ヘンなとこはなあ、落ち込んでる主人公に盆栽が話しかけるとこだ!『元気だして、たっくん。たっくんの枝きり鋏使いは誰にも負けないよ』って、盆栽が喋るかあっ!」
言いたいことを言ったあとは息が乱れてゼイゼイと荒い呼吸をした。
オレにしては結構キツイことを言ったと思うのだが高杉はそれほど傷ついた顔をしていない。
「…そうか。ヘン、かなあ?」
真顔で聞かれると、いくら本当のこととはいえ言いにくい。
いや、本当のことだから言えないことがある。
オレは頭を抱えた。
ほんと、高杉に賞なんか与えた出版社の審査員をずらっと一列に並べて恨みごとを言ってやりたい。
なんでまた高杉に作家になれるなんて夢を持たせてしまったんだ、って。
これほど恵まれた容姿を持ち、しかも器用で、なんでもソツなくこなせる高杉なら、作家以外の職業につけばどんな職業にしろ人並み以上の成功はするに間違いないのに。
手頃なとこで主婦相手のセールスマンなんかいいかもしれない。
高杉なら流し目ひとつで車でも羽根布団でも建売でも、漬物石でさえ高く売れるだろう。
店員、というのもイケる。
スーツ姿で「いらっしゃいませ」なんて言ってりゃすぐにカリスマ店員だ。
人間、姿、形が美しいというのはほんと、馬鹿にならない。
天から授かったありがたい武器じゃないか。
それなのに高杉ときたら天賦の才は無駄にして、ありもしない自分の文才をかけらも疑ってないのだ。
書くもの書くもの万事今書いてる盆栽小説と同じ調子で、ミステリーなのかと思って読み始めたら犯人が遥かバラ星雲からやってきた宇宙人だったり、ファンタジーかと思った話の途中で北朝鮮の工作員が出てきたり、とにかく高杉の書く話には脈絡というものが一切ない。
どうして作家になろうなんて思いついたのか、ワケがわからない。
「高杉…。今からでも遅くない。転職しろ」
高杉は首を振ってキリリとした、見惚れるほど美しい顔できっぱりと言った。
「オレは夢を諦めない」
カッとなってオレは高杉の身体を押し避けて怒鳴った。
「勝手にしろっ!夢でもなんでも追いかけてろよ!だけどそんなもんにオレを巻き込むな!出てけよっ」
尋常じゃないオレの見幕にビックリしたように目を丸くして、高杉は「わかった」と言って立ちあがり、淋しそうな背中を見せつけて部屋を出て行った。
「高杉!」
オレは仕事部屋でパソコンに向かってる高杉を呼びながら、ドアを開けた。
「なに」
高杉は振り返って、おもむろにノンフレームのメガネを外した。
再会したときはどうしようもない格好だったが、D&Gのセーターを着て、不精ヒゲを剃り、ロン毛を後ろで束ねた姿はさすがにサマになってる。
これであのパソコンに打ち込んでるつまらない小説が金になれば、言うことないんだけどなあ。
「箪笥の引き出しに入れておいた金、知らねえ?」
「おまえさあ。前から言おうと思ったんだけど、部屋の中に現金置くのやめろよ。物騒だろ」
高杉は眉を寄せて、教師のような真面目な表情で説教をたれる。
「そんなこたあ今どうでもいいんだよ?!知ってんのか知らねえのか、どっち?!」
高杉はしばらく無言でオレを見つめたあと、いきなり椅子から下りて土下座をかました。
「ゴメン!絶対倍にして返そうと思って借りたんだけど…負けた」
「ま、ま、ま、負けたって、なににっ!!!」
オレは酸素を求める金魚のように口をパクパクさせて、ようやくそれだけ言うことが出来た。
「………………競馬」
「200万だぞ!全部か?!」
「うん」
なにが「うん」だ、なにがっ!バカヤローッ、あの金はなあ!
言いたいことはいろいろあったが、オレはあんまり驚いたせいで腰が抜けてその場にへたり込んでしまった。
オレのありふれた常識感覚では競馬で200万も損をする人間が、この不景気な日本に存在することを信じることさえ難しい。
高杉はどういう育ち方をしたのか、とにかく金銭感覚というものが欠落し、趣味といえば貯金通帳を眺めることくらいしかないオレと違って多趣味で、しかも金のかかる道楽ばかりを好んだ。
ギャンブルはその中の最たるモノだ。
「し、椎名?大丈夫かあ?」
驚いた高杉が駆け寄ってきて、オレの腕を掴んだ。
「……触るな。出てけっ、バカヤロー!二度と帰ってくんな!」
正気を取り戻したオレは実に理にかなったことを、言った。
高杉には充分すぎるくらい生活費を渡してるし、服だって、そのパソコンだってオレの金で買ってやった。
そりゃあ、その見返りに高杉は家事全般をやってくれている。
飯は上手いし、掃除も洗濯も多分下手な女よりもよほど器用にこなす。
なにより、そういう雑用を渋々という感じじゃなく、鼻歌まじりに楽しそうにこなすところがスゴイ。
高杉のおかげで一人で住んでいたときに比べれば、快適な日常を手に入れたことは認める。
だからってヒトの金を勝手に使っていいわけねーだろ!
しかも200万も!
「だから、ごめんって。許して、ね?」
「許せるかっ!バカヤロー!」
「いや、絶対自信あったんだって。キングメジロスター。当たったらさ、軽く1千万にはなってたんだよ?買うだろう、普通」
もうオレには返す言葉がない。
高杉はそれを「許された」と解釈したのか、微笑を浮かべながら、顔を近づけてくる。
「シイナ」と囁くように言って、首筋にキスした。
「やめろよっ、バカッ」
「まだ怒ってんの?心配すんなって。絶対返すから。な?今書いてるの、結構自信あるんだ。出版社に持っていけば、採用されると思うよ」
高杉の金銭感覚以上に、この根拠のない自信はさらに理解不能だ。
「んなワケあるか!誰が今時、盆栽の小説なんか読むんだよ。おかしいだろ、あれ。なんでラーメン屋の家に生まれた主人公が盆栽の天才なんだ?全国流浪して盆栽オタクの奇人変人とワザを競ってそれがなんだ?どうした?どこにロマンがあるんだ?!」
ちょっと言い過ぎかな、と思ったが感情が昂ぶってもう自分でも止められない。
「こうなったら言ってやるけど、一番ヘンなとこはなあ、落ち込んでる主人公に盆栽が話しかけるとこだ!『元気だして、たっくん。たっくんの枝きり鋏使いは誰にも負けないよ』って、盆栽が喋るかあっ!」
言いたいことを言ったあとは息が乱れてゼイゼイと荒い呼吸をした。
オレにしては結構キツイことを言ったと思うのだが高杉はそれほど傷ついた顔をしていない。
「…そうか。ヘン、かなあ?」
真顔で聞かれると、いくら本当のこととはいえ言いにくい。
いや、本当のことだから言えないことがある。
オレは頭を抱えた。
ほんと、高杉に賞なんか与えた出版社の審査員をずらっと一列に並べて恨みごとを言ってやりたい。
なんでまた高杉に作家になれるなんて夢を持たせてしまったんだ、って。
これほど恵まれた容姿を持ち、しかも器用で、なんでもソツなくこなせる高杉なら、作家以外の職業につけばどんな職業にしろ人並み以上の成功はするに間違いないのに。
手頃なとこで主婦相手のセールスマンなんかいいかもしれない。
高杉なら流し目ひとつで車でも羽根布団でも建売でも、漬物石でさえ高く売れるだろう。
店員、というのもイケる。
スーツ姿で「いらっしゃいませ」なんて言ってりゃすぐにカリスマ店員だ。
人間、姿、形が美しいというのはほんと、馬鹿にならない。
天から授かったありがたい武器じゃないか。
それなのに高杉ときたら天賦の才は無駄にして、ありもしない自分の文才をかけらも疑ってないのだ。
書くもの書くもの万事今書いてる盆栽小説と同じ調子で、ミステリーなのかと思って読み始めたら犯人が遥かバラ星雲からやってきた宇宙人だったり、ファンタジーかと思った話の途中で北朝鮮の工作員が出てきたり、とにかく高杉の書く話には脈絡というものが一切ない。
どうして作家になろうなんて思いついたのか、ワケがわからない。
「高杉…。今からでも遅くない。転職しろ」
高杉は首を振ってキリリとした、見惚れるほど美しい顔できっぱりと言った。
「オレは夢を諦めない」
カッとなってオレは高杉の身体を押し避けて怒鳴った。
「勝手にしろっ!夢でもなんでも追いかけてろよ!だけどそんなもんにオレを巻き込むな!出てけよっ」
尋常じゃないオレの見幕にビックリしたように目を丸くして、高杉は「わかった」と言って立ちあがり、淋しそうな背中を見せつけて部屋を出て行った。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
真面目な部下に開発されました
佐久間たけのこ
BL
社会人BL、年下攻め。甘め。完結までは毎日更新。
※お仕事の描写など、厳密には正しくない箇所もございます。フィクションとしてお楽しみいただける方のみ読まれることをお勧めします。
救急隊で働く高槻隼人は、真面目だが人と打ち解けない部下、長尾旭を気にかけていた。
日頃の努力の甲斐あって、隼人には心を開きかけている様子の長尾。
ある日の飲み会帰り、隼人を部屋まで送った長尾は、いきなり隼人に「好きです」と告白してくる。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる