青は藍より出でて藍より青し

フジキフジコ

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瑠璃も玻璃も照らせば光る

4.龍頭観音

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桐生邸に綾瀬を迎えに行くと、若い組員が困ったように「三代目はまだ起きて来ません。ゆうべ、珍しく深酒したみたいです」と言う。

篤郎はため息を吐いて、屋敷の奥にある綾瀬の自室に向かった。
ドアを開けると、部屋の中は大きな窓から朝日が差し込んで明るかった。
カーテンくらい閉めて寝ればいいのに。
綾瀬を起こすためにこの部屋に入るたびに篤郎は同じことを思った。

綾瀬は名実共に桐生邸の主になってからも、学生の頃から使っている部屋をそのまま自室として使っている。
何度か改装して、家具なども厳選しているので、以前はシンプルというより殺風景だった部屋は、センスの良い高級ホテルの一室のような趣きがある。
もっとも定期的に家具を入れ替え、部屋の模様替えをするのは篤郎の仕事だった。
クラブの経営者でもある篤郎は、店のソファを選ぶより、綾瀬の部屋のソファを選ぶのに気を使った。
我儘な王様は自分ではなにもしないくせに、文句だけは言うのだ。

部屋のあるじは侵入者の存在に気づかず、篤郎が3日も頭を悩ませて選んだイタリア製のダブルベッドの中でうつ伏せになって眠っていた。

金色に近い薄茶色のウェーブのかかった柔らかそうな髪や、枕に半分埋めた横顔の輪郭は朝の白々しい光の中で見ると精巧な人形のようだ。
性的欲望を感じなくても、綾瀬の寝姿には充分に観賞価値があった。

ブランケットからはみ出た両腕や肩も、トレーニングで鍛えているわけでもないのに引き締まった綺麗な筋肉がついている。
いったい神様からどんなふうに愛されると、こういう人間が出来るのだろう。

ふと、篤郎は綾瀬の背中を覆うブランケットをはがしてみたいという欲求を感じた。
そこには妖しく美しい観音菩薩が棲んでいる。

綾瀬が背中に彫り物をしていることは有名だが、 その図柄がなんであるかは、興味の対象となってかっこうの噂話になっていた。
桜吹雪だとか、昇り竜だとか女の生首だとか、いろんな噂を篤郎も耳にしたが、綾瀬の背中にいるのは慈悲深い観音菩薩だった。

龍頭観音というその菩薩は天龍夜叉の身を現じ、雲中の龍の上にあって龍の力を自在にコントロールするという。
菩薩の背後には龍も描かれている。

しかし綾瀬が背負う菩薩は、菩薩というには色気があり艶めかし過ぎると、それを目にするたびに篤郎は思う。

「三代目、起きてください。相談したいことがあります」
軽く肩を揺さぶって起こす。
綾瀬からはアルコールの匂いがした。
綾瀬が身じろぎしたのを確認して、篤郎は床に散らかった洋服や紙くずを拾い集めた。

「……んの用だ」
綾瀬はまだ起き上がろうとはせず、横になったまま掠れた声で聞いた。
「例の、北海開発のことです。もし警察に切り札があるとしたら、何だと思います?」
「…つかまれたのか」
「まだわかりません。宣戦布告されただけですけど」
潮崎しおざき…、国土交通省の官僚の潮崎だ。ヤツしか考えられない」
「やっぱり、あいつか。厄介だなあ、オレ苦手なんだよな、あの手のインテリは」
急にタメ口になって、篤郎はぼやいた。
「綾瀬、どうしたらいいと思う?」
「殺せばいいだろ、消せよ」
「ウチはそういうやりは方しないでしょーが。もう、さっさと起きて真面目に答えてよ」

篤郎の小言が聞いたわけではないだろうが、綾瀬はやっと起き上がってベッドに腰かけた。
篤郎は部屋に置いている冷蔵庫からペットボトルの水を出して綾瀬に渡した。

綾瀬は上半身は裸で、下はスウェットをはいていた。
受け取った水を、一気に半分飲みほす。
濡れた唇を手の甲で拭うと、綾瀬はジロッと篤郎を睨んだ。
どうやら今朝は相当寝起きが悪いらしいと、悟ったときには遅かった。

「朝っぱらから笑わせるな。殺しはやらないなんて、いつ決めたんだ、篤郎。おまえは自分で手を汚してないからって、今までにただの一人も殺してないつもりか。まさか、青竜会に上納している組が殺した人間と自分は無関係だなんて思ってないよな」

とても寝起きとは思えない流暢で滑らかな嫌味だった。
朝から理不尽に絡まれて、篤郎は逃げだすタイミングを考えはじめた。

「それはそうとおまえ、とうとう真琴にたらされたそうじゃねえか。いい機会だ、ヤクザなんかやめて、あいつの秘書にでもしてもらえ」

篤郎は焦った。
まさか真琴とのことがバレているとは思ってもいなかった。
もちろん、綾瀬相手にいつまでも隠し通せるとは思っていなかったが、篤郎の予想よりはるかに早かった。

けれど綾瀬の不機嫌の原因がそれだとは思えない。
ふと、脱ぎ散らかされた服の中に綾瀬の携帯が落ちているのを見つけた。
無造作に放り投げられているといったようすだ。
綾瀬が自分の携帯で話す相手は限られている。
篤郎はぴんときた。

「高谷さんと、喧嘩したんだろ」
どうやら図星のようで、綾瀬は返事をしない。
「八つ当たりだ、酷いじゃないか」
篤郎はボヤキながら「高谷さん、いつ戻ってくるの。早く戻ってくれないとほんと、オレ、困るんだけど」と、ささやかな反撃に出た。

「下っ端の組から接待を受けるのに忙しくて帰れないそうだ。貢ぎ物が多くて困ってるようだったぜ」
「貢物?」
「女だろ。ヤクザってやつはいつまでたってもワンパターンだ。金と女で人の歓心を買えると思ってる」
「高谷さんに女を貢いでも仕方ないのにね」
「そうでもないぜ。高谷は据え膳は食う主義だからな」
「え?まさか、そのことで喧嘩したの?」

まだ半分水の入ったペットボトルが飛んできて、篤郎の背中に命中した。
綾瀬は立ち上がって部屋を出て行こうとする。

「綾瀬!どこ行くの。さっきのこと、どうすればいい?」
「シャワー浴びんだよ。北海開発には飽きた。おまえに任せる。失敗したときは、首だ。せいぜい頑張れよ」
「ちょっと…」

一人取り残されて、篤郎は肩を落とした。
綾瀬は何かというと「やめろ」「足を洗え」「首だ」という。
その言葉は半分以上、綾瀬の本心だとわかっている。

綾瀬は今でも自分が組に入ったことを許していないのだと、篤郎は度々感じていた。

流されたわけではない。
自分は人生を選んでここに、綾瀬の側にいる。
そのことを綾瀬はいつまでも理解しようとしない。


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