青は藍より出でて藍より青し

フジキフジコ

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朱に交われば赤くなる

6.凌辱

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「綺麗な顏してやがる」
吐き捨てるように言って男は、丁寧に綾瀬のシャツのボタンを外した。
左右にシャツを開き、無防備に晒された白い肌を目で愉しむ。
「男にしておくのはもったいないような肌だな」
手のひらで撫でさすり、スラックスのボタンを外しファスナーを下ろした。
「や、やめろ…やめて、くれ…」

8年前の、出来事がオーバーラップする。
あの時、男は、力づくで綾瀬の中に押し入ってきた。
未熟な身体は易々とは開かず、中は裂けて血が流れた。
ただの暴力だと思って、綾瀬はそれを耐えようとした。
我慢できると、思った。
けれど、レイプはただの暴力ではない。
人間性の一切を否定され、心の中まで踏みにじられる行為だ。

自分が、性欲を処理されるただの肉体に成り果てたときに感じたのは無力感よりも決定的な敗北感だった。
そして純粋な恐怖。
涙は見せないという決心はすぐに、挫けた。
泣きながら「許して」「助けて」と懇願した。
何度も何度も、叫び過ぎて声が出なくなるまで何度も「許して」と口にさせられた。

男は清竜会によほど恨みが深かったのか、ひどく満足そうな顔をして綾瀬を犯した。
綾瀬を陵辱することで、暗い復讐を果たしていた。
そこには一片の愛情もなく、身体を裂かれる肉体的な苦痛も心がバラバラになりそうな精神的な軋みも、宥めてくれる優しさはなかった。
肉体が交わるという行為を、綾瀬は恐怖し嫌悪した。
そして、その瞬間から自分の身体は忌むべきものになった。

「怖がることはない。愉しませてやるよ」
どうやら男は、綾瀬を犯すことを楽しむつもりらしい。
綾瀬にとってそれは暴力的なレイプよりも耐えがたいことだった。
両脚のロープが解かれる。
その目的を思うと、身体が硬直した。
両脚が自由になっても、嗅がされた薬のせいで身体に力が入らない。
いつのまにか、スラックスも下着も脱がされ、むき出しになり開かされた太腿の間に男が顔を埋めている。
ねっとりした舌の感触が下肢を濡らす。
呼吸さえ、喘ぎになりそうで綾瀬は息も漏らさないように唇を噛む。
けれど身体の変化だけは隠しようがない。
男の舌に感じて男を悦ばせてしまう自分の身体が、憎かった。
しょせん、この程度の人間なんだ。
こんな扱いを受けるのが似合いの。
自分を貶めることでしか救われない。
いっそプライドなんて捨てて、このうねりに身を投げてしまおうか。

そう思ったときに、一人の男の顔が浮んだ。
高谷。
心の中で呼ぶと、目頭が熱くなった。
後ろ手に縛られた手の拳を、ぎゅっと握る。
身体の中に侵入してきた肉の異物感と圧迫感に絶えるために顎を突き出して目を閉じた。
男が荒い息を吐きながら、腰を使う。
綾瀬の顎を指で掴んで顔を見せろと言う。
自分という存在は、ある種類の男の嗜虐心を煽るらしい。
満足そうに、下卑た笑いを口元に浮かべ、男は欲望を綾瀬の中に注いだ。
堪えきれない涙がこめかみを伝った。



***



時間の感覚はすでになかった。
厚く引かれたカーテンのせいで朝なのか夜なのかさえわからない。
散々嬲られた身体は薬のせいか痛みはないが、感覚はひどく鈍く、自分の身体ではないような気がする。
どちらにしろ、今はまた両手と両脚をロープで縛られていて身動きは出来ない。

水が欲しい、と思った。
咽を潤す水が。身体を清める水が。
高谷。
ぼんやりすると、唇がまたその名を唱える。
助けを呼んでいるわけではない。
男に犯されているときに、心の中で何度も高谷を呼んだせいでまだその意識から抜けられない。

なぜ、あんな状況で、あんな辱めを受けながら高谷を呼んだりしたのか。
その答えを認めると惨めになる。
自分は、そんなにも高谷に抱かれたかったのだろうか。
高谷。
他人との接触を恐れながら、それでも繋がりたいと願った。
一度だけでいいと、はじめから思っていた。
あの夜、自身の身体で高谷を感じた夜、肉体に感じる快感よりはるかに甘美な満足感に包まれ、綾瀬はやっと自分自身を、許せるような気がした。
過去を過去に出来たと、思った。

けれどそれは間違いだ。
自分は何も変わっていない。
暴力に震えて泣いて叫んだあの頃と。
新しい涙がこめかみを伝ってマットレスを濡らす。
聞かれる人間はいないとわかっていても、嗚咽を漏らす気にはなれなかった。

男は少し前に出て行った。
「もう生きて会うことはないさ。悪い夢だと思って早く忘れろ」
そう、勝手なことを言い残して。
それから何時間立ったのか、わからない。
それまで静寂に包まれていた室内に大きな音がした。
綾瀬は目を開いた。
人の足音が近付いてきたのがわかる。
次々に部屋のドアを開く音がして、とうとう綾瀬のいる部屋のドアを開け入ってきたのは清竜会の若い舎弟だった。

「わ、若!」
転ぶように駆け寄り、綾瀬の両手両脚の戒めを解いた。
身体が自由になってもすぐに起き上がることは出来なかった。
ゆっくり上体を起こして、膝を折るようにベッドの上に座る。
頭が割れるように痛かった。
少し動いただけで吐き気がする。
膝の上に置いた手に顔を伏せて、まだ身体の芯を脅かす恐怖心をやり過ごすように唇を噛んだ。
別の足音が近付いてくるのを、意識の片隅で聞いていた。

「綾瀬」
呼ばれて顔をあげる。
まさか来るとは思ってもいなかった顔を見て、一瞬綾瀬の表情が惚けた。
「…高谷、なんで。おまえ、神戸じゃなかったのか」
「こんなことがあって呑気に神戸にいられるか」
呆れたように高谷は言った。
実際安堵で気が抜けていた。
「あの男は」
「空港で殺った。手を下した組員はもう自首した」
「殺した?あいつを?」
綾瀬は死んだというあの男が自分の身体に残したまだ生々しい感触を思い出して、身震いした。

「大丈夫か?」
自分で自分の身体を抱きしめるように前屈みに蹲った綾瀬に、高谷は腕を伸ばした。
瞬間、弾かれたように、綾瀬は高谷の手を避けて身体を後退させた。
「さ、触るなっ!オレに触るな」
大きく見開かれた瞳は恐怖で凍りつき、身体は小刻みに震えている。
高谷はショックで立ち尽くす。
綾瀬がなにを怖がっているのかは、明かだった。
「綾瀬、おまえ…」

「綾瀬!」
そのとき、マンション中を手分けして探していた葉月が部屋に入って来た。
瞬間に綾瀬の様子を見て顔色を変える。
ネクタイこそしていないが、シャツもスーツもきちんと着こんだままの姿は一見、拉致されたときとどこも変わらない。
けれど、どんな些細な変化も見落とさない葉月は、綾瀬の異変にすぐ気づいた。

「コートを。立てますか」
葉月は自分の着ていたコートを脱いで綾瀬の肩にかけ、綾瀬が自分で立ち上がるのを待つ。
誰も、綾瀬に触れることは許されなかった。



***



屋敷に戻ると、桐生が神戸から戻っていた。
和服姿で荒く足音を立てて玄関まで出てきた桐生は、綾瀬の横に立つ葉月を力任せに平手で殴り飛ばした。
「申し訳ありませんでした」
高谷は、まるで他人事のようにそのやり取りを見ている綾瀬の醒めた横顔を見ていた。
「…疲れた。しばらく休む」
父親に言ったのか、高谷にかわからないようにそう呟いて自室に引きこもった。
自分以外の一切を拒んだようなその後姿を、高谷はただじっと見つめていた。


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