青は藍より出でて藍より青し

フジキフジコ

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朱に交われば赤くなる

5.手がかり

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鬼島組に探りに行っていた組員が手ぶらで帰ってきたとき、葉月はもうそこに綾瀬の手がかりがないことを確信していた。
手に一枚の写真を持っている。
「…下村祐一郎」
「どういう男なんだ」
「この前、街で綾瀬に因縁をつけてきた酔っ払いです。念のために身元を洗っておいたんですが、自分の借金のかたにとられた女が死んだと言ってうちの組を恨んでいるようです」
「ヤクザか?」
「いえ、教師ですよ。中学の。ただもう半年位前に辞めてます」
「教師?教師に銃が使えるわけがない。黒幕がいる」
「はい」

だが今はそれは問題ではない。
早急に知らなければならないのは綾瀬の居所だ。
下村と、綾瀬の。
組員に下村の行方を追わせる指示を出して、葉月はぐったりソファーに沈むように越しかけた。
高谷はテーブルの上の下村祐一郎という男に関する資料を手にとって、手懸りを探すように文字を追う。
胸に広がる嫌な予感を払拭するように、ただ文字を頭に叩き込んだ。

そのとき、葉月の携帯が鳴った。
「おまえ、下村か!」
綾瀬の携帯からかかってきた電話を、着信させるなり葉月は叫ぶように言った。
「若を、どうした」
その声も表情も普段とまるで違う。
いつもの冷静で礼儀正しいモデルのような姿を捨てて、葉月は低い声で電話の向こうの相手を威嚇するように言った。

『まだどうもしてない。そっちの出方次第で、好きにさせてもらう』
「下村、なにが目的だ」
『金だよ、決まってるだろ』
「いくらだ」
『一億』
「一億?ふざけるな」
『清竜会の跡目の命の値段にしちゃ、安過ぎたか』
嘲笑うようにそう返されて、葉月は言葉を失った。

「わかった。金は用意する」
あっさりとそう返事を返した葉月を止めるように、高谷が葉月の腕を掴む。
「そのかわり、綾瀬になにもするな。絶対に、だ。いいか、指一本でも触れてみろ」
目の前にその男がいるように、葉月は憎悪のこもった目で宙を睨みつけた。
「おまえを殺してやる」
その後、下村は受け渡しの場所と時間を告げた。
一億円は新しい口座を作って送金すること。
空港でカードを受け取り、外国から自分がそれを引き出したあとで綾瀬の居場所を教える。
オレを消したければ消せばいいさ。
だがな、オレが死んだら坊ちゃんは一生穴蔵の中だ。
男はそう言って笑いながら電話を切った。

そのやり取りの不自然さに、高谷は人を払って葉月を問いただした。
「どういうつもりだ。ヤツを海外に逃したら二度と捕まえられない。時間をかければ必ず居場所は割れる」
「その時間が惜しいんです」
高谷は目を見張った。
ある懸念が、確信になっていく。
二人は黙ったまま睨みあうように、見つめ合った。

緊張の中、静寂を破ったのは高谷だった。
「葉月。なにが、あった。おまえは、なにを心配してるんだ」
葉月はソファーに座って、足の間に固く組んだ両手をじっと見る。
高谷の顔を見ることは出来なかった。
「オレも…その場にいたわけではありません。親父から、話を聞いただけです」
亡くなった父親は綾瀬のことを案じていた。
葉月、坊ちゃんはきっと一生、その傷を引きずるだろう。
おまえが坊ちゃんを守るような立場になることがあるかもしれない。
だからおまえは知っておけ。
そう言って葉月に真実を語った。

「8年前、誘拐されたとき、綾瀬はその男に強姦されたんです」
「強姦?8年前に?」
葉月は黙って頷いた。
そのとき綾瀬は十二歳だった。
「気丈だったそうですよ。発見されて助けられたとき、涙も見せなかったとか」
悔しかったんだ。咄嗟に高谷は思った。
他人に涙を見せることを自身が許せないほど、悔しかったのだろうと。
「けれど人前で弱味を見せない分、本当は綾瀬は今でもその時の傷を抱えています」

そう言われれば高谷にも思い当たるふしはあった。
綾瀬は他人との距離感に敏感だった。
必要以上に他人が自分に近付くのを嫌がり、高谷でも、不意に背後に近付いたときは睨まれた。
女を抱かないのは潔癖症だからなのか、女に興味がないせいか判断出来なかったが、接触嫌悪なのだろうと感じていた。

けれど綾瀬は、自分との身体の交わりを望んだ。
一度だけ、卒業式の前夜に、綾瀬を抱いた。
それから二人は一年間離れて過ごし、高谷が組に入ってからは、綾瀬は高谷に触れさせようとしなかった。
はじめは自分が組に入ったことに対して腹を立てているせいで意地を張っているのかと思った高谷も、しばらくしてそうではないことに気づいた。
綾瀬は、あの一夜を、なかったことにしていた。

理由はわからなかったが、高谷も敢えて自分から綾瀬を求めることはしなかった。
高谷にはそれよりも、しなければならないことがあった。
力を、つけなければいけない。
無力な男が綾瀬の側にいても何の役にも立たない。
力をつけることだけに、高谷は必死だった。
やがて清竜会という巨大な組織の跡を継ぐ綾瀬と肩を並べるためにどうしたらいいのか。
今は、まだ。
綾瀬を欲しいと望む権利は自分にはない。

高谷は窓際に立ち、ネオンの消えない眠らない街を見下ろした。
この明かりの中のどこかに綾瀬がいる。
どんな状況で、どんな気持ちで、いるのか。
「綾瀬…」
一度だけ触れた温もりを思い出す。
生きた綾瀬に、もう一度会えるだろうか。

「葉月、あのマンションの分譲ははじまってるのか」
考え事をしながらも、高谷の過敏になっている神経が、ふとホテルの前の建設中の高層マンションを目に止めた。
外装はほとんど完成し、足場も半分ほど解体されている。
所々部屋の窓から小さな明かりが漏れる。
『売り出し中!残り三十部屋』の垂れ幕が掲げられている。
「ええ。内装は完全オーダー制だそうです。まだ人は住んでないと思いますが順調に売れてるようです」
「ここからどれくらいで行ける」
「車で5分。歩いても十分はかからないでしょう」
葉月も、なにかピンとくるものがあった。
急いで携帯を取り出した。
「不動産屋をあたりましょう。買い取った人間と売却済の部屋のリストを手に入れます」




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