お妃さま誕生物語

すみれ

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番外編 極東首長国王ガサフィ

終息

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砂漠に駐屯するガサフィの軍は、それからの2週間で大きく変わろうとしていた。
隔離室に入るのは、病を発症した人間と接触のない人間側となった。
病を発症、悪魔の薬を服用した人間の方が多くなったからだ。
重症者の隔離室は全員が亡くなり、必要なくなった。
症状が初期の者は特効薬を服用し、回復に向かっている。
医療従事者と悪魔の薬を飲んだ者が患者の介護にまわっていた。

隔離室から痛みにうめく声がする。
初期症状を過ぎた者には薬は間に合わなかった。
暴れる体力もなくなり、手のほどこしようがない人々だ、医者が交代で看護しているが、手立てはない。
なんとか生き延びて欲しい、わずかな可能性だが、生き伸びる人間もいるのだ。
薬を投与された人間には、薬が間に合わなかった人間を見るのは辛い。



さらに1週間が過ぎないうちに、生きている感染者はいなくなった。
「ガサフィ陛下、これで3日経過できれば、潜伏期間も過ぎ鎮静化できるでしょう。」
482人の人間が病で倒れ亡くなった。
「先生、マクレンジー帝国に帰られるのか?」
「自分が他人に感染させない、と確認できたら帰ります。
薬を作らねばなりませんからね。」
生物学者が持って来た1000人分の薬は軍を救った。
既に発症している者に直ぐに投与できたからだ。
マクレンジー帝国から薬が届いてからは、残りの者にも投与できた。
発症者は5501人にのぼり、人々は疲労していたが、感染症終息が見えたことで希望ができた。家に帰れる。
感染して死亡した者は家には帰れない、ここで焼くことで感染を広げるリスクをなくすのだ。


人払いをした部屋でガサフィは壁を叩いていた。
482人の人間が死んでいくのを、自分は薬を投与され安全な所でみていた。
隔離室で彼らは絶望と向き合っていたのだ。
仲間にうつさない為に、故郷の家族にうつさない為に死を覚悟したのだ。
遠い過去にリヒトールが薬と引き換えに発症者を都市に閉鎖することを条件とした。それは他への感染を封じる為だったが、その言葉を出す為の決断をしたのとは違う。
リヒトールは商人であり、他国の人間であった。その国の王はリヒトールの選択を受け入れた、その国はもうない。
ガサフィは兵達と共に戦い、全てが自国民なのだ。国民を守るのが王の努めなのに、見限ったと自分を責めずにいられない。
窓の外には荼毘だびの煙が続いている、そして砂漠の砂がかけられるのだ。



その頃、リデルは陣痛に苦しんでいた。
ガサフィは側にいない、自分で生まれる子供を守らねばならない。
マクレンジー帝国から一緒に来た二人の侍女、アマナとジェインのみが信じられる味方と思っている。
首長国でもたくさんの侍女が付いているが、油断ができない。
彼女達は後宮のある国で、自分達がガサフィに見染められる事を狙っているからだ。
自分こそが後継者を産み次代の母になるつもりの彼女達にとって、王妃が後継者を無事出産は許しがたい。
姿形が女神とあがめられても、喜ぶ人間だけではないのだ。
それは後宮内での闘争そのものである、表面は従順な侍女であっても後宮で育った女達なのである。
王宮の侍女は名家の出身が多い、つまり父親が後宮を持っていて、自身がそこで生まれ育った者達なのだ。
ガサフィの唯一の愛情の対象を羨望せんぼうし、他国の女とさげすむ侍女は少なくない。
そして出産は最大の危険でもある、出産にはリスクが多いのは知られているからだ。

リヒトールはガサフィの軍に医者や医療従事者を派遣したが、それと同時にリデルにも医療チームを派遣した。
医者と侍女を含む一団は完全にリデルを守った。
ガサフィが駆け付けられない今、リヒトールが娘と生れてくる孫を守ったのである。
ガサフィが出陣した後は親衛隊がリデルが守っていたが、医療チームにより、さらに安全に過ごせるようになっていた。

リデルは無事に王子を出産した。
「王妃様おめでとうございます。」
うぶ着を着せられた赤子がリデルの横に寝かせられた。
小さな指をなでる、かわいい。リデルの瞳から涙が流れる。
大臣達に子供を産めない王妃と言われ続けてきた、ガサフィに側女を取るように言う者もいた。
ガサフィもリデルもあきらかな者達は処分したが、油断は出来ない。
宗教も慣習も違う国に嫁ぎ、ガサフィの愛情だけが頼りだった。
マクレンジー帝国皇女という肩書が我が身を守った。
そんな事に負けるリデルではないが、身重になり守る者が増えた。
早く、ガサフィに見せてあげたい、リデルも事情はわかっている。
ガサフィも戦っている、きっと無事に帰って来るはずだ。


2週間後、ガサフィの軍が王都に帰ってきた。
晴れやかな凱旋ではない。
病には打ち勝ったが犠牲は大きかった、誰もが帰って来れなかった者を思う。
戦死者として家族には告げられた。


「リデル。」
ガサフィは迎えに出たリデルと腕に抱かれた王子と対面すると二人を抱き締めた。
「一人で頑張ったな、リデル。ありがとう。」
「ガサフィ、お帰りなさい。名前を決めてもらおうと思って、待ってたの。」
「そうか。二人で考えよう。」

夜の寝室で二人は向き合っていた。
「名前は何がいいだろう、勇者の名前か、賢者の名前か。」
「男らしい名前がいいわ。」
リデルがガサフィに微笑むと、ガサフィの目頭が熱くなる。
帰って来たんだ。
リデルがガサフィの手を取るとなで始めた。

「許します。」
リデルの言葉にガサフィがリデルを見つめる。
ガサフィは普段と同じに見える。だが、涙を流さずに泣いているとリデルは思った。
「ガサフィの全ての罪を許します。」
ガサフィの唇は言葉を発しようとして震えた。
「助けたかったんだ、助けたかったんだ。」
リデルは返事はせずにガサフィを抱きしめた。
リデルの手から暖かい体温がガサフィに伝わっていく。
愛する者を守った達成感と愛されるという安らぎに、ここは王ではなく、ただ一人の男として居れる唯一の場所。

王妃リデル、それは慈愛の女神の名前。
極東首長国王ガサフィ、それはたくさんの罪と希望を背負い、幾多の国を制圧した王の名前。


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