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第五章 魔剣と魔人

最終話 新しい朝

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 盗賊団との戦いが終わって一夜が明けた。
念のためと最低限の警戒をしていたが、再び盗賊達が襲ってくることはなかった。
空が明るくなるにつれ、村にも安堵の空気が流れる。

「……」

 健太郎が目を開けるとその視界は肌色で占領されていた。
形の良い縦長のへそと、うっすら割れた腹筋でそれが人のお腹だと分かる。綺麗なお腹だ。

一瞬状況が分からなかったが、突っ張るような背中の痛さには覚えがある。
家に帰れず会社の床で寝たときの痛みだ。すぐに膝枕されていることに気付いた。

 そのまま頭を横に動かすと、今度は二つの巨大な塊が視界を埋める。
もの言わずただそこにあるだけで人を魅了する圧倒的存在。
ある意味でパワーの象徴。胸。ムネだ。

 ふっと、その二つの巨塊からアアアーシャが顔をのぞかせた。

「お、目が覚めたか健太郎」
「……」

 下から見上げてなお、アアアーシャの顔は美しかった。
真に美しい造形とは見る角度を選ばないのだ。
鼻筋のラインとまつ毛の長さが一層際立つ。
瑞々しい果実めいた唇は思わず手を伸ばして触れたくなる。

「おい? どうした?」

 赤い髪は炎よりも金色に輝き、肌は白さを増している。
日の光に照らされているからだ。
それでようやく健太郎はここが外であると知った。
つまり健太郎はアアアーシャに膝枕をしてもらって寝ていたのだ。外で。

「……アアアーシャさん、何がどうしてどうなってこれなんですか」

 この状況の説明を求める。

「覚えてねーの? 昨日バトルが終わってソッコー寝ちまったんだよオマエ」
「……ああ、そういう……」

 思い出してきた。
逃げていく盗賊達に複雑な思いを抱いたこと、大量の魔石は村の復興に使ってほしいと言ったこと。
直後、疲労と眠気に抗えなくなったのだ。移動すらも億劫で、まさに落ちるように寝入ってしまった。

「オマエ、魔剣を持ったまま寝ちまうからよ。仕方ねぇからアタシ様が膝枕しててやったんだぜ」

 まるで健太郎が寝てしまったせいでアアアーシャも動けなかった、みたいな言い方だがそんなことはない。  
眠ってしまった健太郎の手から抜け出す事など簡単なのに一晩中膝枕してくれていたのだ。

「……アアアーシャさん、なんでそんなに大きいんですか……」
「あ? 大きい?」

 一瞬、何の事か考える魔人。

「ああ、器がデカいってか? へっ、理由なんかあるかよ。アタシ様がアタシ様だからデカいんだろ!」
「……いや……それならどこか家の中とかに運んでくださいよ。こんなとこで寝ていたせいで背中が痛いんですけど」
「屋根のあるトコは怪我人に譲ってやれよ」

 村人に死者こそ出なかったが怪我人は多く、特に魔獣と戦った剣士達にはダメージの大きい者もいた。
破壊されなかった家々はそういった人々に優先してあてがわれていたのだ。

「……そうですね。まぁ硬い場所で寝るのは慣れていますし」

 健太郎がゆっくりと体を起こした。
背中が痛い以外は特に問題はない。
体にかけられていた毛布がずれ落ちる。

「……ありがとうございます。良く寝れました」

 夜の寒さは毛布だけでは凌げない。
アアアーシャが体の熱を操って、健太郎が冷えないようにしてくれたのだろう。

「……背中の傷、大丈夫なんですか……?」
「アタシ様は獄炎の魔人サマだぜ?」

 アアアーシャは立ち上がると背を見せた。
なめらかで美しい肌には傷跡すらない。

「……おお」
「ご覧の通りよ。さわってみてもいいぜ?」
「結構です」
「オマエ、アタシ様の誘いを断るときは即答だよな」

 あのとき村人の願いを叶えたからなのか、それとも魔人だから回復が早いのか。
理由はどちらでもいい。無事ならそれで。

「……無事で良かった。庇ってくれて、ありがとうございました」
「おうよ! オマエもがんばったよ。すげぇ根性だったぜ」

 アアアーシャがまた肩を組んできた。
会社の元ヤン先輩を思い出すので苦手だったが、さすがに気にならなくなっていた。

「あんなやべぇ状況で逃げずに戦ったのマジすごかったぜ」

 アアアーシャが顔を寄せてきて「魔獣の中をいきなり走り出したのには驚いたけどな!」と笑って言う。

「……」
 
 もう起きて活動している村人もいる。
魔石を拾い集めたり、壊れた家屋を調べて使えるものがないか確認したりと忙しそうに動き回っていた。

「皆さん、すごいですね」
「ああ、そうなぁ」
「……なんていうか、ボスの人が言った王国、というのが気になったんですよね」
「そういやオマエ、良いなとか思ってなかったか!?」
「まぁ老後の面倒まで見てくれそうな話で、興味を引かれたのは確かですけど。でも」

 そこで一回言葉を切る健太郎

「良さそうですけど、言われるまま生きるのは社畜と変わらないなぁって。そう思いました」
「へっ、いいじゃんオマエ」

 魔人は肩を組んだ腕で健太郎をぐっと引き寄せた。


「で、健太郎。オマエこれからどうすんだ?」
「……え」

 真紅の瞳が問いかけてくる。
いきなりの質問だったが、寝起きでまだ覚醒していない頭だからこそシンプルに答えが出た。

「……もう少し色々とこの世界を見てまわりたいですね」

 命の危険もあったが、この数日の体験は実に濃かった。
感情の動き、気持ちの変化は社畜生活の数年分以上に及ぶ。
体も、気持ちも、もっと動かしたい。そんな気分だ。
ちなみに元の世界に帰りたいとは微塵も思っていない。

「じゃあアタシ様もつきあうぜ!」
「……アアアーシャさん……」

 ニカッと、並びの良い白い歯を見せて魔人は笑う。

「え、なんで?」
「はぁ!? つきあってやるって言ってんのに何だその反応?」
「いえ、それは嬉しいのですが、ホント何でです?」
「それはな……オマエの願いがまだ有効だからだ!」
「はぁ」
「オマエの願いはオマエを守ること! アタシ様は期限も何も聞いてねぇぞ」
「……そういう……」

 確かに期限も条件もない具体性に欠ける願いだった。
仕事の契約であれば雑すぎてありえない。

 だけどその雑さのおかげで、まだアアアーシャとの旅が続けられるのだ。
健太郎の口元がわずかに緩む。

「……その前にまず、村の復興を手伝いましょう」
「よっしゃ、やるか!」
「アアアーシャさんは山に芝刈りでも行ってきてください」
「なんでだよ!」
「あなた破壊と殺戮の魔人でしょう? 直すより壊しそうなんですが」
「破壊と殺戮はやめろっつっっったろが!」
「まぁ、できる事をやりましょう。できる事以上のことなんて、できるわけないんですから」

 アアアーシャと健太郎を呼ぶ声がする。
振り返るとセナとジンメイが駆け寄ってきた。
セナの持つ器からは温かな湯気が立ち、なにやら美味しそうな匂いもする。

 新しい一日が、始まる。
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