鬼神百鬼

咲 カヲル

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8話

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紅華は、妙にテンションが高く、時雨は、グッタリしていた。

「楽しかった~…大丈夫?」

「大丈夫です」

「もしかして、苦手だった?」

「大丈夫です」

「なら、話とかも大丈夫だよねぇ?あの目玉が落ち…」

「すいません。大丈夫じゃないです」

「だと思った。ちゃんと言ってよ」

「言えませんよ。ホラーが駄目だなんて。男として情けないです」

「そう?」

緊張しながらも、紅華に連れられ、映画館に向かい、話題のホラー映画を観てから、二人は、近くの喫茶店にいた。

「一騎なんか、タイトル聞くのも、駄目なくらい苦手だから」

「そうなんですか?」

「てか、任務で、エグいのなんか、よく見てるのに、なんで、駄目なのか分かんない」

「割り切りですよ。仕事だからって思うから大丈夫なんです」

「そんなもんなのかな?」

「そんなもんなんです」

〈ガタガタガシャーン〉

「しぃ失礼しました!」

カウンター奥のキッチンから、大きな音が聞こえ、店内の客が驚くと、ウェイターが、青白い顔をしてキッチンに消えた。

「緊急事態って感じ?」

「ですね」

二人は、それぞれ、お手洗いに姿を消した。

「おい」

「はっはい」

「何か食わせろ」

「えぇっと…まかないで良ければ…」

「んなんじゃねぇ!!」

色々な物が散らばっていた床に、更に、蹴り飛ばしたゴミ箱の中身が散乱した。

「あっちに出してるちゃんとしたやつだよ。おめぇら、コックだろ?」

男が、黒光りした拳銃を突き出し、キッチンの中にいる人は、青白い顔が、更に青白くなり、中には、足や手が、震えている人もいた。

「すみませぇ~ん」

フロアの方から声が聞こえ、男が、顎を酌って見せ、ウェイターは、そっと、フロアに出て行った。

「おい。何か食わせろつってんだろ」

また拳銃を突き出され、コックが、冷蔵庫を開け、中から食材を取り出した時、換気口から、ガスが流れ込んだ。
コックやウェイターが、次々に倒れた。
男が、驚きながら、後ろに下がると、人にぶつかり、振り返ると、制服に着替えた時雨が立っていた。

「木宮蜜彦(キミヤミツヒコ)。最期に、言い残す事は…」

時雨が言い終わる前に、木宮の首が吹っ飛び、その後ろには、制服に着替えた紅華が立っていた。

「聞いてるヒマなし。これ全部、片付けるよ」

「はい」

二人は、木宮の遺体と血痕を片付け、キッチンを綺麗に掃除した。
その間に、ガスが流れ、フロアにいた人も眠っていた。
それから、しばらくして、キッチンにいたコックやウェイターが起き上がり、何もなかったように、綺麗になってる床に驚いた。
その後、フロアの方にいる人も起き上がり、首を傾げている中、私服に着替えた二人は、会計をして、喫茶店を出た。

「報告書って…」

「帰ったら書いてね」

二人で寮に戻り、着替えてから、情報課に行き、少し仕事をして、また、いつもの私服に着替え、食事に出掛けた。
二人は、いつものように、一騎の両親の店で、食事を楽しんでいたが、紅華は、完全に酔っ払った。

「帰りますよ」

「い~や~だ~」

「帰ります」

「や~」

子供のように、駄々をこねる紅華を引っ張り、時雨は、店を出ようとしたが、紅華は、戸口のレールにつまづき、前のめりに倒れそうになった。
そんな紅華を時雨が抱き止めた。

「ちょっと。ちゃんと歩いて下さいよ。紅華さん?」

顔を覗き込むと、紅華は、スースーと、気持ち良さそうに、寝始めてしまった。
ため息をつきながらも、優しく微笑んだ時雨は、紅華を背負い、車に戻ると、助手席に押し込んで、ドアを閉めた。
車の前を通って、運転席に乗り込んで、助手席の紅華に、シートベルトをする。
その時、紅華の前髪の生え際に、薄ら残る傷跡を見付け、時雨は、一瞬、動きを止めた。
すぐに離れて、何も見なかった事にして、車を発進させた。
寮に着くと、一騎と碧井が待っていた。

「お疲れ」

時雨が降りようとしたが、碧井が、右手を挙げて、それを止め、一騎が、助手席のドアを開けた。

「後は、やておくから、車を停めて、部屋に戻りな」

「はい」

一騎が、紅華を背負い、車から降ろすと、時雨は、車を駐車場に向かわせた。
寝てる紅華を背負う一騎の肩を碧井が叩いた。
親指を立てて、寮を指差して見せると、一騎も頷き、寮の中に一緒に入って行った。
次の日も、いつもと同じように、総括室に行き、その日一日で、三件の任務を遂行し、いつものように、三人で飲みに行った。
その次の日も。
そのまた、次の日も。
そんな日々を過ごし、時雨は、次の非番の日には、一騎と碧井と遊びに出掛けた。
紅華は、仕事があって、一緒に行けなかったが、三人で、カラオケに行き、意外に、歌が上手かった時雨に、二人は、驚いていた。

「これなら、紅華もイチコロだな」

「一騎」

一騎がからかうと、碧井が、横目で睨み、時雨は苦笑いした。
カラオケで軽く食べたが、それでも腹が減り、休憩も兼ねて、昼食を摂り、その後、ゲームセンターに向かう。
意外に、碧井は、UFOキャッチャーが上手かった。
皆、その日を楽しんで、また、次の日から、任務を遂行した。
そんな日々を過ごして、季節は過ぎた。
そんな日々が、終わったのは、夏の風が残るある秋の日だった。
その日も、いつものように、総括室に、紅華たちが集まり、三神と伊野が、ホワイトボードを使って任務の説明をしていた。
囚人No.68、金伊雪南(カナイユキナ)。
現在二十二歳。
五人の少女を拉致、監禁、暴漢した後に刺殺。
その後、三人の女性に暴行し絞殺後、遺体をバラバラにして、森林地帯に遺棄。
計八人を殺害。
更に、消息不明になっていた金伊は、最近になって、少女二人を拉致した疑いがある。

「容疑者不在裁判により二年前に死刑確定。以上」

「また変な奴」

三神を浮かべる。

「今回も、迅速な任務遂行を頼む」

紅華たちは、すぐに総括室を出て行った。
それをいつもと同じように見送り、伊野は、口に飴玉を放り込んだ。

「言わねぇのか?」

「紅華と一騎には、帰って来てから言う」

「あの新人くんには言わねぇのか?」

「言えん」

「可哀想に」

「なら、お前が言え」

「無理。もう一人の方で、手一杯」

「だろうな。なら、彼には悪いが、しばらく黙っていよう」

「はいはい」

伊野が、総括室から出て行くのを見送り、三神は、デスクの引き出しから、写真と書類が入ったような茶封筒を取り出した。
いつものように、情報課に来てた紅華たちは、碧井に、詳細を聞いてから、車に乗って、最近、目撃された現場に向かっていた。

「ねぇ」

紅華と一騎は、背中合わせで、それぞれのモニターに向かっていた。

「ん?」

一騎が、鼻だけで返事をした。

「金伊って、女性なのに、なんで、女の子や女性に、執着してるんだと思う?」

『そう言われれば、そうですね』

「また、性同一性障害とか?」

「ん~。データには、そんな痕跡ないんだよね」

『誰かに、指示されてる可能性はないんですか?』

「にしても、計画性が全くない気がする」

「なんで?」

最初に拐われた双子は、妹が拐われてから、約一時間後、姉が拐われた。
最初から、約一年後、今度は、自宅が隣同士の女性を一気に二人。
更に、その二時間後に、無関係な女の子を一人。
約一年半後に、女性を一人。
その三ヶ月後に、女の子を一人。

「しかも、拐って、最低一ヶ月、最長三年は、監禁してる。遺体遺棄の順番もバラバラ。たまたま、目に入った人を拐って、飽きたら捨てるって感じ」

『確かに計画性は、感じませんね』

「それも、全てが指示されてるとしたら?」

「過去の犯罪履歴の中で、似通ってる犯罪がないんだよね」

『過去に、婦女暴行や暴漢で、逮捕歴があって、保釈されてる人が、関与してる可能性はないのですか?』

「それが、釈放されたほとんどが、指定の施設にちゃんといるだよね」

『施設外で、金伊と連絡を取っている可能性がある人は、いないんですか?』

「施設から支給されてる携帯以外で、連絡を取るとすれば、公衆電話」

『なら、それを調べれ…』

「ところが、携帯が、主流のこのご時世、公衆電話を探すのも、一苦労な訳」

更には、自宅電話も、携帯の電波塔を使っている為、簡単に、場所を特定出来るようになっている。
しかし、金伊は、自宅電話を持っていない。
その為、金伊の携帯の履歴を調べてみたが、そんな痕跡は、一切、出てこないのだ。

「削除されたかもしれないと、推測された為、削除データを全部、復旧させたが、怪しいデータも無かった」

「付け加えれば、金伊の携帯を押収したのは、死刑確定前。三人目の遺体が遺棄されてからだ」

『そうなんですか。ところで、今どちらに向かっているんですか?』

「金伊の自宅」

「また、いつもと同じだよ」

『了解しました』

「ところで、紅華」

「なに?」

「昨日、家で暴れたんだって?」

ニコニコ笑う一騎を横目で見てから、紅華は、視線を泳がせた。

「あ~いや~その~…すみません」

一騎の説教を聞き、反論する紅華の他愛ない会話を聞きながら、時雨は、ハンドルをゆっくりと回した。
二人は、喋りながらも、何かを調べていた。
それは、金伊の自宅前に到着するまで続いた。

「着きました」

時雨が声を掛けると、一騎の緊張した声が聞こえた

『時雨。後ろに来てください』

急いで、運転席から後部座席に移動すると、紅華が、マスクを巻いていた。

「準備して」

時雨も、口元にマスクを巻いてから、同時通信機能を起動させると、一騎が、先に外に出た。
一騎が、敷地内に入ったのを見て、紅華も、外に出て行った。
そんな紅華を見つめ、時雨は、首を傾げた。

「調べるだけじゃないんですか?」

塀を伝い、裏口付近で、周りを警戒していた一騎が答えた。

「二階の右側だけ、カーテンが引いてある」

時雨は、二階を見上げた。

「見えました」

玄関脇の壁を伝い、紅華は、リビングから中を覗いた。

「資料には、この家は、捜査後、誰も出入りしてない」

時雨も、車から降りた。

「そしたら、カーテンが引いてあるのは、不自然ですね」

裏口から、家の中に入った一騎が、キッチンの物陰に隠れた。

「そうゆう事」

紅華が、カーテンの引いてある部屋の向かいにある窓を見上げた。

「もしかしたら、帰ってるかもしれない」

玄関の戸を開け、中に入った時雨が、階段横の和室を覗いた。

「では、目指すは、カーテンの引いてある部屋ですか?」

塀に登り、紅華は、見上げていた窓から中に入った。

「時雨と一騎は、逃走経路になりそうな場所を確認後、待機。待機中でも、警戒している事」

キッチンからリビングに移った一騎と、和室の隣にある風呂場を見ていた時雨が、返事をしたのは同時だった。

「「了解」」

二人は、紅華の指示通りに、外に出る事の出来る場所を確認して歩いた。
紅華も、二階を見て回り、最後に、カーテンの引いてある部屋の隣の部屋に入った。
カーテンの引いてある部屋側の壁に、そっと、耳を付けて、隣の音を聞く。
大きな音は、聞こえないが、人の気配と呼吸音が、微かに聞こえる。
紅華は、部屋から廊下を覗き、誰もいないのを確認してから、壁に沿って進んだ。
カーテンの引いてある部屋のドアに手を掛け、静かに、引いて細く隙間を作り、部屋の中を覗く。
薄暗い部屋の中央に、布団の中で蠢く影があった。
隙間から部屋の中をぐるりと見回して、それ以外は、何もない事を確認してから、紅華は、廊下を見回し、素早く、中に入ってドアを閉めた。
本棚の影に身を潜め、中央の布団をじっと見つめていると、影が、二つに分かれ、隙間から頭が見えた。
ドアの方に視線を向けられた顔は、最近になって、金伊が、拐った一人だった。
しばらく、じっとドアを見つめ、また布団に潜った。
もう一人が顔を出す前に、紅華は、部屋から出た。

「カーテンの引いてある部屋で、拐われた二人を見付けた」

階段の先を確認してから、紅華は、一階に降り、和室で待機していた時雨が、窓から外に出た。

「通報します」

リビングの物陰で、待機していた一騎が、廊下を覗くと、紅華が見えた。
紅華も、一騎に気付き、玄関を指差した。

「一旦、外に出るよ」

「了解」

一騎は、リビングの窓から、紅華は、玄関から、外に出て、それぞれ車に向かった。
途中、木の陰や物置の陰を確認してみたが、金伊の姿はなかった。
二人が、車に戻ると、通報を終えた時雨が、後部座席に座っていた。

「どれくらい掛かる?」

布を外しながら、紅華が聞くと、時雨が答えた。

「分かりませんが、すぐに来るそうです」

時雨の後ろに、紅華が座り、時雨の隣には、一騎が座った。
コンピューターを起動させ、キーボードを叩きながら、紅華は、後ろ手に資料を出した。

「時雨。これお願い」

時雨が、資料を受け取り、目の前のコンピューターを起動させると、一騎の前にも、資料が出された。

「一騎はこれ」

一騎も資料を受け取り、コンピューターを起動させ、車内に、カタカタと、キーボードを打つ音だけが響いていた。

「中央病院、裏窓口サイト発見しました」

「偽名で予約」

「了解」

「闇医者名簿、発見」

「中央病院で、名簿に名前がある奴を探して」

「了解」

「予約完了しました」

「金伊の関係者で、裏窓口から処置を受けた事がある人を探して」

「了解」

「名簿に名前が載ってる中央病院の医者、二名」

「データ印刷。一騎、これもやって」

「了解」

それから、三人は、黙って作業を続けた。
第一セクターで、一番、大きな病院、セクター中央病院には、数多くの噂が広がっていた。
裏窓口がある。
医者が偽名を使って、違法な手術を行っている。
多くの犯罪者や死刑囚が出入りしている。
亡くなった患者から、チップを抜き取って、売買している。
密入国者が集まっている。
医療ミスが後を絶たない。
病院全体で隠ぺいしてる。
院長は元犯罪者だ。
等々、様々な良くない噂ばかり。
それでも、受診者が減らないのは、他の病院よりも、医療機器が充実しているからだ。
だが、どんなに大きな病院であっても、どんなに多くの患者を抱えていても、何もない場所には噂は出ない。
その為、警察も探りを入れている状態であるが、未だに、尻尾を掴む事が出来ないでいる。
焦り始めた警察は、近々、大規模な捜査をするだろう。
そうなる前に、紅華たちは、この中央病院、しかも、裏で働く者から、なんとしても、話を聞き出さなければならない。
リスクはあるが、偽名で、裏窓口から受診すれば、確実に話が聞ける。
そう思った紅華の指示で、時雨は、眼鏡を外して、コンタクトを着用すると、一騎が用意した服に着替えた。
コンタクトになり、柄シャツと高そうな紺のスーツ、普段は、絶対に着ない服装で、時雨は、ムッとしていた。

「これも仕事」

肩を小さく揺らし、目元に、涙をうっすらと浮かべ、紅華が、時雨に、ハードジェルを渡した。

「オールバックで」

口元を隠しながら、一騎が、頭を指差す。
時雨は、ムッとしたまま、ハードジェルを手のひらに出して、髪を撫で付けた。
周りから見れば、完全に、怖い人になった時雨に、背中を向けた紅華と一騎の肩が、更に揺れた。

「完全に笑ってますよね?」

一騎は、顔も向けずに、親指を立てて見せ、紅華は、そんな一騎の隣で、顔を隠して笑い、更に、不機嫌になった時雨の顔は、完璧な怖い人になった。

「こ…これ」

笑いを堪えながら、紅華が、差し出したサングラスを奪うように受け取り、装着した時雨を横目で見た二人は、耐えきれず、声を上げて笑った。

「いい加減にしないと怒りますよ」

笑うのを止めようとしない二人を見て、ため息をつき、時雨は、裏門から少し離れた裏路地に停めた車から降りた。
病院側から指定された場所に向かった。
深夜二時半。
裏口から入り、第三倉庫でお待ち下さい。
病院側からメールを受けたのは、予約をしてから、一時間後だった。
それから、変装道具を揃えるのに、色んな店を巡った。
それから、三十分後、また病院側からメールが届いた。
今回のご予約は、どのようなご依頼でしたでしょうか。
海外逃亡の為、チップ交換したい。
一騎が返信し、嘘でも、犯罪者になるのは、嫌だろうなと思った紅華が、特殊メイクをして、現在に至る。
通信機に表示されている時計で、時間を確認すると、深夜二時になったばかりだった。
裏口の扉の前に立つ時雨の耳に、紅華の声が聞こえた。

『入っちゃえ』

その声に後ろを向くと、裏門の陰に、二人がいるのが見えた。
扉に向き直り、時雨は、鼻から、小さくため息をついて、重たい鉄扉を開けて中に入った。
扉が完全に閉まったのを確認し、二人は、頷き合い、それぞれ、闇の中へと姿を消した。
裏口から病院内に入ると、すぐ右側に、第三倉庫と掛かったドアを見付けたが、その向かいには、小さな窓があり、中には、警備員が下を向いて座っている。
時雨が、横目に、そっちを見ると、警備員が、少し顔を上げた。
視線が合うと、警備員は、顎をしゃくって、入るように促し、従うように、時雨は、第三倉庫のドアノブに手を掛けた。

「あ~。お客さん」

不意に呼び止められ、ドアノブに手を掛けたまま、振り返った。

「名前は?」

「高畑」

「高畑なに?」

「喜一」

「高畑喜一さんね。どうぞ」

予約した時の偽名を名乗り、時雨は、今度こそ、第三倉庫の中に足を踏み入れた。
棚には、沢山のダンボールが所狭しと納められていたが、倉庫独特の埃臭さはなかった。

「奥に進んで座ってな」

閉まりかけたドアの隙間から見えた警備員は、不気味に笑っていた。
時雨が、棚や置かれたダンボールを拭うように、奥に進むと、間仕切りが現れた。
その向こう側には、応接室にあるような、ローテーブルに革張りのソファがあった。
その奥には、新しいドアもある。
一旦、ソファに座り、警戒しながらも周囲を確認する。
真上に、かなり古い型のエアコンがあったが、起動していないようだ。
それに、防音が施されているのか、全く外の音が聞こえない。
視線を走らせていると、ソファの陰に、小さなダンボールがあるのを見えた。
時雨は、素早く近付き、ダンボールの蓋を開けた。
黒い箱。
ティッシュ箱を半分にした位のサイズで、中身が見えないように蓋がされてる。
その横にファイルが三冊。
背表紙には、何も書かれていない。
時雨は、その内の一冊を手に取り、ペラペラと捲って見る。
履歴書の使うような写真が貼られ、名前、性別、年齢、職業、性格、家族構成が書かれた紙が、五十音順になっている。
持っていたファイルを戻し、別のファイルを手に取り、また中身を確認する。
そのファイルには、これまで手術を施したであろう人物が、顔写真付きで書かれていた。
中には、海外からの逃亡者だと思われる人もいる。
ファイルを戻し、黒い箱の蓋を開けた。
手術を施したらしき者と患者らしき者のチップだ。
それらの名前が書かれたチャック付きの小袋に入れられ、真ん中で仕切られている中に、無造作に入れられている。
金伊の名前を探していると、間仕切りの向かい側のドアが開いた。

「どうも。お待たせして申し訳ない」

「いえ」

男が、両腕を広げて入って来ると、時雨は、ソファに座っていた。

「担当の金沢です」

執事のようなお辞儀をした男は、金沢尚輝(カナザワナオキ)。
本名、復家詩牙琉(フクヤシゲル)。
二十代後半から三十代前半くらいで、刃物のような鋭い目付きが特徴的だ。
時雨を見ると、品定めするように、顎に手を添える仕草が、気持ち悪さを際立たせている。
然程、格好よくないのに、格好つける金沢は、ナルシストなのだろう。

「あの…」

「言わなくても分かってるよ。裏口からの患者さんは、皆さん、訳ありの人ばかりでね。名前や身分を明かす事の出来ない人が、何らかの理由で処置を受けたくて来る。まぁ、私には、そんなこと関係ない。私のような名医になると、誰だろうと、構わないのだよ。何より、どんな処置も出来てこそだと、私は思うのだよ。だから、私は、君の名前を聞こうとも思わないし、聞きたくもない。私は、この素晴らしい技術が振るえれば、それでいいのだよ。分かったかね?」

「ああぁ…分かった」

「それで?本題に入ろう。君、海外逃亡の為に、チップを変えたいと言っていたね?」

金沢は、さっき時雨が見ていたダンボールから、ファイルと黒い箱を取り出して、テーブルに置き、向かいのソファに座った。

「このファイルから好きなのを選んでくれ。そのチップと交換してあげよう」

ファイルを開き、ページを捲る。

「貴方の処置を受けた方ですか?」

目の前のソファに、偉そうに座っていた金沢は、鼻で笑うと、バカにしたような口調で答えた。

「先生と呼びたまえ。それは、この病院で死んだ患者だよ。まぁ、私が処置したのは、極一部で、他の奴が処置したのがほとんどだ。だけど、どいつも、こいつも、ひ弱で、耐える力もなかった。そんな奴を見放さずに、処置しても、何故、死んだとか、医療ミスじゃないのかとか、色々と、親族の奴らは、言ってくるのだが、そんな奴らに構っていても、仕方あるまい。ならば、そんな奴らの為にも、こうして、他人の中で、そいつが生かされているのだと思えば、救われるだろうさ。私はね?どんなひ弱でも、見捨てない最高の名医なのだよ。君も、そんな私が、処置をするのだから、光栄に思うんだよ?」

「他にはないのですか?」

「やはり、そんな奴らじゃ気に入らないか。仕方あるまい」

金沢は、ダンボールの中から、別のファイルを差し出し、時雨は、それを受け取った。

「これは、私が、今までに処置して、今も、何処かで生きているであろう奴らだ。まぁ。訳ありな分、大変そうだが、それでも、コイツらの方がいいと言う奴も、少なくないのだよ。君みたいな奴らは、大半が、こちらから選ぶのだよ」

「例えば、どんな人がいましたか?」

そう聞くと、金沢の目付きが変わった。

「何故、そんな事を聞くんだ?」

空間が、凍り付いたように静かになった。

「まさか、君…」

時雨のイヤホンから、紅華の声が聞こえた。

『今から言うのを言って』

時雨は、イヤホンから聞こえる言葉を吐き出す。

「…そりゃ、慈悲深くも、素晴らしい技術をお持ちの名医である、金沢先生が、気にならない人間が、この世に存在すると思いますか?」

「それは、中にはいるんではないかな?」

「そんな人間は、バカだと思いませんか?」

「君。一体、何が言いたいんだ?」

「つまり。私は、金沢先生を尊敬し、偉大に思っている訳です。そんな、バカな人間にでも、分け隔てなく、金沢先生が、どんな素晴らしい処置をしたのか、参考にお聞きしたいんです」

「そうか。君は、なんて素晴らしい患者だ。よろしい。私の患者の話を交えながら、私の素晴らしい話をしよう」

時雨が、ホッと胸を撫で下ろすると、金沢は、ベラベラと、今まで、自分がしてきた処置と人物の話を交えながら話し始めた。

「…そして、この患者は…」

訳の分からない用語を並べ、患者の話から、金沢のプライベートまで、話し始めてしまい、時雨は、疲れ始めた。
あまりにも話が長過ぎて、こちらから話を切り出す事にした一騎の言葉を時雨は、また反復した。

「…ところで、金沢先生。一つ聞いてもいいですか?」

「なんだい?」

「金伊と言う奴に、先生の事を聞いて来たのですが、その金伊の話を聞かせて頂けませんか?」

上機嫌な金沢は、意気揚々と答えた。

「あぁ。あの死刑判決が出た人だね?元々は、ここの患者で、君と同じで、海外逃亡の為、別の奴のチップと交換したんだよ。そう言えば、数日前に、また、チップを別の患者と交換しに来たな。あの時も、前回と同じ理由だったと思ったよ。あの時も、私の素晴らしい技術で…」

また、話し出そうとする金沢の言葉を遮り、今度は、紅華の言葉を反復した。

「その交換した奴って、どいつだか、覚えてますか?」

「さぁ。名前は知らないが、顔さえ見れば分かるかな」

「この中にいますか?」

紅華たちの言葉を待たず、時雨は、ファイルを金沢に差し出した。

「そうだな」

ファイルを受け取り、ペラペラと捲って顔を確認する。

「あった。コイツだよ」

金沢が差し出したファイルを確認した。
博田嘩納(ヒロダカナ)。
時雨は、ページを捲り、適当な患者を指差した。

「では、コイツでお願いします」

「分かった。ちょっと待ってくれ」

黒い箱の中から、チップを探している時、金沢の院内用の携帯が震えた。
ここに来てる時は、バレないようにバイブレーションにしているようだ。
液晶を確認すると、そのままにして、来た時のドアから出て行ったが、すぐに戻って来た。

「いや~。すまな…」

だが、そこには誰もいなかった。
ファイルやチップの入った箱も、そのままに、時雨の姿だけが消えていた。
その後、金沢と警備員は、警察に捕まった。
きっかけは、匿名で寄せられた情報だった。
警察が捜索をして、あのファイルとチップの入った箱が見付かり、呆気なくお縄を頂戴した。
しかし、そのファイルから、博田の情報は、抜き取られていた。
警察が、それを知ったのは、かなり後の話だ。

「本当に大丈夫?」

変装を解いても、時雨は、後部座席に、もたれ掛かり、顔だけを上に向けて、ずっと、天井を見上げていた。

「ダイジョブデス」

「今のは、完全に、カタカナ表記になってるな」

「こうゆう時の時雨は、大丈夫じゃないんだよね」

「仕方ないか。初めての単独だったから」

「まぁね。あとの事は任せて、少し休んでね?」

オールバックで、露になっている額に、紅華が、そっと触れると、時雨は、微かに頷いた。
二人は、時雨が持ち帰った資料を使い、静かに、博田の事を調べ始めた。
キーボードを打つ音の中で、時雨は、静かに寝息を発て始める。
後ろを向いた一騎は、そんな時雨を見てから、時雨の隣で、キーボードを打っている紅華の背中を見た。

「紅華」

「何事も経験が大事」

紅華は、振り向かず、キーボードを叩き続けた。

「だからって、急に、こんな大役を任せなくても、いいんじゃなかったのか?」

「ケイケン、ダイジ」

「なんで、そこで片言になるんだよ」

「冗談はさておき。私らだって、これから、どうなるか分からないのだから、少し無理をさせても、やらせなきゃならない。それは、分かってるでしょう?」

「それは、そうかもしれないけど」

それまで、キーボードを打っていた紅華が、振り返り、一騎に、人差し指を突き出した。

「明日居なくなるかもしれない。大切な仲間である時雨には、残せる物や与えられる物は、全てを教えなきゃ。これからは、それが、私たちの任務だよ」

また前を向いて、キーボードを打ち始めた紅華を見つめて、一騎も、前を向いて作業を再開した。

「それは、安部がなくなるのも、近いって事か?」

「いつか終わる命なら、自分の最期くらい、自分で決めたいでしょう?」

「そりゃ、そうだ。安部生命が、終わる時くらい、かっこよく終わりたいな」

「アンタは、十分カッコイイよ」

「また、人をバカにして」

「今のは、本音だから」

「そら、ありがとうよ」

一瞬、互いに手を止めて、微笑んでから、すぐにキーボードを打つ。

「さぁ。時雨が、起きる前に終わらせるよ」

「了解」

それから、しばらく、二人は、キーボードを打ち続け、博田の事を調べ終わると、一騎の運転で、静かに車を発進させた。
廃校になった校舎の教室に、若い女と中年の男が二人いた。
若い女は、男に好意があるように見えるが、男の方は、女に興味がないようだ。
女が、応接室にあるような一人掛けのソファに座る男の膝に、頬擦りをしている。

「それでね?警察に持って行かれちゃうし、捕まりそうになるしで、何も取って来れなかったの…本当にごめんなさい。でも、明日は、絶対に持って来るから。今度は、もっと可愛くて、綺麗で、いい子で、とぉ~っても賢い子にするから」

「もういい」

ため息をついて、男が立ち上がると、それを見上げて、女が慌てたように、ズボンの裾を強く掴んだ。

「本当にごめんなさい。次は、絶対に、こんなヘマしないから、嫌いにならないで…崇士が…崇士がいないと…私…」

「離せ!!」

すがり付くように、ズボンの裾を掴んでいた女の手を振り払い、男は、教室を出ようと、出入口に向かった。
引き戸に、手を掛けたまま、振り返り、座り込んでいる女に視線を向けた。

「さっさと、次を探して来い。じゃなきゃ、もう会わないからな」

女は何度も頷いて見せると、男は、またソファに戻った。

「ありがとう。崇士」

女が、男に抱き付き、頬に顔を近付けると、急に電気が消えた。

「崇士…」

「おい。さっさと点けろ」

「私じゃないわ。崇士が消したんでしょう?」

「何言ってんだよ。お前だろう?」

互いが互いに電気を消したと思っていた二人が、驚いていると、暗闇に慣れた目に、2つの人影が見えた。

「誰!!」

「お楽しみのところ、邪魔するわね?」

電気が点いて明るくなり、二つの人影の正体が分かった。

「なっ何よ…安部が何の用?」

「アナタの刑務執行します」

「何言ってんのよ!!アンタたち…まさか、一般人を殺すつもり?私は、何も…」

「博田嘩納は、一年半前に亡くなってる。ご両親に確認したから、間違いないわよ?」

男が、そんな女を引き離そうとしても、抱き付いたまま、固まったように、全く動かなくなった。

「博田さんは、通勤途中、事故で、中央病院に運ばれ、亡くなった。アナタは、その中央病院の裏口で、博田さんのチップと交換した。そうでしょう?金伊雪南さん」

「そんな…そんなの嘘よ!!第一、何処に、そんな事をしたって証拠が…」

「金沢が逮捕されました」

金伊が、唾を飲んだ。

「ですが、その時、警察が押収した物の中に、金伊に、繋がるような証拠はありませんでした」

引き攣った笑顔を作り、金伊は、勝ち誇ったように笑った。

「ほら見なさい。分かったら、さっさと…」

「ですが、博田さんのチップに変わる前の証拠はありました」

金伊から笑顔が消え、青ざめた。

「博田さんとチップを変える前は、晦華桐子(ツゲキリコ)。アナタの遠い親戚の人よね?」

「因みに、晦華さんも、二年前に亡くなってます。こちらは、届け出が受理されてない事から、警察で調べていたので、すぐに分かりました」

完全にバレた事に動揺する金伊は、ニッコリ笑う一騎と紅華から、逃げるように、一気に、教室の戸に向かって走ったが、すぐに床に倒れた。

「うっつ…ふっ…」

太ももの裏側から、大量の血が床に流れ落ちる。
それを見ていた男が、紅華たちの方に視線を戻すと、一騎が、拳銃を構えたまま、ニッコリ笑っていた。

「両親が亡くなっているとは、データにあったけど。まさか、“義父さん”がいて、その人を好きだからって、こんなバカな事しなくてもいいのにね?晦華崇士(ツゲタカシ)さん」

晦華は、怯えたように、体を震わせた。

「おっ俺は、何も…何もしてない!!コイツが勝手に!!」

恐怖で、その声まで震えている。

「ちゃんと、アンタの事も調べたわよ。桐子さんの前に、まさか、金伊の母親と結婚してたなんて、思わなかった。まぁ、一緒に生活したのが、たった二ヶ月じゃ、誰も分からないわよね」

「たしかに、雪南の母親とは、結婚したが、価値観の違いで、すぐ別居を…」

「嘘はよくないわよ?離婚原因は、アナタの不倫らしいじゃない。ちゃんと、その時、担当した弁護士に聞いたから。しかも、不倫相手が自分の娘じゃ、母親は、かなり傷付いたんじゃないかしら?」

驚いて目を開く晦華に向かって、紅華は、鼻からため息をついた。

「当時、まだ十五歳だった彼女は、可愛くて、賢くて、従順なとてもいい子。桐子さんと再婚してからも、その関係は、続いていたのに、彼女が、高校を卒業する辺りになって、段々、理想から外れてしまった。彼女との関係を終わらせようとすると、彼女は、自分の代わりになりそうな女性を次々に連れて来た。それが、自分の理想に近い子たちばかりだったから、アナタも、彼女との関係を断ち切れなかったのよね?」

晦華の頬が、引き攣ったように震えた。

「俺は知らない!!俺は何もしてない!!俺は被害者だ!!桐子の死亡届けを出した時、受理されなかった!!それは、コイツが桐子のチップを勝手に使っていたからじゃないか!!」

「それも違うでしょう?死亡届けを出したのは、桐子さんのご両親。アナタは、ご両親に死亡届けを出すのを反対した。だが、アナタに黙って、死亡届けを出した桐子さんの両親が、受理されない事で、警察に相談しに行ってしまった。アナタは、急いで、彼女に別人になるように言い、自分は、桐子さんのご両親の元から姿を消した。でも、残念。アナタ、一ヶ月前に、また、再婚したでしょう?その再婚相手が、アナタを不審に思って、色々、調べてたみたいよ?」

腕に巻いた通信機に触れて、晦華の今の再婚相手との会話を再生すると、晦華は、逃げるように窓の方に走り出した。
だが、その頬を掠めて、弾丸が窓ガラスを割った。
尻餅を着いた晦華をそのままにして、一騎は、天井に向かって発砲し、蛍光灯を全て壊した。

「わぁっ!!」

真っ暗闇の中、震えている金伊の耳に、晦華の短い叫び声が聞こえた。

「崇士!!」

名前を呼びながら、顔を上げた金伊の喉元に、冷たい物が触れた。

「自分が愛されたい為だけに、他人の命を簡単に奪うのは、よくないわよ?」

「私の崇士に酷い事しようとするからよ。崇士を傷付ける奴は、許さない。それのどこが…」

金伊の首が体から離れ、床に転がった。

「バカな女ね。アナタ」

一騎が、震える晦華を縛り、警察に通報する前に、処理班に連絡しようとしたが、その必要がなかった。
刑務執行が終わると、すぐに、処理班と、時雨が教室に入って来た。
処理班に、その場を任せ、一騎に引きずられるように連れ出され、晦華を待機していた警察に渡して、紅華たちは車に戻った。
時雨の運転で、本部に戻り、紅華と一騎は、三神に呼ばれ、総括室に向う事になった。
時雨に、髪を洗ってから報告書の作成を指示して別れた。
その日の夜、報告書を提出して、部屋にいた時雨の元に、いつものような紅華や一騎からの食事の誘いはなかった。
その日を境に、紅華や一騎、更には、碧井までもが、食事や外出の誘いを時雨にしなくなった。
それでも、仕事の時だけは、変わらなかった。
いつも一緒にいる事が多かったからか、時雨は、三人の異変を何となく感じ取っていたのだが、それを口にする事はなかった。
だが、時雨は、その事を言わずにいたのを激しく後悔してしまう。
それは、SS部隊に所属して一年が過ぎた春の事だった。
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