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第5話 自作自演の女
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悲劇のヒロインよろしく、黒部美沙は走ってフロアを出て行った。
泉と自分はただの同期だと弁明する気にもなれず、百合子は仕事を片付け、スーパーで半額になった弁当を買い、マンションに帰った。
見たくない、見たくないと思いつつも、現状を把握しておかないと何かあったときに対処できないので、スマホでTwitter画面を開く。「ミサりん」のページを表示させると、やはり愚痴であふれていた。
《また失恋した》
《カノジョいるならいるって言えよ》
《あの女も、陰であたしのこと笑ってたんだ》
《なんで性悪女にカレシがいて、あたしみたいな真面目で一生懸命なコにはいないのよ! 世の中間違ってる!》
「間違ってるのは、あんたの方でしょ……」
百合子は頭をかきむしりながら吐き捨てた。
「誰が性悪女よ」
ここまで自分の都合がいいように現実をねじ曲げて被害者面をする女は、はじめてだ。苛立ちのあまり、手近にあったクッションを殴る。
「もうやだ。私の前から消えてよ!」
真正面から喧嘩をする気はさらさらない。黒部美沙には理屈が通じず、すべて曲解してしまう。
大体、泉と自分が仲良くしゃべっているところを見たくらいで、失恋したと断定して落ち込む方がおかしいのだ。
都合の悪いことは全部他人のせいにして、傷つくのが怖いから直接ぶつかることもせず、悲劇のヒロインぶって自分に酔う。それが、ダメージを最小限に抑えるための、黒部美沙の処世術なのだろう。
派遣という経済的にも社会的にも不安定な働き方で、結婚したいのに相手と巡り合えず、本音で付き合える友人もいなさそうだから、同情する部分もあるのだけれど。
(でも、だからって、なんで私が攻撃されなきゃいけないのよ!)
面と向かって言われたのなら反論もできるのに、彼女は卑怯だ。いっそ、彼女のツイッターアカウントをブロックしてしまいたい。
けれども以前、「フォロワーがリムった」と黒部美沙がさんざん憤りツイートをしていた。
《ちょっと気に入らないこと言われたからリムるなんて、お前はガキか》
《心が狭いんだよ、バーカ!》
同じような罵声を垂れ流されるのも癪だ。彼女がうちの会社を去るまでは、放置しておかなければ。
百合子は、椅子の背にもたれて天井を見上げた。整然とした模様を目でなぞり、気持ちを落ち着かせる。
(怒るだけ損、か。どうせ、半年してあの子が辞めたら、一生会うこともない一過性の関係なんだし)
表面だけを適当につくろって、お互い嫌な思いは最小限になるよう距離を保とう、と百合子は決めた。ただでさえ仕事で疲れているのに、余計なエネルギーを使いたくない。
《誰もあたしをわかってくれない》
黒部美沙のツイートを見るに耐えなくなって、百合子はスマホを置いた。
(あんただって、泉のこと「好き」とか言いながら、彼の何をわかってたっていうのよ。自分にやさしくしてくれたから気が向いただけのくせに。あんたは、自分がかわいいだけなのよ。他人を駒みたいに思ってるところが、むかつくんだってば!)
嫌いな奴のことを頭の中で反芻して悪態をつくのに嫌気がさし、百合子は早々に眠りについた。
しょせん本気ではなかったからか、黒部美沙の失恋騒ぎその2は、あっという間に収束した。
百合子はわざと誤解を解かなかった。昼休みに、こちらから声をかけることもやめておいた。沈黙に耐えかねたのか、彼女はおずおずと世間話をしてくるようになった。
黒部美沙は、お見合いパーティーに顔を出し始めたらしい。じかに聞いたわけではないが、週末になるとツイートが流れてくる。
《おニューの服も買ったし、今から行ってきます!》
《アドレス交換したのに、こっちのメール無視かよ! 気をもたせておいて、ひどい男め! 付き合う前にわかって良かったよ》
《今日は、医者弁護士参加のハイクラスお見合い。気合入れて、ミニスカートにしたもんね》
顔を隠して姿見に映した黒部美沙の自撮り写真は、短すぎるスカートからのぞく太ももがだらしなく肥え、膝の上に肉が乗っていて、見ているこちらが痛々しくて目をそむけてしまうものだった。
黒部美沙を鬱陶しいと思いながらも、目が離せない日々が続いた。年が明けてしばらく経ったころ、こんなツイートが飛び出した。
《明日は、おデート! 水族館に行くんだーい☆》
死ぬ死ぬ騒動のときは沈黙を守っていたフォロワーたちから、「やったね」「がんばって」という激励の返信が入り、彼女は得意げにお礼をツイートする。
物好きがいるもんだ、と百合子は覚めた気持ちで考えた。
彼女の少し野暮ったい外見が、逆にスレていなさそうで良かったのだろうか。
とにかく、うまくいって欲しい。早く幸せになって、早く黙って欲しい。
そんな百合子の願いは、半分は叶った。
黒部美沙は彼氏とうまくいっているらしく、週末ごとに映画鑑賞やスポーツ観戦といった定番デートをしているようだ。それらの情報は、直接語られることなく、Twitter上だけで発信された。
《リア充爆発しろって思ってるみなさん、ごめんなさい! でも、会社じゃお局さんに気を遣って自慢できないんで、ここで言わせて(テヘペロ)》
(それって、カレシいない私がかわいそうだから、気を遣ってあげてるってこと!?)
百合子はパソコンの前で唇を噛んだ。あんな奴に、上から目線で見られるなんて、我慢できない。
(そっちこそ、そのカレシ、本物なの? 見栄を張るための空想上の人物か、結婚詐欺なんじゃないの?)
二月に入ると、黒部美沙はバレンタインチョコのことで浮かれ始めた。
《迷った末に買ったのが、これ。ジャン・ポール・エヴァン!》
ラッピングされた高級チョコの写真が添えられたツイートに、百合子はなぜだか苛立ちが治まらなかった。幸せになって黙って欲しいと思っていたはずなのに。
《カレシとカラオケに行ったんだけど、「いとしのエリー」を歌われた。これって「君が最後」って意味だよね。今度、指輪を買いに行こうか、とも。まさか?》
定番とはいえ古い曲だ。この彼氏は何歳なのだろうか。
というより、この二人はキスやセックスをしているのだろうか。さすがにTwitterには書かないだけかもしれないが、彼女の普段の迂闊さからすれば、嬉々として書きそうなものだ。
《もしかして、ホワイトデーのお返しがプロポーズ? キャー!》
付き合ってすぐ結婚に結びつけるコドモさ加減に、百合子の苛立ちは頂点に達した。それをTwitterに流し、周りの人間すべてが祝福してくれると思いこんでいる、自分が世界の中心でその他は雑魚であるかのようにふるまっている、黒部美沙が嫌で嫌でしょうがなかった。
自分はしょせん主役になれない脇役だ、と思い知ったことはないのだろうか。どんなに努力しても敵わない人物に出会って、打ちのめされたことは。
(あんたも一回くらい、打ちのめされなさい!)
泉と自分はただの同期だと弁明する気にもなれず、百合子は仕事を片付け、スーパーで半額になった弁当を買い、マンションに帰った。
見たくない、見たくないと思いつつも、現状を把握しておかないと何かあったときに対処できないので、スマホでTwitter画面を開く。「ミサりん」のページを表示させると、やはり愚痴であふれていた。
《また失恋した》
《カノジョいるならいるって言えよ》
《あの女も、陰であたしのこと笑ってたんだ》
《なんで性悪女にカレシがいて、あたしみたいな真面目で一生懸命なコにはいないのよ! 世の中間違ってる!》
「間違ってるのは、あんたの方でしょ……」
百合子は頭をかきむしりながら吐き捨てた。
「誰が性悪女よ」
ここまで自分の都合がいいように現実をねじ曲げて被害者面をする女は、はじめてだ。苛立ちのあまり、手近にあったクッションを殴る。
「もうやだ。私の前から消えてよ!」
真正面から喧嘩をする気はさらさらない。黒部美沙には理屈が通じず、すべて曲解してしまう。
大体、泉と自分が仲良くしゃべっているところを見たくらいで、失恋したと断定して落ち込む方がおかしいのだ。
都合の悪いことは全部他人のせいにして、傷つくのが怖いから直接ぶつかることもせず、悲劇のヒロインぶって自分に酔う。それが、ダメージを最小限に抑えるための、黒部美沙の処世術なのだろう。
派遣という経済的にも社会的にも不安定な働き方で、結婚したいのに相手と巡り合えず、本音で付き合える友人もいなさそうだから、同情する部分もあるのだけれど。
(でも、だからって、なんで私が攻撃されなきゃいけないのよ!)
面と向かって言われたのなら反論もできるのに、彼女は卑怯だ。いっそ、彼女のツイッターアカウントをブロックしてしまいたい。
けれども以前、「フォロワーがリムった」と黒部美沙がさんざん憤りツイートをしていた。
《ちょっと気に入らないこと言われたからリムるなんて、お前はガキか》
《心が狭いんだよ、バーカ!》
同じような罵声を垂れ流されるのも癪だ。彼女がうちの会社を去るまでは、放置しておかなければ。
百合子は、椅子の背にもたれて天井を見上げた。整然とした模様を目でなぞり、気持ちを落ち着かせる。
(怒るだけ損、か。どうせ、半年してあの子が辞めたら、一生会うこともない一過性の関係なんだし)
表面だけを適当につくろって、お互い嫌な思いは最小限になるよう距離を保とう、と百合子は決めた。ただでさえ仕事で疲れているのに、余計なエネルギーを使いたくない。
《誰もあたしをわかってくれない》
黒部美沙のツイートを見るに耐えなくなって、百合子はスマホを置いた。
(あんただって、泉のこと「好き」とか言いながら、彼の何をわかってたっていうのよ。自分にやさしくしてくれたから気が向いただけのくせに。あんたは、自分がかわいいだけなのよ。他人を駒みたいに思ってるところが、むかつくんだってば!)
嫌いな奴のことを頭の中で反芻して悪態をつくのに嫌気がさし、百合子は早々に眠りについた。
しょせん本気ではなかったからか、黒部美沙の失恋騒ぎその2は、あっという間に収束した。
百合子はわざと誤解を解かなかった。昼休みに、こちらから声をかけることもやめておいた。沈黙に耐えかねたのか、彼女はおずおずと世間話をしてくるようになった。
黒部美沙は、お見合いパーティーに顔を出し始めたらしい。じかに聞いたわけではないが、週末になるとツイートが流れてくる。
《おニューの服も買ったし、今から行ってきます!》
《アドレス交換したのに、こっちのメール無視かよ! 気をもたせておいて、ひどい男め! 付き合う前にわかって良かったよ》
《今日は、医者弁護士参加のハイクラスお見合い。気合入れて、ミニスカートにしたもんね》
顔を隠して姿見に映した黒部美沙の自撮り写真は、短すぎるスカートからのぞく太ももがだらしなく肥え、膝の上に肉が乗っていて、見ているこちらが痛々しくて目をそむけてしまうものだった。
黒部美沙を鬱陶しいと思いながらも、目が離せない日々が続いた。年が明けてしばらく経ったころ、こんなツイートが飛び出した。
《明日は、おデート! 水族館に行くんだーい☆》
死ぬ死ぬ騒動のときは沈黙を守っていたフォロワーたちから、「やったね」「がんばって」という激励の返信が入り、彼女は得意げにお礼をツイートする。
物好きがいるもんだ、と百合子は覚めた気持ちで考えた。
彼女の少し野暮ったい外見が、逆にスレていなさそうで良かったのだろうか。
とにかく、うまくいって欲しい。早く幸せになって、早く黙って欲しい。
そんな百合子の願いは、半分は叶った。
黒部美沙は彼氏とうまくいっているらしく、週末ごとに映画鑑賞やスポーツ観戦といった定番デートをしているようだ。それらの情報は、直接語られることなく、Twitter上だけで発信された。
《リア充爆発しろって思ってるみなさん、ごめんなさい! でも、会社じゃお局さんに気を遣って自慢できないんで、ここで言わせて(テヘペロ)》
(それって、カレシいない私がかわいそうだから、気を遣ってあげてるってこと!?)
百合子はパソコンの前で唇を噛んだ。あんな奴に、上から目線で見られるなんて、我慢できない。
(そっちこそ、そのカレシ、本物なの? 見栄を張るための空想上の人物か、結婚詐欺なんじゃないの?)
二月に入ると、黒部美沙はバレンタインチョコのことで浮かれ始めた。
《迷った末に買ったのが、これ。ジャン・ポール・エヴァン!》
ラッピングされた高級チョコの写真が添えられたツイートに、百合子はなぜだか苛立ちが治まらなかった。幸せになって黙って欲しいと思っていたはずなのに。
《カレシとカラオケに行ったんだけど、「いとしのエリー」を歌われた。これって「君が最後」って意味だよね。今度、指輪を買いに行こうか、とも。まさか?》
定番とはいえ古い曲だ。この彼氏は何歳なのだろうか。
というより、この二人はキスやセックスをしているのだろうか。さすがにTwitterには書かないだけかもしれないが、彼女の普段の迂闊さからすれば、嬉々として書きそうなものだ。
《もしかして、ホワイトデーのお返しがプロポーズ? キャー!》
付き合ってすぐ結婚に結びつけるコドモさ加減に、百合子の苛立ちは頂点に達した。それをTwitterに流し、周りの人間すべてが祝福してくれると思いこんでいる、自分が世界の中心でその他は雑魚であるかのようにふるまっている、黒部美沙が嫌で嫌でしょうがなかった。
自分はしょせん主役になれない脇役だ、と思い知ったことはないのだろうか。どんなに努力しても敵わない人物に出会って、打ちのめされたことは。
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