かまってちゃん

ずいずい瑞祥

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第4話 懲りない女

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 黒部美沙は、ちゃんと出社するだろうか。あれ以降Twitterも静かだけれど、チキンレースのハンドルを切り損ねるように、はずみで一線を越えていないだろうか。

 百合子は、落ち着かない気分で月曜日を迎えた。
 更衣室で着替えていると、ドアをノックして黒部美沙が入って来た。相変わらず、長い黒髪を束ねもせずに下ろしている。

 とりあえず、よかった。本当に自殺していたら、寝ざめが悪すぎる。

「おはよう」
 彼女が後ろを通るときにあいさつすると、「あ、ども」と低い声で返された。化粧っ気のない顔で無表情を決めこんでいる。
「大丈夫?」
 何が、と訊かれたら困りそうだが、それしかかける言葉がない。

「はあ、まあ」
 やる気のない返事をして、黒部美沙はロッカーを開け、その扉で百合子との間を遮断した。こちらに顔を出そうともしない。

 まあ、生きていたんだから、いいか。百合子は自分にそう言い聞かせて、更衣室を出た。

 案の定、昼休みはだんまり比べになってしまった。百合子が当たり障りのない話題を振っても、黒部美沙は「はあ」とか「まあ」とか言うだけで、会話が続かない。かといって、藤井の話をするのは地雷を踏む行為だろう。
「仕事がたまってるから」と早々に席を立ち、百合子はフロアへ逃げ帰った。これが半年も続くのかと思うと、さっそく茉莉江に泣きつきたい気分だった。

《つらいけど、ちゃんと仕事してきた。あたし、えらい!》
《あの人と目が合った。でも泣かない。仕事に没頭する》

 そんなツイートに対して、「ミサりんエライ!」「いい女になって見返してやれ!」という励ましが寄せられた。
 こんな面倒臭い女に、口先だけでも応援してくれる人たちがいるのか。百合子はため息をついて机に突っ伏した。

 ようやく黒部美沙が落ち着いてきて、昼休みに自慢めいた自分語りを百合子に延々聞かせるようになったころ、こんなツイートが流れてきた。

《新しい恋のヨ・カ・ン!》

 スマートフォンの画面に向かって、百合子は「はぁ?」と声をあげてしまった。
 藤井との騒動から、二週間しか経っていない。惚れっぽいというか、節操がないというか。また会社の人だったら面倒臭いな、と思いながらツイートをチェックする。

《お疲れさま、って差し入れにシュークリームくれたの。この辺では有名なお店の》
《前に一緒に食事したとき、ずっとあたしに話しかけてくれたし、もしかして脈アリ?》

 同期の泉のことだ。

 シュークリームは、百合子も泉からもらった。出張先でお土産を買えなかったから、代わりだと言っていた。それは電子部のフロア全員に配ったもので、有給休暇の人の分が余ったから百合子もご相伴に預かったのだ。
 別に、黒部美沙だけが特別なわけではない。

 ここまで自分に都合がいいよう解釈できる黒部美沙に、百合子は苛立ちを隠せなかった。
 あなたは非常識なのだと理詰めでまくしたてたい。逃げ場がなくなるまで問い詰めたい。そして、黙らせたい。
 でも、そんなことをしたら逆ギレされるんだろうな、と思うと、密度の濃いため息をつくしかなかった。

 百合子のもやもやした気分など露知らず、翌日の昼休み、黒部美沙は上機嫌でしゃべり続けた。
「泉さんって、よく見ると素敵ですよね。愛嬌があるし、面白いし」

 送別会のときには藤井狙いで、泉のことは雑魚扱いだったくせに。
 百合子は不愉快な気分で、それでも相槌を打ちながら、卵焼きを口に入れた。会話をしたくないので、わざとゆっくり咀嚼する。

 そういえば、藤井は何と言って黒部美沙の告白を断ったのだろう。駄々をこねられたり付きまとわれたりしなかったのかしら。
 彼はいつもポーカーフェイスで、プライベートなことはほとんど話さない。あの件のことは、黒部美沙や自分自身の評判を気遣って、訊いても教えてはくれないだろう。そこが藤井のいいところでもあるのだが。

 あれこれ考えている内に休み時間が終わり、百合子は経理部のフロアへと戻った。
 月末は処理件数が多いので、どんなに頑張っても残業になってしまう。上司や先輩がタバコを吸いに席を外したので、百合子が大きく伸びをしていると、陽気な声が響いた。

「ホンちゃん、金くれ、金」
 泉がフロアに入ってくる。出張費の仮払いは、小口現金で支払うことになっているのだ。

「はいはい、泉さんの分ね」
 百合子は立ち上がって、社員別に袋詰めした現金が入っている手提げ金庫を開けに行く。
「残業時間やねんから、いつもみたいにイズミっちって呼べや。ホンちゃんは、真面目やな」
 仕事中はけじめをつける意味で、仲の良い相手でも、さん付けで呼んでいる。もちろん、茉莉江のことも「溝口さん」と呼んでいた。

「じゃあ、イズミっち。五万円ね。ここ、サインちょうだい」
 現金出納帳の、受取人欄を指し示す。泉はサインをして封筒を受け取ると、ポケットから出したものを百合子の机に置いた。
「お礼に、これ、やるわ」

 百合子が集めている食玩だ。人気アニメのマスコットで、擬人化された三毛猫が風呂敷を背負っている。
「え、これ、シークレットバージョンじゃん! いいの?」
 泉がニヤリとし、ポケットからもう一つ同じマスコットを出す。
「二つあるから、ええねん」

「うっそ、シークレットが二つも出たの? 今生の運、全部使い果たしたんじゃない?」
「運は運を呼ぶって言えや。俺様にかかったら、シークレットの一つや二つ!」
「じゃあ、遠慮なくもらうね。ありがと!」

 上司たちがいないこともあって、百合子も思わず声が弾む。このマスコットシリーズはコンプリートしたかったので、思わぬ幸運だ。
 気を良くしていると、百合子の背後からとげとげしい気配を感じた。

 振り向くと、決裁済み伝票の箱を持った黒部美沙が、目玉が飛び出るのではないかというほど目を見開き、唇を噛みながら百合子の方を睨んでいた。
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