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第4章 いざ、ソランスターへ
52話 手にした証拠⑴
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翌日、予定通り馬車に乗ってフィゲンズに向かった。エドガーは昨日のことには触れず、レインリットの隣に座って手を握っている。力のことについては、とても言い出せる雰囲気ではなかった。
そうして小一時間くらい進んだところで、エドガーの方からやっと話題を振ってきた。
「フィゲンズの教会の教導師様はどんな人だい?」
「ディーケン教導師様は、三年前に来られたお若い方です。父の葬儀の時にもお会いしたはずなのですが……」
フィゲンズの教会は、ウェルシュ子爵との婚儀を執り行うはずだった教会である。仕方なくそのことを告げると、エドガーは呆れたように呟いた。
「子爵領の教会ではなく近場で済ませようとは……いや、結婚しなくて済んだのは幸いだが、ウェルシュ子爵とやらも大概な男だな」
「愛人がたくさんおられたそうです。爵位をウィリアム・キーブルに譲渡するとして、私との結婚の利点などあるのでしょうか」
レインリットは本気でそう思っていた。隣のエドガーや、向かい側のエファが微妙な顔になったが、本人はどこ吹く風だ。
「レインリット、君は自分の価値をもう一度見直すべきだよ」
「伯爵様、私もそう思います。むしろお嬢様は今すぐにでもご自分の価値を見直さねばなりません」
二人が話している時はなるべく邪魔をしないように口を閉ざしているエファが、饒舌になって会話に参加してくる。珍しいこともあるものだ、とレインリットはのんきに考え、見えてきた教会の屋根を指差した。
「エドガー様、あそこがフィゲンズ・グイ教会です。私たちの旅は、ここから始まりました」
フィゲンズの町がよく見える高台にあるその教会は、変わらずにレインリットを迎えてくれる。しかし、決死の覚悟で逃げ出したあの時とは、レインリットを取り巻く状況は激変した。
――ようやく、ここまでやってきたのね。
白ばむまで力を込めて握りしめていた手の上に、隣からエファが手を添えてくる。そして、エドガーもその上に手を乗せてきた。
「大丈夫だ、私もいる」
その言葉に胸が一杯になったレインリットは、静かに頷いた。
§
フィゲンズ・グイ教会は、建立から五百年以上経っているという古リングール文化を色濃く残した石造りの建物だった。エファと従僕たちを馬車に待機させ、エドガーとレインリットだけで中に入る。そしてエドガーは、まず天井から差し込む光に目を奪われた。
「中は随分と広いのだな」
「はい、音がよく響くように造られていて、別名『光と音の教会』と呼ばれているのです」
敬虔な信徒たちが熱心に祈りを捧げており、エドガーは邪魔をしないように囁き声で話す。
「教導師様はあちらの部屋か」
正面に向かって右奥に扉がある。しかしレインリットは左奥の隅を指し示した。よくよく見ると、石壁の段差の一部から薄っすらと光が漏れている。
「あそこの階段から礼拝堂の裏に回って二階にあがるのです」
「なるほど、一見したらわからないようになっているんだな」
半螺旋状になった石の階段を昇ると、レインリットが説明したように裏手の居住部があった。窓から外を覗けば、小さな香草園や畑がある。世話役の者たちがせっせと農作業をしている姿も見えた。レインリットはある扉の前に立つと、エドガーを見上げる。
「ここにおられると思います」
「わかった。ディーケン教導師おられますか?」
すると直ぐに中から応える声がした。
「懺悔ですか、少しお待ちなさい」
「いえ、懺悔ではなく、後見人名簿を見せていただきたいのです」
エドガーの言葉に扉が開き、中から予想より随分と若い男が出てきた。素性がバレないようにヴェールを被っていたレインリットが、エドガーの手をギュッと握る。どうやら彼がディーケン教導師で間違いないようだ。
「後見人名簿を、ですか」
「はい、私はエドガー・ハーティと言います。実は私は後見人を指定されているのですが、何やら手違いがあったようでして」
「なんと! わかりました、どうぞこちらへ」
人のよさそうな顔をした教導師が、突き当たりにある部屋の扉を開ける。わずかにかび臭い部屋の中には、古い革表紙の聖書や、貴重な本の数々が並べられていた。教導師はいくつかのランプに火を灯すと、分厚い本を取り出してくる。
「これが後見人名簿です。それで一体、何の手違いがあったのでしょう」
「いえ……私は姪の後見人だったはずなのですが、親戚の一人がそれは違うと言い張りまして。それでこうやって確かめに来たのです」
「おやおや、それは一大事ですね」
教導師が差し出してきた後見人名簿を受け取ったエドガーは、近くに置いてあった机を借りてめくり始める。レインリットが生まれたのは十八年前。後見人登録をする者はそれほど多くないようで、あっという間に十年ほど前まで遡った。
「彼女が姪御さんですか?」
「え、ええ……私の兄が他界してしまって、彼女の婚姻のための支度金が必要になったんですよ」
好奇の視線を感じて顔を上げると、教導師がにこやかに微笑んでいた。レインリットも居心地が悪いのか、エドガーの身体を盾にして隠れようとしたのだろう。ヴェールの端がエドガー上着のボタンに引っかかり、半分取れてしまった。慌ててヴェールを被り直すレインリットに、教導師が近づいてきて手伝い始める。
「美しい瞳をしていますね。一度見たら忘れられない宝石の瞳ですか」
「教導師様、あの」
「私は聖職者ですから心配ありませんよ」
エドガーはさりげなくレインリットを庇いながら、教導師から遠ざける。顔を見られてしまったのは仕方ないが、その賛辞は必要ない。
「ハーティさん、ゆっくりどうぞ。私は礼拝堂におりますので、終わりましたらお知らせください」
「ありがとうございます、教導師様」
「ではまた、美しいお嬢さん」
教導師がそう言い残して部屋を出ていくと、エドガーはその扉を睨みつけた。
そうして小一時間くらい進んだところで、エドガーの方からやっと話題を振ってきた。
「フィゲンズの教会の教導師様はどんな人だい?」
「ディーケン教導師様は、三年前に来られたお若い方です。父の葬儀の時にもお会いしたはずなのですが……」
フィゲンズの教会は、ウェルシュ子爵との婚儀を執り行うはずだった教会である。仕方なくそのことを告げると、エドガーは呆れたように呟いた。
「子爵領の教会ではなく近場で済ませようとは……いや、結婚しなくて済んだのは幸いだが、ウェルシュ子爵とやらも大概な男だな」
「愛人がたくさんおられたそうです。爵位をウィリアム・キーブルに譲渡するとして、私との結婚の利点などあるのでしょうか」
レインリットは本気でそう思っていた。隣のエドガーや、向かい側のエファが微妙な顔になったが、本人はどこ吹く風だ。
「レインリット、君は自分の価値をもう一度見直すべきだよ」
「伯爵様、私もそう思います。むしろお嬢様は今すぐにでもご自分の価値を見直さねばなりません」
二人が話している時はなるべく邪魔をしないように口を閉ざしているエファが、饒舌になって会話に参加してくる。珍しいこともあるものだ、とレインリットはのんきに考え、見えてきた教会の屋根を指差した。
「エドガー様、あそこがフィゲンズ・グイ教会です。私たちの旅は、ここから始まりました」
フィゲンズの町がよく見える高台にあるその教会は、変わらずにレインリットを迎えてくれる。しかし、決死の覚悟で逃げ出したあの時とは、レインリットを取り巻く状況は激変した。
――ようやく、ここまでやってきたのね。
白ばむまで力を込めて握りしめていた手の上に、隣からエファが手を添えてくる。そして、エドガーもその上に手を乗せてきた。
「大丈夫だ、私もいる」
その言葉に胸が一杯になったレインリットは、静かに頷いた。
§
フィゲンズ・グイ教会は、建立から五百年以上経っているという古リングール文化を色濃く残した石造りの建物だった。エファと従僕たちを馬車に待機させ、エドガーとレインリットだけで中に入る。そしてエドガーは、まず天井から差し込む光に目を奪われた。
「中は随分と広いのだな」
「はい、音がよく響くように造られていて、別名『光と音の教会』と呼ばれているのです」
敬虔な信徒たちが熱心に祈りを捧げており、エドガーは邪魔をしないように囁き声で話す。
「教導師様はあちらの部屋か」
正面に向かって右奥に扉がある。しかしレインリットは左奥の隅を指し示した。よくよく見ると、石壁の段差の一部から薄っすらと光が漏れている。
「あそこの階段から礼拝堂の裏に回って二階にあがるのです」
「なるほど、一見したらわからないようになっているんだな」
半螺旋状になった石の階段を昇ると、レインリットが説明したように裏手の居住部があった。窓から外を覗けば、小さな香草園や畑がある。世話役の者たちがせっせと農作業をしている姿も見えた。レインリットはある扉の前に立つと、エドガーを見上げる。
「ここにおられると思います」
「わかった。ディーケン教導師おられますか?」
すると直ぐに中から応える声がした。
「懺悔ですか、少しお待ちなさい」
「いえ、懺悔ではなく、後見人名簿を見せていただきたいのです」
エドガーの言葉に扉が開き、中から予想より随分と若い男が出てきた。素性がバレないようにヴェールを被っていたレインリットが、エドガーの手をギュッと握る。どうやら彼がディーケン教導師で間違いないようだ。
「後見人名簿を、ですか」
「はい、私はエドガー・ハーティと言います。実は私は後見人を指定されているのですが、何やら手違いがあったようでして」
「なんと! わかりました、どうぞこちらへ」
人のよさそうな顔をした教導師が、突き当たりにある部屋の扉を開ける。わずかにかび臭い部屋の中には、古い革表紙の聖書や、貴重な本の数々が並べられていた。教導師はいくつかのランプに火を灯すと、分厚い本を取り出してくる。
「これが後見人名簿です。それで一体、何の手違いがあったのでしょう」
「いえ……私は姪の後見人だったはずなのですが、親戚の一人がそれは違うと言い張りまして。それでこうやって確かめに来たのです」
「おやおや、それは一大事ですね」
教導師が差し出してきた後見人名簿を受け取ったエドガーは、近くに置いてあった机を借りてめくり始める。レインリットが生まれたのは十八年前。後見人登録をする者はそれほど多くないようで、あっという間に十年ほど前まで遡った。
「彼女が姪御さんですか?」
「え、ええ……私の兄が他界してしまって、彼女の婚姻のための支度金が必要になったんですよ」
好奇の視線を感じて顔を上げると、教導師がにこやかに微笑んでいた。レインリットも居心地が悪いのか、エドガーの身体を盾にして隠れようとしたのだろう。ヴェールの端がエドガー上着のボタンに引っかかり、半分取れてしまった。慌ててヴェールを被り直すレインリットに、教導師が近づいてきて手伝い始める。
「美しい瞳をしていますね。一度見たら忘れられない宝石の瞳ですか」
「教導師様、あの」
「私は聖職者ですから心配ありませんよ」
エドガーはさりげなくレインリットを庇いながら、教導師から遠ざける。顔を見られてしまったのは仕方ないが、その賛辞は必要ない。
「ハーティさん、ゆっくりどうぞ。私は礼拝堂におりますので、終わりましたらお知らせください」
「ありがとうございます、教導師様」
「ではまた、美しいお嬢さん」
教導師がそう言い残して部屋を出ていくと、エドガーはその扉を睨みつけた。
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