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オートバイとの出会いの章

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 2016年8月。大学生になった葵は、ついにオートバイの普通免許を取ることにした。

 自動車の免許は高校卒業と同時に取得した。

 葵が、オートバイに乗る気でいることを知っていた両親から、先に自動車の免許を取得するように言われたからだ。

「半年間は自動車に乗り、自動車の『死角』を知りなさい。オートバイに乗ったとき、その『死角』に絶対に入らないことを覚えるためだ。オートバイにとって自動車は凶器だ。それを知ることで、オートバイに乗る自分を守る手段がわかる」

 父親の言葉が強く心に刻まれた。

 自動車のバックミラーや目視では確認できない「死角」を覚えて、その半年後、ヘルメットとバイク用ライディングシューズを用意して、教習所へ行った。そのときに出会ったのが文一だった。

 葵は赤い「ARAI」のフルフェィスのヘルメットを左腕にかけ、ぼんやりと教習所のオートバイ車庫の前に突っ立っていた。

 そこに、カーキ色の整備工が着ているつなぎ姿の、ひょろっと背が高い、柔らかい笑顔をした男性が近づいてきた。それが文一だった。

 葵がオートバイの普通免許を取りに来たことを知ると、文一はにかっと笑って葵を見た。

「ほっせー腕! バイク扱えるんかよ?」

 バカにしている訳ではないが、女性だし、小型免許のほうがいいんじゃないか、と思っているような感じの声だった。

「やってみなくちゃ、わかりません!」

 葵はむっとした顔で言い返した。

「んじゃ、これ」

 文一は380ccの教習用バイクを引っ張り出してきて、葵にグリップを握るようにうながした。

 葵は訳もわからず、生まれて初めて中型オートバイのグリップを握った。

「へぇ......。垂直に立てておくと、全然重くないんですね」

 葵は感嘆の声をあげた。

「当然だろ? 全部地面が引き受けてくれてるんだ。んで、オートバイ乗りって奴はだな、常にその感覚でバイクを御すんだよ。『人馬一体』って奴だ」

 文一は、もう一度バイクのグリップを握るとスタンドに足をかけた。

「ほら」

 百数十キログラムの車体が、いとも簡単にスタンドに載り上がった。そんなに重いものを持ち上げたようには見えなかった。

「教えてやるからやってみろ」

 文一は、再び葵にバイクを渡した。葵は恐る恐るグリップを握り、スタンドに足をかけようとしたら、オートバイがグラっと傾いた。急にものすごい重量が、葵の腕を地面へと引っ張った。

「おっとぉ」

 文一がすかさず百数十キログラムを支えてくれた。

「あ......ありがとう。ちょっとでもバランスを崩すと、めちゃ重いんですね」

 葵はあたふたしながら言った。

「おまえ、当たり前のことしか言わないんだな。鉄の塊だもん。重いに決まってるだろうが! ほら、とりあえず、スタンドに載せてみろ。最初の試験だぞ」

「え?」

 葵はびっくりした。「この巨体をスタンドの上に載せるのかぁ~」と思いながら、百数十キログラムを持ち上げようとした。

「ん......ん......。も......持ち上がらないぃぃぃぃ―――!」

 自分の意に反して、頑として動こうとしないオートバイが、グラグラと葵の腕の中で揺れていた。

「おまえ、強引にこいつを持ち上げようとしたって、持ち上がる訳ないだろ? おまえの体重は? でかい割に、その貧弱な胸から想像しても、たかがしれてるな。足なんかじゃねぇか。こいつはおまえの体重の4倍はあるんだぞ? 持ち上がる訳ないだろう」

 文一は呆れたように葵を見下ろした。

「胸も足も関係ないです! ほっといてください。それに、あなただって、このオートバイよりは軽いじゃない!」

 葵は、痛いところを突かれて思わず反論した。

「当たり前だろ? だって俺、力使ってねーもん」

 文一は豪快に笑った。

「もう1回貸してみろ!」

 文一は再びオートバイの横に立った。

「いいか? の原理だ。バイクは垂直。左手でグリップを握って、スタンドに右足をかける。2人掛けの掴まるベルトの部分を右手で握って、身体ごと真横に引っ張るんだ」

 文一が右手で握ったベルトを軽く後方に引っ張っただけで、百数十キログラムの巨体が、すとんとスタンドに載り上げた。

「わかったか? やってみろよ」

 葵は彼がやったように、スタンドに右足をひっかけて、身体ごとベルトを後方へと引っ張った。すると、さしたる力も使わなかったのに、スタンドの上にちょんっと載り上げた。

「やった! できた。全然重くなかったよ」

 葵は嬉しそうに文一を見上げた。

「へぇ......。筋がいいな。えっと......? 名前教えろよ」

 葵は「今更かよ」と思ったが、そういえば名乗っていなかったし、その割には世話焼きな奴だと思っていた。

「西野葵って言います。18歳です」

 葵は文一に向かって頭を下げた。

「俺は、すぐそこのバイク屋の息子だ。西田文一。俺の名前、縦に線を引くと左右対称になるんだぞ。面白いだろう。俺は23だ」

 葵は文一が言った漢字を頭に思い描いて、くすくす笑った。

「本当ですね。見事な左右対称」

「免許が取れたら、うちでバイク買ってくれ。時間があるときには遊びに来いよ」

 文一は笑って葵から離れていった。

 教習が始まった。葵以外は男性で、ほとんどが同年代だった。

 文一が言った通り、スタンド掛けのテストがあった。男性たちは、力ずくで百数十キログラムのバイクを持ち上げて、スタンド掛けに汗を流していた。

(男って、力持ちなんだなぁ~)

 その姿を見て感心しながらも、「自分も文一の前でこの姿を晒してたのね」と思った。

 葵の番になった。彼女は難なく巨漢をスタンドに載せた。

 その様子を見ていた教官が、「ほう?」という驚きの息を吐いたのがわかった。男性軍も、ほそっちい女の子が軽々とオートバイをスタンドに載せたので、少なからず驚嘆きょうたんの声をあげた。

 それ以降の教習は順調だった。葵は1回の補習もなく9日間の教習を終えて、卒業検定を受けることになった。

 すでに「教科」は自動車免許で取れているから、後は実地だけだ。

 数人の受験生に混じって、葵はすべての課題を無難にこなした。試験が終わり、教室で待っていると教官が入ってきた。今回受けた全員が合格していた。喜びの声が上がる中、教官が両手で机を叩いた。

「おい、おまえら男だろう? お嬢ちゃんにトップ取られて、恥ずかしいと思え!」

 教官は葵を見ながら言った。男性陣は小さくなって、急に静かになった。葵はちぃ―――と、気恥ずかしくなった。

「あははははぁ~~。まぁ、一応みんな合格したんだしさ。よかったじゃないっすか」

 葵は立ち上がると、すすすっと出口へ移動した。

「んじゃ。これから楽しいライダー人生、歩もうぜ」

 言い残して、そのまま文一がいるオートバイ・ショップへ走っていった。文一はおやじさんとショップ内で休憩していた。

「ぶ――んちゃん」

 葵はにこにこしながら声をかけた。

「よう。葵。その顔だと受かったな」

 文一が陽気な声で笑った。

「トップ合格―――!」

 葵はピースサインを突き出した。

「まぁ、葵の腕ならトップは当然だ。いよいよライダー・デビューだな」

「うん。ありがとうですっ! 約束したから、ここでバイク買う。どんなバイクがあるの? 私にお勧めのものはある?」

 葵は嬉しそうに、おやじさんと文一を交互に見た。

「おまえのバイクはもう発注済みだ」

 文一が当たり前のように言った。

「はぁ~~い?」

 葵は呆気あっけにとられて素っ頓狂な声を出した。おやじさんが笑いながら、カタログを出してきた。

「葵ちゃんには、これしかないからね。すぐに入ってくるよ」

「え? ええ―――――?」

 葵の希望は完全無視されていて、すでに葵用のバイクは、ここへ届けられる手筈てはずが整っていたのだ。

「わ......私の好みとか、そういうものは聞いてくれないの?」

 葵はほんの少しの不満と不安で、か細い声を出した。

「葵の好みなんか、手に取るようにわかる。それにカワサキの400と言ったら、これしかない!」

 文一はおやじさんの手からカタログを受け取ると、表紙を葵に見せた。

「Ninja 400 KRT EDITION」と書かれていた。スーパー・スポーツモデルのレース用オートバイを彷彿ほうふつとさせた。

「にんじゃ?」

 葵は、なんかだかすっごくかっこいい名前を呟いた。

「そう。400ccの中じゃ、最高峰だぜ。スーパー・スポーツの部類だが、ツーリング向きだ。葵ならこのじゃじゃ馬も乗りこなせる」

 文一はそう言いながら、ページをパラパラとめくった。

「葵の色はこれだ」

 そこには『キャンディパーシモンレッド&メタリックマグネティックダークグレー』と書かれた赤い色がメインのかわいらしい色をしたNinjaが掲載されていた。

 要所・要所に刺しこまれたダークグレーが、「忍者」を名乗る機敏なスポーツタイプであることを、しっかりと主張していた。

「かっこいいのにめちゃ可愛い! この色好き――――!」

「だろ? 400を御せる女が乗る色だよ」

 文一も「してやったり」という顔で笑った。

「うん。気に入った。ありがとう、文ちゃん」

「でさ、葵。ライダーズ・クラブに入らねぇか?」

「ライダーズ・クラブ?」

「そう。月に一度、数人の仲間と一緒にツーリングするんだよ。1人で走るのも楽しいけど、仲間と走ると倍楽しいぜ」

 文一が腕を組んで笑った。

「でも、私、今日受かったばかりだよ? ちょ――――う、初心者だよ? 足を引っ張るのが関の山だと思うけど?」

 葵は、興味はあるものの、ベテラン・ライダーと一緒に走るのは、おこがましいという気持ちだった。

「ばっかだなぁ~。超初心者だから、ベテランと走るんだよ。オートバイは生身を晒して走るもんだからな。事故は即『死』につながる。ベテランと一緒に走って、バイク乗りの感覚を習得しろ」

 文一の言葉に、葵はものすごく納得した。

「私が入ってもいいの?」

 葵はもう一度、上目遣いで文一を見上げた。

「嫌なら最初から誘わない。もう仲間にも話してある。一応納得済みだ。みんな俺と同じ23歳だ。それから、全員大型免許を持ってる。だから安心して、俺たちの仲間になれ。紅一点になるが、女だからって、甘やかさないからな」

 葵は、文一の優しさが嬉しかった。

「よろしくお願いします」

 葵は頭を下げた。

「と、いう訳で、今夜、ミーティングがある。ここの2階がクラブの集合場所だから顔を出せよ。さっき、納得済みだとは言ったが、奴らからの信頼は、自分で勝ち取れ」

 文一は、今夜7時に来るように伝えると、仕事に戻った。その夜、葵は「十王輪友会」の一員になった。
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