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この苦しみに「Ja!(ヤア)」

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 いつしかかぐや姫たちは、皆既月食の状態に入り始めた月へと消えていた。

「行ったね」

 みちるは拓郎を見上げて笑った。

「みちる。おまえの眼が黒い」

 拓郎はわかっていたこととはいえ、やはり驚いた表情で言った。

「マジ? 鏡! 鏡!」

 みちるはきょろきょろした。

「んなもんあるか! スマフォで自撮りしろ!」

 拓郎は呆れたように言った。

「おお! その手があったか!」

 みちるはスマートフォンを取り出すと自分の顔を見た。

「黒い!……黒いよ! 拓郎!」

 みちるの眼に涙があふれた。

「ああ、黒い」

 拓郎はにっと笑った。

「ただの人間に戻れたのね、あたし……」

 みちるは月に向かって広げた腕を差し出しながら、スウィングするような足取りで歩き始めた。

「俺はやりたいことがわかった! 俺は俺を生きてやる!」

 拓郎はみちるの眼を見つめて、明るい表情で笑った。

 月は地球の本影ほんえいに入り、月面にはわずかばかりの太陽光も届いていなかった。

 発光を完全にやめた衛星は、肉眼ではその姿を捕えられなくなっていた。

 みちるたちは、深夜の公園を歩き続けた。

「月が消えちゃったね。ついさっきまでの私たちみたい」

 みちるは足を止め、月を見上げて言った。

「うん。でももうすぐ、あの暗闇から出てくるよ」

 拓郎も空を見上げた。

「さっきと同じ光量だけれど、暗闇から出てくるから、きっと凄く明るく感じると思うわ」

「今の俺たちって、凄く明るいぜ」

 拓郎はみちるの肩を抱いて笑った。

「この娑婆しゃばは生きにくく去りがたし」

 みちるはふっと頭に浮かんだ言葉を口にした。

「今回の騒動で実感しちゃった」

 みちるはぺろっと舌を出して笑うと、ゆっくりと歩き始めた。

「俺は今まで、『生きる苦しみ』から逃げてた」

「あたしも、もう他人とは戦わない

 みちるも嬉しそうに笑った。

 やがて二人はだんだんと歩みを速めていった。

「自分が生きてることを『然り』と言いたい」

 拓郎は言いながら、みちるの手を握って走り出した。

「ああ、それよりも、『Jaヤア!』かな」

 拓郎はくすくす笑いながら訂正した。

「Ja?」

 みちるは立ち止ると、首を傾げて拓郎を見た。

「そう。ドイツ語で『然り』または『YES』に当たる言葉だ。掛け声みたいでいいと思わないか?」

 拓郎も立ち止り、溢れるほどの笑顔で言った。

「Ja?」

 みちるは月を見上げて笑い、噴水の縁に飛び乗った。

「素敵な言葉ね。そう言いながら、あたしたちは生きてくのよ」

 みちるは月を背後にして噴水の縁の上で、少し首を傾げて言った。

 長い髪の毛の向こうに、地球の本影から出てきた、明るい月が透けて見えていた。

 拓郎はその様子を見ると、みちるの横に登った。

 拓郎はみちるに手を差し出した。みちるはその手を握った。

 相手が何をしようとしているかわかっていた。

「いくぞ!」

「OK!」

 拓郎の声に、みちるはくすくすと笑いながら答えた。

「せぇーのぉ…………」

 二人は声を合わせ、月光を背に浴びながらジャンプした。そして、空へ向かってこぶしを握った手を差し出しながら叫んだ。

「Ja!」



                                 
                  
         参考資料  
         源信著『往生要集』
         川崎信定訳『チベットの死者の書』
         梅原猛著『地獄の思想』
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