うさぎ娘とすっとぼけ野郎に課せられたミッション! 「かぐや姫ちゃんを探せ!」

柊 あると

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胎内巡り(たいないめぐり)

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 1歩入ると、周囲は発光する乳白色の空間だけになっていた。

 歩いているのか、泳いでいるのか、それとも飛んでいるのか、はっきり自覚できない奇妙な感覚がみちるの中にあった。

 けれど進むにつれて、自らの終焉しゅうえんに向かっていると感じ始めていた。

 生への疲労と満足が身体の中を満たしていった。

 みちるは「あ、死ぬんだな」と漠然と感じていた。

 それに対してなんの感情も持たず、傍観者のように受け入れている自分を、取り立てて奇妙なことだとも思わなかった。

 一瞬、気を失ったようだった。

 次に気がついた時には、「死」の感覚が停止していた。

 しばらくすると、「無」になっていた心の中に、ひたひたと波が打ち寄せるように歓喜の感情流れ込んできた。

 わくわくして、両手を胸に当て、大きな声で叫びたい欲求が身体中を満たしていた。

 それは膨らむ一方だった。

 自分の身体を破裂させてしまいたくなるほど、それは体内に充満していた。

 そしてついに、こらえきらないほどに膨れ上がった。

「うっ……わぁ――――――!」

 今までこんなに大きな声は、出したことがないというくらい、みちるは力一杯叫んだ。

 その瞬間、ばたっと倒れたらしい。

 深く息を吸い込むと、四つん這いに倒れている自分を自覚した。

 首をぐるっとまわして周囲を見た。見覚えのある売店があった。

 もっともシャッターは降りていたが……。

「だろうな」

 みちるはぽつりと言葉を落とした。

 横を見ると、拓郎も同じ格好をしていた。

「お帰り。再生の気分はどうだい?」

 頭上から声が降りてきた。

 みちるは四つん這いのまま、首だけを上に向けると、クシティガルバの笑顔があった。

「再生?」

 拓郎は自分が立ち上がりながら、みちるの腕を掴んで、一緒に起こした。

「そう。動物から、再び旅行者に戻った気分はどうだい?」

 クシティガルバの言葉に、拓郎は頭を軽く振った。

「ああ、俺たちは『人間』とは違う意味の『動物』だったのか。それで『死』の感覚があったんだな。いいよ、とても」

 顔に添えた手の中から、クシティガルバを見つめて言った。

「それはよかった。さあ、ロータリーへお帰り。二度とここへは来るなよ」

 クシティガルバはゆっくりと笑った。

「来ないで済むように努力します」

 拓郎はまだぼんやりとしているみちるの腕を引いて、電車に乗り込んだ。

「おい、うさぎ。大丈夫か?」

 拓郎は座席に座ったところで、みちるの頬を軽く叩いた。

「う……ん」

 みちるはやっと首を左右に動かして、眼を覚ます仕草をした。

「今の感覚はなんだったの?」

 みちるはぼんやりと呟いた。

「俗にいう胎内巡たいないめぐりだ」

「何、それ」

「一度死んで再びよみがえるという、再生の儀礼を俺たちはしてきたのさ」

「ああ、それで『死』と『誕生』の感覚があったのね」

「うん」

 うなずきながらも、拓郎の眼は何かを考えていた。

「どうしたの?」

 みちるは不思議そうに尋ねた。

「うさぎは仏教に詳しいほうか?」

 拓郎の眼はひどく暗かった。

「ううん」

「そうか。いや、ロータリーへ帰って、兎に確かめてみないとはっきりわからないんだが、もしかすると俺たちって、死んでるのかもしれない」

「え――――――!」

 みちるは周囲をはばかることも忘れて叫んだ。

「まさか。だって……。どーして死ぬのよ。肉体だってここにあるし、第一、死ぬようなこと、してないわよ」

「ゴミ箱に落ちた」

 拓郎はまだ思考を巡らしているようだったが、みちるの問いにはそう呟いた。

「そうだけど」

「今、思い出してたんだ。バルドゥって、日本語に訳すと『中有ちゅうゆう』と言う」

「中有?」

「そう。チベット語なんだけど、人が死んで次に生まれ変わる世界を決めるまでの、49日間いるところのことだ」

 みちるは唖然として、何も答えられなかった。

「兎が『ロータリー』って言ってただろう? 死ぬとまず『中有』へ行くんだ。惹かれた扉の前に立ち切符を受け取り、次の世界に生まれ変わるんだよ。だから駅員は、俺たちを『旅行者か?』って聞いてたんだ」

「旅行者なら死んでないと思う。だって、次の世界に生まれ変わるわけじゃないもん」

「うん。俺もそう思うよ。でもこうしてバルドゥと、いろんな世界を行き来できるってことは、やはり死んでる状態ではあるんじゃないかな」

「なんで、私たちが死ななければならないの?」

「天界からいなくなった、かぐや姫ちゃんを捜すためだろ?」

「そうじゃなくて」

「じゃあ、天帝が放った兎が、俺たちの中にいるからだ」

「あのね!」

 みちるの頭は爆発寸前だった。

「今の状態を、どうこう言うつもりはないんだ、俺」

 拓郎は組んだ足にひじをのせ、頬杖をついた。

「かぐや姫ちゃんが見つかれば必ず帰れる。俺はそう信じてる。実は俺さ、どうでもよかったんだ。帰れなければ、それでもよかった」

 拓郎はみちるを見つめた。

(あの眼だ)

 みちるは心臓が冷たくなった。底なし沼の中に、今まさに入ろうとしている眼だ。

「ど、どうして?」

「執着がなかったから」

(生きてることに?)

 みちるはそう聞きたかったが、のどの奥で止めた。

「でも、今はちょっと違う。おまえさ、仏教でいう『六道』ってどんな世界があるか知ってる?」

「ううん」

 みちるは、びくびくしながら言った。

「天・人間・修羅しゅら畜生ちくしょう餓鬼がき・地獄だ」

「あっ!」

 みちるはやっと理解した。

「そう、俺たちは畜生道から帰ってきてるんだよ」

「じゃあ、その前は餓鬼道」

「うん。そして『クシティガルバ』はサンスクリット語だ。日本語にすると『地蔵菩薩』のことだ」

 みちるは怖くて、もう拓郎の眼を見られなかった。

「かぐや姫ちゃんを捜して、俺たちは残りの三道に行かなければならないのさ」

「そんなぁ。あたし、もう嫌」

 みちるは涙声で言った。

「うん。どこ一つとして、よい場所はないと思った方がいい」

「拓郎は? それでも行かなければならないけど、拓郎はどう思う?」

 みちるは涙を拭きながら言った。

「俺は来てよかった」

「どうして?」

「俺さ、こんなどたばた騒ぎしてるけれど、何かが見えてきたような気がする」

 拓郎はゆっくりとみちるを見た。

「なにが?」

 みちるは小首を傾げた。

「俺たちは2つの世界を訪ねたけど、どちらもとてもわかりやすかったと思わないか? たった1つのことだけ考えてりゃいいんだ。でも、俺たち人間は違う。何にでも執着してんのな。今やっと、少しだけわかった気がする」

(あへ?)

 みちるは心の中で、奇妙な声をあげた。

(ちょ――――――っと待ってよ? お兄さん。お前さん、自分が出会ういろいろな物事や、人に対して、興味とか好きとか嫌いとか、いいとか悪いとか、そういう感情を持ったことなかったんかい?)

 みちるはとっても素直に人間が持つ感情すら、拓郎は持っていなかったのか? と不安にも似た違和感を持った。

 そんなみちるの疑惑に気づくこともなく、拓郎はモノローグのようにしゃべり続けた。

「俺たち『人間』ってさぁ~。執着するものを選ぶ自由もあるんだな」

(こいつ、自分の意志で物事選んだことないんかい? 二十歳はたちだよな? あたしより3年は多く生きてるよな。なのに、物欲すらなかったんかい? いや、ないわけないよねぇ―――?)

 みちるは自分の仮説を力いっぱい否定することで、肯定派に傾いている自分を修正した。

 そんな彼女の疑惑にすら気づくことなく、拓郎はみちるを再び肯定派に傾けるようなことを言い出した。

「でも、選ぶ自由があるって、『どっちにしようかなぁ~?』ってことだろ? マジに面倒くさくないか?」

 拓郎はみちるの顔をじっと見た。

 みちるは、生きている自分に無関心な拓郎の言葉に、ついにまた「プッツン」してしまった。

「お兄さん……」

 みちるは、拓郎の肩に手を載せた。

「言っていい?」

 みちるはサングラスの中から、上目遣いに拓郎を睨みつけた。

「なんだよ。俺が真剣に考えてるのに、何かおかしいことを言ってるか?」

「言ってる。めっちゃ、言ってる。拓郎! あたしは言うぞ! いいか? マジに受け取れよ!」

 みちるは大きく深呼吸すると、周囲がどうとか拓郎がどうとか、ここが海の上だろうが、叫んだことで電車がグラっと揺れて海にドッポンしようが、そんなことは知ったこっちゃね――――――! ってな勢いでバカでかい声を出した。

「このすっとぼけ野郎が――――――! しんどくない生き方なんか、どこにもない! 息して、って、糞して、眠るだけなら、乳児でもできる! お前は赤ん坊か? 違うだろ? 自分の生き方ぐらい、自分で考えろ! したいことが見つかったらやりやがれ! それに自分で責任を取れ! つらかろうがしんどかろうが、んなもん当たり前だ! 楽して生きようなんて、甘ったれたこと言ってんじゃねーぞ? 一度くらい、『負ぁ――――――けて、たまるかってんだぁ――――――!』って叫んでみろ!」

 一気に言い放ったみちるは、肩で荒い息をしながら、拓郎を睨みつけたままでいた。

 その眼にじわじわと涙が溜まってきていた。

 言われた拓郎はというと、カチコチに固まっていた。

 双方言葉を失って、ただただ沈黙の時間が流れていった。

 やがて、みちるがうつむいて自分のトレーナーのそでで、溢れてこぼれ落ちそうになっていた涙を拭いた。

「ごめん。うさぎ。お前、そんなにしんどく生きてたんか」

 拓郎は、腫れ物に触るように、そっとみちるの頭に手のひらを載せた。

「うるさい! なりたくてこうなったんじゃない!」

 みちるは拓郎の手を弾き飛ばした。

「ごめん……」

 拓郎は、思いっきりみちるの頭を抱き締めた。しばらくして、みちるは小さく唸った。

「う――――――」

 息を吐き終わると、両手で拓郎の胸を押して彼から離れた。

「もう大丈夫。すっきりした」

 みちるは拓郎に笑いかけた。

「人形だった拓郎がさぁ、人間になろうとし始めたってことだよね。『胎内巡り』を終えたばっかりの赤ちゃんなんだよ」

 拓郎は、恥ずかしそうにうつむいた。

「俺、生きることが、こんなにも難しいことだったなんて、ゴミ箱に落ちるまで、考えもしなかったよ」

(へ? ゴミ箱? なんで一気にそこまでさかのぼるんだ?)

 みちるは、やけにゴミに執着している拓郎が、なんだか滑稽に思えた。

「拓郎さぁ。どうしてそんなに『ゴミ』が好きなの?」

 その質問が、拓郎には理解できなかったようだ。その顔にもみちるは笑った。

「拓郎って、兎を掴んだ時から、やけに『ゴミ』に執着してたわよ」

「そうだったかぁ? ゴミに執着? 俺の執着って、ゴミレベル?」

 その言葉に、みちるは大声で笑った。

「みたいね。軽かったわね~」

「かもな。正直、まだ完全に落とし込めてない」

 拓郎は少し暗い顔をした。

「いいじゃん。きっかけは掴めたんだから」

 みちるは大きく背伸びをした。
 
「生きてる意味を考えるって、人間として生まれたからには、避けられないことなんだろうか」

 拓郎ぼんやりと呟いた。

「さあ? それに気がついたときに、苦悩するんじゃないの? 気がつかない人だっているかもしれない。ただ、あたしは思うのよ。もし気がつかないで、自分の欲望のまま生きてたら、転生したときに、そこが餓鬼道だったり、畜生道だったりするんじゃないかしら?」

「なんか恐ろしいね」

「うん。知らないって怖いわ。でも拓郎。他の世界に生まれ変わったら、人間だけが持ってる、そんな気持ちもなくなるような気がするわ」

 みちるは、ほんの少し笑った。

「ああ、そうだね。彼らは彼らなりに『生きる意味』があって、それに忠実に生きてるんだ」

 拓郎は何気なく呟いた。

「拓郎。ここはあたしの意見も聞いてほしい。私は『生きる意味が明解』だとは思わない。『生きる苦しみが明解』なのよ。それに比べて、私たち人間の生きる『苦しみ』はなんて沢山あるのかしら。とあたしは思ってるんだけれどね」

 みちるは、少し冗談めいた口調で言った。

「多分俺は、生きることに執着がないんだ」

 拓郎は少し寂しそうに笑った。

「え……」

 みちるは言葉に詰まった。

「でも、2つの世界を見て、定められた世界で生きるって、どういうことかわかってきたんだ。同じ『苦しみ』の世界に住むのなら、餓鬼道や畜生道でなくて良かったと思ってる」

 拓郎はそこで一度言葉を切ると、両手の中に顔をうずめた。

 それからおもむろに、横に座るみちるの顔を見た。

「俺、みちるの言うとおり、川に放り込まれた空き缶みたいに、ただ流れてここまで来てしまったと思う。でも、どうしたら生きることに真剣になれるのかわかんない」

 拓郎は身体を起こした。みちるは拓郎を見ないで、電車の天井を見上げた。

「眼が赤くなってからさぁ、あたしは、『自分が何をしたいのか?』を考えたわ。元の黒い眼に戻りたかった。けれど、どうすれば戻るのか、その時には全然分からなかったから、いろんなものと戦ってた。でも、今は違う。かぐや姫を探し出して、兎をこの身体から追い出せば、あたしの眼は黒色に戻る。だからあたしがやりたいことは、『かぐや姫を探し出す』ってことなのよ。拓郎もさ、自分が何をしたいかが見つかるといいね」

 みちるは拓郎を見つめた。

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