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26話 違和感
しおりを挟む「それでは……始め!」
ユーリの掛け声で、組手が始める。
周りが楽しそうに体術を学び始める声を聞きながら、私は目の前の少年――ベリタスの顔を盗み見る。
「…………」
「…………」
――き、気まずい。
昨日の夕食の一件から、私達の間には微妙な空気が漂っていた。
レオ達が合流して賑やかな夕食を終えた後、私はフォルティアとともに寮へと帰った。
道中、私はずっとそわそわしてしまっていたが、ジェイルと楽しい一時を過ごせ浮かれているフォルティアに気付かれることはなかった。
迎えた今日。
フォルティアと共に登校した私は、少し不安な気持ちのまま教室へ入った。
『リリア』
『あ……ベリタス』
落ち着いた声に呼ばれ、胸がざわついた。振り向けば、予想通りベリタスがいた。
〝これからどうしよう〟。頭の中は、その考えでいっぱいだった。
昨日の、ベリタスが言いかけた言葉。
あれはどう考えても、私に対する好意を伝えようとしていた。
でも私には、恋だの愛だのは考える事が出来ない。
なんというか、今はそれよりも皆との友情や学業、将来のための事を考えたいからだ。
――でも、ベリタスになんて言えばいいのかな。
ベリタスを目の前にして、なんと声をかければいいのか分からない。
昨日の事を気にしていない素振りをしたらいいのだろうか?
でも、それはベリタスの気持ちを無視することになるのではないか?
……私が頭の中をぐるぐるとさせているのを他所に、目の前のベリタスは微笑みを浮かべて口を開いた。
『一時限目、体術の授業だな。今日もよろしく』
『……えっ?あ、ああ、うん。こちらこそ』
軽く言われた言葉に素っ頓狂な声で答えると、彼はふっと笑って、上機嫌なレオの元へと戻っていった。
――え、それだけ?
今起こった出来事に、私は固まる。ベリタスの軽い対応を見た私は、思わず呟いた。
『もしかして、気にしてるの、私だけ?』
『リリアちゃん?』
フォルティアが不思議そうに私を見つめてきたのは言うまでもないだろう。
……そして、今に至るのだ。
――よりによって、なんで一発目が体術の授業なのかなぁ。
考えながら、至近距離にあるベリタスの顔が視界に入り、私は気まずくなって目を逸らした。
体術というのは当然、体の接触が増える。
つまり、一度気まずい関係になってしまうと、どうしても集中できなくなるわけだ。
今現在、組手をしている私達は、非常に密着している。
相手は子供だ、と言い聞かせながら実践するも、肌の体温を感じるたびに胸がドキドキと高鳴ってしまう。
ベリタスに好かれるのは嫌ではない。
むしろ、好意を向けられるというのは良い事だろう。
でも、私は彼の事をそういう目で見ていない。
なのに、告白まがいの事をされただけでこんな風になってしまう単純な自分は、正直少し恥ずかしい。
私は勇気を出して、もう一度、至近距離にあるベリタスの顔を見る。
タイミング良く――いや、悪く、彼も私の方を向いて、私の脳裏に昨日の事がフラッシュバックした。
『何?私が誰かに取られないか、心配だったとか?』
『――悪いかよ』
『……え?』
『リリア、俺――』
思い出した記憶に、顔に熱が集まるのが分かる。
――なんで今思い出すの!?
……そんな事を考えていたからだろう。私の体に少し、力が入ってしまったのは。
「――ああ、もう!」
「へ?――っ!」
「あっ、ごめっ!?」
ベリタスの胸倉を掴んでいた私は、行き場のない思いと共に、彼を投げ飛ばしていた。
本気を出したわけではない。しかし、少し離れた距離で地面にたたきつけられた彼を見て、青ざめる。――やってしまった。
「ベ、ベリタス!ごめん、大丈夫!?」
急いで駆け寄り、仰向けで地面に倒れたままのベリタスの顔を覗き込んだ。
いつもは前髪で見えない瞳は露になっているが、その瞳はギュッと瞑られている。
まるで痛みに耐えるような表情をしたまま上半身を起こした彼に、私は慌ててその背中を支えた。
「ベリタス、どこか痛むの!?本当、ごめん!保健室行く!?」
「だ、大丈夫。どこも怪我してない。ただ、その」
「うん、なに?」
「……俺の目、見ないで欲しい」
「……え?」
――目を、見ないで欲しい?
ベリタスから初めて発せられた拒絶の言葉に、私の体は固まった。
胸が、嫌な音を立てているのが分かる。
……私は、セルフィアだけじゃなくて、ベリタスにも嫌われてしまったのだろうか。
強張った顔を動かして、少しだけ口角を上げ、なるべく明るい声で問いかけた。
「……ご、めん、ベリタス。私に顔見られるの、嫌だった?」
「え……あっ、違っ……ごめん、リリア!今のはそういう意味じゃなくて――」
「――ベリタス!大丈夫かい!?」
「……ユーリ先生」
何かを言いかけたベリタスの言葉は、突然現れたユーリによって遮られた。
レオとの対戦を終えて、座り込んでいるベリタスに気付いたのだろう。慌てた様子の彼の顔は、心配の色が滲んでいる。
ユーリは「少し触るね」と言って、ベリタスの表情を見ながら、彼の全身を触り始めた。
怪我をしていないか確認しているのだろう。
「……うん、どこも怪我はしていないみたいだね」
「はい。受け身も取れましたし、大丈夫です」
「なら良かった。やっぱり、リリアの相手を体術経験者のベリタスにして正解だったよ。……リリア、これからはもっと気を付けて授業に取り組んでね。体術経験者相手とはいえ、君の腕はもう大人と遜色ないんだよ?」
「すみません……」
「不意を突いた攻撃は、君達が三学年になってから!」
「あ、そっちなんだ」
ツッコミながらも、私は「確かにな」とユーリの考えに賛同した。
彼の言い分は尤もなのだ。
まず、なぜ私がベリタスの相手をしているかというと、彼が私と同じく体術経験者だからだ。
レオも体術経験者だったので、最初はレオとベリタスが組む予定だった。
しかし、レオはユーリに相手をしてもらいたいと言い出して聞かなかった。
そして、同じく体術経験者の私は最初、フォルティアと組む予定だった。
しかし、それはユーリによって阻められた。
『リリア相手だと、女の子は大怪我をしてしまう』
心配そうな顔をしてそう言ったユーリに「どういう意味ですか」と返したのを覚えている。
……結果、フォルティアはセルフィアと、レオはユーリと、私はベリタスを誘って彼と組む事になったのだ。
――今となっては本当、フォルティアと組まなくて良かった。
考えながら、私はベリタスの様子を見る。
上半身を起こしたことで、彼の前髪は重力に沿って下がっていて、いつも通り瞳を隠している。
「……あ、もうこんな時間か。皆、授業はこれで終わり!各自、水分補給は忘れずにね」
ユーリの一声に、「はーい」と返事をして、私は立ち上がったベリタスに向き合う。
――なんかよく分かんないけど、色々と嫌な思いさせちゃったな。
顔を見たくない相手に背負い投げされて心配されるなんて、かなり嫌だったに違いない。
少しだけ痛む胸を無視して、私はベリタスに微笑んだ。
「本当に、ごめんね」
「リリア、さっきのは本当に違っ――」
「――ベリタス!さっさと着替えて次の授業行くぞ!」
ベリタスに話しかけるレオの声を背に、私は足早にその場を去った。
なんでか分からないけれど、彼の言葉を聞くのが怖かったのだ。
――なんで、こんなに怖いんだろう。
セルフィアの時も怖かったが、それとは少し種類の違う恐怖の様に思えて、違和感を感じた。
まだ痛む胸を隠すように、明るい声でフォルティアの名前を呼びながら彼女に駆け寄った。
――今、うまく笑えてるかな。
フォルティアにバレませんように、と願いながら、私達は着替えて次の授業へと向かった。
*
「いっ……は?」
「リリアちゃん、どうし……え!?ちょ、えっなんで!?ほ、保健室行かなきゃ!」
驚いたフォルティアの声を横に、私は自分の指を見つめる。――血がドクドクと溢れ出す、己の指を。
四時限目の薬草学を終えた私達は、薬草が育てられている温室から教室へと戻ってきていた。
昼食のために食堂へ向かおうと、授業で使った教科書を机の中に仕舞った時、指に痛みが走った。
咄嗟に引き出した指は、まるで鋭利な刃物で切り付けられたかのように切れ、血が溢れ出していた。
――何が起こったの?
私が少し放心していると、慌てるフォルティアの声を聞きつけたレオとベリタスがこちらへやってきた。
彼等もまた、私の指を見て驚きつつ、慌てた様子を見せ始めた。
「お前、何したらそんな血が出るんだよ!」
「リリア、大丈夫!?早く保健室行って手当してもらわなきゃ……!」
「……あー、大丈夫だよ。今、治すから」
「治すって――」
慌てている周囲を他所に、私は血が流れ続けている指先へと意識を集中させた。
指先から、暖かな光が溢れる。
その光は、血の溢れる部分に溶け込むように入り込み、その傷を癒していく。
――治癒魔法、練習しておいてよかった。
レオが魔使いに襲われる事件をきっかけに、私は苦手だった治癒魔法を練習していた。
自分で自分の体に傷を付けて、それを癒すという練習だ。
正直、自分の体を痛めつけるという行為は怖かった。
こんなの、誰だって怖いだろう。
しかしレオが死にかけていた時の事や、もしもベリタスやフォルティアが大怪我をしてしまったらという想像をすると、不思議と勇気が出て、すんなりと自傷をする事が出来た。
――私は、私が思っているよりも、友人達が大切になっているらしい。
怪我をして痛いはずなのに、嬉しくなって笑えてきたのを覚えている。
みるみる内に治っていく私の指を見ながら、周りは「ああ」と納得した様に落ち着きを取り戻した。
「リリアが治癒魔法使えるの忘れてた……」
「まったく、人騒がせな奴だな」
「レオ君!リリアちゃんが痛い思いしたのは事実だよ!?」
「フォルティア、声デカい!……まぁでも、確かにそうだな。というか、なんであんな怪我したんだよ」
「いや、なんか机に手突っ込んだら切れたんだよね」
「机?」
私の言葉に、レオが私の机の中を覗き込む。
怪訝な顔をしていた彼は机の中を見ると、その顔色をサッと変えた。
「……リリア。お前、学校に刃物とか持ってきてないよな?」
「は?そんなもの持ってくるわけないでしょ」
「じゃあ、これはなんだよ」
「――は?」
レオが机の中に手を突っ込み、引き抜いた。
彼の手の中に握られているモノを見て、私達は呆然とした。
「なんで私の机の中に、ナイフが入ってるの?」
レオの手の中の物――それは、ナイフだった。
それは見るからに鋭利で、人の肌など簡単に切り裂けるだろう。先程の、私の指の様に。
――誰かが入れ間違えた?いや、そもそも学校に刃物を持ってくるなんて、あり得る筈がない。
私が考えている事は、皆も考えていたらしい。皆、神妙な顔つきでレオが持っているナイフを見つめている。
「本当に、リリアが持ってきたんじゃないんだな?」
「持ってきてないよ!刃物なんて学校に持ってくるわけないでしょ?」
「じゃあ、一体誰が――」
レオがそう言いかけた時、ガタンと音が鳴った。
私も含め、皆がその音の方向を向いた。――そこにいたのは、セルフィアだった。
今の音は、彼女が席を立った音らしい。
セルフィアは嫌悪をたっぷりと含めた表情で私達を見ながら「ああ、嫌ですわね」と吐き捨てた。
「セルフィア……」
「学校に刃物を持ってくるなんて、なんて野蛮なんでしょう。先生に報告させてもらわなくてはいけませんね。それに、たかが指が切れたくらいで、騒ぎ過ぎでは?」
「セルフィアちゃん、そんな言い方……!」
「ごめんなさいね、フォルティアさん。私、食堂に行かなければいけませんの。失礼」
咎めるフォルティアの声を遮り、セルフィアはこちらを振り返る事もせず教室を出て行った。
残された私達の間に、沈黙が広がった。
……少しの間続いた沈黙を破ったのは、ベリタスだった。
「……多分、嫌がらせ、だな」
「嫌がらせ?これが?」
ベリタスの呟きに、私は瞠目する。
……人の机の中に剥き出しのナイフを入れておくなど、嫌がらせの域を遥かに超えている。
一歩間違えれば、大怪我をする事案だ。
あり得ない、という響きを含んだ私の言葉は、周囲の静かな視線にかき消された。
皆、レオの言葉に同意するかのように、真剣な瞳でナイフを見つめていた。
――もしかしたら、本当に?
周囲の雰囲気に飲まれ、私はナイフに視線を向けた。
その刃先は、私の血で赤く染まっていた。
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