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20話 思い出すのは

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 「クッソ、どこだよアイツ……!」

 
 懸命に動かしていた足を止め、俺は額の汗を拭う。
 
 もう幾らか涼しくなったのに、背中と腹には汗を吸い込んだシャツがぺったりと張り付いている。
 
 今俺が必死で探しているのは、フォルティアとかいう女。
 平民で、薬草学しか取り柄のない、パッとしないそばかす顔の奴。

 
 『貴方のその言葉で、誰かが傷付くって考えないの!?』

 
 涙を溜めたその顔を思い出して、思わず歯ぎしりを鳴らした。

 なんで俺が、というイラつき。
 その感情に隠れているのは、認めたくなくても、紛れもない罪悪感。
 
 
 『お前は、人を助ける人間になるんだ』

 
 いつしかの記憶が蘇る。
 どうして、今思い出すんだろう。
 
 記憶の中の人物は、いつだって俺に優しい笑顔をかけて、温かい手のひらで頭を撫でてくれた。
 俺は、この人が大好きで――憎くてたまらないのに。

 どうして、今、思い出すんだろう。
 
 

 
 

 

 
 『こんな事もできないのか!』

 腹に強い衝撃が当たる。
 激痛に声が漏れ、体が地面に倒れる。

 痛みが全身を駆け巡っているが、ここで立ち上がらなければまた殴られる。
 
 俺は、必死になって腕に力を入れ地面を押し上げ、顔を上げた。
 目の前にいる男――俺の父は、冷めきった目で俺を見下ろしていた。

 『全く、情けない。ルプスがお前と同じ年の頃には、もうすでに私の剣を受けきっていたというのに』

 ルプス。その名前が出て、俺は歯を食いしばった。
 その様子に気付いた父は、俺をあざ笑うかのように鼻を鳴らした。

 『まあ、元よりお前には期待しておらん。三男のお前はその内、この家を出ていくんだしな』

 そう言い残して、父は何処かへ行ってしまった。
 酷い言葉を言われたはずなのに、父がいないという安堵感がそれを上回って、体の力が抜けた。
 
 深呼吸をすれば、体に走る痛みと、肺を満たす土の香り。
 癒し、というほどでもないが、それは確実に俺の体に残っていた緊張感をほぐしてくれた。

 そんなことをしていれば、聞こえてきた足音。
 それはどんどん近づいてきて、俺の側で止まった。

 
 『また手酷くやられたな。立てるか?』
 

 頭上から掛けられた優しい声に顔を上げる。
 差し伸べられた手の持ち主――ルプスは、逆光でそのシルエットは暗く、自分と同じ金髪だけがキラキラと光っている。

 しかし、その顔が慈愛に満ちたものだという事を、俺は知っている。
 この人はいつだってそういう顔をしているから。

 
 『……ありがとう、兄さん』
 

 そう言ってその手を取れば、ルプスの笑顔が深まったのを感じた。
 立ち上がった際にズキズキと痛んだ腹に声を上げれば、ルプスは慌てて俺の腹に手を当てた。

 
 『待ってろ、今治すから』

 
 その手から、優し光が溢れて
 じわりと腹が温かくなって、その光は

 
 『はい、終わり。どうだ?痛いの、どっか行ったか?』
 
 『……うん。ありがとう、兄さん。やっぱり兄さんのスキルは便利だね』
 

 笑って言えば、彼は謙遜した。

 
 『便利っちゃ便利だけど、俺はレオのスキルの方が便利だと思うなあ。空間拡張のスキルなんて、遠征とか行く時、めちゃくちゃ重宝されるぞ?』
 
 『治癒のスキルだって重宝されるだろ』
 
 『いや、まあ、そうなんだけどさ。治療ってのはシスター達がやる事だから、男の俺が使えるのはなんか、微妙な気持ちになるんだよなあ』
 

 頬を掻いて困ったように言うルプスは本当にそう思っている様だ。
 眉を下げて、どこか困ったような表情になっている。
 
 それを見て、なんて贅沢な悩みなんだろうと思う。
 腕っぷしも強くて、治癒ができて、父親にも期待されている。

 俺にとって憧れで、自慢で、劣等感を感じる相手。
 それがルプスなのに。

 
 『……あ、そういえば。俺、今度、大切な任務が入ったんだ。それ終わるまで帰ってこれないから、ちょっとしたお別れを言いに来たんだ』
 
 『任務って、アドウェルサスの?』
 

 俺の問いにルプスは頷いた。
 
 アドウェルサス。俺が今住んでいるアルトスに面する隣国だ。
 
 俺の父が辺境伯の地位を賜っているのは、アドウェルサスと面したこのスクトゥムの地を収める領主だからでもある。
 長年、仲の悪いアドウェルサスやそこから流れてくる盗賊等から国を守っている、という長年の実績が国に認められたのだ。
 
 そしてその息子であるルプスは隣国アドウェルサスとの友好の証として、アドウェルサス国王に従える騎士となった。

 
 『どんな任務なの?』
 
 『うーん、言っていいのかな。……その、獣人の撲滅、なんだよな』
 
 『獣人の、撲滅』
 
 
 その内容に、俺は驚いた。――獣人の撲滅。差別が嫌いな平和主義者のルプスが、そんな任務に就くなんて、と。
 その顔が出ていたのだろう、ルプスは苦笑した。
 

 『いや、正直、乗り気じゃないんだよな。だって聞いたところによると、獣人って俺達、人間と同じくらいの知能があるんだろ?そんな存在を野蛮だからって理由で消そうとするなんてなあ。……あ、これ、父さんには秘密な?』
 
 『あ、うん。言わないよ』
 
 『おーおー、レオは良い子だなあ』
 
 
 へにゃりとした笑顔を浮かべて、ルプスは俺の頭を撫でまわした。
 乱暴なのに優しさを感じる手つき。

 俺はやめるよう言うが、とても弱弱しい声になってしまった。
 その声を聞いて、ルプスは笑いながら謝って、俺と同じ目線になるように屈んだ。

 
 『レオは、俺みたいにはなるなよ』
 
 『え?』

 
 静かな声に瞠目すれば、ルプスは優しく笑った。
 その笑顔はどこか遠くに感じられて、なぜか不安な気持ちになる。

 
 『兄さん?』
 
 『俺は、今から人としてやってはいけない事をする。でも、お前はそうなったらダメだ。――お前は、人を助ける人間になるんだ』

 
 また頭に手が乗った。
 大きなその手はさっきと違って、乱暴さは全くなかった。
 
 じんわり、温もりが髪を通り越して肌に伝わってきた。
 ……それがルプスの最後の言葉だった。
 

 

 
 

 『クソッ、なんでこうなった!』

 
 部屋の中から、父の怒声、食器の割れる音、母の悲鳴が聞こえる。
 俺は咄嗟に、開けようとした扉のドアノブから手を離した。

 
 『まさか、アイツが獣人を庇って死ぬなんて……!ここまで育ててやったのに、なんという恥さらしを!』
 
 『あ、あなた!ルプスが……ルプスが死んだんですよ!?それなのに、なんて事をっ……!』
 
 『お前は黙ってろ!』
 
 『きゃあっ!』
 
 『奥様!』

 
 大きな音がした。これは、人が倒れる音だ。
 
 俺は急いで扉を開き、部屋に入る。
 やはり、母は倒れていた。

 頬は赤くはれていて、父にぶたれたのだとすぐに分かった。

 
 『なにやってんだよ!』

 
 母に駆け寄り、その体を抱きしめた。
 大人だというのに、母の体はとても華奢だった。
 こんな体で、屈強な体の父から一撃を食らったのだ。倒れるに決まっている。
 
 父は俺の怒りを物ともしていなかった。
 それどころか、自分の行き場のない怒りをぶつける様に俺に向かって口を開いた。

 
 『何を、だと?こいつが俺に歯向かったからだ。俺はレベリオ辺境伯だぞ?国王が直々に、俺に賜った地位だ。そして、その息子は国王に、俺に認められる存在でなければならない。……それなのに、なんだ?獣人を庇って死んだ、だと?そんなもの、レベリオ家の者の死に方ではない!ただの犬死だ!』
 

 『期待していたのに、まさか我が家の汚点になろうとは……』と呟き、怒りの表情をそのままに、父は宙を睨んだ。
 俺は何も言えず、泣き出した母を抱きしめる事しかできなかった。
 
 そうしていると、すぐ側まで来た気配に、俺は顔を見上げた。
 見上げた先にあったのは、厭らしく笑う父の顔があった。

 
 『父、さん?』
 
 『なあ、レオよ』

 
 まるで媚びるような声に、俺の体に鳥肌が立つ。
 こういう声を出す時の父は、大抵、碌なことを言い出しかねないのだ。
 
 咄嗟に身構えた俺の両肩を父は掴んだ。
 強い力で、少し痛い。そんな俺に構わず、父は話を続けた。

 
 『お前に魔法使いの素質があるか調べよう』
 
 『……え?』
 
 『もし素質がなければお前はそのままこの家を出て行ってもらう事になるが……もし、お前に魔法使いの素質があったなら。その時は、このレベリオ家を継ぐ権利を与えよう』

 
 ――この男は、今なんと言った?
 
 今言われた内容が、うまく頭の中で嚙み砕けない。
 そんな俺を置き去りに、父はペラペラと話し続けている。

 こんなに饒舌な父は初めてで、その事実に俺の中に沸々とある感情が沸き上がっていくのを感じた。
 
 ――兄さんが死んだのに、何を笑っているんだ。
 
 憎たらしい笑みを浮かべている目の前の男に、怒りが涌いた。
 そうして気付けば、俺は父の腹に手を当てていた。

 
 『あ?お前、なにを、っ……!』

 
 父の屈強な体が吹き飛び、派手な音を立てて本棚に激突した。
 侍女と母の悲鳴が聞こえたが、俺はそれを無視して倒れた父の側に寄った。

 
 『これ以上、兄さんや母さんを侮辱してみろ。――お前を、殺してやる』

 
 怒りが、憎しみが、心を支配していた。

 今使った力の正体も分からず、俺は思った。
 で父を殺せる、と。
 
 倒れたままの父は、そんな俺を見て、唇を歪ませた。
 
 
 『――今の力は、魔法だな?』

 
 気持ちの悪い笑みに、吐き気がした。


 

 


 

 嫌な記憶に、胸にじくりと嫌な痛みが走る。
 今は、こんな事を思い出している場合じゃない。
 
 俺は疲れの溜まった足を動かして走り出し、ある場所を目指した。
 アイツがいる筈のないはずのその場所を。



 *



 魔使いの森。
 学校の敷地内にあるその森が、そんな物騒な名前を付けられているのには理由がある。
 
 そこには名前の通り、魔使いと呼ばれる獣が放たれるのだ。
 なんでも最上級生はその魔使いと戦わせて、勝てば卒業、負ければ退学か留年かを選ばされるらしい。

 もちろん、そんな物騒な森は野放しにはされていない。
 使によって、特殊な魔法がかけられていて、卒業試験の時にその魔法使いによって開けられる。
 普通の魔法使いには開ける事はできない。
 
 だから、そんな所に行ったって、アイツはいない。
 そう、思っていたのに。

 
 「なんだよ、これ」

 
 森への扉が、空いていたのだ。
 
 普段、植物の蔦が頑丈に蔓延っているはずの扉。
 しかし扉には何もなかった。

 扉を押せば、それは簡単に開く。
 もしかして、という不安が胸に押し寄せ、俺は夢中になって森の中へと駆け出した。
 
 そうして、森の中へ入って少し経った頃、遠くで悲鳴が聞こえた。甲高い、子供特有の声だった。

 
 「まさか、アイツか!?」

 
 悲鳴の方向へ駆け出す。
 するとすぐに、アイツは見つかった。――1匹の魔使いと共に。

 ――助けなきゃ。でも、どうやって?
 
 俺は焦りで鈍くなる頭を回した。
 
 その時、さっき頭に蘇った記憶が再びフラッシュバックする。
 呪文もなしに、魔法を使って父を吹き飛ばした時の事を。

 あの魔法は、あの時以来使っていない。
 ……いや、使えていないのだ。それなのに、今、使えるだろうか?
 
 そんな事を考えていれば、魔使いは唸りながら、蹲って震えているアイツにジリジリと近づいているのが見えた。
 今は、迷っている場合じゃない。
 
 俺は自分の杖を魔使いに向ける。
 照準を合わせながら、必死になって、何度も「出ろ」と唱える。

 しかし、魔法は発動しない。

 
 「い、いや……こないで……!」

 
 そんな悲痛な小さな叫びが、焦りを加速させる。

 それが魔使いの事を刺激してしまったのだろう。
 一つ、恐ろしい声で吠えて、その魔使いは地面を蹴り上げてアイツの元へと駆け出した。

 それを見て、俺の体は勝手に動き出した。
 
 勝てる訳もないのに。怖くて仕方がないのに。
 思い出すのは、あの笑顔と言葉。

 
 『お前は、人を助ける人間になるんだ』

 
 俺は本当に、そうなれるだろうか。
 そんな立派な人間になれるだろうか。
 
 そんな場違いな考えと共に、体に激痛が走った。
 不快なはずなのに、なぜか達成感があったのは何故だろう。
 
 薄れゆく意識の中、そばかす顔の悲鳴と、誰かの声が聞こえた。
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