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13話 僕の歌う鳥②(※ハーパー視線)

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 その日は雨が降っていた。

 ざあざあと降る雨とは違い、一昨日に彼女とした約束によって、僕の心はとても晴れやかだった。

 「コルリ、まだかな」

 約束の時間よりも早めに広場へ着いた僕は、広場にある店の軒先で雨宿りをする。店のおばさんに「今日もデートかい?」なんて茶化されながら彼女を待っていれば、雨の中、何人かの大人が走り去っていくのが見えた。遅れて走ってきた男に、店のおばさんが尋ねた。

 「おや。なんだい、そんなに慌てて」
 
 驚いたような声のおばちゃんの問いに、男は慌てて答えた。

 「それがよ、昨日来た貴族が音楽家の姉ちゃんを切り捨てやがって……遺体が放置されてんだよ!」
 「……え」

 ざあざあと聞こえていた雨の音が、静まり返った。

 「そ、そんな……!」

 半分叫んでいるようなおばさんの声で我に返って、僕はその場を走り出した。後ろから制止する声が聞こえたけれど、すぐに僕の中からすり抜けていく。僕の頭の中は、コルリの事でいっぱいだった。

 「コルリ……コルリ……!」

 彼女の名前を噛みしめながら、僕は男達が走り去っていった方へと駆け抜けた。……にはすぐ着いた。だって、広場からすぐのところ、に男達は群がっていた。

 「こりゃあ酷い」
 「なんでも、夜の相手を断ったからって理由で切られたらしいぜ」
 「はぁ? んだよそれ、狂ってやがるな」

 男達の言葉を聞きながら、僕はそこへと向かった。見たくない、見なくちゃ。矛盾する思いを抱えたまま、ゆっくりと。

 「……コ、ルリ」

 男達をかき分けたその先に、彼女はいた。雨でぬかるんだ泥水の中で横たわっていて、目は虚ろだった。切り捨てられたときについたであろう傷が、上半身から下半身にかけて大きくついていた。
 僕に気付いた男達は、バツが悪そうに、申し訳なさそうに僕へと声を掛けてくる。でも、そんなのどうでも良かった。力が抜けていく体で、僕は彼女を抱き上げた。初めて触れた彼女の体は、非情なほどに冷たかった。

 「コ、ルリ……コルリ……!」

 力いっぱい抱きしめて、僕は泣いた。今まであまり泣いた事のない僕の涙が、彼女の死を認識した瞬間、堰を切ったように溢れ出した。
 男達にコルリを離すよう言われても、僕は彼女を離さなかった。今彼女と離れてしまえば、本当に彼女との繋がりが消えてしまいそうで嫌だったんだ。

 僕の頭の中に、彼女との思い出が次々に蘇った。
 
 ――「良い名前ね。私はコルリ。よろしくね、ハーパー」
 ――「ステーキ食べたらね、話したい事があるの」
 ――「うん、分かった! 約束ね!」

 いくら記憶を思い返したって、目の前の彼女が目を覚ます事はない。
 気付けば、雨は雪に変わっていた。彼女の側には、寄り添うように一羽の青い鳥が死んでいた。


 気付けば僕は家にいて、両親の呼びかけで我に返った。
 
 両親が言うには、ぼうっとしたまま帰って来たかと思えば椅子に腰かけて、ずっと宙を見つめていたから「何かおかしい」と思い僕へ必死に呼びかけていたらしい。
 何があったのか問う両親に答えようとした時、コンコンとノックの音が響いた。「はーい」と言いながら母が扉へ向かう。

 「――あらあら、村長さん!」
 「急にきてすまんのぅ」

 扉の向こうにいたのは村長だった。彼は白い髭をたっぷりと蓄えていて、見た目通り優しくて聡明な人だったよ。
 彼は母に導かれるまま家へと入ってきて、僕を見つけるなり頭を下げてこう言ったんだ。

 「ハーパー、すまない。彼女が……コルリが死んだのは、儂の責任じゃ」
 「……どういう、意味だ」

 僕の喉はカラカラに乾いていて、絞り出した声は掠れていた。
 村長は眉を八の字に下げ、語りだした。

 「コルリを切り捨てたというあの貴族をこの村に引き入れたのは儂じゃ」
 「っ……アンタ……!」
 「ハーパー! アンタ、やめなさい!」

 気付けば体が勝手に動き出していて、村長の胸倉を掴んでいた。背が曲がって、僕よりも随分背の小さい彼は、苦しそうにしながらも「すまない」と謝罪の言葉を口にした。

 「この村は資金繰りが厳しくなっていた。なんとかこの冬を過ごすだけの備蓄は揃えられたが、来年の冬は……。だから、宿を貸す代わりに大金を払うという提案をしてきたあの貴族を引き入れた。あの貴族にがあるのを知っていながら。……お前と仲の良いあの子が犠牲になるなんて、これっぽっちも思っておらんかった。まさか、こんなにも容易く人の命を奪うような男だったとは……。これは儂の責任じゃ。本当に、本当にすまない。だから――」
 
 長々と続く言い分の途中で、コンコンと、またノックの音が響いた。それを聞いて村長は「儂が呼んだ者じゃ、入れてやってくれ」と母に言った。彼を掴んでいた手は父によって解かれた。
 母が扉を開けると、一人の男が立っていた。そして、その男が手にしていた物を見て、僕は目を見開いた。

 「それは……」
 「コルリの遺品だ。なんとかこれだけは取り戻せた。お前さんがもらってくれないか」

 村長がそう言うと、男はギターを差し出してきた。僕はそれをぼうっとした気持ちのまま受け取った。
 初めて手にしたギターと言う楽器は思っていたよりも軽くて、空っぽになってしまった僕にお似合いだ、なんて思ってしまった。弾いた事もないくせにね。

 それからの事はぼんやりとしか覚えていない。申し訳なさそうな顔をしたまま村長が帰ってからは、味のしない夕食をとって、自室へと戻った。
 ギターを壁に立てかけてベッドで丸まれば、疲れがドッと押し寄せてきた。意識の中ではコルリの事でいっぱいだったのに、非常にも、僕はそのまま眠ってしまった。

 ガタンと言う音と不快な不協和音が耳に突き刺さって、僕は目を覚ました。
 ベッドから上半身を起こして音の鳴った方を見れば、壁に立てかけたはずのギターが床に倒れていた。その様子が、雨の中横たわっているコルリの姿と重なって、見ていられなかった。
 ゆっくりとベッドから出て、ギターへと向かう。ギターのネック部分を持てば、また不快な音が部屋に鳴り響いた。

 「(違う。このギターは、こんな音を鳴らさない)」

 コルリはもっと美しい音を鳴らしていた。人を惹きつける音楽を奏でていた。……そう思った瞬間、僕の中に怒りが湧いた。村の為と言って貴族を引き入れた村長と、今なにもできていない自分に。

 「コルリ」

 彼女の名前を呟いてから、僕はギターを持って部屋を飛び出した。両親に声を掛けられたが、それを無視して村の中を走った。そして、目的の家にたどり着いて、扉を叩いた。
 少ししてから扉は開いた。そこにいたのは、村長だった。そう、僕は村長の家に来たんだ。

 「おお、ハーパーか。どうした?」

 いつものように優しくそう問う彼に、僕は意を決して口を開いた。

 「この村に、ギター弾ける奴っているか? 俺、弾けるようになりたいんだ」

 僕の言葉に、村長は一瞬目を見開いた。そうしてすぐにまた穏やかな目つきになると「ああ」と頷いた。

 「儂の息子が趣味の範囲でやっておる。……それでも良いかの?」

 その言葉の中には「コルリが死ぬきっかけを作った奴の身内でもいいのか?」という意味合いが含まれていた。彼の問いに、僕は迷わず頷いた。

 「ああ。俺は……コルリの鳴らしていたこのギターと音を継ぎたい。それをしていいのは、きっと俺だけだから」

 僕の言葉に、村長は悲しそうに、でもどこか温かい目で笑った。
 
 それから僕は村長の息子からギターを習い、復習してを繰り返した。僕は結構呑み込みが良かったみたいでね、すぐに村長の息子の腕を超えてしまったよ。
 村中の人達に「一人前の音楽家だ」と評される頃には、僕は旅に出る事を決意した。コルリの様にこのギター片手に世界が見たくなったんだ。

 旅立つ日の朝、僕は集団墓地へと向かった。墓地と言っても大層なものではなく、ただ遺体が埋められて木の棒が刺さっただけの粗末なものだった。
 彼女の名前が彫られた木の棒の前に膝をつき、僕は口を開いた。

 「いってくるね、コルリ」

 それだけを口にして、僕はそそくさと村を後にした。



 *
 


 「……その後、僕は色々な国を訪れた。でも、ずっと胸の中にある怒りは収まらなかった」
 「怒り……?」

 恐る恐ると聞いたグレイスに、「ああ」と頷いて笑った。酷く乾いた笑いだった。

 「僕が旅に出たのは、コルリの見てきた世界を見たかったからというのもあったけど……逃げたかったんだ。彼女の死と、彼女を殺した奴に復讐もできずに家業を継いでぬくぬくと生きていた自分から」
 「……」
 「僕はさ、よく周りから『優しい奴だ』って言われるんだ。……でも、本当はそんなんじゃない。今だってコルリを殺した貴族を追っている。いつかそいつを見つけて殺すために。その為なら友人の力だって使う。世界一嫌な奴で、そんな自分が許せない」
 「……」

 言いながら、段々と俯いて行くグレイスに「」と思った。僕の身の上話に同情しているだけとは思えない青ざめた顔色をみて、ついつい、口にしてしまった。

 「君と僕は似ているよ」
 「……え?」
 「だって、君も僕と同じで――」

 言いかけてから僕は我に返った。――僕は今、最低な言葉を口にするところだった。
 不思議そうな顔のグレイスがこちらを見つめている。その顔には不安と、少しの好奇心が見え隠れしていた。

 「私がハーパーさんと同じで、なんですか?」
 「あー、いや。何でもないよ」
 「ええっ? ちょっと、気になるじゃないですか!」

 僕の気まずげな空気を壊す様に、グレイスは明るく笑う。……やっぱり、彼女は僕と似ている。
 気付きたくない事ばかりが目に付いて、吐き出しそうになる溜息をグッと飲み込んだ。僕は笑顔を浮かべて「言わなーいよっ」とおどけて見せた。

 「気になるなぁ……」
 「アハハッ、そうだなぁ。君がもっと大人になって、それでも今みたいに話す仲だったら、その時、ね」
 
 そう言って悪戯っぽく笑えば、彼女は少しむくれながらも「約束ですよ?」と笑った。「もちろん」と答えて、僕は立ち上がった。

 「さて、自習時間も終わりだね。僕は授業に戻ろう」
 「もうそんな時間だったんですね。頑張ってくださいね、先生」
 「フフッ。君からそんな風に言われたら、先生、頑張るしかないね」

 僕はグレイスの頭をポンポンと撫でた。彼女は少し恥ずかしそうに、少し気持ちが良さそうに目を細めた。僕に妹がいたら、こんな感じなのだろう。

 「……あ、そういえば」

 僕は止まり、グレイスへと振り返った。

 「コルリを殺した奴、君のように空色の瞳をしていたんだって」
 「……え?」
 
 思い出したことを素直に口にすれば、彼女の青ざめた顔と目が合った。しまった、最後に余計なことを言ってしまった。
 僕はごまかすように笑ってその場を去った。「どうして言ってしまったのだろう」と、すごく落ち着かない気持ちになっていた。セオのもとへと着くと、彼は嬉しそうに出迎えてくれた。
 
 自分の失言を思い出しながら、ふとグレイスを見た。彼女はやって来た侍女と楽しそうに談笑している。

 彼女は僕と似ている。でも、彼女は僕よりも輝いて見える。……そう感じるのは、僕が薄汚れているからなのだろう。
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