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7話 思いの行方を知りたくて(※ルーカス視点)
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久々の再会を果たした俺とテオは庭園へと入り、散歩をしながら話をする事になった。
数時間ぶりに入ったからか、さすがにクロノス伯爵令嬢の姿はもうどこにもない。
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
「はい。ブラック家の皆さんに良くしてもらいましたから!」
問いかけに元気よく返答をするセオに、俺は少し驚いた。前に話した時よりも随分明るくなっていたからだ。
「ハハッ、そりゃ良かった。お前が元気なら、アイツも喜ぶだろ」
「アイツって、ブラック公爵様の事ですか?」
「あ? あー、まぁ、うん」
「……そういえば、ルーカスさんとブラック公爵ってお友達なんですよね?」
曖昧な返事だけを残した俺に、テオが首を傾げながら見上げた。俺は頷きながらも「お友達っつーか、幼馴染だな」と訂正を入れる。
「幼馴染? 昔から公爵様とはお知り合いなんですか?」
「……お前、本当に明るくなったな。前会った時は俯いてばっかで全然話さなかったのに」
「え? あ、あはは。あの時は、大変失礼を……」
「ブハッ。気にしてねーよ、別に」
大人びた謝罪をするテオが面白くて、つい笑いが込み上げる。俺は「そうだなぁ」と呟くように言って、思い出話を語った。
「アイツと出会ったのは、アイツが十歳くらいの頃だから……もう二十三
「……え? ちょ、ちょっと待ってください。……ルーカスさんって今何歳なんですか?」
「あ? 三十七だけど?」
「……え、えええええ!? 三十七!? ぜ、全然、見えないですよ!?」
ひっくり返るんじゃないかと思うくらいの声を上げ、セオは驚いた顔を俺に見せる。前に会った時と違い、子供らしい大きな反応を見せるセオがなんだか可愛く見えて、俺は笑いながら答えた。
「ハハッ。良く言われるよ、二十代後半にしか見えないって」
「は、はい……。僕も、公爵様より一回りは年下かと思ってました……」
「え、そんなに?」
俺ってそんなに若く見えるのか。なんだか、微妙な気持ちになる。
セオの言葉で神妙な面持ちになりながら、俺は咳払いをし、話を続けた。
「アーサーと俺の事だったな。アイツが十歳の頃、俺達は出会った。あの時のアイツは今と違って明るい奴で、たまに三人で馬鹿やってたよ」
「こ、公爵様が、明るい? ……というか、三人、ですか?」
「ああ。――アイツにはさ、弟がいたんだ。アーチーって言って、アーサーよりも五つ下の弟。体は弱かったから多くは遊べなかったけど、セオみたいな、年に似合わず礼儀正しい奴だったよ」
俺は空を見上げた。もう少しで夕暮れ時だからか、澄んだ水色に少し暖色が混ざっている。
「アイツ等は俺を兄の様に慕ってくれてさ。俺も弟ができたみたいな気分になって、得意げに二人に剣術やら勉強やらを教えてたよ。今思えば、あの頃の俺はめちゃくちゃウザかったけど、二人共それはもうニコニコして俺の後を着いてきてさ」
「ふふっ。子供の頃の公爵様、可愛かったんでしょうね」
「ああ、可愛かったな。……でも、楽しかったのは数年だけだった」
「え?」
「戦争が始まったんだよ。そして、戦時中にアーチーが病気で死んだ。……アイツが変わったのは、それからすぐだったな」
脳裏にアーチーが死んだ時の、幼いアイツの顔が浮かんだ。泣くかと思っていたのにアイツは泣かなくって、ただただ感情がストンと抜け落ちたような、世界に絶望しているかのような顔をしていて、声を掛けるのも躊躇われたっけ。そして急に戦場から消えて、いつのまにか救助作業に回っていた。
俺はいつの間にか立ち止まっていた。美しく咲き誇る薔薇に、名前も知らない蝶がとまっていた。
「アーチーが死んで、それを悲しむ間もなく戦争に駆り出されて。『若獅子』とまで評されていたアイツは、人を殺せないポンコツになり、戦争が終わるや否や俺に置手紙だけ残して旅に出た」
「……それは辛かったでしょうね。公爵様も、ルーカスさんも」
「は? 俺? 俺は別に、辛くなんかなかったさ。俺は人を殺す事になんの抵抗もなかったし」
「いえ、戦争の事もなんですけど――公爵様が何も言わずに出て言った事です」
苦し気に言って、セオが俺の顔を覗き込んだ。幼い顔には同情の色が見える。
俺はそれに怒る事もなく考えてみる。アイツが書いた手紙を握りつぶした俺は、悲しかっただろうか? 辛かっただろうか?
「……そうだな。俺は、悲しかったのかもしれない」
ぽつり。呟いてみると、認めたくなかった感情がするりと声に乗った。
「今までは『可愛がってやった恩を忘れたのか!』って怒ってたのかと思ってた。いや、そりゃあ。弟だと思って可愛がってた奴が急にいなくなったら辛いし悲しいだろ。……俺、何を意地張ってたんだろうな」
子供に何言ってんだ、と思いながらも、俺はテオを見た。前に見た時よりもずっと良い顔つきをしている。
「セオ、ありがとうな。お前のお陰でやっと気づけたわ」
「い、いえ、そんな。むしろ分かったような口ぶりでごめんなさい」
「ハハッ。なんで謝るんだよ?」
笑いながらも深く息を吸う。室内から涼しい外へ出た時に感じる、澄んだ空気が肺に取り込まれるあの感覚が体を満たした。
俺は手を伸ばしてテオの頭に置いた。初めて触れるそこは思っていたよりもずっと柔らかい。
「セオ。お前、良い男に育ったな。さすがは俺の幼馴染の息子だ」
「えっと、その。……多分これは、グレイスのお陰です」
「グレイス?」
口にしてから、「ああ、クロノス伯爵令嬢の事か」と気付いた。……グレイス・クロノス。先程俺がボロカスに言った女の名前だ。セオはその事を知らない。
「グレイスが、『伝えたい事は言わないと伝わらない』って。僕、今まで思うだけで誰にも何も言わずにいました。悪い事も、良い事も……誰かを助けられたかもしれない言葉も。でも、グレイスが教えてくれて公爵様に言いたいこと言ったら、公爵様、笑ってくれたんです。僕はそれが嬉しかったから、言いたい事はちゃんと言おうって」
「……」
「グレイスが僕の母さんになるの、僕、すごく嬉しいです」
はち切れんばかりの笑顔でセオは笑った。……俺は少しの間動けずに、その顔を見つめた。
不審に思ったのか、しばらくニコニコと笑っていたセオが、不安そうに顔を覗き込んで大丈夫かと心配の言葉を口にする。それすらも、今の俺には少し痛い。
必死の思いで動かした口は、大して動かず。
「グレイスは、良い人か?」
まるで独り言を言うかのような静けさの問いに、セオは一瞬きょとんと目を丸くさせた後、満開の笑顔で答えた。
「――はい! とぉっても良い人です!」
……その後、俺はどこかふわふわとした心持のままセオと話し、庭園を出たところでセオとは別れた。
陽はまだ傾き始めたばかりだ。もしかしたら、まだ屋敷に残っているかもしれない。そんな希望にも、絶望にも似た感情をむず痒く思いながら、俺は走り出す。途中で出会った使用人を捕まえ、目的の人物の場所を尋ねれば、あっさりと答えは返ってきて、俺はまた走り出す。
目的の部屋が見つかり、俺は目の前で足を止めた。少し乱れた呼吸を整え、ドアをノックする。……出てきたのは、灰色の髪の若い侍女だった。
「何の御用でしょうか?」
「クロノス伯爵令嬢に話がある。通してくれないか」
冷たさを含んだ侍女の声に気付かぬふりをして、俺は用件を伝える。すると侍女は、まるで薄汚い不審者を見た時の様な、侮蔑の色を含んだ目で俺を見た。
「お嬢様は先程のお話しでお疲れでいらっしゃいます。お引き取りください」
いや、そうなるよな。侍女の対応に納得しながらも、俺は諦められず。
「――なぁ、クロノス伯爵令嬢! 中にいるよな?」
「ちょ、何をっ!」
閉ざされそうになったドアへ手をかけ、隙間を作る。侍女は慌てて閉めようとするが、女の力で俺に叶うはずもない。俺は気にすることなく隙間へ話しかけた。
「アイツは……ブラック公爵は、俺の幼馴染なんだ。弟みたいな大切な存在だ。だから、アンタとの婚約話を聞いた時、腹が立った。金の絡んだ婚約なんて、アイツにはしてほしくなかった。だから、アンタに酷く当たった」
「エ、エルロイド公爵とはいえ、このような無礼は許されませんよ!?」
「ああ、今俺は最悪な事をしてるだろうな。女の部屋を無理やりこじ開けてる訳だし。……だけど、今言わなきゃいけないと思ったんだ。今、アンタに伝えなくちゃいけないと思った。もう酷い事は言わない、怖がらせないと約束する。俺と話をしてくれ」
伝えたい事を伝え終えた俺は、ドアにかけた手を離した。するとドアは勢いよく閉まり、中からは小さな侍女の悲鳴が聞こえた。尻もちでもついてしまったかもしれないと思うも申し訳なさを感じる。
そうして、少しの間が空いて。ドアはゆっくりと開いた。そこには小さな微笑みを浮かべたクロノス伯爵令嬢がいた。
「エルロイド公爵。わたくしも、貴方とお話ししたいと思っていました。どうぞ、お入りください」
「……ああ。失礼する」
彼女に導かれるまま、俺は部屋のテーブルへと着いた。彼女は俺の向かいに腰掛けると、側に来た侍女を見上げた。
「ソフィー? お客様のためにお茶を用意して頂戴」
「し、しかし。それでは、お嬢様が……」
「大丈夫よ。何かあったら、叫ぶなりなんなりするから」
クロノス伯爵令嬢が笑って言えば、心配に満ちた表情のまま、侍女は部屋を後にした。……俺の横を通り過ぎる際、俺を睨みつける事を忘れずに。
「良いのか? 俺と二人きりになって」
「信じていますから」
「ふぅん?」
短くやり取りをして、俺は改めて彼女の顔を観察した。やはり、泣いていたらしい。目立ってはいないが、目が少し腫れている。
見ていれば、パチリ、空色と目が合った。
「その。お話し、というのは?」
「あー。そう、だな。……あのさ。アンタはアイツの事、好きなのか?」
「えっ」
俺の問いに、彼女は大きな瞳を瞬かせたのち、端正な顔を真っ赤にさせた。……この反応、俺は期待をしてもいいのだろうか。
「どうなんだ?」
「え、ええと、その。……分かりません」
「……またかよ」
「え?」
「いや、何も」
返って来たのは、アイツと全く同じ反応。吐きたくなる溜息をグッと堪えると、「でも」と彼女は続けた。
俺が「でも?」と続きを促せば、彼女は小さく口を開いた。
「……もっと知りたいと、思っています」
「知りたい?」
俺が問い返すと彼女は頷いた。
「元々、ブラック公爵の話は耳に入っていました。正直に言ってしまうと、どれも悪い噂ばかりでした。……でも、実際にお話ししてみたら、噂とは全然違っていて。初めてお会いした時から、わたくしの身を案じる言葉を口にする様な方でした。……だから、知りたいと思いました。自分を『最低』と言い、けれど身近な者からは『優しい』と言われるあの方は何を考えているのか――この世界がどの様に映っているのか。……知りたいと、思ってしまったのです」
ハッキリとした口調で話し始めていた彼女の声は、次第にぽつりぽつりとした声になっていた。自分の中でも何か葛藤があるのだろう、ゆらゆらと瞳が揺れいて、夕日に照らされながらビードロの様に輝いている。
「綺麗だな」と素直に思った。見た目だけじゃない。人をすぐに優しいと思い、それを信じる感性が。好意を持ち始めた相手の世界を知りたいと思う、その好奇心が。何もかもが純粋で、俺とは違う。
「アンタ、良い奴なんだな」
「えっ!? そ、そんな事ないですよ」
思わず呟いた言葉に、クロノス伯爵令嬢は否定しつつも照れた様に笑った。今までと違って、十代の少女に見える笑顔だ。
――なんだ。ちゃんと年相応に笑えるんじゃねーか。
「アンタ、いつもそうやって笑ってれば?」
「え? ……わたくし、今どんな風に笑っていました?」
「自覚ねーのかよ」
呆れた様に言ってから、俺は笑った。
「さっきは婚約を認めないって言ったが、前言撤回だ」
「え? ……どうして、ですか?」
「金を積んでアイツと婚約したとしても、アンタが良い奴だからかな。アンタはただ家のゴタゴタに巻き込まれただけだろうに、すまなかった。……多分、アンタみたいな奴が、アイツを変えてくれるんだろうな」
脳裏に、昔の記憶が蘇った。「旅に出る」とだけ書き記し、数年ぶりに戻ってきた、暗い瞳をしたアイツの姿だ。
俺は改めて目の前の少女を見る。アイツと違って、キラキラとした瞳が不思議そうにこちらを見ている。
「アイツの幼馴染としてのお願いだ。――アイツの事、よろしく頼んだ」
「――はい!」
――嗚呼。やっぱり、綺麗だな。
なんだか眩しくて、少しだけ目を細めた。自然と上がった口角は、きっと本心からだ。
その後、侍女がティーセットを持って帰って来た。侍女には睨まれ続けたが、俺はクロノス伯爵令嬢と少し談笑を続けた。
「そ、そういえば! エルロイド公爵は、どうやってこの婚約の事を?」
「あ? ああ。トールから手紙が来てな。……アイツ、金が絡んだ婚約だって事を素直に書きやがってよ。文面からして嬉しそうにしやがって。今思い出しても腹立つ」
「そ、そうでしたか……」
「ああ、アイツには言わないから安心しろ。その代わり、ちゃんと結婚までいけよ?」
「へっ!? は、はい! もちろんです!」
数時間ぶりに入ったからか、さすがにクロノス伯爵令嬢の姿はもうどこにもない。
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
「はい。ブラック家の皆さんに良くしてもらいましたから!」
問いかけに元気よく返答をするセオに、俺は少し驚いた。前に話した時よりも随分明るくなっていたからだ。
「ハハッ、そりゃ良かった。お前が元気なら、アイツも喜ぶだろ」
「アイツって、ブラック公爵様の事ですか?」
「あ? あー、まぁ、うん」
「……そういえば、ルーカスさんとブラック公爵ってお友達なんですよね?」
曖昧な返事だけを残した俺に、テオが首を傾げながら見上げた。俺は頷きながらも「お友達っつーか、幼馴染だな」と訂正を入れる。
「幼馴染? 昔から公爵様とはお知り合いなんですか?」
「……お前、本当に明るくなったな。前会った時は俯いてばっかで全然話さなかったのに」
「え? あ、あはは。あの時は、大変失礼を……」
「ブハッ。気にしてねーよ、別に」
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「……え? ちょ、ちょっと待ってください。……ルーカスさんって今何歳なんですか?」
「あ? 三十七だけど?」
「……え、えええええ!? 三十七!? ぜ、全然、見えないですよ!?」
ひっくり返るんじゃないかと思うくらいの声を上げ、セオは驚いた顔を俺に見せる。前に会った時と違い、子供らしい大きな反応を見せるセオがなんだか可愛く見えて、俺は笑いながら答えた。
「ハハッ。良く言われるよ、二十代後半にしか見えないって」
「は、はい……。僕も、公爵様より一回りは年下かと思ってました……」
「え、そんなに?」
俺ってそんなに若く見えるのか。なんだか、微妙な気持ちになる。
セオの言葉で神妙な面持ちになりながら、俺は咳払いをし、話を続けた。
「アーサーと俺の事だったな。アイツが十歳の頃、俺達は出会った。あの時のアイツは今と違って明るい奴で、たまに三人で馬鹿やってたよ」
「こ、公爵様が、明るい? ……というか、三人、ですか?」
「ああ。――アイツにはさ、弟がいたんだ。アーチーって言って、アーサーよりも五つ下の弟。体は弱かったから多くは遊べなかったけど、セオみたいな、年に似合わず礼儀正しい奴だったよ」
俺は空を見上げた。もう少しで夕暮れ時だからか、澄んだ水色に少し暖色が混ざっている。
「アイツ等は俺を兄の様に慕ってくれてさ。俺も弟ができたみたいな気分になって、得意げに二人に剣術やら勉強やらを教えてたよ。今思えば、あの頃の俺はめちゃくちゃウザかったけど、二人共それはもうニコニコして俺の後を着いてきてさ」
「ふふっ。子供の頃の公爵様、可愛かったんでしょうね」
「ああ、可愛かったな。……でも、楽しかったのは数年だけだった」
「え?」
「戦争が始まったんだよ。そして、戦時中にアーチーが病気で死んだ。……アイツが変わったのは、それからすぐだったな」
脳裏にアーチーが死んだ時の、幼いアイツの顔が浮かんだ。泣くかと思っていたのにアイツは泣かなくって、ただただ感情がストンと抜け落ちたような、世界に絶望しているかのような顔をしていて、声を掛けるのも躊躇われたっけ。そして急に戦場から消えて、いつのまにか救助作業に回っていた。
俺はいつの間にか立ち止まっていた。美しく咲き誇る薔薇に、名前も知らない蝶がとまっていた。
「アーチーが死んで、それを悲しむ間もなく戦争に駆り出されて。『若獅子』とまで評されていたアイツは、人を殺せないポンコツになり、戦争が終わるや否や俺に置手紙だけ残して旅に出た」
「……それは辛かったでしょうね。公爵様も、ルーカスさんも」
「は? 俺? 俺は別に、辛くなんかなかったさ。俺は人を殺す事になんの抵抗もなかったし」
「いえ、戦争の事もなんですけど――公爵様が何も言わずに出て言った事です」
苦し気に言って、セオが俺の顔を覗き込んだ。幼い顔には同情の色が見える。
俺はそれに怒る事もなく考えてみる。アイツが書いた手紙を握りつぶした俺は、悲しかっただろうか? 辛かっただろうか?
「……そうだな。俺は、悲しかったのかもしれない」
ぽつり。呟いてみると、認めたくなかった感情がするりと声に乗った。
「今までは『可愛がってやった恩を忘れたのか!』って怒ってたのかと思ってた。いや、そりゃあ。弟だと思って可愛がってた奴が急にいなくなったら辛いし悲しいだろ。……俺、何を意地張ってたんだろうな」
子供に何言ってんだ、と思いながらも、俺はテオを見た。前に見た時よりもずっと良い顔つきをしている。
「セオ、ありがとうな。お前のお陰でやっと気づけたわ」
「い、いえ、そんな。むしろ分かったような口ぶりでごめんなさい」
「ハハッ。なんで謝るんだよ?」
笑いながらも深く息を吸う。室内から涼しい外へ出た時に感じる、澄んだ空気が肺に取り込まれるあの感覚が体を満たした。
俺は手を伸ばしてテオの頭に置いた。初めて触れるそこは思っていたよりもずっと柔らかい。
「セオ。お前、良い男に育ったな。さすがは俺の幼馴染の息子だ」
「えっと、その。……多分これは、グレイスのお陰です」
「グレイス?」
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「……」
「グレイスが僕の母さんになるの、僕、すごく嬉しいです」
はち切れんばかりの笑顔でセオは笑った。……俺は少しの間動けずに、その顔を見つめた。
不審に思ったのか、しばらくニコニコと笑っていたセオが、不安そうに顔を覗き込んで大丈夫かと心配の言葉を口にする。それすらも、今の俺には少し痛い。
必死の思いで動かした口は、大して動かず。
「グレイスは、良い人か?」
まるで独り言を言うかのような静けさの問いに、セオは一瞬きょとんと目を丸くさせた後、満開の笑顔で答えた。
「――はい! とぉっても良い人です!」
……その後、俺はどこかふわふわとした心持のままセオと話し、庭園を出たところでセオとは別れた。
陽はまだ傾き始めたばかりだ。もしかしたら、まだ屋敷に残っているかもしれない。そんな希望にも、絶望にも似た感情をむず痒く思いながら、俺は走り出す。途中で出会った使用人を捕まえ、目的の人物の場所を尋ねれば、あっさりと答えは返ってきて、俺はまた走り出す。
目的の部屋が見つかり、俺は目の前で足を止めた。少し乱れた呼吸を整え、ドアをノックする。……出てきたのは、灰色の髪の若い侍女だった。
「何の御用でしょうか?」
「クロノス伯爵令嬢に話がある。通してくれないか」
冷たさを含んだ侍女の声に気付かぬふりをして、俺は用件を伝える。すると侍女は、まるで薄汚い不審者を見た時の様な、侮蔑の色を含んだ目で俺を見た。
「お嬢様は先程のお話しでお疲れでいらっしゃいます。お引き取りください」
いや、そうなるよな。侍女の対応に納得しながらも、俺は諦められず。
「――なぁ、クロノス伯爵令嬢! 中にいるよな?」
「ちょ、何をっ!」
閉ざされそうになったドアへ手をかけ、隙間を作る。侍女は慌てて閉めようとするが、女の力で俺に叶うはずもない。俺は気にすることなく隙間へ話しかけた。
「アイツは……ブラック公爵は、俺の幼馴染なんだ。弟みたいな大切な存在だ。だから、アンタとの婚約話を聞いた時、腹が立った。金の絡んだ婚約なんて、アイツにはしてほしくなかった。だから、アンタに酷く当たった」
「エ、エルロイド公爵とはいえ、このような無礼は許されませんよ!?」
「ああ、今俺は最悪な事をしてるだろうな。女の部屋を無理やりこじ開けてる訳だし。……だけど、今言わなきゃいけないと思ったんだ。今、アンタに伝えなくちゃいけないと思った。もう酷い事は言わない、怖がらせないと約束する。俺と話をしてくれ」
伝えたい事を伝え終えた俺は、ドアにかけた手を離した。するとドアは勢いよく閉まり、中からは小さな侍女の悲鳴が聞こえた。尻もちでもついてしまったかもしれないと思うも申し訳なさを感じる。
そうして、少しの間が空いて。ドアはゆっくりと開いた。そこには小さな微笑みを浮かべたクロノス伯爵令嬢がいた。
「エルロイド公爵。わたくしも、貴方とお話ししたいと思っていました。どうぞ、お入りください」
「……ああ。失礼する」
彼女に導かれるまま、俺は部屋のテーブルへと着いた。彼女は俺の向かいに腰掛けると、側に来た侍女を見上げた。
「ソフィー? お客様のためにお茶を用意して頂戴」
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「大丈夫よ。何かあったら、叫ぶなりなんなりするから」
クロノス伯爵令嬢が笑って言えば、心配に満ちた表情のまま、侍女は部屋を後にした。……俺の横を通り過ぎる際、俺を睨みつける事を忘れずに。
「良いのか? 俺と二人きりになって」
「信じていますから」
「ふぅん?」
短くやり取りをして、俺は改めて彼女の顔を観察した。やはり、泣いていたらしい。目立ってはいないが、目が少し腫れている。
見ていれば、パチリ、空色と目が合った。
「その。お話し、というのは?」
「あー。そう、だな。……あのさ。アンタはアイツの事、好きなのか?」
「えっ」
俺の問いに、彼女は大きな瞳を瞬かせたのち、端正な顔を真っ赤にさせた。……この反応、俺は期待をしてもいいのだろうか。
「どうなんだ?」
「え、ええと、その。……分かりません」
「……またかよ」
「え?」
「いや、何も」
返って来たのは、アイツと全く同じ反応。吐きたくなる溜息をグッと堪えると、「でも」と彼女は続けた。
俺が「でも?」と続きを促せば、彼女は小さく口を開いた。
「……もっと知りたいと、思っています」
「知りたい?」
俺が問い返すと彼女は頷いた。
「元々、ブラック公爵の話は耳に入っていました。正直に言ってしまうと、どれも悪い噂ばかりでした。……でも、実際にお話ししてみたら、噂とは全然違っていて。初めてお会いした時から、わたくしの身を案じる言葉を口にする様な方でした。……だから、知りたいと思いました。自分を『最低』と言い、けれど身近な者からは『優しい』と言われるあの方は何を考えているのか――この世界がどの様に映っているのか。……知りたいと、思ってしまったのです」
ハッキリとした口調で話し始めていた彼女の声は、次第にぽつりぽつりとした声になっていた。自分の中でも何か葛藤があるのだろう、ゆらゆらと瞳が揺れいて、夕日に照らされながらビードロの様に輝いている。
「綺麗だな」と素直に思った。見た目だけじゃない。人をすぐに優しいと思い、それを信じる感性が。好意を持ち始めた相手の世界を知りたいと思う、その好奇心が。何もかもが純粋で、俺とは違う。
「アンタ、良い奴なんだな」
「えっ!? そ、そんな事ないですよ」
思わず呟いた言葉に、クロノス伯爵令嬢は否定しつつも照れた様に笑った。今までと違って、十代の少女に見える笑顔だ。
――なんだ。ちゃんと年相応に笑えるんじゃねーか。
「アンタ、いつもそうやって笑ってれば?」
「え? ……わたくし、今どんな風に笑っていました?」
「自覚ねーのかよ」
呆れた様に言ってから、俺は笑った。
「さっきは婚約を認めないって言ったが、前言撤回だ」
「え? ……どうして、ですか?」
「金を積んでアイツと婚約したとしても、アンタが良い奴だからかな。アンタはただ家のゴタゴタに巻き込まれただけだろうに、すまなかった。……多分、アンタみたいな奴が、アイツを変えてくれるんだろうな」
脳裏に、昔の記憶が蘇った。「旅に出る」とだけ書き記し、数年ぶりに戻ってきた、暗い瞳をしたアイツの姿だ。
俺は改めて目の前の少女を見る。アイツと違って、キラキラとした瞳が不思議そうにこちらを見ている。
「アイツの幼馴染としてのお願いだ。――アイツの事、よろしく頼んだ」
「――はい!」
――嗚呼。やっぱり、綺麗だな。
なんだか眩しくて、少しだけ目を細めた。自然と上がった口角は、きっと本心からだ。
その後、侍女がティーセットを持って帰って来た。侍女には睨まれ続けたが、俺はクロノス伯爵令嬢と少し談笑を続けた。
「そ、そういえば! エルロイド公爵は、どうやってこの婚約の事を?」
「あ? ああ。トールから手紙が来てな。……アイツ、金が絡んだ婚約だって事を素直に書きやがってよ。文面からして嬉しそうにしやがって。今思い出しても腹立つ」
「そ、そうでしたか……」
「ああ、アイツには言わないから安心しろ。その代わり、ちゃんと結婚までいけよ?」
「へっ!? は、はい! もちろんです!」
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