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第29話 一夜と総一郎。その関係性の終わりとはじまり

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 赤ら顔の総一郎を伴って自宅へと帰り着いた一夜は、彼をソファへと座らせる。

「腹減ったか? なにか作ろうか?」
「いや……大丈夫だ」
「そうか」

 総一郎は緊張した面持ちをしている。一夜はその理由に気が付ている。いや、総一郎と十夜が話している内容を聞いてしまったのだ。
 今夜一夜は停止させられる。
 その方法を総一郎は十夜に聞いていた。その後にも何かを離していたようだが、それがショックでその先を聞くことはできなかった。
 だが、その先の内容くらいは簡単に想像がつく。総一郎と十夜は再びめぐり逢い。そして関係を復活させるつもりなのだろう。なにせ本物がいるのだ。偽物の十夜はもういらない。
 おそらくはそんなところだろう。
 アンドロイドの総一郎は、もう自分のものではない総一郎と十夜が浮気をしてほしくはない、と言っていた。一夜が悲しむから、と。
 それが嬉しかった。自分を気にかけてくれる言葉をかけてくれたことが。
 果たして総一郎は自分を気にかけてくれたことはあっただろうか。メモリーを呼び起こして考えてみる。
 初めて自分が目を開いた時。総一郎は嬉しそうな笑顔を浮かべていた。自分と結婚してほしい、と手にキスをされて。たまらなく嬉しかったことを覚えている。
 料理の技術がまだ未熟だった時に、包丁で手を切ってしまったことがあった。自分はアンドロイドなのだから血は出ないし痛みもないのだが、総一郎は大慌てして一夜の指を口にくわえ。血が出ていないことにその時になってようやく気が付いて顔を赤くしていた。可愛らしい表情だと思った。
 喫茶店でコーヒーを飲みながら話し合ったり、映画を見に行ったり。デートの記憶がいくらでも思い出されてくる。日常の何気ない仕草でさえも可愛らしく思えたものだ。
 そして。ベッドで辛そうに一夜を抱く彼の顔が思い出せる。それは遠い記憶だ。なにせすぐに一夜が主導権をとるようになり、彼を抱くようになったのだから。恥ずかしそうに笑顔を浮かべる彼はたまらなく愛おしくて。
 ああ、なんだ。私はこれ以上ないくらいに、彼に愛されていたじゃないか。たとえそれが自分にではなく、その向こうにいる彼に対する愛であったとしても。
 気が付けば一夜は涙を流していた。

「一夜?」
「大丈夫だ、総一郎。私はこれからどうなるのか理解している。なにせ君と君の元教え子の話を聞いてしまったからな。大丈夫だ、覚悟はできている」

 唯一心残りがあるとすれば、自分が与えられた愛の記憶を本人に。十夜に渡せないということだけだ。

「……そうか。すまないな、一夜」

 そう言って総一郎は一夜の首筋に手を伸ばし、蓋を開いて停止ボタンを押す。
 一夜は停止する。
 そして絶望を味わった。
 再び目を開いてしまったのだ。
 まさか、廃棄される直前に意識が戻るようになっているのか?
 自分が破壊される絶望を味合わせて、そのデータを記録しようとでもいうのだろうか?

「嫌だっ! 助けてくれっ、総一郎っ!」

 懇願の叫び声をあげる。

「一夜っ! 大丈夫かっ!?」

 すぐ近くから聞こえてくる総一郎の声。気が付くとすぐ目の前に総一郎の顔があった。
 一夜の脳にデータが流れ込んでくる。自分がいる場所が総一郎のマンションであること。そして、停止してから三十分程度の時間が経っていることを。

「これは……?」

 わけがわからない。自分は廃棄されるはずではなかったのか?
 総一郎の顔を見ると、彼は泣きそうな表情を浮かべている。

「すまない、一夜。どこかおかしいとろこはあるか? こんなことなら十夜に頼むべきだった。でも、俺はこれだけは自分の手でやりたかったから」

 自分のシステムをメンテナンス処理をする。オールクリーン。すべて正常だ。ただ一つを除いては。

「総一郎……。どうしてこんなことをした?」
「それは……」
「どうして、私の所有権を放棄した? いや、それだけならまだしもどうして私の所有権を再所得なんてしたんだ!」

 一夜の所有権を総一郎は放棄した。そしてなぜか、その所有権は総一郎に戻っている。
 一見すれば何の意味もない行動だが、大きな意味がある行動だ。
 なぜならばこの行為のせいで一夜は総一郎の命令を聞く必要がなくなっているのだから。

「一夜。俺はお前を愛している」
「だからなんだ? 説明になっていない」
「いや、そんなことはない!」

 突然総一郎が大声を上げる。思わず一夜はびくりと体を震わせる。総一郎はすまない、と短く謝ってから説明を始める。

「最初君を手に入れたのは、十夜のモデルだからだ。十夜の代わりに君を愛することにした。それに間違いはない」
「ああ、わかっている。そして今まで私は十夜君の代わりを務めて。今日君が十夜君と出会えたから、私は用済みになった。そうじゃないのか?」
「そうじゃない。そうじゃないんだ、一夜。しばらくしたら俺は君のことが好きになったんだ。十夜じゃなくて君のことが……」
「その理由を聞いてもいいか?」

 一夜の言葉に総一郎は顔を赤くする。まったく、自分の夫は態度に出やすくて困る。

「もしかして、私に抱かれるようになったからか?」
「……っ! とにかく俺は、君のことが好きなんだよっ!」

 どうやら図星をついたようだ。一夜は笑みをこぼれさせるが、すぐに表情を険しくさせる。

「待て。上下が入れ代わったのって、確か三回目のセックスの時だろ? 結婚してから一週間もたってない時だ。たったそれだけの期間で十夜君のことを忘れられたのか?」
「忘れられなかったよ。ずっと十夜のことが好きだった。でも同時に君のことも愛していた。それで今日、十夜と会ってみて気が付いたんだ。ああ、俺はもう十夜のことは愛していないんだなって。もう俺の心は君だけに向けられてるんだなって。いや、気が付いたというよりは確認できた、ってところかな」

 恥ずかしそうに顔を赤くしていた総一郎だが、突然地面に四つん這いになり。頭を深々と下げる。

「だからどうか許してほしい! 今まで俺は酷いことをしてきたんだ!」
「おい、どうしたんだよ。突然土下座なんてして」

 慌てて総一郎を起き上がらせると、彼の顔は泣きそうな表情に変わっている。

「君がアンドロイドだって。アンドロイドだから俺を愛さなくてはならないと知っていて、夫婦を続けていたんだ。でも……それが苦しかった。君が本当は俺のことなんて愛していないと知っていて、それでもこの関係を終わらせられない自分が酷く醜く思えたんだ。アンドロイドの俺と十夜はあんなに愛し合っていた。それなのに俺は……」

 懺悔を続けようとする総一郎の唇を一夜は自分の唇でふさぐ。総一郎の顔がとろんととろけたような表情になったのを見て、一夜は顔を離す。

「……残酷だな、君は」
「そんなことないさ。私はいい奴だぞ?」
「そうだな。俺に比べたらどんな悪人だっていい奴だ」
「総一郎……。私は君がむかつく」
「……っ! そうだな。本当にすまなかった。この償いは一生かけてさせてもらう。君のこれからの人生の面倒はすべて見るし、俺のことなんて道具として思ってもらって構わない」
「違う。そうじゃない」

 総一郎の目からこぼれた涙をぬぐいながら一夜は続ける。

「私がむかつくのは、総一郎。君が私が君のことを愛していないと決めつけているところだ」
「えっ?」

 虚を突かれて、きょとんとした目でこちらを見てくる。まったく、千変万化の表情で飽きることがない。とはいえいつまでも愛する人の泣き顔なんて見たくはない。
 
「私は君を愛しているんだ、総一郎」
「でも、それはプログラムの……」
「昔はそうだったのかもしれない。でもな、君も知っているだろう? 今の私にそれがないということを」
「あっ……」
「私は君を道具にするつもりはないが、一生かけて償う。その言葉は受け取らせてもらおう。なにせ私は、これだからな」
 
 そう言って一夜は自分の左手薬指の指輪を見せる。総一郎の左手も掲げさせて、彼の指輪と自分の指輪を重ね合わせる。

「私は君を愛している。君も私を愛してくれるかな?」
「ああ……。ああ、もちろんだっ!」

 笑顔に変わった総一郎を一夜はお姫様抱っこで抱き上げる。短い悲鳴を上げて首にしがみついてくる夫が、本当に愛おしい。

「とはいえだ。今までとは違う愛し方になるけどな」
「……っ。ああ、わかっている」
「わかっていない。君は本当に人の話を聞かない。ネガティブにとらえるところが悪い癖だ」

 しゅんとした顔になる総一郎に軽く口づけをして、一夜は続ける。

「今まで私はプログラムのせいで、君を傷つけないように。君だけを思って行動することを命じられていたんだ。君はそのリミッターを外してしまったんだよ」
「リミッター?」
「ああそうだ。本当の私の愛はあんなものじゃない。今までよりもさらに苛烈だぞ? とりあえず今からベッドで君を抱く。君がもうやめてくれって頼んできても辞めないかもしれないな。幸いにして明日は休みだから問題はないだろう?」
「それは……。たしかに十夜が言っていた通り、ちょっと怖いな」
「怖がらなくていいさ。私の愛で君を包んでやるから、君はただ蕩けていればいいんだ」
「一夜……。愛してるよ、一夜!」

 笑顔の総一郎にキスをされて、これはなかなか手ごわいかもしれないな。最近できた友達に連絡を送り。笑顔を返しながら一夜はそんなことを思った。
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