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第1話 その日、一つの家庭が終わった

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 一組の男女が抱き合っている。
 女性のほうは四十歳を少し超えたくらいだろう。年齢通りに、いや。年齢以上に老け込んで見える。
 男性のほうは若々しく見える。男らしい甘い顔立ちに、均整の取れた体つき。いかにもな美男子といった男だ。
 とてもつり合いが取れていないように見えるカップルだ。

「じゃあな、沙羅。今までありがとう」
「ええ、こちらこそ。お疲れ様」

 今生の別れだというのに、実にあっさりとした挨拶が交わされている。

「パパ……本当に行っちゃうの?」
「楓……ちゃんとママの言うことを聞いて大きくなるんだぞ」

 母親の足元で泣きそうな表情を浮かべている娘の頭を父親はなでる。嬉しそうに、しかし悲しそうにくしゃりと顔をゆがめる娘に辛抱たまらなくなって、父親は娘を力強く抱きしめた。
 
「パパ、痛いよ」

 そう言いながらも娘も父親に抱き着いて目元に涙をあふれさせている。
 泣きたくても泣かない。父親に迷惑をかけたくないのだろう。

「もういいか、行くぞ」

 そんな男に非情に告げるのが大神十夜おおがみじゅうやの役割だ。
 男は頷くと娘から離れ、十夜と十夜の後輩の白川優斗しらかわゆうとに連行される。

「パパ……パパぁっ!」

 背後から娘の泣き声がいつまでも聞こえ続けている。十夜は心臓をつかまれるような痛みに襲われる。この痛みにはいつまでたってもなれることがない。
 男を車へと連れていき座らせてから、十夜は聞いた。

「本当にこれでよかったのか?」
「かまわないさ。もともと俺に逆らう権利なんてないしな。ただ……あの子が大きくなる姿が見られなかったのだけが残念だけどな」

 それが男の、アンドロイドであるこの男の本音なのだ。少なくとも十夜はそう判断する。
 一見すると警察官が犯人を連行しているように見える光景だが、事実はもっと酷いものだ。
 この男はアンドロイドだ。母親である女性に買われ、父親としての役目を与えられていたのだ。家庭を支えるために身を粉にして働いていた。休日には家族サービスにいそしみ、女性の要望があれば男性としての役目も務めさせられる。
 人間ならば嫌気がさすような生活だが、アンドロイドはそんなことは考えない。ただ家族の一員として。大黒柱として与えられた役割に満足し、文句の一つも零すことなく献身する。
 そして、その献身に対して与えられた答えがこれだ。
 男は捨てられてしまったのだ、あの女性に。
 あの女性はこの男性に飽きて、新たなアンドロイドを好きになった。だから古いアンドロイドが必要なくなり、回収業者である十夜たちに回収をお願いした。
 ちらりと女性に視線を向ければ、泣きじゃくる少女の傍に立ってじっとこちらを見ている。その視線に感情はなく、たださっさと去ってほしい、と訴えているようにすら十夜には見えた。
 なんとも皮肉な話だと、十夜は思う。女性の生活資金はもともとはこの男性の稼ぎだ。その稼ぎで新しいパートナーを迎えるなんてあんまりにもあんまりな話だ。
 迎えたのはあの女性ただ一人が満足できる結末だ。この男性のことどころか、自分の娘のことすら考えていない。
 父親を突然奪われた娘はどう思うだろう。願わくば家庭不和の原因になりますように。

「先輩、どうしました?」
「……いや、なんでもない」

 優斗に促されて我に返る。

「それじゃあ、今までお疲れさまでした」
「ありがとうございます」

 ふわりと男性は笑う。小さくうめきながらも、押し寄せてくる感情をぐっとこらえて男性のスイッチを切った。
 それでアンドロイドは停止する。
 この後男は廃品回収へと回されてスクラップにされる。つまり今この瞬間、男は死亡したということだ。
 陰鬱な気分のまま助手席へと座る。退屈しのぎにラジオをつけるとCMが流れてきた。
 楽しそうな家族の会話。父親と母親と娘とペットの犬のいる明るい家族を描いたCMだ。
 そしてその最後はこう綴られる。

「理想的な恋人、理想的な夫婦。理想的な家族。あなたの理想を創造する。アンドロイドのことならIdeal Life社へ」

 反吐が出る文句だ。
 理想の果てが後部座席に座る彼なのだとしたら、そんな理想はゴミ同然だ。

「先輩の世代の人って、アンドロイド嫌いですよね」
「ん? ……ああ、まあな」

 正確にはアンドロイドが嫌いなわけではないが、さりとてアンドロイドを嫌っていないわけでもない。
 その理由はアンドロイドに職を奪われたからだ。
 アンドロイドは当然のことながら基本性能が人間よりもはるかに高い。計算能力や事務処理の能力が雲泥の差だというだけではない。人間がその一生を費やして会得しなくてはならない技術であろうとも、システムをインストールするというただそれだけで会得することができるのだ。まさしく歩くパソコンにふさわしい性能だ。
 だから会社の経営者はアンドロイドを積極的に採用した。本来人間に割くための枠をアンドロイドに献上して、自身の会社をより発展させることに尽力した。
 その結果として人間が働くことが難しい社会が訪れたのである。
 それがちょうど十年前のこと。十夜が大学を卒業する二年前のことであった。
 おかげで十夜は卒業しても就職する先がなく、さりとて奨学金は返済せねばならず。こうしてアンドロイドの回収業者なんていう仕事を胃を痛めながらやっているのだ。

「でも先輩っていつもアンドロイドにお疲れさまでした、って声をかけてますよね? あれってなにか意味があるんですか?」
「意味があるかって、お前なあ……」

 人の形をしており、人と会話を交わすことができ、純粋で愛らしい存在である。そんなアンドロイドを機械だからといって差別することはできない。
 だが十夜は、自分の職業を考えるとそのことを口にする事が憚られる。

「もしかして先輩って、あの集団に所属してませんよね?」

 優斗が指したのは駅前の広場でアンドロイドにも人権を与えろ、と騒ぐ集団だ。登りを立ててたすきをかけ、演説をしながら通行人にちらしを押し付けている。
 その集団を見て十夜は顔色を変えた。

「バカっ! 気づいてたなら避けろよ! 絡まれたら面倒くさいことになるぞ!」

 そう叫んだ時にはすでに遅かった。
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