夏の終わりに

佐城竜信

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「……それで結局、あいつの思惑通りその大会とやらに参加するとこにしたってのか」
千葉家の夕飯時。呆れたように彰吾は言った。
「思惑通りってなんだよ」
少しムッとして答える彰久。
彰久は彰久なりに色々と考えて決めたことだったからだ。
それに。
「正義さんは、俺の将来を考えて俺がプロの格闘家になれる方法を提示してくれたんだ。それを悪く言わないでくれよ!」
彰吾は口の中に入れたものをもにもにと咀嚼し。飲み込んでから口を開く。
「プロの格闘家になる、って。それじゃあ家の店を継ぐって話はどうなるんだ!」
「う……。そ、それは」
「その責任を放棄して自分のやりたいことをやれれば満足だってことか!?」
彰吾の言葉は耳に痛い。たしかにそれは彰久も考えたことだ。だが、それでも。
「……親父。俺は親父とは違うんだ」
「あん?なんだって?」
「俺は親父とは違って、この道しかないから店を継ぐ、ってわけじゃない。俺は俺の道があるから、その道を進むんだ」
彰久は真剣な表情で父親を見つめた。その視線を受けた彰吾は、ため息をつくと箸を置く。
「あのなあ、彰久。俺にだって自分のなりたかったものくらい……」
彰久に言われて彰吾は考える。果たして自分がなりたかったものなんて。彰久のように何かあっただろうか。
「なにかあったのかよ?なりたかったものが」
「いや、その……」
彰久に問われて言葉に詰まる。
「なかったんじゃないのか?千葉家に生まれたから、責任を持って千葉酒店を継ぐ。そういえば格好はつくかもしれないけど。でも、そうじゃないだろ?」
「お前、いつからそんな小賢しい言い方をする奴になったんだ」
「ずっと前からだよ。……親父、俺はさ。自分を試したいんだ。俺にしかできないことをやってみたい。俺にしかできないことで、誰かを救える人間になりたい。だから、この大会で結果を出して、俺にしかできないことを証明してやりたいって……。そう思ったんだよ」
「彰久……」
真剣な表情で言う息子を見て、彰吾は胸が締め付けられるような気持ちになっていた。
彼はもう子供ではないのだ。自分よりも大人になりつつある。そのことを実感した。
彰久は千葉酒店の跡継ぎである前に、彰久という一人の少年なのだ。その事実を突きつけられた気がした。
千葉家は代々続く酒屋であり、彰久はその跡取りだ。だからこそ、自分は彰久のことを厳しく育ててきた。
だが、それは本当に正しいことなのだろうか。
自分はただ、自分の跡を継げるように育てただけなのではないか。
もしかしたら、彰久はもっと違う生き方を望んでいたのではなかろうか。
そこまで考え至ったとき、彰吾は自分のしてきたことに自信が持てなくなった。
(……まったく、俺は馬鹿か)
頭を抱えると、自嘲気味に笑う。そしてゆっくりと顔を上げると、目の前の息子の顔を見た。
そこにあるのは、決意に満ちた力強い眼差し。
彰久は彰久の人生を歩むために、自分の選んだ道へと進もうとしている。
「……それでも、俺は……。お前に店を継いでもらいたいと思ってんだよ」
それはもはや、子供のわがままだ。彰久の言うように、彰久にしかできないことを見つけて、それを仕事にして生きていく。それも一つの人生なのかもしれない。
それでも。彰吾は彰久の手を離したくないと思ってしまうのだ。
「だから俺はお前がプロの格闘家になるのなんて断固として反対してやる!」
「親父!ここまでいってまだわかってくれないのかよ!……そもそもさ、親父はこの店を残したいと本当に思っているのか!?」
「どういう意味だよ!」
「親父だってわかってんだろ!駅前に大型ショッピングモールができてから年々うちの店も売上が下がってきてるってことくらい!このままだといずれ潰れちまうぞ!」
「なっ……!」
思わず絶句する彰吾。その事実を改めて突きつけられると言葉が出てこなかったのだ。
「今のままじゃだめなんだ!店を存続させるためには新しいなにかが必要だろ!?なのにいままで、親父はそれに挑戦してきたか!?なにかないか、本気で探したことがあるかよ!?」
「……」
彰久に詰め寄られ、彰吾は何も言い返せなかった。自分の代から店を盛り上げようと様々な試みを行ってきたもののどれもうまくいかない。結局はいつもと同じだった。結局は、自分にはこの千葉酒店の店主という立場は重すぎるのではないかと、心のどこかで諦めてしまっていたのだ。
(情けねえ……)
彰吾は拳を握りしめ、唇を噛む。
そんな父親の姿を見て、彰久は心が痛くなった。
(親父がこんなにも苦しんでいただなんて)
きっと今まで何度も悩み、苦しみ、そして答えを探し続けてきたのだろう。
だが、それでも。結果が伴わないのであれば意味がない。千葉酒店を継続させる、という結果が。
「うちの店はショッピングモールと違って、家の信頼がなければ扱わせてもらえない地酒や高級酒がある、ってことくらいは知ってるよ。……でもさ、そんな物を誰が欲しがるんだ?高級住宅街ならともかく、この辺に住んでる人たちは安いお酒で満足する人たちばかりだ。それに頼った商売の仕方をしてたって、いつかは限界が来る」
「……」
「俺はさ、この店が好きだ。だからこそ、この店を守りたいと思う。でも、今のやり方じゃ無理だ」
「……」
「だから、俺は親父のやりかたを否定するつもりはない。でも、俺のやり方を押し付けるのはやめてくれ!」
ばしん!と大きな音が響く。彰吾が彰久を叩いた音であった。
「なっ……!」
突然の出来事に驚く彰久。
「うるせえ!ガキのくせに偉そうなことを言うんじゃねえ!俺だってなあ!必死に努力してんだよ!毎日毎日!そりゃあお前に比べりゃ全然大したことじゃねえかもしれねぇけどなぁ!!」
そう言って再び手を振り上げる彰吾だったが、その手が振り下ろされることはなかった。彰吾が自分で気付いたからだ。
「……すまねえ」
そう呟いた彰吾に彰久は手を伸ばす。彰吾はびくりと体を震わせるが、そのまま彰久の手を受け入れた。
「……俺も、言い過ぎたよ」
彰久の手が彰吾の頭を撫でる。
「親父が頑張っているのは知ってる。いつもそばで見てるんだからさ。……でもさ、今は親父が店主なんだ。親父が自分で頑張らなきゃいけないんじゃないかって、そう思うんだ」
「……そうだな」
彰吾はそう返事をするが、納得はしていないようだった。
「……なあ、彰久」
「ん?」
「もし……もし俺にできることがあればなんでも言ってくれ。できる限り力になるから」
「ありがとう」
そう言った彰久の笑顔は、とても優しく、慈愛に満ち溢れていた。
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