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エターナル・マザー編

龍の涙

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ローラの学生時代は他愛もないものだった。

姉への憧れから、髪は肩より少し長いロングヘア。
大きな黒縁のまん丸眼鏡。
常に無表情で黙々と学業に励むという、一切目立つことがない学校生活を送る。

最初は期待された。
なにせ三大名家と言われるスペルシオ家であり、長女は世界で最強クラスの水の波動の使い手だ。

一つ下の妹、ローラの姉に当たるカーラは生まれつき体が弱い。
その点、ローラはそういったこともなく、学業や剣技においても覚えはよかった。
だが、彼女には大きな問題があったのだ。

波動数値が"2"であること。

大都市フィラ・ルクスにある名門女学校、始まって以来の低波動。
前代未聞、これ以上ないほど低すぎる波動数値だった。


この波動数値で特にローラの扱いは変わることはなかった。
ただ波動を使う授業だけ見学していただけで、友人たちは特にローラの波動数値に触れることはない。

……と、いうのは表向きの話。
裏では誰が言い出したかわからないアダ名が広まっていた。

"低波動のローラ"

行き場のない感情が渦巻いた。
ローラと接する周りの生徒はみんなニコニコとしている。
だが、確実にこの中にアダ名をつけた人物がいるのだ。

嫌な思いを持ち続け、そのままローラは女学校を卒業した。


これで一安心……とはいかず、嫌なことは続くものだ。

それは婚約だった。
相手は南の小さな町の貴族オヤジ。
最初に会った時は笑顔を浮かべていたが、時が経ち、会うごとに体を触られ泣きたくなった。

ようやくそれを見た父や母は何か言うものだと思ったが、何も言わず。
ただニコニコと愛想を振りまくだけ。

これが決定的な出来事となりローラは家出を決意する。

旅立ちの際、髪を切って、眼鏡も外した。
新しい自分を作り出すためだった。

だが、なかなか仲間には恵まれない。
最近、出会ったエリザヴェートと一緒だ。
パーティ追放のオンパレード。
"低波動で全力にならない"
これが呪いのようにローラを苦しめることとなる。

家に戻るわけにもいかず、ローラは一日中泣いて奮起して旅を続け、ようやく辿り着いたパーティがナイト・ガイだった。

ローラにとってはかけがえのないパーティ。
自分を蔑むことはない、大切な仲間たちがそこにいたのだ。


____________



竜巻が闘技場のステージを包み込む。
それは天まで伸び、完全に外界とのコンタクトを遮断していた。

レイピアを前に構えるローラの数メートル先に立つ巨体の女は不気味な笑みを浮かべる。

これが彼女の波動の使い方なのだとすぐに理解した。

"風のバトルアリーナ"

これは攻撃のための波動ではない。
敵を閉じ込めて物理的な戦闘を楽しむための"風の闘技場"だ。

「さぁ、はじめようかぁ。ローラちゃん」

ローラは息を呑む。
先程、彼女の言っていたことが冗談であって欲しい。
そう思った矢先……

巨体の女は石造りのステージを力強く蹴った。
地面を抉るほど力強いステップ。
その体からは想像がつかないほどのスピードでローラへと向かった。

そこから繰り出される大斧による左から右へ横切り。
ローラはレイピアでガードを余儀なくされるが、大斧は振り抜かれ吹き飛ぶ。

「がは!!」

吹き飛んだ先は爆風。
ローラは壁に叩きつけれるようにして風の竜巻に激突する。
何度か竜巻に背を切り裂かれ、跳ね返る。

戻る先には巨大の女。

振り抜いた大斧をもう一度構え直して振るには少々時間がかかる……
そう考えた巨体の女は大斧を振り抜かれたまま片手で持ち、すぐに左拳を構えてローラの顔面目掛けてフックの振り下ろし。

ドン!と顔面を貫く拳は振り抜かれ、今度は地面に叩きつけられるローラ。
あまりの衝撃にバウンドした。

巨体の女は拳の振り抜きの勢いのまま横一回転して大斧を両手で持ち直す。
肩に構えてローラ目掛けてハイスピードの振り下ろしを放った。

「まずは右腕からよ!!」

そう叫び、振り下ろされた大斧は地面を砕いた。
だが、そこにはローラはいない。

ローラはすぐさま横に受け身を取っていたのだ。

「あらら。まさか、回避されるなんて……でも、どこへ行っても逃れられないわ」

巨体の女はローラの回避先を目で追っていた。
振り下ろした大斧の重力はまだ残る。
彼女の判断は早かった。

ローラの回避先へ体だけ移動させる。
まだ空中にいるローラへ向けて中段蹴り。
これまたドン!という轟音を上げ、ローラの胸に直撃した。

「がああああ!!」

吹き飛ぶ先には竜巻がある。
しかしローラは間一髪、地面に折れかけのレイピアを突き立てて踏みとどまった。

巨体の女は驚いた表情をした。

「低波動の役立たずだと思ったら、なかなかやるじゃないのよ」

「……ク、クソ」

「でも、いつまで耐えていられるかなぁ?」

ここまでの攻防でローラは彼女の戦略を理解した。
完全なパワー型で波動を使う対人戦闘を意識したものというよりも魔物相手の戦略だろう。

そんな思考をしつつ、かろうじて立つローラの体は限界に近い。

巨体の女は片手で大斧を持ち上げると肩に乗せ直すと、ゆっくりローラのもとへと歩いた。

「確かスペルシオ家も三姉妹だったはずね。妹がこんなんじゃ、姉も大変よね」

「……」

「"次女は病弱"、"三女は低波動"なんて役立たずにもほどがある。ああ、でも……もう、そんな心配はしなくてもいいのか。なにせ長女は皮を剥がれて死んだんだから」

「な、なんですって?」

ローラの表情を見た巨大の女はニヤリと笑い、さらに続けた。

「あら、知らなかったの?ゼニア・スペルシオの死因は皮を剥がれたショック死だと聞いてるわ」

「お姉様は……首を絞められて……」

「まぁ、どっちが先なんてどうでもいい。何よりも重要なのは、"戦闘による名誉の死"ではないってこと。結局、最後は無様な死だったってことよ」

「あ、あんた……今なんて……」

「何度でも言ってあげる。これ以上ないほどの無様な死だわ。みんなそう思ってる。言わないだけでね」

「……」

「でも、あなたは姉よりは幾分かはマシね。手足はなくなっちゃうけど。姉みたいにショック死しないか心配……まぁ、けど、ここまで"新鮮"なら大丈夫だと思う。そうねぇ、数年は生きれるでしょう。絶望を背負いながら」

そう言って巨体の女は高笑いした。
目の前の少女に近しいほどの小柄な女はもう虫の息。
なんの苦労もなく"作業"を進められる……そう思って、さらにローラに近づいた。

距離は数メートル。
俯き、ブルブルと震えるローラを見た巨大の女は高揚していた。

これから始まる"作業"は自分が最も楽しみにしていたこと。
波動が許可された大将にしか許されない行為だろう。

降参なんて言葉は届きはしない。
嫌がる者の両腕、両足をじわじわと切り裂き切断していく。
考えただけで興奮した。

「さぁ、ローラちゃん。お人形さん遊びの時間よ」

「そうね……」

不意の言葉。
巨体の女は足を止めた。
ローラはもう目の前にいる。
なにか様子がおかしい。

「な、なんだ、これは……」

突然、雨が降ってきた。
小ぶりの雨だ。
雷鳴を響かせて徐々に雨足は強くなる。
それは、まるで"龍の涙"だ。

「お姉様を侮辱する人間は誰であろうと許さない!!」

ローラは顔を上げ、目を見開き、鋭い眼光で巨体の女を睨む。
青い髪は発光し、体から放たれる青白いオーラは凄まじい圧を感じさせた。

ここに今、世界の波動使いを震撼させる"最強のスキル"が発動する。
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