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エターナル・マザー編

推理(1)

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この夜、ブリハケット・バイロンは死亡した。

部屋は施設長ともあってか広く、さらに二部屋あった。
一つの部屋は中央にはテーブルと向かい合わせの3人掛けソファ、奥には大きな仕事机。
さらに周りには多くの本棚があり、その綺麗に陳列された本たちには多少の埃が見られた。

部屋の入り口から右側にドアがあり、そちらは寝室だそうだ。

ブリハケットは大きな仕事机に顔を埋めるようにして死んでいた。
机の上には一本のワインボトルと倒れたワイングラス。

クロードとリリアンがこの部屋に入ったのは日が落ちた頃だ。
部屋に入ると、そこにはすでに人がいた。

第二騎士団長であるゲイン・ヴォルヴエッジ。
同じく副団長のクラリス・ベルフェルマ。
第五騎士団長のユーゲル・ランバルト。
同じく副団長のサイフィス・アドラス。

この4人だった。

ゲインは足を組んでソファに深く腰掛け考え事をしているようだ。
クラリスはそのソファの後ろに立っているが、表情は青ざめた様子。

ユーゲルは仕事机付近におり、遺体や周囲を調べていた。
一方、重厚な鎧と顔を覆うほどの冑を身につけたサイフィスは、部屋の入り口付近に佇んでいた。

クロードたちが部屋に入ると、みなが視線を向ける。
しかしゲインだけは"一瞥"しただけで、また思考へと戻っていったかのように見えた。
だが予想外なことに一番初めに口を開いたのはこの男だった。

「帰ったのではなかったのかな?クロードとやら」

「依頼を受けてね。報酬がもらえるならやると言ったのさ」

これはゲインに対して会話を円滑に進めるためにクロードがついた嘘だった。
リリアンからはそんな話は出ていない。

「やはり冒険者……報酬目当てか」

「そんなことより、どんな状況なのかな?」

ゲインの言葉に動揺すらしないクロードに一同が少し驚いたような表情を見せる。

クロードに対応したのは遺体の近くに立つ、ユーゲルだった。

「このワインが原因でしょう。恐らく毒です」

「なるほど。そのワインは確かザラ姫からもらったと言っていたね」

「え、ええ。そのようですね。クラリス副団長から聞きました」

「元々はサンシェルマにあったワインで、店主からもらった……そうだったね」

クロードがクラリスの方へ視線を向ける。
焦ったような表情のクラリスはそれに気づくと無言で頷いた。

「どこで毒が入ったか……だな」

さらに続けたクロード。
この言葉に反論するがごとくゲインが言った。

「サンシェルマの店主の仕業だろう。そもそも姫様にブリハケットを殺す動機は無い。疑うならサンシェルマの店主の方だ」

「なぜ、"それ以前"ということを考えないのかな?確か元はサンシェルマの店主であるホリーが何かの記念にもらったワインであると聞いたが」

「ワインを一番最初にサンシェルマの店主に渡した者が毒を入れた犯人と言いたいのか?それは無いと思うけどね」

「どうしてだ?」

クロードが聞き返すと、ゲインはユーゲルを徐に見た。
ユーゲルはバツが悪そうに表情をこわばらせている。

「まさか……」

「私がホリーにあげたワインなんだ。だが私は毒なんて入れてない!」

「聞いての通りだ"クロード君"。ユーゲル第五団長がサンシェルマの店主を殺す動機などないし、姫様にもブリハケットを殺す動機もない。となれば自ずと答えは見えてくると思うけどね」

言いたいことは一瞬にして理解できた。
ユーゲルにはホリーを殺す動機などない。
さらにザラにもブリハケットを殺す動機はない。
そう考えるとサンシェルマの店主であるホリーが毒を入れたと考えるのが妥当だった。

「私が考えた筋書きはこうだ。サンシェルマの店主は姫様が来店したことでワインの品薄に乗じてこの計画を立てて実行した。姫様が夜に店に来る確率は低いが、それはそれでもよかった。運良く夜に姫様がサンシェルマを訪れ、毒入りのワインを渡す。そして自ら店に火を放ち命を絶った」

「後頭部の傷と両腕切断はどう説明するつもりだ?ホリーは明らかに他殺だ」

「そんなものは波動でなんとでもなるだろ。ユーゲル第五団長が言うには彼女の波動属性は不明だそうだ。誰も知ってる人間がいない。ここでは土の波動と仮定して考えると、火を放った後に両腕を切断して土の塊を頭上に落としたらいい。まぁ本人が死亡しているわけだから確認のしようがないが」

「動機は?」

「二年前の事件で彼女も姫様が犯人だと思ったのだろう。その復讐といったところだ」

「なるほどね。実に面白い推理だが、それは無いな」

「なんだと?」

ずっと冷静だったゲインだが、クロードの確信ある否定に少し驚いていた。

「あそこには"炎の波動の残粒子"しか残っていなかった。そして彼女の遺体にも触れたが、全く他の波動の痕跡が残っていない。つまり"彼女が炎の波動の使い手"なのか、"かなり長く波動を使っていない"かのどちらかだ。炎の波動で後頭部の打撃痕と両腕切断は無理がある」

「ほう。それが君の特技か。だがそれは証拠にはならない。それは君が一番よくわかっているだろう」

「ああ。だがサンシェルマの店主は自殺ではないことは明白だ。火を放った後に自ら両腕を切り落として、後頭部へ一撃入れるなんて無理がある」

「じゃあワインに毒を入れた犯人は誰なんだ?君の推理を聞かせてもらいたいね」

「毒を入れたのはホリーの可能性もあるし、別の人物の可能性もある」

「言っていることがよくわからないな」

「僕が言いたいのはワインに毒を入れたのはホリーかもしれないが、ホリーを殺した人物は他にいるということさ」

「うーむ……これはワインの品薄と姫様の来店という不確定要素が重ならなければ実行しえないものだ。君の言い分を聞くとかなり計画的な犯行に聞こえるが」

ワインの品薄によってホリーは来るかもわからないザラに渡す毒入りのワインを用意していた。
そこに運良くザラがサンシェルマを訪れ、ホリーはワインを渡す。
ザラとクラリスが店を出て馬車に乗り込もうとした時に店から火が上がった。

こう見るとザラを毒入りのワインで殺めたかったホリーが、先にザラに殺されてしまったようにしか見えない。
そして、その後の予定ではザラはワインを飲んで死亡……とうい流れが完成する。

「また姫様が犯人と言い始めるのではないだろうな?」

「いや、その可能性は低くなった」

「どういうことだ?」

「これはゲイン卿が言われるように、ザラ姫を陥れようとした第三者の犯行と考えられる」

「なぜ考えが変わった?」

「ザラ姫の行動だ。ザラ姫の動きは"知能の高い人間"に操られているようにも見えるからさ」

「操られてるだと……?」

「ザラ姫が美食家であることは貴族なら誰でも知ってるし、平民でもわかってる人間は多い。だが好きなワインの銘柄は平民は知らない。そして夕食には必ず用意され、無かった場合は自ら出向いて手に入れようとするという執念深い一面は恐らく一部の貴族しか知り得ないだろう。それをホリーが知ってるのはなぜだ?」

「確かに姫様が毎夕食後にワインを飲んでいることを知っている人間は我々、王宮騎士団の者か一部の高貴族だけだ。それに姫様が食のためなら自分の足を使うことを知っている人間も限られる」

「最初はザラ姫がクラリス副団長と一緒に犯行に及んだものだと思っていた。二人でホリーを殺してサンシェルマに火を放ち、その時にワインを奪ってきたんだろうと」

このクロードの推理を聞いたクラリスは怪訝な表情をしていた。
そう思われても仕方のない状況にあるが、この話には続きがあった。

「だがザラ姫が犯人だとすると、あまりにも突発的すぎるのさ。この事件は巧妙で計画的。もっと俯瞰ふかんして見ると、この事件はワインの品薄から始まっている。これに乗じて毒入りワインを平民であるはずのホリーが一人で用意してザラ姫に渡すという計画を立てたというのは考えづらい」

「確かにそうだな」

「一つ気になっていたことこがあったんだが、彼女の遺体の周りにはガラスの破片が散らばっていた。もしかするとサンシェルマにあったワインは二本だったんじゃないか?」

クロードはそうクラリスに尋ねた。

「あ、ああ。確かにカウンターには二本あった。店主からは二本のうちの一本を譲ってもらったんだ」

「やはりそうか。ユーゲル団長、あなたがホリーに渡したワインの本数は?」

「渡したのは一本だよ。カウンターには最初から一本、すでにワインはあった気がしたな」

「渡した時期は?」

「品薄になる直前だから、一ヶ月前くらいだね」

「ちなみに何の記念だったんだ?」

「ちょうどサンシェルマのオープン五年目だったのさ」

「なるほど。あとザラ姫がこの町に来ることが決まったのはいつだ?」

「えーと……同じ時期くらいだね。でも確かワインの買い占めがある前だったと記憶している」

それを聞いたクロードは笑みをこぼす。

「こうなると怪しいのはザラ姫というよりもワインを買い占めた者ということになるね。恐らく、この人物はザラ姫の予定と行動をよく理解した者だ。"この人物がホリーにザラ姫が町に来ることを伝えた"と考えれば辻褄は合う。ホリーはユーゲル団長からワインをもらう前に、この人物からワインをもらった。毒を入れたのがこの人物かホリーであるかどうかは不明。彼女はこの人物に殺された可能性がある。犯人を特定するにはワインを誰が買い占めたのか知る必要があるが……やはりマイヤーズとやらに聞くしかあるまい」

「……いや、聞く必要は無い」

突然、そう言ったのはゲインだった。
クロードは眉を顰めて聞き返す。

「どうしてだ?」

「一ヶ月前にワインを購入したのは"私"だからだ」

ゲインの突然の告白に一同が唖然とした。
ただ1人だけ、"ある人物"を除いて。
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