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第二十話

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花音にチョコレートを渡すというのは本当の事だ。
実は、普段からお世話になっている人全員にチョコレートを渡そうと思っていたのだが。花音にだけは、まだ渡せていない。
そういえば、花音だけは姿を見ていないような。
一体、どこにいるんだろうか。気になる。
時間的には、まだ間に合うはずだろうし。
機会はまだあるはずだ。

「そういえば、花音はどこにいるの?」
「さぁ、どこなんだろう? 私には、わからないなぁ」

香奈姉ちゃんは、小首を傾げてそう言っていた。
惚けているのかと一瞬思ったんだけど、香奈姉ちゃんの表情を見る限りでは、本当に知らないみたいだ。

「香奈姉ちゃんでも知らないって……。なんというか、花音も意外とアクティブな性格なんだね」
「うん。アクティブすぎて、こっちが心配してしまうくらいだよ」
「そうなんだ。大変だね」
「まぁ、隆一さんと一緒なのは確かだと思うんだけどね。それでも心配だよ」

どちらかといえば、香奈姉ちゃんは兄のことを信用していない。
ある一件を境に、香奈姉ちゃんは兄を信用しなくなってしまった経緯がある。
だから、盲目的に兄に好意を持っているであろう花音を心配しているのだ。
花音は、そんな心配など知らないと思うけど。
たしか兄は、別のライブハウスでライブをやっているはずだ。
花音も一緒に行ったんだろうか。
いや。あり得ない。
兄がライブをやってる場所は、駅を3つくらい行ったところにあるライブハウスなのだから。

「兄はバンドメンバーたちと一緒に出かけていったと思うから、花音とは一緒じゃないはずだよ」
「そうなの? 私はてっきり一緒なものかと──。それじゃ、どこへ行ったんだろう?」
「僕に訊かれても……」

僕は、神妙な表情でそう言っていた。
そもそも、わからないから香奈姉ちゃんに聞いてみたんだけど。
もしかしたら、友達とどこかに出かけているのかもしれないし。
それにしたって、門限は大丈夫なんだろうか。
いくらバレンタインデーだからって、中学生が門限を守らないのは問題だと思うんだけど。

「どっちにしても、花音なら大丈夫か。あの子は、知らない人にはついていかないから」
「問題はそっちなの?」
「うん。今日中には帰ってくるかと思うし」

香奈姉ちゃんは、余裕の表情をしている。
そんなことを話している最中に、誰かが玄関のドアを開けた音が聞こえてきた。
静かに開けたみたいだけど、香奈姉ちゃんの部屋からでも開閉音は充分に聞こえてくる。

「お。噂をすればかな?」

香奈姉ちゃんは、そう言って笑みを浮かべる。
怒ってはいないみたいだ。
家のドアを開けるのは家族以外はあり得ないので、きっと花音だろう。
しばらく香奈姉ちゃんの部屋の中で待っていると、案の定というべきか、部屋のドアをノックしてくる。

「──お姉ちゃん。今、大丈夫かな?」
「うん。大丈夫だよ。鍵は開いてるから入ってきなさい」

香奈姉ちゃんのその返事に、花音はドアを開けて入ってきた。
普段はノックなんかしないんだろう。花音は、どこか緊張した面持ちだ。
香奈姉ちゃんは、そんな花音を優しい笑顔で出迎える。

「どうしたの?」
「うん……。実は……」

花音は、恥ずかしげに頬を赤くしながらチラチラと僕の方に視線を向け、何かを言いたげだった。
ひょっとして、僕がいない方がいいのかな。

「僕は、自分の家に帰ろうかな」

そう言って、僕は立ち上がろうとする。
ここは2人に気を遣ってあげないと。そう思っていたのだが……。
しかし、それを花音が引き止めた。

「ダメ。楓は、絶対にそこにいて──。私はまだ……」
「でも……」
「花音のお願い、聞いてあげて。私も見ていてあげるから」

香奈姉ちゃんまでも、僕のもう片方の腕を掴み引き止めてくる。
二人に引き止められてしまったら、どうにもできない。
そもそも、香奈姉ちゃんに用件があるんじゃなかったっけ?
僕の方も、花音にはチョコレートを渡す予定だったから、ちょうどいいんだけど。

「あのね。実は楓に渡したいものがあって……。その……」
「うん。僕も、花音に渡したいものがあったんだ」
「楓も? 何を渡すつもりだったの?」

どうやら花音は、僕からの贈り物の方が気になるみたいだ。
大したものじゃないんだけどな。
僕は、自分のリュックの中に入っている綺麗に包装された箱を取り出して、そのまま花音に手渡した。

「これだよ」
「これは?」

花音は、包装された箱を見てキョトンとしたような表情を浮かべる。
やっぱり、男からのプレゼントはあんまり嬉しくないのかな。
しかし、ここで渡しておかないと機会を失ってしまう。
僕は、微笑を浮かべて花音に言った。

「僕からのプレゼント。今日は、バレンタインデーでしょ」
「え? 普通は、逆なんじゃ……」

予想通りの反応を見せてきた。
花音は、あきらかに戸惑っている。
僕は、笑みを崩さずに言う。

「みんなから言われたよ。だけど、わかっていても…ね。つい……」

花音は、どんな表情を浮かべているんだろうか。
俯いてしまったから、どんな表情を浮かべているのかわからない。
本来なら、香奈姉ちゃんに用件があったはずだからな。
僕がいても邪魔になる可能性があると思う。
香奈姉ちゃんも、心配そうに花音を見る。

「花音?」

しばらくの沈黙の後、花音は顔を上げてその表情を見せた。
笑顔だ。
屈託のない笑顔。

「ありがとう、楓。私からも、これ──」

花音も、綺麗に包装された箱を僕の前に差し出してきた。
これは、花音と同時に受け取った方がいいんだろうか。

「うん。ありがとう、花音」

僕は、そう言って花音からのプレゼントを受け取る。
花音も同時に受け取っていた。

「えへへ。楓からのプレゼント。なんだろうな」

花音は、とても嬉しそうな表情でギュッとプレゼントの箱を抱きしめる。
とても嬉しそうで何よりだ。

「よかったね、花音」

香奈姉ちゃんは、笑顔でそう言っていた。
笑顔を浮かべていたが、心からのものじゃない。
気のせいか、僕のことを睨んでいるような……。
そんなことは気付きもしないのか、花音は嬉しそうな表情を変えずに言った。

「うん! お姉ちゃんは、楓にプレゼントをあげたりしたの?」
「え、う…うん。ま…まぁね」

香奈姉ちゃんは、なぜか恥ずかしげな表情でそう答える。
むしろ、すごく動揺しているようにも見えた。
チラチラと僕の方を見てくるし。
僕は、なんとなく察してしまう。
花音が帰ってくるまでの間に、何をしていたのかを……。
今は、きちんと服を着ているからわからないだろうと思うんだけど。
まさかさっきまでエッチなことをしていただなんて言えない。

「そっかぁ。さすがお姉ちゃん! 楓のことを、よくわかっているね」
「そりゃあね。何年、弟くんの『姉』をやってきたと思っているのよ。特にも女性関係の事は、しっかりと見守ってきたつもりよ」
「それは、悪いムシが憑かないようにしてきたってこと?」
「そうだよ。そうしなければ、きっと今頃は──」
「悪いムシって……。僕は、そこまで女の子にモテてないよ」

2人の会話に、つい口を挟んでしまった。
こういう会話は、僕がいない時にしてほしい。
すると2人は、ムッとした表情を見せる。

「あれだけの好意を向けられても尚、気づいてないなんて……」
「罪だね」
「え……。2人とも、どうしたの?」

僕は、何がなんだかわからなくなってしまい、そう訊いていた。
何か気に障ることでも言ってしまったかな。

「ライブハウスでのやりとりでも、わかってると思うんだけどな。ここまで無自覚だと……」

香奈姉ちゃんは、そう言ってため息を吐き始める。
そこを花音がフォローした。

「まぁ、お姉ちゃんの部屋にいるんだし。そこだけは安心できるかな」
「そうよね。弟くんとは裸のお付き合いをしてるから、そこは安心だよね」
「ちょっと待って。『裸のお付き合い』って、何のこと?」

あるフレーズに反応した花音は、訝しげな表情になる。
香奈姉ちゃんは、意を介した様子もなく答えた。

「ん? 例えば、一緒にお風呂に入ったり。ベッドの上でスキンシップをしてみたりだよ」
「ベッドの上って……。それって、セック……!」

花音は、途端に顔が真っ赤になる。
セックスって言いたかったんだろうけど。最後まで言うことはできなかった。
言わなくていいと思う。
中学生には、その言葉はまだ早い。
気になるお年頃なんだろうけど。
香奈姉ちゃんは、花音を挑発するかのように言った。

「花音には、まだ早かったかな。私はオープンな方だからね。まぁ、ベッドの上でもお風呂場でも、そのくらいのことは…ね」
「………」

何か言いたげだったが。
花音は、ぐっと言葉を呑み込んでいた。
言い返したい気持ちはあるんだけど、強く言える要素がまったく無くて言えないっていうやつなのかな。
よくわからないが。

「やましい事は何もないから、気にしなくてもいいからね」

僕は、フォローのつもりでそう言っていた。
すると香奈姉ちゃんは、頬を赤く染めて言う。

「弟くんったら。やましい事って……。私にあんな事やこんな事もしてるくせに」
「香奈姉ちゃん。それは言わないって約束したはずじゃ──」
「別に隠す様な事でもないから、いいじゃない。事実なんだし」
「それは……」

たしかにセックスは、何度もしてるけど。
妹に言うことでもないと思う。
花音は、どう思ってるんだろう。
僕は、恐る恐る花音を見る。
再び俯いたので、その表情を垣間見ることはできない。
そして、花音は香奈姉ちゃんに視線を向ける。

「私だって、負けないんだからね!」

涙まじりにそう言って、香奈姉ちゃんの部屋から出ていった。
少しだけショックだったんだろうな。
エッチなことなんて、中学生には早すぎるだろうし。
しばらくして、香奈姉ちゃんは僕に視線を向けて訊いてくる。

「私に用件があるみたいだったけど。一体、何の用件だったんだろう?」
「さぁ……」

僕に訊かれても、わかるわけがない。
だからこそ、そう答えるしかなかったんだけど。
香奈姉ちゃんなら、わかるんじゃないのか。
姉妹なんだから、女の子特有の悩みも聞けると思うし。
僕は、思案げな表情をしている香奈姉ちゃんを見て軽くため息を吐いていた。
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