SMの世界

静華

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「いい子だったね、翔」
 翔の白濁まみれの手をぺろりと舐めた有聖が手早く縄を解く。縄が解かれた瞬間、解放感と同時になぜかほんの少し寂しさにも似たような喪失感があった。
「……っ、ゃ、んぁ……さわら、ないで」
 手首を優しく撫でられ、肩や肘の関節も触られて、射精直後で敏感な肌が泡立った。
「指先に力は入るかな? 痺れがあったりしない? 関節で辛いところは?」
 今そんなこと聞かれてもわからない。全身が痺れて辛いのに。
「……ゆうせい、さん……キス、して」
 とびきり甘えた声が出た。
 有聖のシャツを引っ張ると、有聖もベッドに寝転がって抱きしめてくれる。子供をあやすようにぽんぽんと背中を叩かれ、涙でぐちゃぐちゃの顔にキスが降ってきた。唇を吸われ、口の中を舌で舐められる。
「っ、ん……ぁ、ん……ゆうせい、さん」
「ここにいるよ。いい子だったね、翔」
 鼻をすすり、有聖のシャツが濡れるのも構わず顔をこすりつけた。
「腕、痺れてない?」
「……だ、いじょうぶ……」
「うん。少し赤くなってるけど、これなら痕にはならなそうだね」
 薄っすらと縄目がついた手首に有聖が舌を這わせながら満足そうに微笑んだ。
「んっ……有聖、さん…は? ……あの、あたってる」
 お腹に有聖の猛りを感じた。まだスラックスをはいたままの状態でも熱が伝わってくる。
「翔の可愛い姿を見て、勃たないわけないよ」
 くすくす笑う有聖。
「……あの、……俺、する?」
「うん? 翔はしたい? ……お尻に入れていっぱい突いてあげようか? さっきのローションでどろどろになったところに入れたらどうなっちゃうかな」
 尾骨の先を指先で擽られて背筋が痺れた。
 温感ローションで体の奥から温められ、充血した秘所を太いもので擦られる。それを想像しただけで心臓が跳ねた。気持ちよすぎるのは辛いともう知っているけれど、体の奥、まだ触れられていないところが期待にぎゅっと収縮してしまう。
「そんな顔されると今すぐしてあげたくなっちゃうな」
「……有聖、さん」
 自分からそうしてほしいとは言えなかった。かわりに、翔は有聖の胸に顔を押し付けて背中に腕を回した。


 ――翌日の夜。
 土曜日ということもあって、店内はいつも以上に混んでいた。
 今夜のテーマは緊縛だ。プロの緊縛師を招いてのショーが初めにあって、今は初心者のための緊縛講座だ。実際にモデルを縛りながら手本を見せている。
「この縄端をこう回してから、ここで縛ります。このとき、関節がきつくなりすぎないように注意して下さい。縛られている方も少しでも痺れがあれば必ず申し出てください。――痺れてきていませんか?」
「はい、大丈夫です」
「ありがとう。指先の色にも注意してください。梁や鴨居があれば、こうして――」
 下着姿の女性に縄をかけながら、有聖が穏やかな声で注意点などをこと細かく説明している。
 ステージ上の光景をできるだけ視界から追い出して、翔はため息をついた。
 SMの中でも緊縛というのは非常に人気のジャンルだという。
 自分が縛られるまでは、単に縛って自由を奪うだけだと思っていたが、とんでもない誤解だった。
(……昨日の、ヤバかったし)
昨日、有聖に縛られたのはほんのちょっとだけだ。たぶん縛り方も初心者向けで、痛くない縛り方だったのだと思う。
それでも、開けてはいけない扉を開けてしまったような気はする。
抵抗できないからこそ解放できる。
――縄はね、僕の手の延長だよ。縄が肌を這うのは、僕が翔を抱きしめているのと同じだ。
縛られている間はいっぱいいっぱいで、何かを感じ取る余裕はなかったけれど、縄を解かれたときの不思議な感覚はもう一度試してみたいと、翔ですら思った。
「君の肌には、赤い縄が映えるだろうね」
 ぼぉっと磨きかけのグラスを見つめていた翔に突然声がかかった。湿った纏わりつくような嫌な声が。
 はっとして前を向くと、目の前のスツールに腰掛けた客が一人頬杖をついて、翔をみていた。
 できるだけ不快感を顔に出さないように、「はぁ、そうですかね」と適当に相槌を打った。
 男はそんな翔を知ってか知らずか、縛り方まで嬉々として話し続けている。最初は亀甲縛りがいいとか、座禅転がしか蟹縛りでスパンキングをしてあげたい、だとか勝手な妄想を垂れ流しているが、はっきり言って不愉快だ。
「ショウちゃーん! 休けーい、交代だよー」
 先に休憩に入っていた茜が奥から出てきて、翔はほっと安堵の息をつく。
 助かった。これ以上、あの妄想には付き合いきれないところだった。
「休憩いただきまーす」
 茜にバトンタッチして、逃げるようにスッタフルームに飛び込んだ。
 丸イスに腰を下ろして煙草に火をつける。はぁーと大きく煙を吐き出して、壁にもたれかかった。
「あー、あの客、マジ無理……。だいたい、座禅転がしとか蟹縛りってなんだよ」
「座禅転がしは、座禅を組んだ足を縛って前に倒したもので手は後ろ手で固定するのが一般的だね。蟹縛りは、左右の手首と足首をそれぞれ束ねて四つん這いにさせたものだよ」
 自分一人だと思っていたところに別の声がして、翔は飛び上がるほど驚いた。
「ごめん、びっくりさせたね。お疲れさま、翔くん」
「……なんだ、有聖さんか。びっくりしたぁー。お疲れ様です。もう、おわり?」
「講習は終わりだよ。あとは、プレイルームで希望者を縛るだけかな」
 そう言いながら、有聖は翔の隣の丸イスに座って、懐から煙草を取り出した。
 額にはうっすらと汗をかいている。
「で、何を愚痴ってたの?」
 煙を吐き出して、有聖が問いかけてきた。
「……お客さんがからかってきただけ。俺には赤い縄が似合うとか言って、縛って、その……スパンキングしたいんだって」
「ふーん。僕は縛ってスパンキングなんて邪道だと思うけどね。痛いのを我慢して、自分の意思で逃げ出さないっていうのがいいのに、縛ったりしたらつまらない」
 いや、論点はそこじゃないだろう、と翔は内心で悪態をついた。
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