SMの世界

静華

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 今日も今日とて、翔はフェティッシュバー『F』でバイト中だ。
 フェティッシュバーだが、ショーなどのイベントは基本的に地下で行われ、平日は一階のラウンジスペースのみの営業のため、やや妖しい雰囲気の内装に目を瞑れば、ただの会員制のバーだ。お酒だけでなく料理も美味しいと評判なので、食事だけを目的に来る客もいる。
基本的にイベント以外ではハプニングバーと違ってプレイはできないが、オーナーの許可があれば地下にある個室などを使うこともできる、らしい。これはイベント日に出勤できるようになって初めて知ったことだ。とはいえ、まだ通常営業日に地下へ案内したことはなかった。そういうことができるのはほんの一部の客だけのようだ。
 スタッフに話かけてくる客もいるが、多くの客はパートナーと来店するので、必要以上に話すことはない。
 今日は通常営業だが、天気が悪いせいか、客足は鈍い。
「あ、これ、チップしてんじゃん」
 磨こうと思って手に取ったグラスの淵がほんの少しかけていた。これではもう使えない。
 しゃがみこんで、割れもの入れにそっと置いた。
「ショウちゃん、どったの? 疲れちゃった?」
 瓶やグラス、皿の残骸を見つめていると、上の方から甲高い声が降ってきた。
 カウンターの上から中を覗き込んでいるのは、フロア担当の茜(あかね)だ。週に三日ほど出勤する彼女は、なぜかスタッフ全員をあだ名で呼ぶ。翔はショウちゃん、颯斗のことはさっくん、オーナーのことはおじさま――この呼び方のおかげで、働き始めた当初は本当に親戚だと思っていた――、他にも何人かいるスタッフそれぞれにあだ名をつけている。
「んー、なんでもない。ってか、暇だね」
「ねー。週の中日だからしょーがないけど、マジ暇。おじさまもいないしー」
 ぶーと唇を突き出した茜は颯斗よりも一つ年上なのだが、翔と同じくらいにみえる。
「茜さん、オーナーのこと好きだね」
「うん! あのダンディズム! よくない? あんなにスーツが似合う人ってなかなかいないよ。叱られたくならない?」
 目をきらきらさせて同意を求められた。が、正直、翔はちょっとひいた。
 ――オーナーには素直になれるけど、……叱られたくは、ないよ。
「オーナーって、あんまり怒るタイプじゃなくない?」
 いつも穏やかで、諭すように言葉をかけることはあっても、怒鳴ったり怒りをあらわにするような人じゃないと思って聞いたのだが、茜は「えー? あ、うーん?」とはっきりしない。
「ショウちゃんは、まだ、ねんねだもんね」
 立ち上がった翔の頭をぐしゃぐしゃとかき回す。やめてよ、とジャレあっているとフロアの隅から「すみませーん」と声がかかって、茜が元気よく返事をして、スキップしながら離れていった。
 翔は乱れてあっちこっちにとっ散らかった髪を手櫛で整える。
「……ねんね、か」
 ここの人たちがヘビーなだけで、翔はいたって普通だ。
 知らずため息をついたとき、カラカランとドアベルが鳴り響いた。
「いらっしゃいませ。カウンターとテーブル、あ……」
「こんばんは、翔くん」
 傘が邪魔で顔が見えなかったからすぐにはわからなかったが、入ってきたのは有聖だった。
 この前はラフなジーパンだったけれど、今日はスーツ姿だ。
「こ、こんばんは。今日はお仕事の帰りですか?」
 カウンターのちょうど真ん中辺りにコースターを用意する。
「うん、まぁね。穂仁原さん、今日はまだ?」
「あ、まだ……。今日は二十三時近くにならないと来ないかも?」
 今日出勤しているスタッフは四人だけ。フロアは翔と茜だけで、キッチンには郷田と中村という二人がいる。郷田は正社員だから、オーナーがいないときは彼が全体の責任者だ。二十二時で茜が、二十三時で中村があがりだから、入れ替わりでヘルプに来てくれるはずなのだ。
「そうか。まぁ急ぎでもないからいいんだ。食事だけしていこうかな。今日のオススメは?」
「えっと、サーモンと水菜のクリームパスタ……と、海鮮丼、それと、豚の生姜焼きです。あ、ご飯はタケノコの炊き込みご飯にもできるみたいです」
 ここのフードはつまみ系以外はあまり決まったメニューがない。郷田が毎日仕入れたものでつくるからだ。
「うーん、海鮮丼じゃなくて刺身だけでもいいかな? それに炊き込みご飯つけてくれる?」
「あ、じゃあ、ちょっと聞いてきます」
 と、キッチンに引っ込んで、有聖の希望を伝えると、郷田は「大丈夫だ」と野太い声で了承してくれた。
 郷田は一九〇センチを超える長身で筋骨隆々、ガタイがいいから、初めて会ったときはその筋の人かと思ったが、怒鳴ったりもしないし、まかないの希望をできるだけ聞いてくれたりと世話好きないい人だ。
 カウンターに戻ると、注文をとっていた茜がちょうど戻ってきた。
「あー! コトリさんだぁ! 最近あんまり来ないんだもーん。私、この前のショー見逃しちゃったし。あ、ショウちゃん! ソルティドッグ一つね」
 ――ことり? ……小鳥?
 どこから有聖を見たら、小鳥なんだろうと首をかしげた。一八〇センチくらいはあるし、程よく筋肉も付いていて、お世辞にも『小鳥』には見えない。
 茜のネームセンスはよくわからない、と思いながら、注文のソルティドッグの準備をする。
 グラスのふちに塩でスノースタイルをつくる。最近やっとうまくできるようになってきた。それから、ウォッカとグレープフルーツジュースを一対二の割合で用意して、静かにステア。マドラーで少し味をみる。
「うん、OK。茜さん、お願いします」
「はい、はーい。ショウちゃん、手際良くなったね」
 褒められると、ちょっと嬉しい。この店では翔がいまだに新入りだから、みんなに迷惑わかけっぱなしだ。ようやくできることも増えてきた。
「ショウちゃんって呼ばれてるんだね」
「あ、はい。翔だからショウちゃんだねって……。読み方、違うよって言ったんですけどね。有聖さんは、コトリさんなんですか?」
「ああ、僕の名字、小鳥遊って言うんだ。『小鳥が遊ぶ』で、たかなしって言うんだけど、茜ちゃん、読めなかったみたいでね。コトリユウユウセイって読んでユウユウって呼ぶもんだから、流石に嫌だと言ったんだ。そしたら、コトリさんに落ち着いた」
 ユウユウもコトリさんもどっちもどっちだけどね、と肩を竦める有聖に、「確かにそうですね」と翔も同意する。
「僕も何か飲もうかな。……黒ビールだと何がある?」
「えっと、一番搾りスタウト、ギネスのエクストラスタウト、あとドライ・ブラック、です」
「翔くんのオススメは?」
「えっと、うーん……?」
 ビールは嫌いじゃないけど、それほどこだわりがあるわけではない。颯斗がいる時は横からフォローしてくれるのだが、今日はいない。
 他の客には、「ビールはちょっと苦手なんです」とか「よく出るのはこっちです」とか適当なことも言えるのに、有聖に見つめられると言葉が出てこない。
「翔くん? 返事は?」
 ――この声だ。
 ちょっと低めのこの声で囁かれると、体が痺れる。
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