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掃除に必要なものをもってステージに行くと、ショーで使われた小物や道具はなくなっていた。それに内心ほっとする。
(思い出さない。思い出さない……)
壁の磔台を視界に入れないように、そして頭上から垂れ下がるいくつかのフックや鎖を見ないように足元に集中する。
少々乱暴な手つきでステージの上をモップ掛けしていく。
水がバシャバシャとはねたが、ショーが終わりほとんど客はいなかったので、翔は気にしなかった。すると、「おやおや、ご機嫌斜めだね」と後ろから声をかけられた。
「オーナー、お疲れ様です」
「うん、翔もな。今日は大丈夫だったかな?」
「あ、大丈夫、です。今日はそんなに……」
ハードじゃなかった。いや、翔には十分ハードな内容だったけれど、だいぶマシだった。
前は、調教師――というのだろうか――が、大きな声で罵声を浴びせて、奴隷の男女を容赦なく小突きまわしては布をさくような悲鳴をあげさせていた。
それに比べて、有聖は大声を張り上げることもなかったし、です・ます調で言葉遣いも穏やかなままだった。それに、猿轡を噛ませられていたから悲鳴もほとんどはくぐもった呻きだけで、恐怖心をあおられずにすんだ。
「なら、よかった。もう真っ平だと言われたら寂しいからね。でも、少し怒っているのかな?」
「別に、ショーのせいじゃなくて……。颯斗さんと有聖さんにちょっとからかわれただけで」
「おやおや、困った子だ。翔をからかうなんて、少し叱ってやらなきゃならないな」
穂仁原(おにはら)はそう苦笑する。
叱ってやる、なんて台詞を言われても、穂仁原だとあまり違和感がない。穂仁原は穏やかで、小学校の先生のような雰囲気があるのだ。
「さぁ、颯斗にはよく言っておくから、翔ももうちょっと丁寧にやりなさい」
「はい、すみません」
穂仁原には素直になれる。父がいたら、こんな感じだろうかなんて思いながら、片付けを続けた。
水拭きした後に乾拭きでモップをかけ、さらに消毒液をしみこませた布をフローリングモップに付け替えたところで、すみませんと遠慮がちな声が聞こえてきた。
「あの、私が、やります」
申し訳なさそうな声でそう言った大柄な男に、こんなスタッフいただろうかと翔は首を傾げた。シンプルな黒シャツにウォッシュドデニムのその男の人の斜め後ろにはスーツをきっちりと着こなした客がいた。
「え、あの……」
どうしていいのかわからず翔が戸惑っていると、大柄な男がぎこちない歩き方で近寄ってきた。
「あとは私がやります。モップをかけたらいいですか?」
「え? あ、でも、あとちょっとなんで大丈夫です。すぐ終わりますから」
さすがにスタッフでもない人に任せるのは良くないだろうと、翔は愛想笑いを浮かべて断った。
「誠也(せいや)、あなたの頼み方が悪いのではありませんか?」
スーツの男がすこし強い口調で叱責した。
それに体を震わせた誠也と呼ばれた男が、縋るような目で翔を見る。
「申し訳ありません。どうか掃除をさせてください」
その場に崩れ落ちるようにして這いつくばられて、翔の方が慌ててしまう。
(え、何……、どうなってんの……土下座?)
じゃ、お願いします、とも言えず、気まずい空気が流れた。
「翔くん、彼にやらせてあげてくれないかな?」
いつのまにかステージの脇から顔を出した有聖から声をかけられ、翔は「あ、……は、い」と情けない返事をして土下座する誠也の傍らにしゃがみ込んだ。
「あ、の、……これ。これで拭いたら終わりなんで、お願いしてもいいですか?」
「はい。すみません。ありがとうございます」
よろよろと立ち上がった誠也の顔が間近に見えた。薄暗い店内、照明が落ちたステージにいたからよく見えていなかった。
(この人、……ショーに出てた人じゃん)
フロアモップを持ち、端から丁寧に吹き上げていく様子からは先ほどの姿は想像できない。
「保井(やすい)さん、すみません。この子はまだ慣れていないんです」
ぼんやりしていた翔の肩に有聖の手が回った。
「それは申し訳ないことをしました。有聖くん、今日はありがとうございました。楽しませてもらいましたよ」
保井は翔に一瞥もくれず、にこやかに有聖と話しかけた。
「誠也くんには物足りなかったかもしれません」
「そんなことはありません。なかなか吊ったりできませんから、誠也も楽しめたと思います」
そんな会話を居た堪れない気持ちで聞くしかなかった翔に、「翔! こっちの片付け手伝って!」とパントリーの出入口から颯斗が手を振った。
(わ、天の助け! 颯斗さん!)
ちらっと肩に手を回したままの有聖を見上げる。
「ああ、行っておいで。またあとでね」
労うように肩を叩かれ、翔は有聖と保井にぺこりと頭を下げてから小走りでパントリーに逃げ込んだ。
「お前、何してんだよ。大丈夫か?」
「いや、もう、何が何だか……」
「ステージの掃除は終わったか?」
「あ、いや、それが、あの、誠也さんって人が今やってくれてる」
身振り手振りを交えて経緯を説明すると、颯斗がはぁと大きなため息をついた。
「そりゃ災難だったな」
「災難なんてもんじゃないよ。土下座するって、もうなんなの?」
情けない声が出た。
「簡単に言うと、プレイだな。なんつーか、羞恥プレイ的な感じじゃね?」
「え、あれってそうなの? 土下座が?」
「いや、土下座っつーか、……自分が撒き散らした体液を自分で掃除するのが」
「え? あー、あー、……そっかぁ」
なんとなく理解した。
もうすでにある程度掃除が終わっていても、自分が痛ぶられたステージを掃除させられるなんて恥ずかしいよな。しかも、自分からな頼みこんでまで掃除するなんて。
「とりあえず、さっさと片付けようぜ」
がっくりと項垂れた翔の肩をぽんぽんと颯斗が叩いた。
(思い出さない。思い出さない……)
壁の磔台を視界に入れないように、そして頭上から垂れ下がるいくつかのフックや鎖を見ないように足元に集中する。
少々乱暴な手つきでステージの上をモップ掛けしていく。
水がバシャバシャとはねたが、ショーが終わりほとんど客はいなかったので、翔は気にしなかった。すると、「おやおや、ご機嫌斜めだね」と後ろから声をかけられた。
「オーナー、お疲れ様です」
「うん、翔もな。今日は大丈夫だったかな?」
「あ、大丈夫、です。今日はそんなに……」
ハードじゃなかった。いや、翔には十分ハードな内容だったけれど、だいぶマシだった。
前は、調教師――というのだろうか――が、大きな声で罵声を浴びせて、奴隷の男女を容赦なく小突きまわしては布をさくような悲鳴をあげさせていた。
それに比べて、有聖は大声を張り上げることもなかったし、です・ます調で言葉遣いも穏やかなままだった。それに、猿轡を噛ませられていたから悲鳴もほとんどはくぐもった呻きだけで、恐怖心をあおられずにすんだ。
「なら、よかった。もう真っ平だと言われたら寂しいからね。でも、少し怒っているのかな?」
「別に、ショーのせいじゃなくて……。颯斗さんと有聖さんにちょっとからかわれただけで」
「おやおや、困った子だ。翔をからかうなんて、少し叱ってやらなきゃならないな」
穂仁原(おにはら)はそう苦笑する。
叱ってやる、なんて台詞を言われても、穂仁原だとあまり違和感がない。穂仁原は穏やかで、小学校の先生のような雰囲気があるのだ。
「さぁ、颯斗にはよく言っておくから、翔ももうちょっと丁寧にやりなさい」
「はい、すみません」
穂仁原には素直になれる。父がいたら、こんな感じだろうかなんて思いながら、片付けを続けた。
水拭きした後に乾拭きでモップをかけ、さらに消毒液をしみこませた布をフローリングモップに付け替えたところで、すみませんと遠慮がちな声が聞こえてきた。
「あの、私が、やります」
申し訳なさそうな声でそう言った大柄な男に、こんなスタッフいただろうかと翔は首を傾げた。シンプルな黒シャツにウォッシュドデニムのその男の人の斜め後ろにはスーツをきっちりと着こなした客がいた。
「え、あの……」
どうしていいのかわからず翔が戸惑っていると、大柄な男がぎこちない歩き方で近寄ってきた。
「あとは私がやります。モップをかけたらいいですか?」
「え? あ、でも、あとちょっとなんで大丈夫です。すぐ終わりますから」
さすがにスタッフでもない人に任せるのは良くないだろうと、翔は愛想笑いを浮かべて断った。
「誠也(せいや)、あなたの頼み方が悪いのではありませんか?」
スーツの男がすこし強い口調で叱責した。
それに体を震わせた誠也と呼ばれた男が、縋るような目で翔を見る。
「申し訳ありません。どうか掃除をさせてください」
その場に崩れ落ちるようにして這いつくばられて、翔の方が慌ててしまう。
(え、何……、どうなってんの……土下座?)
じゃ、お願いします、とも言えず、気まずい空気が流れた。
「翔くん、彼にやらせてあげてくれないかな?」
いつのまにかステージの脇から顔を出した有聖から声をかけられ、翔は「あ、……は、い」と情けない返事をして土下座する誠也の傍らにしゃがみ込んだ。
「あ、の、……これ。これで拭いたら終わりなんで、お願いしてもいいですか?」
「はい。すみません。ありがとうございます」
よろよろと立ち上がった誠也の顔が間近に見えた。薄暗い店内、照明が落ちたステージにいたからよく見えていなかった。
(この人、……ショーに出てた人じゃん)
フロアモップを持ち、端から丁寧に吹き上げていく様子からは先ほどの姿は想像できない。
「保井(やすい)さん、すみません。この子はまだ慣れていないんです」
ぼんやりしていた翔の肩に有聖の手が回った。
「それは申し訳ないことをしました。有聖くん、今日はありがとうございました。楽しませてもらいましたよ」
保井は翔に一瞥もくれず、にこやかに有聖と話しかけた。
「誠也くんには物足りなかったかもしれません」
「そんなことはありません。なかなか吊ったりできませんから、誠也も楽しめたと思います」
そんな会話を居た堪れない気持ちで聞くしかなかった翔に、「翔! こっちの片付け手伝って!」とパントリーの出入口から颯斗が手を振った。
(わ、天の助け! 颯斗さん!)
ちらっと肩に手を回したままの有聖を見上げる。
「ああ、行っておいで。またあとでね」
労うように肩を叩かれ、翔は有聖と保井にぺこりと頭を下げてから小走りでパントリーに逃げ込んだ。
「お前、何してんだよ。大丈夫か?」
「いや、もう、何が何だか……」
「ステージの掃除は終わったか?」
「あ、いや、それが、あの、誠也さんって人が今やってくれてる」
身振り手振りを交えて経緯を説明すると、颯斗がはぁと大きなため息をついた。
「そりゃ災難だったな」
「災難なんてもんじゃないよ。土下座するって、もうなんなの?」
情けない声が出た。
「簡単に言うと、プレイだな。なんつーか、羞恥プレイ的な感じじゃね?」
「え、あれってそうなの? 土下座が?」
「いや、土下座っつーか、……自分が撒き散らした体液を自分で掃除するのが」
「え? あー、あー、……そっかぁ」
なんとなく理解した。
もうすでにある程度掃除が終わっていても、自分が痛ぶられたステージを掃除させられるなんて恥ずかしいよな。しかも、自分からな頼みこんでまで掃除するなんて。
「とりあえず、さっさと片付けようぜ」
がっくりと項垂れた翔の肩をぽんぽんと颯斗が叩いた。
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