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こんなに近くにいるのに
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討伐部隊が到着するまでの間、寄り合い所には冒険者によって魔獣よけの札が貼られた。
札は魔法雑貨店や道具屋で見かける一般的な物だ。茶色っぽい紙に魔法の文字で何かの図形が描かれており、香草を染み込ませているのか薬のような匂いがする。
(こういうのって効くのかな?)
手持ち無沙汰だったニーナが壁に札を貼るのを手伝っていると、明るい金髪の若い冒険者は「こんなのでも無いよりはマシだ」とブツブツと独り言を呟いた。どうやら平原の魔獣に対してはあまり効果は期待できそうにないらしい。
(この冒険者の人も大変だよなあ……)
本来は馬車の護衛だったはずが、いきなり集落の防衛を任されれば憔悴するだろう。人のことを心配している場合ではなかったが、若い冒険者の疲労の滲む横顔にニーナは同情した。
(オレより年下……まだ十代くらいかな? 避難先がこんなことになるなんて普通は思わないよな)
もうすぐ夕方になる頃合いだが、討伐部隊はまだ到着していない。平原は広いので移動に時間がかかるとはいえニーナも焦りを感じていた。
「あっ、こら!」
そんな風に思っていると、冒険者が慌てた声で寄り合い所の扉に駆けて行った。
「出て来たらダメだって。魔獣に食われちまうぞ!」
見ると寄り合い所の扉から子ども達が顔を出していた。宿屋の子ども達だ。後ろには黒髪の男の子もおり、冒険者に叱られても困った顔で何か言い返している。
「だって、この子の母さんが寝込んじゃって」
「うん、お守りがいるんだって」
宿屋の子ども達は口々にそう言い、黒髪の男の子を気遣うように見た。黒髪の男の子は青い顔をして服の裾を握りしめている。
「お守り? あー……魔獣の瘴気に当てられたか。でもよ、今は少しばかり我慢してくれないと……」
若い冒険者は困った顔で頭を掻いた。
「何かあったんですか?」
ニーナも寄り合い所の扉に近づき、冒険者に話を聞くことにした。
「ああ、魔獣が出す瘴気に当てられちまったみたいだ」
「瘴気?」
「魔獣ってのは瘴気がある場所から生まれるんだ。だから魔獣自体も瘴気を纏っててな。たまに瘴気に耐性がない人間がいるんだが……」
ニーナは噂で聞く以外で魔獣についてはほとんど知らなかったので「瘴気」だの「お守り」だのといった言葉に首を傾げた。
「そういう奴は教会で加護を受けたお守りがないと、体が段々衰弱していくんだ」
若い冒険者は「この辺りに住んでるなら耐性がない方が珍しいんだけどよ」と深刻な顔で言った。
「ボクと……お、お母さんはこの辺には住んでなくって……王都に帰るところで……お父さんに、会いに行った帰りだから……だから、お守りは鞄にいつも、入ってて……」
黒髪の男の子はぽつりぽつりと口を開いた。たどたどしい説明をしつつ、今にも泣き出しそうな姿は痛々しくて見ていられない。
「お母さん、遊んでたボクを探して……慌ててたから、きっとお守り、持ってきてないんだ……」
こんな小さな子どもが責任を感じて震えている。ニーナはどうにか出来ないかと若い冒険者に尋ねた。
「そりゃ、お守りがあれば良いんだろうが……今、宿屋まで戻るのはダメだぞ! 良いか? 瘴気に当てられてるってことは、それだけ魔獣が近いってことなんだ」
若い冒険者は子ども達を諭すように言った。
「それに宿屋は集落の端の方だろ? そんな所に子どもだけで行ってみろよ。魔獣に狙ってくださいと言っているようなもんだぞ」
魔獣よけの札をひらひらと振り「こんな札なんか最近の魔獣にはほとんど効かないんだからな」と自嘲した。
「もう少ししたら討伐部隊が来るから。それまで我慢してくれ。俺だって連れて行ってやりてぇんだが……今、ここを離れる訳にはいかねぇんだよ」
寄り合い所には老人や子どもといった戦えない者が集まっている。自警団も今は寄り合い所周辺から離れないように警戒していた。現在一番実戦経験のある若い冒険者が持ち場を離れることは出来ないのだろう。
「で、でも……お母さん、すごく苦しそうで……し、死んじゃうかも」
宿屋の子ども達も泣きそうな顔で黒髪の男の子の頭を二人して撫でた。
「ああ、たくっ……どうすりゃ良いんだ」
若い冒険者は困った顔で腕を組んで唸った。ニーナも何か出来ることはないかと考えてみたが、魔獣に立ち向かえるような腕力は全くといって良いほどない。体を鍛えていなかったことをこんなに後悔したことはなかった。
(鍛えたからって魔獣を倒せるわけじゃないけど……こんな歯がゆい思いするなんて……)
瘴気というものは思っていた以上に厄介な物らしい。若い冒険者も答えを出せないまま唸り続けていた。現在集落に一人しかいない冒険者を宿屋に向かわせるとなれば、寄り合い所に何かあった時に対処することが出来なくなる。
(こんな選択出来るわけないだろ。集落の人達を危険な目に合わせるか、あの子の母親を見捨てるかなんて……)
瘴気で衰弱していく母親が討伐部隊の到着まで耐えることが出来なければ――ニーナは嫌な考えを思い浮かべてしまった。
そうこうしていると寄り合い所から宿屋の女将が慌てて出て来た。女将は冒険者にすまなさそうに謝罪し、自分の子ども二人を引き寄せた。そして「あんたもお袋さんについててあげないと」と言って黒髪の子どもの手を取り、連れて行こうとした時だった。
黒髪の子どもはスルリと女将の手から抜け出し、寄り合い所から駆け出してしまった。
「あっ、ダメだって! 戻れ! 戻れって! え、ちょっと、何であんたまで……戻って来いって!」
ニーナは冒険者が叫ぶ声が聞こえていたが、男の子を追いかけて走り出していた。
自分でもどうしてそんなことをしたのか分からなかったが、走り出さずにはいられなかった。
札は魔法雑貨店や道具屋で見かける一般的な物だ。茶色っぽい紙に魔法の文字で何かの図形が描かれており、香草を染み込ませているのか薬のような匂いがする。
(こういうのって効くのかな?)
手持ち無沙汰だったニーナが壁に札を貼るのを手伝っていると、明るい金髪の若い冒険者は「こんなのでも無いよりはマシだ」とブツブツと独り言を呟いた。どうやら平原の魔獣に対してはあまり効果は期待できそうにないらしい。
(この冒険者の人も大変だよなあ……)
本来は馬車の護衛だったはずが、いきなり集落の防衛を任されれば憔悴するだろう。人のことを心配している場合ではなかったが、若い冒険者の疲労の滲む横顔にニーナは同情した。
(オレより年下……まだ十代くらいかな? 避難先がこんなことになるなんて普通は思わないよな)
もうすぐ夕方になる頃合いだが、討伐部隊はまだ到着していない。平原は広いので移動に時間がかかるとはいえニーナも焦りを感じていた。
「あっ、こら!」
そんな風に思っていると、冒険者が慌てた声で寄り合い所の扉に駆けて行った。
「出て来たらダメだって。魔獣に食われちまうぞ!」
見ると寄り合い所の扉から子ども達が顔を出していた。宿屋の子ども達だ。後ろには黒髪の男の子もおり、冒険者に叱られても困った顔で何か言い返している。
「だって、この子の母さんが寝込んじゃって」
「うん、お守りがいるんだって」
宿屋の子ども達は口々にそう言い、黒髪の男の子を気遣うように見た。黒髪の男の子は青い顔をして服の裾を握りしめている。
「お守り? あー……魔獣の瘴気に当てられたか。でもよ、今は少しばかり我慢してくれないと……」
若い冒険者は困った顔で頭を掻いた。
「何かあったんですか?」
ニーナも寄り合い所の扉に近づき、冒険者に話を聞くことにした。
「ああ、魔獣が出す瘴気に当てられちまったみたいだ」
「瘴気?」
「魔獣ってのは瘴気がある場所から生まれるんだ。だから魔獣自体も瘴気を纏っててな。たまに瘴気に耐性がない人間がいるんだが……」
ニーナは噂で聞く以外で魔獣についてはほとんど知らなかったので「瘴気」だの「お守り」だのといった言葉に首を傾げた。
「そういう奴は教会で加護を受けたお守りがないと、体が段々衰弱していくんだ」
若い冒険者は「この辺りに住んでるなら耐性がない方が珍しいんだけどよ」と深刻な顔で言った。
「ボクと……お、お母さんはこの辺には住んでなくって……王都に帰るところで……お父さんに、会いに行った帰りだから……だから、お守りは鞄にいつも、入ってて……」
黒髪の男の子はぽつりぽつりと口を開いた。たどたどしい説明をしつつ、今にも泣き出しそうな姿は痛々しくて見ていられない。
「お母さん、遊んでたボクを探して……慌ててたから、きっとお守り、持ってきてないんだ……」
こんな小さな子どもが責任を感じて震えている。ニーナはどうにか出来ないかと若い冒険者に尋ねた。
「そりゃ、お守りがあれば良いんだろうが……今、宿屋まで戻るのはダメだぞ! 良いか? 瘴気に当てられてるってことは、それだけ魔獣が近いってことなんだ」
若い冒険者は子ども達を諭すように言った。
「それに宿屋は集落の端の方だろ? そんな所に子どもだけで行ってみろよ。魔獣に狙ってくださいと言っているようなもんだぞ」
魔獣よけの札をひらひらと振り「こんな札なんか最近の魔獣にはほとんど効かないんだからな」と自嘲した。
「もう少ししたら討伐部隊が来るから。それまで我慢してくれ。俺だって連れて行ってやりてぇんだが……今、ここを離れる訳にはいかねぇんだよ」
寄り合い所には老人や子どもといった戦えない者が集まっている。自警団も今は寄り合い所周辺から離れないように警戒していた。現在一番実戦経験のある若い冒険者が持ち場を離れることは出来ないのだろう。
「で、でも……お母さん、すごく苦しそうで……し、死んじゃうかも」
宿屋の子ども達も泣きそうな顔で黒髪の男の子の頭を二人して撫でた。
「ああ、たくっ……どうすりゃ良いんだ」
若い冒険者は困った顔で腕を組んで唸った。ニーナも何か出来ることはないかと考えてみたが、魔獣に立ち向かえるような腕力は全くといって良いほどない。体を鍛えていなかったことをこんなに後悔したことはなかった。
(鍛えたからって魔獣を倒せるわけじゃないけど……こんな歯がゆい思いするなんて……)
瘴気というものは思っていた以上に厄介な物らしい。若い冒険者も答えを出せないまま唸り続けていた。現在集落に一人しかいない冒険者を宿屋に向かわせるとなれば、寄り合い所に何かあった時に対処することが出来なくなる。
(こんな選択出来るわけないだろ。集落の人達を危険な目に合わせるか、あの子の母親を見捨てるかなんて……)
瘴気で衰弱していく母親が討伐部隊の到着まで耐えることが出来なければ――ニーナは嫌な考えを思い浮かべてしまった。
そうこうしていると寄り合い所から宿屋の女将が慌てて出て来た。女将は冒険者にすまなさそうに謝罪し、自分の子ども二人を引き寄せた。そして「あんたもお袋さんについててあげないと」と言って黒髪の子どもの手を取り、連れて行こうとした時だった。
黒髪の子どもはスルリと女将の手から抜け出し、寄り合い所から駆け出してしまった。
「あっ、ダメだって! 戻れ! 戻れって! え、ちょっと、何であんたまで……戻って来いって!」
ニーナは冒険者が叫ぶ声が聞こえていたが、男の子を追いかけて走り出していた。
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