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元勇者の朝帰り(ハル視点)

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 古めかしい上等な服を着た魔族の男は木陰に佇んでいる。つまらなさそうに欠伸をすると、手から槍のような黒い炎を出し、村人と揉み合う狼人間ごと炎で貫こうとしたのでルイスが護符を投げつけ、ハルは狙われていた村人を突き飛ばした。放たれた炎は風に巻かれて黒く燃え上がったがそのまま散り散りになって辺りの木々を燃やした。

「ハルも早く!」

 護符によって突風が吹き荒れる中、ルイスは背負っていた村人を防衛魔法の陣に放り投げた。

「あ……」

 ハルは炎を阻まれて不愉快そうな顔をする魔族の男と目が合ってしまい、数秒停止した。

 両親の敵である魔族の男は黒髪に赤目、額には角が複数生え、人ではないと分かるのに魅入られるように美しいと感じてしまう。そして手には黒い炎――

(こいつ……もしかしてオリエンスか?)

 ゲームのハルはオリエンス卿という魔族の力に魅せられて闇落ちする――

「ハル!」

 切羽詰まった声を上げて、ルイスがハルの方へ護符を投げつけて駆け寄って来た。見れば狼人間が背後に迫っており突風に煽られて足をもつれさせている。

 ルイスは突風に紛れて狼人間達から死角になる植え込みの後ろにハルを引っ張り込み、乱れた呼吸を整えた。

「はぁ……はぁ……村の人は僕が連れて行くよ」
「あ、ああ……」

 ハルはこんな時に集中力を欠いてしまった自分を恥じた。闇落ちする予定などさらさら無いのにオリエンスの存在に気を取られ、背負っている村人、そしてなによりルイスを危険に晒してしまったことを恥じ入った。

「護符が……もう無いんだ」
「俺が道を作るよ。防衛魔法陣まで走れるか?」
「分かった!」

 ハルが背中から村人を下ろすとルイスが背負い直し、村人に励ましの言葉をかけていた。植え込みの後ろから気配を殺して様子を窺うと、狼人間が四方八方から集まって来るのが見える。

 元冒険者の村人達や村長がわらわらと近寄って来る狼人間を魔法や剣技や弓で蹴散らしているが、押されている様子が感じ取れた。長引けば防衛魔法は破られ、このまま村は――

 ハルは暗い考えを追いやるように首を振った。まだ希望はある。村長が領主に早馬を出している。報せが届けば領主が私兵を伴って村にやって来るはずだ。

(希望を捨てたらダメだ。この世界がソードストーリー……聖なる剣の物語なら絶対に希望は残っている。俺はそれを知っているし……信じているんだ!)

 剣を握りしめて息を吸い込んだ。剣は狼人間の血のせいか刃が欠け始めている。あともう少し持ち堪えてくれとハルは心から願い、ルイスの方を向いて頷き合うと二人で植え込みから駆け出した。

 後ろを走るルイスを庇いながら、ハルは寄って来る狼人間を薙ぎ倒していった。防衛魔法の陣が張られた寄合所はすぐそこのはずだが、ハルはベギン村の寄合所をこんなに遠く感じたことはなかった。刃についた血を拭う暇もない。

 幸いなことか分からないが、オリエンスは始終興味なさげに木陰から見物しており、狼人間に加勢する様子がない。どうやらこの襲撃に飽き「取るに足らないつまらない出来事」と認識している風だった。

(オリエンスが直接手を下せば、きっと狼人間の比じゃない程厄介なんだろうけど、俺達を虫けらぐらいに思っているのが分かって死ぬ程腹が立つ……!)

 ハルはオリエンスについてはマーガレットから聞いた以上のことを知らないが、こんな奴の力に魅入られて闇落ちするだなんて「聖なる剣の物語」のハロルドことハル・グリーンウッドはセンスが無いなと自分のことながら呆れ、そして自然と笑みが零れていた。

(俺は力に魅入られたりなんて絶対にしない。この世界には守りたい大事な物が沢山ある)

 狼人間を斬りつけ、怯んだ狼人間にトドメを刺し、ルイスの腕を引っ張って狼人間を避け、時折屈み込んで狼人間の脚を払い――キリがない攻防はしばらく続き、ハルの持っていた剣の刃はとうとう中央辺りからバキリと折れてしまった。

「っ……!」

 目を見開き、ハルは間の悪さを憎んだ。剣術大会ではないので剣が折れたからといって相手の動きが止まる訳がない。

 ハルは折れた剣を持ったまま狼人間が伸ばす鋭い爪を避け、揉み合いながら短い刃を鎧の隙間から喉に強引に突き立てると、吹き上がる黒い血しぶきが目に入り視界が一瞬暗くなった。その隙にルイスは背負っている村人ごと引き倒され、ルイスは何が起こったのか分からない風だったが、村人を庇うようして腕を背中に回し、倒れた二人に狼人間が爪を振り上げ――ハルは体と頭の反応速度が噛み合っていないせいか、全ての動きが妙にゆっくりに見えた。

「ルイスッ!!」

 ハルは叫んで身を乗り出した。狼人間に脇腹を引き裂かれたが、そんな痛みに構ってる暇はない。

 剣も護符も失い、身一つでどこまで狼人間を倒せるか分からない。それでもすぐ目の前で愛しい幼馴染が殺されようとしている――

(どうして今剣が折れたんだ。これじゃこんな近くにいるルイスに届かない。こんな短い剣じゃ誰も助けられないじゃないか!)

 オズワルド曰くハルの魂の光は二つあるらしい。恐らく今のハルと前世のハルの分だろう。それなら二人分痛みに強く、二人分誰かを助けられないと意味がない、その時のハルは強くそう感じた――妙に心臓がドキドキと鳴っている。前世のハルも今世のハル・グリーンウッドの中で生きていて、この状況に悲鳴を上げているのだろう。

(俺は……皆を助けられる力が欲しい。そのためなら俺は)

 そしてハルの思いに応えるかのように、遠くの方で大きな雷のような音がした。村人達の悲鳴や怒号、狼人間達の遠吠えがこだまする中、その遠雷は酷く清浄な音に聞こえた。

 ハルは爪を振り上げる狼人間に脇腹から流れる血も気にせず組み付くと、頭の中に知らない声が響いた。

『星に愛されし勇ある者よ、望む力をその手に』

 ハルは一瞬何が起こったか分からず、瘴気や黒い血で自分の頭が錯乱しているのかと疑った。

「皆を……ルイスを守れる力なら俺は……悪役だろうが、勇者だろうが、何にでもなってやるから、力を寄越せっ……!」
 
 狼人間と組み合いながら掠れた声で途切れ途切れに叫ぶと、雷のような音は一際大きく鳴り、辺り一帯が光に染まった。

 ほんの少しの間だったが、敵も味方も時が止まったように動かなくなり、光の中で銀色の塊が目の前に現れた。ハルはその銀色の塊を何の躊躇いもなく掴み取った。ただただ狼人間を倒す手段が欲しかったからだ。

 銀色の塊は手に取ると美しい剣の形になった。手にしているだけで瘴気や黒い血で動かしにくくなっていた体が清められるような不思議な力を感じる。

 ハルはそれが何の剣かを考える前に、銀色の刃を目の前の狼人間の首筋に突き立てていた。そうすると止まっていた時は動き出し、村人や狼人間の怒声が響く中、オリエンスが憎々しげに呟く声が聞こえた。

「貴様、剣に選ばれたのか」

 赤い目が増悪に染まっているのが見える。ハルはやっと状況を理解することが出来た。

『ベギン村のハル・グリーンウッドは異世界転生し前世の記憶を持ちながら一般村人として生きていたが、村や幼馴染のルイスをどうしても守りたかった。そのためには力が欲しい。悪役や勇者になれるような強い力が欲しい。窮地に陥ったハルの切なる願いに聖なる剣が応え、望み通り力は授けられた――』

 これがゲームならばそんなあらすじだろうか、ハルは辺りを見回しながら思った。剣の聖なる力の影響か頭の中は妙に冴え渡っている。解けなかった問題の答えを今日初めて理解出来たような気分だ。

 ルイスは目を見開き、見慣れない剣を持つハルを見て瞬きを繰り返している。オリエンスが忌々しそうに顎をしゃくると、狼人間達は村人の相手を止めて爪を構えてハルの方を向いた。ハルは剣を握りしめ、にじり寄って来る狼人間達に意識を集中させた。

 グラステラ王国暦1195年、ハル・グリーンウッドが剣に選ばれし勇者となる物語はついに幕を開けたのだった。


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