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元勇者の懊悩(ハル視点)

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 マーガレットが本を借りてから数日が経ち、ハルは自室でソードストーリーについて記載した帳面を整理していると、一冊足らないことに気がついた。

(ついこの間まであったし、無くすような場所じゃないんだけど)

 ソードストーリー関連の物は机の上の本棚だ。部屋の掃除は自分でしており、最近部屋に入ったのは両親の他にルイスとマーガレットくらいだ。帳面を持って行く理由がない。

 ハルが首を傾げて考えていると、あることを思い出し「あ」と小さく声を上げた。

(この間、机の上にある本をマーガレットが借りて行ったから、帳面を間違えて持って行っちゃったとか……?)

 ハルは頭を抱えた。もしもマーガレットの手に帳面が渡っていればややこしいことになる。

(いや、まだそうと決まったわけではないし、それとなく探りを入れてみるか……?)

 もし中身を見られても「空想の物語を考えていた」と言い訳は以前から用意してある。

(そうだ。見られたって別に問題はない。あまり心配し過ぎて変に思われないようにしないと……)

 そう思い直し、その日は何も行動を起こさずに静観することを決めた。

 そして帳面については何も進展がないまま数日が経ち、両親が村外れにある農場で畑仕事をしているのを手伝っていると、ルイスが慌てた様子で駆け寄って来た。

「ハル……!」
「ルイス、どうしたんだ?」

 幼馴染の切羽詰まった様子が珍しくて、ハルは首を傾げた。

「あのね……昨日から、マーガレットが熱を出して、寝込んでるんだけど……」
「熱を……それは心配だな」

 マーガレットは一昨日に誕生日を迎えて4歳になったばかりだ。ハルも誕生会に呼ばれたのでルイスと並んでお祝いをした。その後に熱を出したのなら気の毒だなとハルはルイスを慰めるような目で見つめた。

「薬は飲んだのか? 俺が前に熱を出した時の薬がまだ残っているかもしれないから聞いてみようか?」
「ううん、薬はお医者さんを街から呼んで診てもらったから、大丈夫なんだけど……マーガレットがハルと話したいって、うわ言みたいに言うんだ……それで、それで……僕……」
「分かった。行くよ」

 ハルはルイスが泣き出しそうな姿に酷く胸が痛んだ。テキパキと畑仕事用の革手袋を脱ぎ、両親にマーガレットが熱を出したことを伝えるとルイスと二人で農場から駆け出した。

(マーガレットはまだ小さいから、熱の時に誰かが側にいないと不安になるんだろうな。何で俺なのかは分からないけど……ルイスのこんな姿見たら何かせずにはいられない)

 ルイスの辛そうな姿をハルは見たくなかった。自分が少しでもルイスを助けられるのならと、ただただそれだけの思いで力いっぱいにルイスの家を目指して走り続けた。

◇◇◇

 ルイスの家はベル道具店の店舗から道を挟んですぐ向かいにある。今の時間、両親が道具屋を開けているので、つきっきりでルイスが妹の看病をしていた。

「昨日より熱は下がったんだけど……」

 マーガレットの部屋は二階にあるので、ルイスと一緒に階段を上った。

(ルイスがすごく憔悴している。こんな時恋人だったら抱きしめて「俺がついている」なんて言って慰めてあげられるのに……)

 ハルはルイスの寂しげな背中を見つめながらそんなことを考えていた。マーガレットの部屋の扉を開けたルイスが「入らないの?」と首を傾げたので、慌てて中に入った。

「マーガレット、ハルが来てくれたよ」
「ハ……ル……」

 水色の壁紙が貼られた可愛らしい部屋のベッドにマーガレットは横たわっていた。額に濡れタオルが載せられ、人形のような顔は紅潮し、声は途切れ途切れに掠れている。ルイスにベッド脇の椅子に腰掛けるよう促されたので、背の低い椅子にハルは座った。

「マーガレット、熱が出たんだってな」

 ルイスはマーガレットのタオルを取り、ベッド横の棚に置かれた水桶で濡らしてから額へ戻した。

「お兄ちゃん……ハルと、二人で、話したいの……ごめん、なさい」
「良いよ。大丈夫。僕は下にいるから、好きなだけ話したら良いからね」

 ルイスはマーガレットの髪を撫でると「何かあったら呼んで」とハルに告げて部屋を出て行った。

「どうしたんだ。マーガレット。俺にしか言えないことか?」

 小さな体が熱に耐えている姿にハルは前世の記憶を思い出していた。こんな時は誰か側にいてもらいたい――ハルにはその苦しみを理解することが出来た。

「わ、私……ハルの帳面、持って来ちゃったの……あやまり、たくて……」
「良いから寝てろって」

 震えながら起き上がろうとしたので、手で静止した。

「図鑑に、挟まっていて……お誕生日が、おわってから気づいて……」
「良いよ。帳面くらい、謝ることじゃない」

 ハルは平静を装っていたが「やっぱり」と内心ヒヤヒヤしていた。

(やっぱりマーガレットが持って行ってたんだ。見つかって良かったけど……中身は、読んだのだろうか)

 帳面にはソードストーリーのマーガレット・ベルに関する記述が含まれており、思い出せる限りの時系列が記されている。マーガレットがもしも中身を見たのなら奇妙に感じるに違いなかった。

「帳面のことなんて気にしなくて良かったのに。熱で辛いだろ」

 ハルは何気ない風を装い、スッと立ち上がった。

「帳面は持って帰るよ。どこにあるんだ?」
「わ、私の……机のうえ……」
「分かった。辛い時に気にさせてごめんな。ありがとう」

 机の上にある帳面を取るとマーガレットが何かをボソリと呟いた。

「マーガレット、何か言ったか?」
「私、知らないことなのに……分からないのに、おもい、だしたの……」
「何を思い出したんだ?」

 ハルはマーガレットの側に行くと、人形のような顔を歪めてシクシクと泣き始めた。

「わ、私が……私じゃなかった頃の、知らない、はなしが……私が、前に……生きていた頃の、こと……頭のなかにいっぱい……」

 マーガレットは「私が、マーガレットじゃなかった頃のはなし」と絞り出すように言った。

(何だ、まさか、マーガレットは……)

 ハルは自身に以前起こったことを思い出していた。高熱を出し、知らない記憶を延々と見せられ、自分が以前何者だったのかを知ったあの日のこと――今のマーガレットもあの時の自分と似た状況なのではないか――

「マーガレット、帳面の中を見たのか?」
「……ごめんなさい」
「それで……思い出したんだな」
「わからないけど……ハルも私と、同じなの?」
「うん」

 マーガレットはどこか安心したような表情になった。それから「あなたも前は違う世界で生きていたんだね」と妙に大人っぽく呟き、ふっと意識を失うように寝息を立て始めた。

◇◇◇

「――うん、俺の帳面を持って来ちゃったことが気になって仕方なかったんだって」
「そう……あの子、今は?」
「別に良いから気にするなって言ったら、安心したのか寝ちゃったよ」

 マーガレットが眠りに落ちてから、帳面を持ったまま部屋を出て一階に降り、階段の脇でソワソワしていたルイスに声をかけた。ルイスは話を聞いて「マーガレットは気にしいだからなあ」と困った風に微笑んだ。

「ありがとう、ハル。家の手伝いをしていたのに、来てもらっちゃって……」
「気にするなよ。ルイスの頼みなら、このくらいなんてことないし」
「ハル……」

 ルイスは嬉しそうな、泣きそうな顔をした後、ガバリとハルに抱きついてきた。

「ル、ルイス……!?」

 ハルは突然のことに驚きながらも、ルイスのサラサラの髪が顔に当たることや、温かい体が自身を抱きしめていることにドキドキしてしまった。

「本当にありがとう。マーガレットがうなされるみたいに、ハルの名前を呼んで……うわ言を言い出して、もしかしたら、し、死んじゃうじゃないかって……不安で……怖くて」

 ハルもルイスを抱きしめ返した。ハルは弱っているルイスを抱きしめていることを嬉しいと思ってしまい、後ろめたさを感じた。

(俺は嫌な奴だ。恋人だったら抱きしめたいなんて想像していたのが叶って嬉しく思っている……ルイスはマーガレットが大事で、今すごく不安なのに)

 ハルはしばらくの間ルイスの背をポンポンと撫でていたが、小さくため息を漏らしてスッと体を離した。

「……俺は、そろそろ行くよ」
「うん……ありがとう」

 ルイスは涙目になっており、ハルはまた抱きしめたくなったが何とか耐え、手を伸ばしてルイスの目の端の涙を指先で払った。

「ルイスも気をしっかり持って。俺で良ければ、いつでも力になるから」
「分かった……ハルは、本当に頼りになるなあ」

 眉を下げてルイスは力なく微笑んだ。切なげな姿にハルは胸が締め付けられるような気分がして「それじゃあな」と足早にルイス宅を出て行った。

 早足で農場へ歩いて戻りながら、ハルは胸をギュッと押さえた。

(涙をあんな風に払いのけるなんて、キザな奴だと思われたかも。でも、弱って俺に抱きつくルイスは……すごく……すごく可愛かった……!)

 マーガレットからだいぶ衝撃的なことを聞かされたのに、ハルの頭の中はもうルイスでいっぱいになっていた。 

(ルイスって自分が可愛いのを分かってないのかな。たまに、すごく、俺を翻弄するような行動をして来る……)

 ソードストーリーや帳面やマーガレットのことなど、考えなければならないことは沢山あるのに、ルイスのサラサラの髪の毛や、温かい体、涙を堪えているような声色――全てが頭の中から離れなくなってしまった。

(ああっ! ダメだ、ダメだ!! ルイスのことが好き過ぎて……今は何も、考えられないっ!!)

 ハルはフルフルと首を振ると、早足から段々と駆け足になり、気がつくと農場まで全速力で駆け出していた。


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