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第一部
野心
しおりを挟むギルドが倒壊して監査どころではなくなってしまったので、僕はとりあえず役所に向かうことにした。
市街地までの道中は、エジルさんの運転する魔動四輪に乗せてもらったのだけれど……うん、酔った。
気持ち悪い。
こんな便利な乗り物、役所でも用意してくれればいいのにと最初こそ思ったが、どうやら僕は車移動に向いていないようである。
「情けないのー。ちょっとばかし揺れただけじゃろうが」
同乗していたベスは特に不調はないようで、元気に僕を罵倒してくる。
ちなみに、「竜の闘魂」のソリア支部が崩壊した責任を、ベスは取らずに済むことになった。
サブマスターであるジンダイさんが不問に付すと言ってくれたお陰だ。
「別に儂の所為じゃないしー。あのトカゲが暴れたからじゃしー」
「いや、そもそもベスが喧嘩を吹っ掛けなければよかった話だろ……。二百年前はどうだったか知らないけど、現代は無暗に攻撃魔法を使うと犯罪になるんだよ」
「息苦しい世の中になったもんじゃのぉ……大体、魔法なんてそこら辺に溢れておるんじゃから、規制したってしかたなかろうに」
彼女の言うことももっともだが、しかし人間が集まる場にはルールが必要なのだ。
例え生き辛く感じても、秩序を守るためには従わななければならない。
「ま、そういう生き方がスマートじゃと思うのならそうすればいいが……しかし先程のギルドの面々、見た目こそ悪趣味じゃったが心意気には感心するものがあったぞ」
「心意気……?」
「うむ。二百年前、もっと言えば千年前から変わらぬ、冒険者の心意気じゃった。誰もが野心をもち、ただ強くなることにひたむきな心……それこそ、儂の知る冒険者じゃ」
「……」
ベスは昔を懐かしむように遠い目をした。
まるで、特定の誰かを思い描いているような、優しい目。
「己の強さがどこまで通用するのか試さずにはいられないのが、冒険者という人種じゃった……その昔、ダンジョンに潜る理由は腕試しの側面が大きかったからの。今は資源がどうの金がどうのと、その理由も薄っぺらくなってしまったようじゃが」
「……でも、生きていくうえで金は必要だろ? 冒険者だって生活があるんだから」
「ただ生きるだけなら金は必要じゃが、魂を生かすためには冒険が必要という話じゃ」
木陰に座って休む僕を見下ろすように、ベスは腕を組む。
「儂が興味を持つ人間は、己の魂を輝かせようとしておる者たちじゃ。先のジンダイなんかはいい例じゃが、あやつ、金も名誉もクソくらえといった顔をしておったじゃろ?」
「確かに、あの人はなんか違うよな」
「自分の力がどれ程のものなのか証明するために、ひたすら強き者を追い求める……あそこにおった人間は、そのわかりやすい考えに共感する者ばかりじゃった。故に、面白い」
「言いたいことは何となくわかるけど、どうしてそれを僕に言うんだ?」
「忘れたのか。儂もお主に興味を持っていることを」
ベスが興味を持つのは、魂を輝かせようとしている人間。
僕もそうだということなのか?
「お主は他人のためなら簡単に命を投げ捨てられる奴じゃ。ただの他人ならまだしも、自分を裏切って殺そうとした相手すら助けようとするんじゃから、こりゃもう目も当てられん」
「……返す言葉もないよ」
「じゃが、目も当てられんというのは、それだけ魂が光っておるということじゃ。眩し過ぎて眩し過ぎて、とても直視などできない……じゃからこそ、儂はお主に興味を持ったわけじゃ」
「……」
何となくポジティブなことを言っているんだろうけれど……僕には彼女の言葉が理解できなかった。
他人を助けるために命を捨てる、なんて。
安定を望む僕からすれば、ただのおかしい自己矛盾でしかないのだから。
「今一度問おう。お主は何故他人を助ける」
「……そんなの、理由なんてないよ。確かに僕は破滅的な自己犠牲をしているかもしれないけれど、そしてそれがベスの目には珍しく映ったのかもしれないけれど、望んでやってるわけじゃないんだ」
「ほう。と言うと?」
「僕の望みは、何事もなく安定した生活を送ることだよ。シリーたちを助けにいったのは、たまたまそういう状況だったってだけで……何らかの確固たる意志があったわけじゃない」
そもそも論で言うなら、僕程度の実力しかない人間が、誰かを助けようなんておこがましい発想なのだ。
だが、そんな僕の後ろ向きな言葉を聞いて。
ベスは――笑った。
「たまたまそういう状況にあっても、多くの者は助けにはいかぬよ。ましてや、自分が絶対死ぬとわかっているのに、裏切り者のために行動できる奴など、存在しない。いてはならないんじゃ、そんなふざけた奴はな」
「いてはならない……」
「そうじゃ。そんな、利益や都合や倫理や正義感や常識やルールや世間体や秩序を勘定に入れずに、自分を害した者を助ける人間など現実にいてはならぬ。物語の主人公ならまだしも、の」
「……」
「人間は理性的な生き物じゃ。人間に限らず、知性ある種族は大なり小なり理性に縛られておる。じゃが、お主は違う。お主の魂は理性に縛られず、どんな状況であっても相手が誰であっても、人を助けてしまうんじゃ」
今まで意識したこともない自分の内面をズバズバと断言され、不快な気持ちになると思ったけれど。
僕は不思議と、ベスの話をうんなり受け入れていた。
それはきっと、彼女の言葉の大部分が的を得ているからなのだろう。
「いい人だからでは説明がつかん。常人の魂とは良くも悪くも異なった性質を持っておるからこそ、儂は惹かれたんじゃ。この話を聞いてもまだ、自分は安定した生活を望んでるんだ~とか、腑抜けたことを言うのか?」
「……」
監査係の仕事。
その他の、いわゆるデスクワークと呼ばれる仕事。
僕がやりたいのは、そうした危険から縁遠い仕事のはずだ。
それなりの給料をもらって、それなりの人間関係を築いて、それなりに幸せに暮らす。
安定した暮らし。
なんて素晴らしい響きなんだ、安定最高。
――でも。
僕の魂は、どう思っている?
正直、魂なんて抽象的すぎる表現にピンときてはいない。
なら――仮に目の前に瀕死の人がいて、今にもドラゴンに食べられそうだとして。
そいつは僕を殺そうとした人物で、しかも助けにいったら代わりに僕が食べられてしまうとして。
僕は、一体どうする?
「お主に足りないのは、魂に見合う野心だけじゃ。このまま腑抜けた仕事をしておったら、死ぬまでそれを見つけることはできんぞ」
ベスの幼くも芯の通った声が、僕の頭に反響する。
「僕は……」
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