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 三年生になった。

 それも――夏真っ盛り。


「よっ、前田さん」


 うだるような猛暑の中、相も変わらずジャグに水を汲む私に、市原くんが声を掛けてくる。


「どうも、市原くん」


 今日は現役最後の部活。昨日行われた夏の大会で見事二回戦敗退を決めた我がサッカー部は、大人しく引退という二文字を引っ提げて、受験勉強に励むことになる。

 ちなみに、最後の最後まで水汲みの雑用をやめなかった私のことを、女子マネージャー陣は尊敬と皮肉を込めて「ジャグじょ」と呼んだ(普通にダサい)。


「サッカー部、残念だったね。めえちゃめちゃ強豪校とあたったらしいじゃん?」


「私たちに勝ったとこが優勝したんだ……市原くんはどうだったの? 剣道部も昨日大会があったんだよね?」


「あー……」


 彼は頭をポリポリと掻き、恥ずかしそうにはにかむ。


「負けちゃった。惜しいところまではいったんだけど……俺も今日から、受験生の仲間入りってこと」


「……残念だったね」


「剣道人生が終わったわけじゃないし、大学生になったらまた鍛え直すさ」


「無事になれるといいけど」


「酷くない? これでも勉強頑張ろうって気合入れてるのに」


「ごめんごめん……とにかく、お疲れ様」


 そうか、市原くんも引退なのか。

 私たちの青春の一ページは、幕を下ろしたことになる。

 そして――同時に。

 考えないようにしてた問題にも、目を向けなければならない時がきた。


「あ、これ、ココア」


 そう。

 クラスの違う私たちが、唯一つながりを保てていたこの時間が――なくなってしまう。

 無糖ココアを手渡す、たった数分の関係。

 それが今、終わろうとしていた。


「ありがとー!」


 彼はいつものように無邪気な顔で缶を受け取り、プシュッと蓋を開ける。

 ココアの香りが、漂った。


「……」


 美味しそうにココアを飲む市原くん対し、どう話しかけていいのか戸惑う。

 これを飲み終わったら、私たちの関係どうなってしまうのだろう。

 私は、どうしたいのだろう。


「ごちさうさま! 前田さん、ちょっと待っててもらってもいい?」


 言葉がまとまらずにいる私を残し、彼は道場の方へと走っていった。

 しばらくして戻ってきた彼は、大きめの段ボールを抱えていた。


「これ、今までのお返し! お父さんへお礼と、前田さんにもお礼!」


 どん! と置かれた段ボールの中身は――細長いスナック菓子。


「……『うめえ棒』」


「そ。貰いっぱなしは悪いから、せめてもの気持ち的な。それに前田さんも部活引退だし、お疲れ様の意味も込めて」


「……」


 駄目だ。

 泣きそう。

 こんなお返しを貰うなんて想像もしてなかったから、あまりに突然すぎて心の準備ができていなかった。

 いろんなものが込み上げてきて、それを止めるので精一杯で、なんにも言葉が出てこない。


「えっと……大丈夫? いらないなら全然捨ててくるけど」


「……大丈夫、嬉しいよ。ありがとう、市原くん」


 私は泣きそうな顔を見られたくなくて、下を向き俯く。

 私と彼の関係。

 甘くない無糖ココアがつないでくれたこの関係を。

 私は――終わらせたくないんだ。




「……市原くん」


「なに、前田さん」


「今日でお互い、引退だね」


「そうだね、お疲れ様」


「これからは、受験勉強が始まるね。市原くん全然勉強してなかっただろうから、大変だね」


「ヤなこと言うねー。ま、死ぬ気で頑張るしかないけど」


「そんな死ぬ気で頑張る受験勉強のお供に、無糖ココアがあったら嬉しくない?」


「……確かに、ブラックコーヒーみたいでよさそう。それに周りに飲んでる人もいないし、特別感が出る」


「何それ、かっこつけ……じゃあ、毎日ココアが飲めたら、市原くんはどれくらい喜ぶ?」


「そりゃもうめちゃめちゃ喜ぶよ。勉強のやる気も出るだろうし……でも、何より」




 言って。

 彼は、私の顔を覗き込む。



「恋人がいたら、毎日ハッピーなんだけどな……前田さんは、どう思う?」


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