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橋本さんは感じやすい
しおりを挟む「私と付き合ってくれませんか?」
高校三年生になったばかりの四月下旬――桜はもうすっかり散ってしまって、僕らの青春も終わりを告げ始めたななんて哀愁に似た気持ちが漂う今日この頃。
茜が差す放課後の教室で、僕は同級生の女の子から告白をされた。
「えっと……」
生まれてこの方異性に告白された経験のない僕こと扇達也が、この状況に則する切り返しを思いつけるはずもなく、ただポカンと口を開けるだけである。
「あなたは私の運命の人なの、扇くん」
追い打ちをかけるように言葉を重ねるのは、誰あろうクラスのアイドル橋本理沙だった……夢だろうか、うん夢に違いない。
「……誰かと勘違いしてない? 僕たち、同じクラスになったのも今回が初めてだし……」
橋本さんはその美貌から、入学時点で学校中の噂になっていた。陶器のように白い肌、異国の血が入ったような綺麗な瞳、一度も染めたことがないであろう艶やかな黒髪……全てのパーツが相乗効果を生み出し、芸能人顔負けの美しさを演出している。
一方僕は、ただの冴えない一般生徒だ。部活だって入っていないし、成績も中の下、目立つところは何もない、平々凡々な高校生である。
そんな僕に、この春同じクラスになったばかりの橋本さんが告白する可能性は、どう贔屓目に見積もっても0パーセントだった。
「勘違いなんてしてないわ。扇くん、扇達也くん……私、感じたの」
言って。
彼女は一歩、僕に近づく。
「私と付き合ってくれませんか?」
冒頭のセリフを繰り返された僕は。
静かに――頷く他なかった。
◇
なんて、本当は今すぐ歓喜の叫びをあげたかったのだけれど、しかしそんな奇行をすれば橋本さんが引き潮が如く引いてしまうのは目に見えていたので、ぐっと堪えたのだ。
自分の理性と自制心に感謝しかない。
そんなこんなで。
扇達也は、橋本理沙と付き合うことになった。
ステディである。
カップルと言ってもいい。
まあ名称なんて何でもいいが、齢十七にしてやっと、やっと僕に初めての彼女ができたのだ。しかも相手は容姿端麗、面向不背、八面玲瓏の橋本さんだ。やばい、ニヤケが止まらない……。
僕はあの後、彼女と連絡先を交換し、用事があるから先に帰るという後ろ姿を見送って、一人帰路についている。
……連絡先すら知らない僕にどうして告白したのかなんて、細かいことは気にすまい。
大切なのは、橋本さんと付き合えたという事実だ。
「ふんふふーん……」
鼻歌交じりに軽快なステップを踏みながら、僕はこの空前絶後の喜びを分かち合うために電話を掛ける。
相手は小学校からの悪友、友田翔だ。僕同様帰宅部のあいつは、放課後になるとすぐ教室を出て近所のゲーセンに繰り出す。趣味があるのはいいことだが、騒音が嫌いな僕からすれば、そこだけは永遠にわかりあえない。
「あ、もしもし友田?」
『おーう、どうした』
案の定、後ろからガヤガヤとした音が聞こえてくる……いつもなら店の外に出てくれと頼むが、今日ばかりは機嫌がいいので許そう。
「実は、とんでもないビッグニュースがあるんだ」
『なんだよ改まって。きもいな』
「うるせー、黙って聞いてくれ……クラスに、橋本さんっているだろ?」
『あー、あのめちゃかわ委員長な』
「別に委員長ではないけど……その橋本さんと、付き合うことになったんだ。運命の人なんて言われちまったぜ」
急に友田が黙った。
あまりの衝撃に頭のネジでも飛んだか、それとも冗談だと思って信じていないか……まあ後者だろうなと、彼が話すのを待っていると。
『あの噂、本当だったんだ』
予想していなかった言葉が聞こえてきた……噂?
「噂って、なんだよ」
『……橋本さん、男子に運命の人だから付き合ってって告白して、二週間も経たずに振るらしいって噂。そうやって相手を弄んでるんじゃないかって、一部じゃ盛り上がってるぜ』
ふーん……。
その話、詳しく教えて?
◇
僕と橋本さんが付き合ったという話はクラスに広まっていなかった。それも当然で、その事実を知るのは僕と彼女と友田しかおらず、誰も周りに話していなければ広まるはずはない。
「あの、ちょっといいかな」
放課後、いそいそと帰り支度をしている彼女を教室から連れ出し、僕らは中庭のベンチに向かった。ここなら人通りが少なく、邪魔されずに話ができる。
「どうしたの? 私、この後塾があるんだけれど」
「……僕のどこを好きになったのか、教えてもらってもいい?」
まさかこんな女々しい質問をする日がこようとは……でも、僕は確かめなければならない。
彼女の本心を。
「それはどういう意味かしら?」
「……噂を聞いたんだ。橋本さんと今まで付き合ってきた男子は、みんな二週間以内に振られてるって……そうやって、相手を弄んでるだけなんじゃないのかって」
考えてみればこれ程失礼な物言いもない。
ただこの時の僕は、彼女の気持ちを慮ることができなかった。噂通り僕のことをからかって遊んでいるだけなのではという疑念が、頭から離れなかった。
しかし。
そんな僕に怒るでもなく――彼女は淡々と口を開く。
「好きなところは、ないわ。でも、運命の人だって感じたの。それが告白した理由よ」
「それじゃあ、噂は正しいって認めるってこと?」
「いえ。確かに事実として、私は今までお付き合いした人を二週間以内に振っている。けれど、決して弄ぶ気持ちがあったからじゃない」
「じゃあ、一体どうして……」
僕の問いに対し、橋本さんは静かに息を吐く。
「……みんなこう言うの。『気持ち悪い』って」
「き、気持ち悪い……?」
「好きでもない相手に告白するのはおかしいんですって。理由もないのに運命の人だなんて言われて、気持ち悪いんですって」
「……」
自分のことを好きではない人から告白される……確かに、それはどこか理屈の破綻した気持ち悪さを有している。
「好きじゃないけど、でも感じちゃうの。この人が運命の人だって、第六感で、女の勘で、そう感じちゃうの……それって、そんなにいけないことかな?」
「それは、橋本さんの自由かもしれないけど……でも、じゃあどうして相手を振るの? 運命の人だって感じてるはずなのに」
「だって、そうやって気持ち悪がる癖に、向こうから振ってくれないのよ。だったらこっちが身を引くしかないじゃない」
「……」
それは、きっと橋本さんが可愛いからだ。
どんなに気持ち悪く感じても、あまりにも可愛過ぎて、みんな縁を切れなかった。
彼女は、それを切っているだけ。
「ねえ、扇くん。私のどこが好き?」
橋本さんは、僕の目をまっすぐ見て。
少しも表情を動かさず、そう訊いた。
「えっと……」
「あなたは私のどこが好きで告白をオーケーしてくれたの? 好きじゃないのに告白するのがおかしいなら、好きじゃないのに告白を了承するのもおかしいよね? だったら、どこが好きか言ってみてよ」
「僕は……」
僕は彼女の、どこが好きなんだ?
顔が可愛いところ? スタイルがいいところ? いや、それは客観的な事実であって、だからイコールで橋本さんのことが好きなわけじゃない。
「言えないよね。付き合うって、そういうことじゃないの? 相手の好きな部分って、最初から決まってなくてもいいんだよね? 後から好きになるんでも遅くないよね? 世の中のカップルって、みんな最初から好き同士なの? 違うよね?」
「……」
「なのに、なんで私は駄目なの? 告白するなら相手のことが好きじゃなきゃいけないって、誰が決めたの? だって感じちゃうんだもん、この人だなって、そう感じちゃうんだもん。自分の直感を信じて告白することが、そんなにいけないことなの?」
並べ立てられた問いに、僕は答えられない。
彼女の理論は、傍から見れば破綻している……そもそも、好きでもない相手に告白をするという行為が、僕らの常識にインプットされていないのだから。
例えばその相手がお金持ちであるとか、付き合うことで得られるプラスアルファがあるなら話は別だが、彼女の場合、純粋な恋愛としてことを進めている。
好きじゃないけど、告白する。
なぜなら、運命の人だと感じたから。
その理屈に存在するのは、橋本さんの第六感だけ。
それを、僕らが気持ち悪いと言う権利があるのだろうか? 好きでもない人から告白されて、次第に好意を持っていくなんて、世の中にありふれているのに。
その逆は、どうして受け入れられない?
「……橋本さん」
僕は、今にも泣きだしてしまいそうな恋人の目を見つめる。
きっと、橋本さんは今までたくさん悩んできたんだろう。誰かを好きになるより先に、彼女は運命を感じてしまう……そこに好意はなく、ただ純粋に感じ取ってしまう。
まともに恋愛をしたことのない僕に、その気持ちを推し量ることはできない。
でも。
これから――知ろうとすることはできる。
「ねえ、橋本さん」
「……なに、扇くん」
「僕たち、別れよう」
「……そう。男の子の方から振ってくれたのは、あなたが初めてだわ」
「それと、僕と付き合ってください」
流れるような告白を受け、彼女はきょとん目を開いた。
こんな表情もできるんだな……僕は、まだ元恋人のことを全然知らない。
「橋本さん、僕と付き合ってください」
「今、別れようって言ったばかりよね、扇くん」
「うん。僕はまだ君のことが好きじゃないけど、これから好きになりたいって思ったんだ。だから、一旦別れて、僕の方から告白することにした……橋本さんのことは全然好きじゃないけど、でも感じたんだ。運命の人だって」
「……こんな感じなのかー。確かに、これは気持ち悪いかも」
そう言ってはにかむ彼女のことを。
僕はこれから――もっと好きになる。
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