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過去の話

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 柊里が部屋の中に入る。
「こんな夜遅くに外出して。私、桐生部長に叱られちゃうわ」
「父にはメールしておきました」
 柊里は携帯電話を取り出し、電話した。
「お父さん。うん、ちゃんとオメガ専用タクシー使った。○○ホテルにもう着いて静さんの部屋にいる」
「ちょっと貸して」と静は柊里から携帯を借りる。
「桐生部長、すみません。お喋りしてたらつい盛り上がってしまって。帰りは私が責任持って送りますので。はい、あ、いいえ……こちらこそ……失礼します」
 明らかに静が悪いのに正仁にはさんざん謝られてしまった。柊里はホテルの中をきょろきょろ見回している。
「すごい部屋だね」
「柊里君、座って。今回は無事に着いたからいいけど、こんな夜遅くに外出なんて。何かあったらどうするの?」
 柊里はしょんぼりと静の前のソファーに座る。
「静さん、泣いていたから」
 静ははっとする。
「好きな人が泣いているのに放っておけないよ」
 柊里は立ち上がり、静のそばに寄り、静の頭を撫ぜた。
「そうね。私が悪いわね。中学生の子を心配させて何してるのかしら。酔っぱらっちゃってダメな大人ね」
 頭を撫ぜる柊里の手を押さえて、柊里を見上げた。
「何か食べよっか? ルームサービスでいい? 好きな物ご馳走するわよ」
 静はデスクに向かいメニュー表を探す。
「僕はお腹すいてないよ。喉が渇いたからお水もらえたら」
 冷蔵庫を開け、ミネラルウオーターを取り出す。自分の分と2つグラスに注いだ。柊里は美味しそうにぐぐっと飲んだ。
「静さん、何があったの? 僕に電話したってことは他の誰にも言えないんでしょ。僕なんて中学生の引きこもりのオメガだから、どっかの壁の穴みたいなもんだよ。『王様の耳はロバの耳』って叫んでごらんよ」
 柊里がお道化た表情をするので静は噴き出した。リラックスした静はぽつりぽつりと語り出した。
 徹と結婚して3年たつが妊娠しないので婦人科に行った。男性ホルモンの方が多いので女性ホルモンの治療を受けたところ副作用が辛かった。不妊治療を中断していたら徹に番ができたので離婚して欲しいと言われた。その番が徹の子を妊娠した。2人が幸せになるのが悔しくて「絶対、離婚しない」と捨て台詞を吐いて、このホテルに家出してきた。
 涙を流しながら柊里に話し続けた。柊里は静かに話を聞いてくれた。
 静が語り終わり、沈黙が続いた。泣きすぎて目が痛くなり、顔を洗いに洗面所に行った。時計を見ると午後11時。
(もう柊里を送っていかなきゃ。桐生部長が心配するな)
 部屋に戻った静を柊里が優しい笑顔で迎えた。美しい少年だと感心した。
(自分がこんな薄汚れているのに天使のように穢れがない)
「静さん」
 柊里はにこにこして言う。
「僕が静さんの子を生んであげるから、僕を静さんの番にして」
 天使のような笑顔から想像できないような際どいことを言い出したので静は唖然とする。
「僕、静さんが好き。初めて会った時から薔薇のいい匂いがして何て美しい人と思ってた。伊集社の跡取りが必要なんでしょ。僕、アルファ生まれるまで頑張るよ」
「待って……柊里。柊里と私はひとまわり、12歳違うのよ。柊里にはもっとお似合いの人が……」
「いないよ」
 静の話を柊里は打ち切る。
「僕みたいなベータ家庭のオメガと結婚してくれるきちんとしたアルファの人なんていないよ。僕、外見がいいからショタコンのキモいアルファが番にはしてくれるかもしれないけど」
 柊里は静の返事を待たず、吐き出すように語り出した。
「我が家は僕がオメガのせいでめちゃくちゃなんだ。お母さんはオメガを生んだためにお父さんの実家から責められた。オメガだから小学校の友達と別れて別の中学に行かなきゃならなくて。中学ではオメガの人をみんな労わってはくれるけど、友達にはなってくれなかった。キモいストーカーが寄ってくるから、中学生なのに1人で外出できなくてお母さんが登下校まで付き添いしなきゃいけなかった。警察に相談したら、僕みたいなアルファを誘惑するオメガはどっかに隠しとけって言われて。ヒートの時に出るフェロモンに引き寄せられ、僕の部屋には変態が侵入してくるし。お母さんの夢をかなえるために、お父さん一生懸命働いて理想の家を建てたんだ。お母さんは得意のパッチワークで綺麗に部屋を飾った。そんな綺麗な家なのに、僕のフェロモンを遮香するために僕の部屋は頑丈だけど趣味の悪い壁を厚く貼り付けなきゃならなくなった。抑制剤だって、保険の利くのは副作用強くて吐いちゃって飲めないから、保険外の高価な抑制剤使わなきゃいけない。1週間のうちピークの3日間だけ飲んで、他は飲まずに耐えようとして……僕が獣みたいに自慰しているところをお母さん見ちゃって。お母さんの心壊れちゃったんだ」
 柊里は号泣した。静は呆然とする。
「僕、ずっと遮香されている自室にいて、こんなんで生きている意味あるのかなってずっと考えていた。自室から出るには金持ちのキモいアルファの番にしてもらって、そのアルファに嫌われないよう機嫌とって一生生きていくのかなって。静さんに再会して、静さんは相変わらずキラキラしてて僕なんかに優しくしてくれてすごく嬉しかった。僕を可哀想なオメガとしてではなく、人格を認めて話してくれるのは静さんくらいなんだ。静さんが僕の相手をしてくれる限り、僕は頑張って生きようと思った。でも、今日分かった。僕は静さんの子供を生むために生きていたって」
 静は頭の中が真っ白になって何も考えられない。
「お願い。静さん。人助けと思って、僕を番にして。僕、番持ちになったら、外へ出られるようになるんだ。静さんのご主人に悪いから言えなかったけど、ご主人にも番がいるなら許されるんじゃないかな?」
「待って……待って……そう、桐生部長に相談しましょ」
「いいよ」
 柊里は携帯を取り出し電話を掛ける。
「お父さん? 僕。うん、今、静さんのホテルにまだいる。静さんに番にしてってお願いしてる。静さんがお父さんに聞いてみなきゃって。お父さん、来れる? ○○ホテル3701号室。うん、待ってる」
 柊里は静にけろっとして言う。
「お父さん、これから来るって」
 静は慌てる。
「桐生部長、怒ってるんじゃない? 私が柊里君にそんなふしだらなこと……」
 柊里はしらっとして言う。
「お父さんは静さんが僕を番にしてくれたらって期待して静さんに相談したと思うよ」
(……そうか)
 今までの正仁との会話を思い出す。静に息子を番にしてくれと直接頼まれてはいない。しかし、早くアルファを紹介してくれと催促されてもいなかった。
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