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枝夛の市街は王都らしく入り組んでいる。昼には物売りが並ぶ大通りを一本入り込めば、そこは意外にも暗く、成熟し過ぎた町が持つ独特の腐敗した空気が包む。裏通りの雰囲気は慣れない人物を排除する。私も、この枝夛の宮殿に居続けたのなら決してこの通りを歩くことは無かっただろう。枝夛の駅はそのような場所にある。私は不空の滞在を期待して扉を叩いた。
「無事に来たな」
「葯子は悪運が強い所があるから大丈夫だと思ってはいたが、それでも無事でよかった」
まるで、もういない家族の元に戻ったような言葉で迎えてくれたのは、不空と紋重だった。確かめるように不空が私の肩に手を置いて何度か叩く、紋重は私の手を額へと押し頂くように取った。鵬乗が後ろで控えている。商人ではない鵬乗がここへの出入りを許されるということは異例なことだ。さあ、と招かれて私は椅子に向かおうとするが、何も置かれていない卓子を見つける。待っていてくれた彼らの心が嬉しくて、自然と滲んだ涙を隠すように私は言った。
「お茶を入れるよ」
話が長くなる時は工芸茶が一番だ。そのままお湯を注いで何煎も楽しめるから給仕が入らない上、何よりその束ねられた茶葉が様々な形に広がる様子が美しい。不空だけが配られたお茶に一言、手抜きだな、と零した。
「紋重まで来てくれたの」
紋重がここに居ることに疑問を持った私が尋ねると、紋重は言う。
「葯子はもう、紗羅虞那都へは戻らないだろう」
もう用は無いとばかりに言い、私は今さらながらにもう戻れないことを知る。
「ありがとう」
そして、私と命運を共にすると決めてしまった彼らに。
「こんな結果になってごめん。准丁は私を逃がしてくれたけれど、彼が無事かどうかは分からないんだ」
苦労して紛れ込んだ宮殿に居られなくなってしまったのは、私の落ち度だ。考え無しに篇丈を糾弾しなければ、まだ私はあの宮殿に居られたはずだ。
「いや、これ以上葯子があそこにいても事態が変わらないだろう」
項垂れた私に、冷静な声で紋重が言う。それに、と不空も続ける。
「准丁はなかなかに勘がいい。だから間者のような真似もできる、大丈夫だ」
でも、と煮え切れない私に不空が続けた。
「葯子が宮殿に行くにあたって、私は准丁に何も命じていない。ただ、葯子が行くと告げただけだ。それなのに色々と世話を焼いたということは、全て准丁の意志によるものだ。受けておけばいい」
「ならば尚更」
「そう、ならば尚更。生きなければならないよ、葯子」
私の言葉を継いで、紋重が私に言い聞かせる。その関係は、紋重の方が年下なのにであった時からそのままで、私は彼のそれに逆らえない。
「ウバナンダをこちらに引き入れられませんか」
これからを相談する段になって、控えめに参加していた鵬乗が発言した。
「何故」
不空が問うて、答えたのは紋重だった。
「確かに、ウバナンダとパータラは上手くいっていなさそうだな。ウバナンダは賢い。しかし、圧倒的な存在感のパータラから首領の地位を奪うことができないことも気付いている。それなりの策があれば寝返るかもしれないけれど、でもそれは得策とは思わない」
「私もそう思うよ、鵬乗。彼を仲間に入れたらきっと、食べられてしまうのは私たちの方だよ。パータラだけを陥れてしまったら、余計に厄介になる」
私も紋重に賛同して、鵬乗に返す。
「そうですか。調略は望めないと。では、私たちの人数ならばその二人を先ず討つことを考えなくては」
鵬乗は冷静な西方守備隊の顔を見せる。そして私は、素朴な疑問に思い至る。
「ねえ、何故鳧流は天之原に攻めてきたのだろう。彼らは放牧の民だろう、定住する土地などいらないはずだよ。けれど、財宝を奪って戻る訳でもなく天之原の宮殿に留まっている。それは何故だろう」
「西だ。鳧流の草原よりも西の国が彼らの土地を奪いはじめた。だから彼らは居場所をなくして東へ攻め入りはじめた。多分今は、家族たちの移動を待っているんだ」
不空が答えて、私がまた問う。
「東の民からは奪い取るのに、西の民にはそんなに簡単に土地を空け渡すの」
「彼らにとって西の民は、神の使いだ。お前が鳧流で優遇されたのだってその容姿によるものだろう。彼らは意外と信心深い」
そして、やっとあの酒宴の日に僧だからという理由で飲酒が回避できた訳を知った。
「それにしても、明らかに戦力不足だ。何せ私たちの中でまともに剣が振るえるのは鵬乗しか居ない」
紋重が言い、鵬乗も頷く。確かにその通りだ。戦上手の鳧流に挑むには、いささか分が悪すぎる。
「それは葯子の一言次第で私が何処からか購おう。葯子、実は長い間君の財産を私が一存で預かっていた。それを動かしてもいいか」
不空が言い、私は首を傾げる。
「不空、私は財産など持っていないよ」
不空は真剣な会話の途中だというのに、本当におかしそうに声を立てて笑う。
「本当に気が付いていなかったのか、葯子。出家の時おかしいとは思わなかったのか」
「葯子は自分の価値を本当に気付いていない」
紋重も企んだ笑みで笑う。
「普通王家の人間の入道となれば、多くの寄進が届けられる。寺院側も特別対応をするというのに、お前は私との旅で余程鍛えられたらしい。寺院の硬い寝台や隙間風の通る房でも、文句の一つも言わなかったそうだな。まったく」
不空が少しばかり種を明かして、紋重が続ける。
「君の分の寄進もたくさんあったんだ。けれども、葯子が不空とした賭けと同じく、不空も賭けたんだろうね。仮の住処の宿賃にするよりは、将来の今のような時に使えるようにと」
「そうだ。その時の寄進分がそっくり残っている。五、六百なら集められるだろう」
すっかり白状しても、悪びれるふうの無い不空は冷静に兵士の数を計算する。
「それだけいれば、宮殿を包囲できます」
鵬乗が思案顔で答える。そして、何かを決意したように私へと畏まる。
「遙遠之君が今宵抜けて来た道を、私たちに授けては頂けませんか」
「しかし、それは・・・」
反射的に私は口を噤む。
「葯子も父君と同じく、忠義の証に小指を寄越せなどと言うつもりかい」
葯子の一言に、私は思考を止める。忠義の証、小指、小指の無い男。
「それは、篇丈のことかな」
知っていたの、と自然とこぼれ落ちる。
「掴んできたのだろう。王殺しの犯人を」
※
「全てを知っていて、不空は私に戻れと言ったの」
震える唇を窘めながら、私はそれを口にした。
「戻ると決めたのは、葯子だろう。けれど、大凡の予想は付いていた」
感情を見せない不空の表情は、時に私が恐れるものになる。不空は私に何をさせたいのか。
「私の知らないことを不空が知っているのなら、話して欲しい」
真摯な願いを込めて、私は言う。私が知っているのは、王を篇丈が殺したという事実だけだ。私の知らない背景に篇丈の理由があるのだとしたら、私はそれを知らなければならない。
「長い話になるが」
と前置きして、不空は珍しく素直に話し出す。
あれから、葯子を国を立った時から篇丈は不満を抱えていたのだろう。葯子は当時末子だったとはいえ、王族が篇丈のような役人の婿になるということは異例だった。葯子と如因が婚姻すれば李家は安泰どころか、武官への登用も叶う一族になっただろう。けれど、その期待は叶えられることなく、葯子は突然に紗羅虞那都へ旅立ってしまった。勿論、この事に対して王は如因を猶子にすることで利便を図って収めた。これだけならばよかった。その後鳧流の侵攻に困った王は、丁度年頃の娘だった如因をパータラに嫁そうとした。これは色々あって流れたが、篇丈にとってその事実は消えなかっただろう。更に侵攻は進み、そして忠義の証に臣下は全て小指を寄越せとなったんだ。そのころはもう、離反者も寝返りも横行する程に天之原は弱っていた。そんな状況であっても、篇丈は躊躇わず指を落としたそうだ。といったところで不空は一旦言葉を切る。
「その目で見て来たのだろう」
私へと不空が投げて寄越し、私は静かに頷く。
「さて、鵬乗。その時君はどうしたんだい」
私の頷きを見てから、後ろに佇んでいた鵬乗に問う。鵬乗はそのまま私たちが使っていた卓子に指を並べた。
「私は王のその言葉を聞き、紗羅虞那都へと立ちました」
十本の指が揃った無骨な指が、決意に握りしめられて鵬乗は答えた。私の前でなんとも言えない顔をする。
「そう、その時点でのそんな命は、明らかに国を出ようとするものを増やしただけだった」
けれど、と不空は続ける。篇丈は小指で忠義を誓った。だというのに、一番初めに指を届けさせた男が処断された。理由は、決断の早さだったそうだ。ここでもう分かるだろう、王が正気を失っていた事に。そんなことがあって、篇丈はだんだんと王への信頼を失っていったのだろう。そして、宮殿まで迫った鳧流に寝返った。王が崩御した後、紗羅虞那都に居るはずの如因の元婚約者が現れる。僧籍に入って難を逃れたただ一人の王子が、鳧流へと政権交代した後に戻ってくる。その理由は間違いなく国を取り戻すためにやって来たと考えるのが自然だろう。それも、身分を偽って来るのだから。篇丈はきっと、かつての叶えられなかった期待を思い出したに違いない。葯子を王にして如因をその妻にすることをね。だから今も、彼らの元に留まっていたのだろう。
「けれど、彼にとっては至高の地位に就けてくれてありがとうと、感謝すべき私が篇丈を父殺しと糾弾してしまった。ということかな」
低く話す不運な篇丈の物語の最後に、私の行動を付け足す。
「そうだな。そんなことは上手く丸め込んで、葯子を宮殿に滞在させておく方がずっと賢いと思うが、おかしいな。何故篇丈は葯子を追い出すような真似をしたのだろう。それとも本当に露見したのか」
何かヘマをしたか、とからかうように不空は私を見遣る。
「まさかとは思うけど、わざと追い出したということは」
紋重が可能性を示して、私は少し首を傾げる。篇丈は私の知る限り、鳧流を蛮族と見ていたし、私を王の子として見ていた。鳧流がこの国の頂点に居る以上、王殺しで鳧琉に断罪されることは無い。篇丈は鳧流を戴いている以上安全だ。しかし、私がそれを揺すってしまった。証拠はもう無いのだから篇丈が怯える必要など無いというのに。
「葯子は何か篇丈に言ったか」
不空が問いかけて、私は答える。
「篇丈は私に一度膝を付いたから、君の沈黙が、私の信頼になると。私が王の子だということを知っていたのは篇丈だけだからね。どちらかといえば立場が弱いのは私の方だったから」
「これは、もしかするかな」
口元に手を添えた思案顔で紋重が言う。
「もしかする、とは」
問うた私に、不空は戯けたように言う。
「葯子は自分の才に気付いていない、ということだ」
「なれば、私が様子を見て参りましょう」
鵬乗が申し出て、私は覚悟を決める。信頼を寄せる場所を間違えてはいけない。
「では、篇丈のことは鵬乗に任せる。その間に不空と紋重は兵を集めて欲しい。私は、宮殿の隠し通路の地図を書くよ」
そしてもう一度、動き出す。
「無事に来たな」
「葯子は悪運が強い所があるから大丈夫だと思ってはいたが、それでも無事でよかった」
まるで、もういない家族の元に戻ったような言葉で迎えてくれたのは、不空と紋重だった。確かめるように不空が私の肩に手を置いて何度か叩く、紋重は私の手を額へと押し頂くように取った。鵬乗が後ろで控えている。商人ではない鵬乗がここへの出入りを許されるということは異例なことだ。さあ、と招かれて私は椅子に向かおうとするが、何も置かれていない卓子を見つける。待っていてくれた彼らの心が嬉しくて、自然と滲んだ涙を隠すように私は言った。
「お茶を入れるよ」
話が長くなる時は工芸茶が一番だ。そのままお湯を注いで何煎も楽しめるから給仕が入らない上、何よりその束ねられた茶葉が様々な形に広がる様子が美しい。不空だけが配られたお茶に一言、手抜きだな、と零した。
「紋重まで来てくれたの」
紋重がここに居ることに疑問を持った私が尋ねると、紋重は言う。
「葯子はもう、紗羅虞那都へは戻らないだろう」
もう用は無いとばかりに言い、私は今さらながらにもう戻れないことを知る。
「ありがとう」
そして、私と命運を共にすると決めてしまった彼らに。
「こんな結果になってごめん。准丁は私を逃がしてくれたけれど、彼が無事かどうかは分からないんだ」
苦労して紛れ込んだ宮殿に居られなくなってしまったのは、私の落ち度だ。考え無しに篇丈を糾弾しなければ、まだ私はあの宮殿に居られたはずだ。
「いや、これ以上葯子があそこにいても事態が変わらないだろう」
項垂れた私に、冷静な声で紋重が言う。それに、と不空も続ける。
「准丁はなかなかに勘がいい。だから間者のような真似もできる、大丈夫だ」
でも、と煮え切れない私に不空が続けた。
「葯子が宮殿に行くにあたって、私は准丁に何も命じていない。ただ、葯子が行くと告げただけだ。それなのに色々と世話を焼いたということは、全て准丁の意志によるものだ。受けておけばいい」
「ならば尚更」
「そう、ならば尚更。生きなければならないよ、葯子」
私の言葉を継いで、紋重が私に言い聞かせる。その関係は、紋重の方が年下なのにであった時からそのままで、私は彼のそれに逆らえない。
「ウバナンダをこちらに引き入れられませんか」
これからを相談する段になって、控えめに参加していた鵬乗が発言した。
「何故」
不空が問うて、答えたのは紋重だった。
「確かに、ウバナンダとパータラは上手くいっていなさそうだな。ウバナンダは賢い。しかし、圧倒的な存在感のパータラから首領の地位を奪うことができないことも気付いている。それなりの策があれば寝返るかもしれないけれど、でもそれは得策とは思わない」
「私もそう思うよ、鵬乗。彼を仲間に入れたらきっと、食べられてしまうのは私たちの方だよ。パータラだけを陥れてしまったら、余計に厄介になる」
私も紋重に賛同して、鵬乗に返す。
「そうですか。調略は望めないと。では、私たちの人数ならばその二人を先ず討つことを考えなくては」
鵬乗は冷静な西方守備隊の顔を見せる。そして私は、素朴な疑問に思い至る。
「ねえ、何故鳧流は天之原に攻めてきたのだろう。彼らは放牧の民だろう、定住する土地などいらないはずだよ。けれど、財宝を奪って戻る訳でもなく天之原の宮殿に留まっている。それは何故だろう」
「西だ。鳧流の草原よりも西の国が彼らの土地を奪いはじめた。だから彼らは居場所をなくして東へ攻め入りはじめた。多分今は、家族たちの移動を待っているんだ」
不空が答えて、私がまた問う。
「東の民からは奪い取るのに、西の民にはそんなに簡単に土地を空け渡すの」
「彼らにとって西の民は、神の使いだ。お前が鳧流で優遇されたのだってその容姿によるものだろう。彼らは意外と信心深い」
そして、やっとあの酒宴の日に僧だからという理由で飲酒が回避できた訳を知った。
「それにしても、明らかに戦力不足だ。何せ私たちの中でまともに剣が振るえるのは鵬乗しか居ない」
紋重が言い、鵬乗も頷く。確かにその通りだ。戦上手の鳧流に挑むには、いささか分が悪すぎる。
「それは葯子の一言次第で私が何処からか購おう。葯子、実は長い間君の財産を私が一存で預かっていた。それを動かしてもいいか」
不空が言い、私は首を傾げる。
「不空、私は財産など持っていないよ」
不空は真剣な会話の途中だというのに、本当におかしそうに声を立てて笑う。
「本当に気が付いていなかったのか、葯子。出家の時おかしいとは思わなかったのか」
「葯子は自分の価値を本当に気付いていない」
紋重も企んだ笑みで笑う。
「普通王家の人間の入道となれば、多くの寄進が届けられる。寺院側も特別対応をするというのに、お前は私との旅で余程鍛えられたらしい。寺院の硬い寝台や隙間風の通る房でも、文句の一つも言わなかったそうだな。まったく」
不空が少しばかり種を明かして、紋重が続ける。
「君の分の寄進もたくさんあったんだ。けれども、葯子が不空とした賭けと同じく、不空も賭けたんだろうね。仮の住処の宿賃にするよりは、将来の今のような時に使えるようにと」
「そうだ。その時の寄進分がそっくり残っている。五、六百なら集められるだろう」
すっかり白状しても、悪びれるふうの無い不空は冷静に兵士の数を計算する。
「それだけいれば、宮殿を包囲できます」
鵬乗が思案顔で答える。そして、何かを決意したように私へと畏まる。
「遙遠之君が今宵抜けて来た道を、私たちに授けては頂けませんか」
「しかし、それは・・・」
反射的に私は口を噤む。
「葯子も父君と同じく、忠義の証に小指を寄越せなどと言うつもりかい」
葯子の一言に、私は思考を止める。忠義の証、小指、小指の無い男。
「それは、篇丈のことかな」
知っていたの、と自然とこぼれ落ちる。
「掴んできたのだろう。王殺しの犯人を」
※
「全てを知っていて、不空は私に戻れと言ったの」
震える唇を窘めながら、私はそれを口にした。
「戻ると決めたのは、葯子だろう。けれど、大凡の予想は付いていた」
感情を見せない不空の表情は、時に私が恐れるものになる。不空は私に何をさせたいのか。
「私の知らないことを不空が知っているのなら、話して欲しい」
真摯な願いを込めて、私は言う。私が知っているのは、王を篇丈が殺したという事実だけだ。私の知らない背景に篇丈の理由があるのだとしたら、私はそれを知らなければならない。
「長い話になるが」
と前置きして、不空は珍しく素直に話し出す。
あれから、葯子を国を立った時から篇丈は不満を抱えていたのだろう。葯子は当時末子だったとはいえ、王族が篇丈のような役人の婿になるということは異例だった。葯子と如因が婚姻すれば李家は安泰どころか、武官への登用も叶う一族になっただろう。けれど、その期待は叶えられることなく、葯子は突然に紗羅虞那都へ旅立ってしまった。勿論、この事に対して王は如因を猶子にすることで利便を図って収めた。これだけならばよかった。その後鳧流の侵攻に困った王は、丁度年頃の娘だった如因をパータラに嫁そうとした。これは色々あって流れたが、篇丈にとってその事実は消えなかっただろう。更に侵攻は進み、そして忠義の証に臣下は全て小指を寄越せとなったんだ。そのころはもう、離反者も寝返りも横行する程に天之原は弱っていた。そんな状況であっても、篇丈は躊躇わず指を落としたそうだ。といったところで不空は一旦言葉を切る。
「その目で見て来たのだろう」
私へと不空が投げて寄越し、私は静かに頷く。
「さて、鵬乗。その時君はどうしたんだい」
私の頷きを見てから、後ろに佇んでいた鵬乗に問う。鵬乗はそのまま私たちが使っていた卓子に指を並べた。
「私は王のその言葉を聞き、紗羅虞那都へと立ちました」
十本の指が揃った無骨な指が、決意に握りしめられて鵬乗は答えた。私の前でなんとも言えない顔をする。
「そう、その時点でのそんな命は、明らかに国を出ようとするものを増やしただけだった」
けれど、と不空は続ける。篇丈は小指で忠義を誓った。だというのに、一番初めに指を届けさせた男が処断された。理由は、決断の早さだったそうだ。ここでもう分かるだろう、王が正気を失っていた事に。そんなことがあって、篇丈はだんだんと王への信頼を失っていったのだろう。そして、宮殿まで迫った鳧流に寝返った。王が崩御した後、紗羅虞那都に居るはずの如因の元婚約者が現れる。僧籍に入って難を逃れたただ一人の王子が、鳧流へと政権交代した後に戻ってくる。その理由は間違いなく国を取り戻すためにやって来たと考えるのが自然だろう。それも、身分を偽って来るのだから。篇丈はきっと、かつての叶えられなかった期待を思い出したに違いない。葯子を王にして如因をその妻にすることをね。だから今も、彼らの元に留まっていたのだろう。
「けれど、彼にとっては至高の地位に就けてくれてありがとうと、感謝すべき私が篇丈を父殺しと糾弾してしまった。ということかな」
低く話す不運な篇丈の物語の最後に、私の行動を付け足す。
「そうだな。そんなことは上手く丸め込んで、葯子を宮殿に滞在させておく方がずっと賢いと思うが、おかしいな。何故篇丈は葯子を追い出すような真似をしたのだろう。それとも本当に露見したのか」
何かヘマをしたか、とからかうように不空は私を見遣る。
「まさかとは思うけど、わざと追い出したということは」
紋重が可能性を示して、私は少し首を傾げる。篇丈は私の知る限り、鳧流を蛮族と見ていたし、私を王の子として見ていた。鳧流がこの国の頂点に居る以上、王殺しで鳧琉に断罪されることは無い。篇丈は鳧流を戴いている以上安全だ。しかし、私がそれを揺すってしまった。証拠はもう無いのだから篇丈が怯える必要など無いというのに。
「葯子は何か篇丈に言ったか」
不空が問いかけて、私は答える。
「篇丈は私に一度膝を付いたから、君の沈黙が、私の信頼になると。私が王の子だということを知っていたのは篇丈だけだからね。どちらかといえば立場が弱いのは私の方だったから」
「これは、もしかするかな」
口元に手を添えた思案顔で紋重が言う。
「もしかする、とは」
問うた私に、不空は戯けたように言う。
「葯子は自分の才に気付いていない、ということだ」
「なれば、私が様子を見て参りましょう」
鵬乗が申し出て、私は覚悟を決める。信頼を寄せる場所を間違えてはいけない。
「では、篇丈のことは鵬乗に任せる。その間に不空と紋重は兵を集めて欲しい。私は、宮殿の隠し通路の地図を書くよ」
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