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猛スピードくんの日常
しおりを挟む歩道に並走する自転車専用路があるというのに、なぜか歩道を走る自転車が多い。通勤で駅へと歩く道すがら、ひやりとしない日はないのだから、一日となると相当な台数が行き交っていることだろう。
どうして、と不思議に思って観察する。専用道を走る自転車は、ひつじのツノのようなハンドルに細い車体、固形のハンチングといった雰囲気のヘルメットをかぶった人たちのもので、自動車に負けない高速で走り去っていく。さすがにママチャリであの中に入るのは危ないだろう。私でもそう感じる。ならば歩道を走るしかあるまい。そうだ、そういうことだ。良いことではないだろうとわかっているのに、妙に納得してしまう。
けれど、彼なら走れるかも。そう思う人がいる。私は毎朝、彼に追い抜かされている。猛スピードの自転車で、びゅんっ、とひらがなの音を背負う感じの走りで、彼は私の横を追い越していく。
たぶん彼は私が乗るよりも一つ前の電車に乗っているのだろう、と推測する。だとしたら、自転車を降りてから、駅の中をダッシュしてもかなりギリギリのはず。整髪料で髪型を整えて出てきているのだろうけれど、あんなに急いだら、寝ぐせとさほど変わらない状態になってしまうだろう。もうほんの少しだけ早く起きて、家を出たらいいのに。彼が通った後にふわっと香る、さわやかな柑橘系の香りに、私は姉のような気持ちになって思う。
その日、駅に着いて電車が止まっていると知った。遅延情報の通知は届いていなかった。運転見合わせから、まださほど時間はたっていないのだろう。腕時計を確認する。本来なら発車の時刻だった。下っ端社員の遅刻をあまり好ましく思わない先輩の顔が頭に浮かんだ。
うう、今から気が重くなる。時間、かかちゃうのかな。
駅員さんが出ていないか、探しながらホームを歩く。
「あっ」
思わず声が出てしまった。自動販売機の前、ホームの、他のどこよりも狭くなっているから人気のないあたりに、私は猛スピードくんの姿を発見した。ソワソワした様子で列に並んでいる。
そっか、今日も私のこと追い越してったのに電車止まってたんだね、と、ちょっとかわいそうになる。想像通り、彼の髪はボサボサだ。着崩れしていない制服とのアンマッチがほほえましい。あんなに急いでいたのに、キミも遅刻か。
状況がわからないながらも、ホームの人たちはきちんと整列し、静かにスマホを眺めている。この分だと大した遅れにはならないと予想される事象なのだろう。彼の並んでいる列に、なんとなく私も続いた。
案の定、まもなく電車はやってきた。こうなれば、ふだんとあまりかわらない。人々は流れるように順番に、電車に乗り込んでいく。車内の混雑もそれほどひどいものではなかった。
猛スピードくんは、乗り込んだのとは反対側のドアの前にいた。手すりのすぐ脇に立つ女のコをガードするみたいな格好で、身体を斜めに向けている。
「ふーん、なるほどね」
猛スピードの理由がわかった気がした。
声に出したつもりはなかったのだけれど、もしかしたら漏れていたのかもしれない。それとも、あまりにもじっと見過ぎてしまったのか。図らずも女のコと目があって、ドキッとする。瞬間、不思議そうな表情を浮かべたものの、女のコはすぐに小さく会釈をしてきた。
「ふーん」
今度こそ、心の中だけで、と注意しながら、私も頷くような会釈を返す。なにごとかを察し、猛スピードくんもこちらを見たけれど、すぐに視線は彼女のほうに戻された。小さな声で二人はなにか話をしたようだった。
電車がゆっくりと走り始める。
明日はもっと早くに家をでなさいよ。吊革につかまり、時折揺れる電車に身を任せながら、私は猛スピードくんの背中に念を送った。
<了>
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