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イハンニヨリケイヤクヲ
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いい天気だ。
青空が大きく広がる窓を背に座った人たちを前に、私はそんなことを思っていた。なにもかもがバカらしくなって、気持ちのよい青空を見続けてでもいなければ、脳みそも心臓も、動くのをやめてしまいそうだったから。
大至急、と呼び出された会議室の扉を開くと、窓を背にして彼らが座っていた。蛍光灯はついているものの、窓外の明るさゆえに、彼らの前側半分、とくに、わざとらしくしかめられた顔は暗くみえる。
「こちらに」
彼らのうちの誰かが言った。彼らは席についているというのに、私の座る椅子は用意されていなかった。三人並んだ彼らの、真ん中の人の正面の位置まで歩み寄る。
「情報管理規定違反により、あなたとの業務委託契約を終了させてもらう。賠償請求等の必要性なども検討中、と書面にて通告させていただいていますが、念のため、ご帰宅前にご足労をいただきました。今後はこちらの代理人を通じてご連絡を差し上げることになります。よろしいですね」
よろしいですね、なんて訊かれても、よろしいわけがない。たしかに今朝、デスクに裏返して置かれたA4のコピー用紙には、そんなことが書いてあった。私には全く身に覚えのないことだから、なにかのまちがいだろうと思っていた。呼び出しはこの話だったのか。
「よくありません。情報管理規定違反なんて、そんなことはしていません」
「彼のほうは、そうは言っていませんでしたよ。確かにあなたは、あらかじめ自分のことを知っていたようだった、と証言しています」
「彼って? あらかじめ知っていた?」
「そうです。あなたは業務上知り得た情報を利用して彼に接近し、交際をスタートさせ、結婚を決めた。これは、業務上知り得た情報を利用して個人的な利益を得てはならない、とする我が社の規定に違反します」
「結婚が個人的な利益、ですか?」
「そうです」
そんなことって、あるのだろうか。
彼と初めて言葉を交わしたのは半年前だった。
「佐藤さん、よかったらこれ使ってください」
「えっと、キミは?」
「総務の鈴木です」
「そう。ありがとう」
たしかに、彼がどこの部の誰なのか、私は知っていた。
けれどそれは、私が日々社内の人々の社員証やら各種申請やらの対応を仕事としているからだ。直接話をしたことがなくても顔と名前が一致するのは彼だけじゃない。そんな人は他にもいっぱいいる。それなのに、彼は私が悪いみたいに、自分のことを知っていた、と証言したのだろうか。
二回目に話をしたときは、彼の方から声をかけてきた。私が悪いと言うのなら、彼だっておんなじなんじゃないか。
「鈴木さん、ちょっとお願いがあるんだけどいいかな?」
「お仕事ですか?」
「先週提出締め切りの書類を出しそびれちゃって。今ここに持ってるんだけど」
「ああ、それならたぶん大丈夫です。お預かりしますね」
「サンキュー。今度メシでも奢るよ」
彼は私が総務の担当だと知って、利用した。彼がどこの誰だか知っていて声をかけた私が悪いと言うのなら、この時のことだって、そう言えるのではないか。
「我が社が情報管理や行動規範について、とくに厳しく定めている会社だということは知っているかな。社内の雰囲気や仕事のグチ、そういったものも一切、SNSなどに書き込むことを禁止している。それも知っているね?」
「存じています」
おかしいとは感じているけれど知っている。だからみんな気をつけているって、会社側も知っているはずでは?
「彼のこととは別に、そういったことをあなたは非公開として利用しているアカウントに書き込んでいる。それもわかっています。証拠画面のキャプチャーも保存してあります」
「えっ? 非公開の? そんなものをどうやって?」
「こちらはどういう経路で手に入れたか、詳細を明かす必要はないと考えています。あなたがすべてを認め、反省の言葉を述べてくれたら、もうこれ以上は調べるつもりもありません。業務委託契約は終了。あとはあなたが所属する会社と我が社の間で協議をし、必要があればなんらかの処罰をする。それだけのことです」
非公開のものを見た。複写した。そんなことができるものなのだろうか。そしてそこは問題視されない。おかしくないだろうか?
なにがどうなっているのか。なぜそうなったのか。わからないことだらけだ。わからなすぎてなにも言えない。
目の前には青空が大きく広がっていた。いい天気だ。窓を背に座った人たちを前に、やっぱり私はそんなことを思っていた。やってられない。なにもかもバカらしい。気持ちのよい青空を見続けてでもいなければ、脳みそも心臓も、動くのをやめてしまいそうだ。
「荷物をまとめたら早急に退社するよう。以上」
呼び出しは唐突に終った。
なにもわからないまま、モヤモヤした気持ちを抱えて、オフィスに戻る。忙しそうに出かける人と、ぶつかりそうになる。ぼんやりお茶を飲む人と視線が合い、小さな会釈を交わす。いつも通りの日常が、坦々と進められていた。ただそこに、彼の姿はない。
仕事を失った。同時に恋も、結婚も。
これからどうしたらいいのだろう?
規定違反により契約を解除されたとなれば、次の仕事を見つけるのは難しいかもしれない。恋も結婚もおなじだ。たまたま部署や顔と名前が一致する程度のことを知っていた人との出会いが、業務上知り得た情報を利用して個人的な利益を得たとみなされるなら、この先、どこかで誰と出会っても、おなじことになるだけだ。
こういうのが現代なのだろうか?
社会は、なにを基準に、どんな行動をしろといっているのだ?
情報とはなんだ?
個人の利益とは?
こんな世界でどうやって生きていったらいいのだろう?
どうしようもない気持ちのまま、なんとか社屋を出ると、そこにもいい天気が広がっていた。もうなにもかもがバカらしかった。バカらしくってなにも考えられない。考えたくない。
それでもなんとか心臓は動いている。それだけはわかる。そのことだけはまちがいがなかった。
一つだけの真実を胸に、気持ちのよい青空を見上げて、私は深呼吸をした。青空を見続けていれば、脳みそも心臓も、動いていてはくれるだろう。
<了>
青空が大きく広がる窓を背に座った人たちを前に、私はそんなことを思っていた。なにもかもがバカらしくなって、気持ちのよい青空を見続けてでもいなければ、脳みそも心臓も、動くのをやめてしまいそうだったから。
大至急、と呼び出された会議室の扉を開くと、窓を背にして彼らが座っていた。蛍光灯はついているものの、窓外の明るさゆえに、彼らの前側半分、とくに、わざとらしくしかめられた顔は暗くみえる。
「こちらに」
彼らのうちの誰かが言った。彼らは席についているというのに、私の座る椅子は用意されていなかった。三人並んだ彼らの、真ん中の人の正面の位置まで歩み寄る。
「情報管理規定違反により、あなたとの業務委託契約を終了させてもらう。賠償請求等の必要性なども検討中、と書面にて通告させていただいていますが、念のため、ご帰宅前にご足労をいただきました。今後はこちらの代理人を通じてご連絡を差し上げることになります。よろしいですね」
よろしいですね、なんて訊かれても、よろしいわけがない。たしかに今朝、デスクに裏返して置かれたA4のコピー用紙には、そんなことが書いてあった。私には全く身に覚えのないことだから、なにかのまちがいだろうと思っていた。呼び出しはこの話だったのか。
「よくありません。情報管理規定違反なんて、そんなことはしていません」
「彼のほうは、そうは言っていませんでしたよ。確かにあなたは、あらかじめ自分のことを知っていたようだった、と証言しています」
「彼って? あらかじめ知っていた?」
「そうです。あなたは業務上知り得た情報を利用して彼に接近し、交際をスタートさせ、結婚を決めた。これは、業務上知り得た情報を利用して個人的な利益を得てはならない、とする我が社の規定に違反します」
「結婚が個人的な利益、ですか?」
「そうです」
そんなことって、あるのだろうか。
彼と初めて言葉を交わしたのは半年前だった。
「佐藤さん、よかったらこれ使ってください」
「えっと、キミは?」
「総務の鈴木です」
「そう。ありがとう」
たしかに、彼がどこの部の誰なのか、私は知っていた。
けれどそれは、私が日々社内の人々の社員証やら各種申請やらの対応を仕事としているからだ。直接話をしたことがなくても顔と名前が一致するのは彼だけじゃない。そんな人は他にもいっぱいいる。それなのに、彼は私が悪いみたいに、自分のことを知っていた、と証言したのだろうか。
二回目に話をしたときは、彼の方から声をかけてきた。私が悪いと言うのなら、彼だっておんなじなんじゃないか。
「鈴木さん、ちょっとお願いがあるんだけどいいかな?」
「お仕事ですか?」
「先週提出締め切りの書類を出しそびれちゃって。今ここに持ってるんだけど」
「ああ、それならたぶん大丈夫です。お預かりしますね」
「サンキュー。今度メシでも奢るよ」
彼は私が総務の担当だと知って、利用した。彼がどこの誰だか知っていて声をかけた私が悪いと言うのなら、この時のことだって、そう言えるのではないか。
「我が社が情報管理や行動規範について、とくに厳しく定めている会社だということは知っているかな。社内の雰囲気や仕事のグチ、そういったものも一切、SNSなどに書き込むことを禁止している。それも知っているね?」
「存じています」
おかしいとは感じているけれど知っている。だからみんな気をつけているって、会社側も知っているはずでは?
「彼のこととは別に、そういったことをあなたは非公開として利用しているアカウントに書き込んでいる。それもわかっています。証拠画面のキャプチャーも保存してあります」
「えっ? 非公開の? そんなものをどうやって?」
「こちらはどういう経路で手に入れたか、詳細を明かす必要はないと考えています。あなたがすべてを認め、反省の言葉を述べてくれたら、もうこれ以上は調べるつもりもありません。業務委託契約は終了。あとはあなたが所属する会社と我が社の間で協議をし、必要があればなんらかの処罰をする。それだけのことです」
非公開のものを見た。複写した。そんなことができるものなのだろうか。そしてそこは問題視されない。おかしくないだろうか?
なにがどうなっているのか。なぜそうなったのか。わからないことだらけだ。わからなすぎてなにも言えない。
目の前には青空が大きく広がっていた。いい天気だ。窓を背に座った人たちを前に、やっぱり私はそんなことを思っていた。やってられない。なにもかもバカらしい。気持ちのよい青空を見続けてでもいなければ、脳みそも心臓も、動くのをやめてしまいそうだ。
「荷物をまとめたら早急に退社するよう。以上」
呼び出しは唐突に終った。
なにもわからないまま、モヤモヤした気持ちを抱えて、オフィスに戻る。忙しそうに出かける人と、ぶつかりそうになる。ぼんやりお茶を飲む人と視線が合い、小さな会釈を交わす。いつも通りの日常が、坦々と進められていた。ただそこに、彼の姿はない。
仕事を失った。同時に恋も、結婚も。
これからどうしたらいいのだろう?
規定違反により契約を解除されたとなれば、次の仕事を見つけるのは難しいかもしれない。恋も結婚もおなじだ。たまたま部署や顔と名前が一致する程度のことを知っていた人との出会いが、業務上知り得た情報を利用して個人的な利益を得たとみなされるなら、この先、どこかで誰と出会っても、おなじことになるだけだ。
こういうのが現代なのだろうか?
社会は、なにを基準に、どんな行動をしろといっているのだ?
情報とはなんだ?
個人の利益とは?
こんな世界でどうやって生きていったらいいのだろう?
どうしようもない気持ちのまま、なんとか社屋を出ると、そこにもいい天気が広がっていた。もうなにもかもがバカらしかった。バカらしくってなにも考えられない。考えたくない。
それでもなんとか心臓は動いている。それだけはわかる。そのことだけはまちがいがなかった。
一つだけの真実を胸に、気持ちのよい青空を見上げて、私は深呼吸をした。青空を見続けていれば、脳みそも心臓も、動いていてはくれるだろう。
<了>
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