ひらたい日々

ちょこ

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日常小説と妄想小説のあいだ

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リアルな生活の場面で拾ったひとこと、ワンシーン、雰囲気を小説として文字にするスタイルが好きだ。

ピーナッツくらいの小さなタネからぴょこんと芽が出て自然と伸びていく感じが、頭の中や、胸の奥に発生する。特別に手を加えずとも伸び、広がっていくそれは、ほぼ妄想なんだろうと思う。だから小説は妄想小説と言える。

一方で、やけにリアルな生活がベースゆえ、誰かの暮らしをサクッと切り取った日常小説のようにも見える。妄想と日常、それだけを聞くと、とてもかけ離れたものという印象があるけれど、実はおんなじなんじゃないかな。小説を書いていて、そう思う。

誰かの日常は、別の誰かにとっては特別。そんなフレーズの歌詞だったか、セリフだったかがあったね。それとちょっと似ているのかな。それともツーフェイス、表と裏がつながっている感じなのかな。

どちらにしろ、冒険も勝利も特別なできごともない、坦々とした日常のお話だ。ちょいブラックだったり、ちょい辛だったり、ある種のホラーだったり、あるあるだったりするけれど、ベストヒットになることも、アニメ化されたりなんてこともない、日々の延長だ。

それを小説として読みたいって人は少ないと思う。だけと、少なくとも私はそういう小説が好きで読みたい。だから書いている。そうして、似た好みを持つ人にときどき出会って、嬉しい気持ちになっている。だから書き続けている。そういう日常に、もしかしたら読みたいって思ってくれる人がもっといるかも知れない、なんて妄想を広げながら書いている。こうなるとやっぱり、日常と妄想はひとつながり、もしくはおんなじもの、になるのかな。


そういう小説を書いていると、すべてが本当の話だと思われることがある。読んでくださった人が、お話のなかのできごとが私に起こったことだと思ったり、主人公を私だと思ったりすることがある。ありがたいけれど、それは正しくない。もしそんなだったら、私は何度嫌がらせをされ、何度仕返しをし、何度不思議体験をしたことになるだろう。どれだけ楽観的で、同時に暗くって、多彩で無神経で、多面的な人になるのだろう。

タネを見つけて私の中で伸び、広がったことを書いているけれど、すべてが実体験ではないし、すべてが私の思いではない。全部をリアルで書けるほど特別なできごとがたくさん、私のまわりで起こってはくれない。多分、本当のことだけを書かなければならないのだったら、小説は一作品も書けない気がする。

そう考えると、坦々とした日常のお話であっても、本当の本当の日常よりは、起伏や上下があるらしい。だからやっぱり妄想小説だ。


本当は、読んでくださった人が持った印象で、ジャンル分けなりしてもらえばいいのだけれど、自身でネットに上げたり、電子書籍化したりするなる、とどうしても自分でジャンルを申請する必要がある。私はいつもそれに困っている。
日常小説と妄想小説のあいだは、なんと呼ぶのだろう。日常の先にあるフィクションは、SFは、なんと呼んだらいいのだろう。


いわゆる王道をいく創作以外にも、優しい世界であってほしいと思う。


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