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ネタを温めずに流す行為
しおりを挟むネットに公開している日記は、個人的なものだけれど見られてもいいと思っていることである。見られていいのだけれど、キレイに整形しているものでも、内容構成を吟味しているものでもない。客観的に見て有益なことが書いてある日があるかどうかも不明。
他の人はどうか、わからないけれど、私の日記はそういうものだ。
以前、別の分野になるけれど創作をする人と話していて、いわゆる、つぶやきやブログ、日記、を公開するのはもったいないのじゃないか、というようなことが話題にのぼった。
ネタや、ネタとまではいえずともヒントやきっかけ、となるようなことを、ただ垂れ流してしまっているのではないか、温めたり熟考する機会を自ら放ってしまっているのではないか、と。
たとえば、昨日の「一日中動画を見ていた」という日記。
一日の行動、思ったこと、そこから導き出される意見、さらに向こうへという展望、結論、そこまで話題を膨らまし、読みやすい形に整え、発表したほうがいいのではないか。あるいは、いつか、それらを考える、近しいことで考えを述べる、そういうときのためのストックとして、ネタ帳の中にだけしたためておくべきことなのではないか。
ただその時の行動、気持ち、だけを小出しにしているだけでは、思考も深まらず、また、特別な人生を歩んででもいない限り、話題がなくなってしまうのではないか。
つぶやきやブログ、日記の公開とは、そういうことなのではないか。
そんな話をした。
私は、好きなときに好きなことを書きたいように書く、というのが理想だから、書きたければ書くし、タイミングがちがうと思えばストックするし、厳格にどうしようと決めてはいない。
それはネットで公開しているものでも、誰にも見せないモーニングノートでもおなじで、書いたり、書かなかったり、なのだけれど、ここにきてちょっと、書かないことのくくりを作ったほうがいいのかな、と迷いがでてきた。
外出の機会が大幅に減り、これまでずっとしてきた人の様子を観察し妄想、想像する機会が減っている。
そうして、日記にちょこっと書いたことで、少なくなった出来事に関する興味や欲求が、ひとまず形を得てしまうことで、それ以上大きくならなくなっているような気もする。
この状態が続くと、日々、思いつくまま書く日記はともかくとして、もうすこし拡大した文章や創作文は書けなくなってしまうのではないだろうか。
そんな気がしたから。
どうだろう?
そんなことあるかしら?
ひとりで遊ぶのも楽しい。
けれどずっとひとりでは、いつもおなじで、気に入ったことだけを繰り返すようになってしまう気がする。新しく出てくるなにか、が、なくなってしまう気がする。
どうだろう?
そんなことはないのだろうか?
日記で外に流しっぱなしにするのではなく。。。みたいなことを、ぼんやりと考え始めた。
今日の日記、しおりを入れておくべきだなぁ。
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