宇宙人なのだと、おじいさんは言った

ちょこ

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 ザクザクと横切るように公園を歩く。

 早足で歩いているのにおかしいだろうけれど、なにげない体を装っておばさんの脇を通り抜け、私はおじいさんのすぐ近くの縁石に腰かけた。おばさんたちの視線が一斉に私のもとへと集まる。二、四、五、今日は五人だ。誰とも目を合わせないようにサラッと視線を動かして確認した。そしてそのあとはもう、おばさんたちのことは無視して手帳を開く。

 知らない人ばかりのときにはこれが一番だ。こうすれば見えないバリアが広がり、誰かに話しかけられることはない。言葉を交わしたことのある人たちの中にあるときは、この動作がかえって興味を引き、「なにやってるの?」なんて話しかけられてしまうことがあるけれど、知らない人の中にあるときにはそうはならない。「話しかけて欲しくないのだな」と、大抵の人は察してくれる。ちょっと面識がある、くらいの人までには絶大な効果を持つ自己防衛手段だ。

 もちろん、今回も効いた。おばさんたちの無言の重圧のようなものはほんの一瞬でほどけ、人の動く気配がした。ラジオ体操のテーマが流れ始める。

 部屋に居て耳にするのと、太陽の下で聞くのとでは、こんなにも感じのちがうものなのか。ラジカセから流れる、弾むようなリズムに、私の身体が反応した。もう何年も、十年以上も前の体育の時間にしたのを最後に、思い出すことすらなかった動作を覚えているのだ。

 実際に身体を動かしこそしなかったけれど、私は自然と頭の中で体操をしていた。膝の上に開いた手帳の文字はすっかり視界から消えていた。深呼吸のところまできたときには、静かにゆっくり吸い込み、ゆっくり吐く呼吸まで、一緒にしてしまっていた。

 音楽は続く。ラジオ体操第二だ。跳ねる音に合わせて私の肩がかすかにあがる。

 もういつ身体が動いても不思議ではなかった。体操がしたい。そんな気持ちになっている自分に驚いた。そしてハッとする。急に頭の中が白くなった。あれ、次は? どんな動きをするんだったか? まったく思い出せず、心臓がバクバクといった。すぐそばでおばさんたちの動く気配がする。いったいどんな動作をしているのだろう。

 関わりたくないと言わんばかりの態度でそこに座った手前、露骨に見る訳にもいかない。そう思うものの、そんな考えは一瞬で吹き飛んだ。音楽はどんどんと進んでいってしまう。ラジオ体操は待ってくれないのだから。

 私は顔をあげた。そうだ、そうだった。こうして、それから腕は曲げるんだ。素直に反応する身体に、私は手帳を落としそうになる。また心臓がバクバクする。けれどもう、俯くことはできなかった。ラジオ体操の音楽にのって、私は頭の中での体操を続けた。

 そんな私に気付いたのか気付かないのかわからないけれど、おばさんたちはただ体操を、ちょっとしんどそうに続けている。

 子供のころにはまったくそんなふうには感じなかったけれど、ラジオ体操は常に腕を動かし、ゆるやかそうにみえて案外キツイ。身体中をまんべんなく伸ばし、動かしする。おそらく真剣にやったら相当な運動量になるのではないか。軽い準備運動程度にしか考えていなかった子供のころの自分を浅はかだったのだと知る。頭の中で動作をなぞっていっただけで、私は自分が最後まで体操できるかどうか、疑わしく思った。


 短いようで長かった時間は過ぎ、音楽は終わる。おばさんたちは誰も言葉を発せず、動きもしなかった。ハアハアと乱れた呼吸の音が、やけにその存在を主張して、あちらこちらに点在している。時間が止まったか、あるいはこの場所が空間のはざまに陥ってしまったのか、そんな奇妙な沈黙だった。

 けれどそれも打ち消される。しばしの無音ののち、再び流れる音楽とともに、ラジオ体操第一のはじまりがアナウンスされた。端っこで一番しんどそうにしていたおばさんが、慌てた様子でラジカセに向かって駆け出した。それを合図に時が動き出す。


「悪いわね、走らせちゃって」

「いえいえ、すぐに止められなくってごめんなさい」

「さすがにすぐには動けないわよ」

「わたしなんて息切れしちゃって」

「わたしも」

「わたしもよ」

「週に一回くらいじゃ慣れないものね」

「でもそう何度もできないしね」

「なんでこんなに毎日慌ただしいのかしら」

「掃除機がけに洗濯に風呂掃除でしょ、支払いやら買物やらに出かけたら自分のことをする余裕なんてまったくないものね」

「わたしなんか朝ごはんを食べたと思ったらもう昼の準備をしなくちゃならなくって、やっと食べ始めたら今度は夕飯のおかずはなんだって聞かれたりするのよ。それこそ一日中、ごはんを作ってる」

「わかるわかる」

「たまには献立に悩まされない日があってもいいんじゃないかしらね」

「温泉にでも出かけちゃう?」


 息が整うか整わないかのうちに、井戸端会議の始まりだ。話しながら集まるように距離を縮め、誰が言い出すでもなく公園の外側へと歩き始める。

 ジロジロ見ては失礼だと気が付いて、私はまた下を向く。グループで行動している人を見かけると、ついつい凝視してしまう癖がついている。

 どうして行動を共にできるのだろう。気が合えば自然にできるものなのだろうか。本当に仲がよいからだろうか。誰かが誰かに合わせて無理をしているのではないか。今みたいに絶妙なタイミングで歩き出す、あうんの呼吸を得るために無理をしている人はいないのだろうか。並び方はどう決まるのだろうか。いつもおなじ? あるいはなにかを慮った臨機応変で?

 子供のころから、大人数が苦手だった。誰かが一緒だと自然に行動することができなくなった。人が多ければ多いほど、あれこれ心配になる。約束があるといつも熱を出した。ひとりが気楽だった。そしてひとりでいることに慣れてしまった。

 それを淋しいと思うこともある。誰かの役に立ちたいとか、ひとりではできない大きなことがしてみたいとか、考えることもある。だから気になるのだ。グループで行動できている人のことが。ラジオ体操に集まるおばさんたちのことが。

 パサパサと小さな羽音がした。いつのまにかまた鳥たちが集まってきていた。そうだった、いつも鳥たちに囲まれているおじいさんのそばに座っているのだった。


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