毒の微笑

チャイムン

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2.ギリアン子爵の懊悩②

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 アーシアはこの年齢の頃には大人の読む本を読み、家庭教師から「すでに王立学園三年生並みの学力をお持ちでいらっしゃいます」と報告され、ヨランダは一週間荒れた。
 十歳のお披露目前に十五歳並みの学力があると太鼓判を押されて、怒る親とはいかがなものかとキースは思ったが、おくびにもださず宥める自分の臆病さに嫌気がさした。

 そしてシンシアの教育が遅々として進まない状態にヨランダは緑の瞳を更に緑に燃やしてこう言ってきかせた。
「アーシアができたのだから、あなたはもっと優秀なはずよ。焦らずともすぐに追いついて追い越すわ。あなたは誰よりも優秀なのですもの」

 そしてなんといってもシンシアの外見は大問題である。
 ヨランダが甘やかした結果、コロコロどころかでっぷりと肥えてしまった。
「年頃になれば美しくなるわよ。シンシアは誰よりも可愛いのですもの」とヨランダは言い、シンシアの好きなものしか与えない。

 またこの母娘は派手好きも性格も似ている。癇癪持ちで下の者に冷酷なところも。我儘放題に育ち手がつけられない。

 アーシアとシンシアがここまで隔たった原因は祖父母の影響も大きい。

 アーシアが生まれて、ヨランダは普段に増して怒りっぽくなり、些細なことでヒステリーを起こした。
 それを見た祖父母が「少し母子を離してはどうか」とエイダ侯爵家に連れて行ったのだ。

 エイダ侯爵家は高位貴族によくあるように、いくつかの領地付き爵位を保持していた。
 姉四人はそれぞれ相応しい家格へ嫁いだ。
 エイダ侯爵ホルヘルはまだまだ元気なため長男ジムサはハーランド伯爵家に置き、いずれ侯爵家と領地を運営する術を学ばせている。
 次男ケリーはフィルサ子爵を与え独立させた。
 三男キースはギリアン子爵家へ婿に出した。
 キースが無鉄砲で男気を気取るくせに臆病な性格であることを見越してのことだ。婿として押さえつけられた方がいいだろうと思っての親心だ。

 先代夫婦に頭を押さえつけられ辛抱を学べばおとなしくしているだろうという目論見は見事功をなした。
 キースはやや傲慢な義父のイェーツの姿を反面教師にして、自分を矯めた。が、臆病だけは直らなかった。

 義母のミリアは穏やかで従順。世話好きで夫に甲斐甲斐しく仕えていた。夫を心から愛していたのだ。

 ではヨランダの派手好きで傲慢で苛烈な性格は義父に似たのかといえばそれは全面的には否と言える。
 幾分かはギリアン子爵家の性質ではあるのだろうが。

 ヨランダはこの義理の両親の実の子ではないのだ。
 義父の妹ヤスミンの娘だ。

 ヤスミンはそれなりの持参金とともに同格のアンシェル子爵家に嫁いだのだが、そこではすでに愛妾が子爵家の奥の実権を握っていた。
 嫁いで一年も経たず妾が男児を産むと、ヤスミンは離縁され戻ってきた。身重の身で。持参金も戻らず、嫁入り道具も持参した宝飾品も取り上げられた。
 生まれたのがヨランダである。
 実母のヤスミンはヨランダが生まれて半年後に格下のゴート男爵家の後妻におさまり、今では一男一女に恵まれ幸せに暮らしている。

 そのままヨランダはギリアン家の養女となり、その後夫婦は子に恵まれず婿をとることになった。

 そしてヤスミンを虐げたアンシェル子爵家は、キースの婿入りの祝いとばかりにエイダ侯爵家が王家に事の顛末を上奏し、取り潰しとなった。領地はエイダ侯爵家のものになり、ゴート男爵家へ半分が移譲された。

 おそらくヨランダとシンシアの性質はアンシェル家のものだろう。
 エイダ侯爵家とゴート子爵家が受け取った元アンシェル家の領地の住民は長年の重税と苦役と虐待にあえいでいた。それを健全に戻すまで十年を超える年月を要した。

 ヨランダはヤスミンのおっとりした性格は受け継がず、アンシェラ家の苛烈さとイェーツの傲慢さと自分勝手さを体現している。
 また、ギリアンの養父母はヨランダを甘やかした。
 勉強は嫌い、お洒落は大好き。派手なものを好み、目下のものを虐げる。
 そんな風に出来上がってしまった。

 こういった複雑に絡み合った環境は貴族には珍しくない。
 また出産後に心身を病む女性も珍しくない。

 しかしアーシアが生まれる半年前、キースが婿入りしてわずか二年でイェーツは他界した。
 日頃の不摂生が祟ったのだ。
 夫を心から愛していた義母のミリアは、アーシアの誕生を見ると三か月で地方の領地へ行き、今では隠居生活を穏やかに送っている。

 それなりに裕福な家では自分で子供を育てることはなく乳母や使用人が世話をするものだ。
 落ち着くまで離すのも悪手ではないだろう。キースがそう納得しかけた矢先に事件が起こった。

 ヨランダがアーシアの頭をを扇で叩き、叩いた場所がへこむ事件が起きたのだ。
 よりにもよって相談と孫の顔を見に来ていたエイダ侯爵家の父母がそれを見ている前で。

 ヨランダの言い分は明らかにおかしかった。

「産んだのはわたくしなのに!」
「なぜ女なの!?」
「わたくしをなぜ見ないの!?」

 産んだ自分ではなく、赤子がちやほやされることが許せない。
 男でないことが許せない。
 皆が自分を褒め称えないことが許せない。

 ということらしい。

 厳しい顔で祖父母はエイダ侯爵家へアーシアを連れて帰った。アーシアの身の安全第一に考えたことだ。

 しかし、母から初子を引き離したことで深い溝が生まれた。それは埋まることはなかった。

 どの子も主に乳母が世話をするのだから問題はないだろうとキースはたかをくくっていた。

 ところがアーシアはエイダ家の特徴を強く持っているらしく、エイダ侯爵家の家風にしっくり馴染んでしまった。
 手元に置く孫可愛さに祖父母は早くから最高の教育を施し、手中の玉とばかりに大切に慈しんだ。

 嫡男カッツェが生まれたからと言っては手元に置く口実とし、さらに妹シンシアが生まれヨランダが可愛がっていると知ってさらに手元に置いた。

 結局アーシアがギリアン子爵家に帰ってきたのは、九歳の時。
 この国では慣習として十歳になるとお披露目として、子供を紹介する場を設ける。
 その時は当然、両親のいるギリアン子爵家でお披露目パーティーを行うので、せめて馴染む期間が必要だろうと、一年前に戻ってきたのだ。祖父母は渋々戻したという態度を隠そうともせず、それがヨランダの癇に障り母と娘の仲は冷え冷えとしたものになった。
 九年の歳月は深い溝を刻んだ。

 キースは折りにつけエイダ侯爵家に赴き、アーシアと会っていた。
 弟のカッツエェは度々同行し、我儘で苛烈な言動の妹よりもたまにしか会えないが優しく静かな姉に親しんだ。時には「姉上に会いたい」と泣いて強請るほどに。
 シンシアは物心ついてから数度同行したが、キースが疲れ果ててしまい同行しなくなった。訪問を隠すことすらあった。
 姉に会えば些細なことで叩き蹴り、引き離せば暴れまわった。帰ればあることは捻じ曲げてないことを多く、姉の悪口を母に吹き込み、共に荒れるので辟易した。
 シンシアにとってアーシアの一挙手一投足が癪でたまらないらしい。
 ヨランダもまた同じで、三歳のアーシアを扇で叩いている現場を見られて以来、侯爵家への出入りを禁じられた。
(あの時の嵐はものすごかった)
 キースは今思い出してもゾッして身震いしてしまう。
 自分は一片も悪くないと思い込んでいるヨランダは荒れに荒れ、何度も爆発するような癇癪を起し、使用人、特に若い女性に暴力を奮い物を投げ、怪我人が多数出た上に暇を願い出た者も出る騒ぎになった。
 それが止んだのはシンシアの懐妊がわかったからだ。
 妊婦の一時的な気の乱れということでおさまった。
 対外的には。

 五年前、アーシアが九歳の夏、我が娘を見て「育ちとはこれほど違いを生むのか」と呆然とした。

 一服の解毒薬の如き娘だった。
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