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5.夜会の始まりは断罪の始まり
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しかし、夜になって帰宅したエルマーは全ての条件を拒んだ。
アレン・ガーフィットは、カリオンとチェスターに縋った。どこまでも他人任せな気弱なこの男から、カリオンとチェスターのような自立した息子が産まれたのは、母方の血だろうか。
「では新たな条件を付け足しましょう」
カリオンは酷薄そうな笑みを浮かべた。
「来週の王妃殿下主催の夜会で、フローレンスの婚約者として務め上げたら、この書類は提出しません」
カリオンは約束を守る気は毛頭なかった。彼はグリフィス公爵から婚約破棄の内容を教えられ、手を貸せば多少の容赦を約束されているのだ。
***
一週間後、エルマーは渋々とフローレンスを迎えに行った。
冷たい態度で腕も出さず、馬車でも終始不満げな顔を隠そうとしなかった。
フローレンスは見てくれの悪い娘ではない。むしろ美しい。
結い上げた栗色の髪は艶めいて輝き、卵形の顔に煌めくきりっとした瞳はエメラルドのよう。鼻筋はすっきりと通り、やや薄い唇は露をおびたベリーのようだ。体つきはほっそりとしているが、出る所は出ていてメリハリがある。
難があるとすれば、舞踏用のヒールのある靴を履くと、エルマーとほとんど背丈が変わらないくらいだろう。とは言え、エルマーの身長は比較的低い方なのだが。
今日は淡いグリーンのドレスに、髪には蝶を模った銀の櫛を挿して、真珠のネックレスを着けている。
二人が会場に足を踏み入れた時、多くの者がフローレンスを称賛の眼差しで見た。
もちろん、アーディンもフローレンスに見惚れた一人だ。
二人が入場してすぐ、ローラ・キンバリー子爵令嬢が寄ってきた。
ローラは黄色がかった薄い茶色の髪を波打たせ、少し垂れ気味の大きな青い目を瞬かせて
「エルマー」
と甘えた声を出した。
ローラは幼な気な顔に似合わず、肉感的な体つきで、実はエルマーはその体に夢中になっていた。腕に縋って胸を押し付けられる、その感触がたまらなかった。一線を越えてはいなかったが、ローラは度々仄めかして誘惑していた。
今夜は自慢の胸元が開いた派手な黄色のドレスに、エルマーが贈ったルビーのネックレスを着けている。
「ローラ、少し待ってくれ」
そう言うとエルマーは壁際の席にフローレンスを引っ張って行き、投げるように乱暴に椅子に座らせた。そして給仕からグラスを取ると、フローレンスに押し付けてからローラの方に向かって行った。
いつものことだわ。あと三か月の辛抱よ。
「まあ、乱暴なこと」
隣に座っていたフィンレー伯爵夫人がフローレンスを労わる。
「父君は何を考えているのやら」
フィンレー伯爵が苦々し気に言う。
「あなた、他所のことをとやかく言うものではないわ。グリフィス公爵はきちんとお考えよ」
実はフローレンスの母親は、あちらこちらで「ここだけの話」と婚約解消の条件をこっそりご婦人方に耳打ちして根回ししていた。フィンレー伯爵夫人もその一人だ。
「ご心配、嬉しく思います」
フローレンスは礼を述べた。
そしてフィンレー伯爵夫妻と雑談しながらフローレンスは右手でグラスのボウルの下を支え、ステムを左手の指でなぞっていた。エルマーが押し付けたグラスには、強い赤ワインが入っており、それはフローレンスの好みではなかった。口をつける気にもなれない。
「そのワインはお好みではありませんか?」
ふいに声をかけられた。
声の主はサーレン王国のアーディン第二王子だった。
アーディンは近寄りすぎない適切な距離を保っていた。
「ええ。きつすぎますの」
目を伏せて答えるフローレンス。
アーディンは自然な仕草でワインのグラスをフローレンスの手から受け取り、別のグラスを手渡した。
「軽い果実酒です。我が国特産のベリーですよ」
フィンレー伯爵夫人にも同じグラスを渡す。
グラスからはほの甘い芳香が漂っていた。一口含むと、爽やかな風味が広がる。
フィンレー伯爵夫妻とフローレンスとアーディンは適切な距離を保ったまま、当たり障りのない会話を交わしていた。
周りには多くの人がおり、決して不適切には見えなかった。
比べてエルマーとローラはべったりとくっついて、不適切極まりない。
そんな二人をひそひそと腐す会話がそこここで交わされていた。
「いやだ、わたし達をいやらしいって言っている人がいるわ」
ローラが耳ざとく囁きを聞きつけ、エルマーにしなだれかかった。
「誰だ!?」
エルマーは近くにいた二人連れを睨んだ。
「俺達をばかにすると痛い目をみるぞ」
言われた青年は、エルマーを睨み返し言った。
「婚約者でもない女といちゃついてる男に言われる筋合いはない」
「なんだと!?俺は次期グリフィス公爵だぞ!」
青年はははっと笑った。
「何を言うかと思えば。君以外、皆知っている。次期グリフィス公爵はフローレンスだ」
エルマーは青年の胸ぐらを掴もうとした。しかしローラに止められた。
「見て、エルマー。フローレンスが浮気しているわ」
ローラが指さした先には、周囲と同じようにアーディンと談笑しているフローレンスがいた。
「現場を押さえてやる」
勢い込んでエルマーは、ローラを連れてフローレンスの元へ急いだ。
その場に着くと
「このあばずれが!!」
と叫んで、持っていたグラスの赤ワインをフローレンスめがけてかけた。
が、さっとアーディンが立ちはだかり、赤ワインはアーディンの胸にかかった。
「無礼者!」
アーディンが一喝した。
給仕が急いでアーディンにクロスを渡した。
「申し訳ございません、王子殿下。別のお衣装をどうかグリフィス家にご用意させてくださいませ」
フローレンスは立ち上がって謝罪した。
アーディンは
「ご婦人を守った名誉の礼服です」
と笑った。
「悪いのはこの女だ!婚約者がありながら他の男といちゃついて!」
「いちゃついているのは貴様だろう。私は彼女に触れていないし距離を保っている」
「それがこの女の悪どいところだ!」
「わたくし、あなたに貶される筋合いはございませんわ」
フローレンスは凛とした声でエルマーに言った。
他国の王族への無礼をはらはらして周囲が見ていると、鐘が鳴り、晩餐の時間を告げた。
この夜会はまず飲み物と会話で出席者を待ち合い、それから晩餐、そして舞踏室での舞踏会という形式だった。
フローレンスは立ち上がり、アーディンに礼を述べ、エルマーなど目に入らないとばかりに晩餐の間へ向かった。アーディンも素知らぬ顔でエルマーの横を通って行った。
フローレンスもアーディンも晩餐の間の入り口で招待状を見せ、席へと案内された。
アレン・ガーフィットは、カリオンとチェスターに縋った。どこまでも他人任せな気弱なこの男から、カリオンとチェスターのような自立した息子が産まれたのは、母方の血だろうか。
「では新たな条件を付け足しましょう」
カリオンは酷薄そうな笑みを浮かべた。
「来週の王妃殿下主催の夜会で、フローレンスの婚約者として務め上げたら、この書類は提出しません」
カリオンは約束を守る気は毛頭なかった。彼はグリフィス公爵から婚約破棄の内容を教えられ、手を貸せば多少の容赦を約束されているのだ。
***
一週間後、エルマーは渋々とフローレンスを迎えに行った。
冷たい態度で腕も出さず、馬車でも終始不満げな顔を隠そうとしなかった。
フローレンスは見てくれの悪い娘ではない。むしろ美しい。
結い上げた栗色の髪は艶めいて輝き、卵形の顔に煌めくきりっとした瞳はエメラルドのよう。鼻筋はすっきりと通り、やや薄い唇は露をおびたベリーのようだ。体つきはほっそりとしているが、出る所は出ていてメリハリがある。
難があるとすれば、舞踏用のヒールのある靴を履くと、エルマーとほとんど背丈が変わらないくらいだろう。とは言え、エルマーの身長は比較的低い方なのだが。
今日は淡いグリーンのドレスに、髪には蝶を模った銀の櫛を挿して、真珠のネックレスを着けている。
二人が会場に足を踏み入れた時、多くの者がフローレンスを称賛の眼差しで見た。
もちろん、アーディンもフローレンスに見惚れた一人だ。
二人が入場してすぐ、ローラ・キンバリー子爵令嬢が寄ってきた。
ローラは黄色がかった薄い茶色の髪を波打たせ、少し垂れ気味の大きな青い目を瞬かせて
「エルマー」
と甘えた声を出した。
ローラは幼な気な顔に似合わず、肉感的な体つきで、実はエルマーはその体に夢中になっていた。腕に縋って胸を押し付けられる、その感触がたまらなかった。一線を越えてはいなかったが、ローラは度々仄めかして誘惑していた。
今夜は自慢の胸元が開いた派手な黄色のドレスに、エルマーが贈ったルビーのネックレスを着けている。
「ローラ、少し待ってくれ」
そう言うとエルマーは壁際の席にフローレンスを引っ張って行き、投げるように乱暴に椅子に座らせた。そして給仕からグラスを取ると、フローレンスに押し付けてからローラの方に向かって行った。
いつものことだわ。あと三か月の辛抱よ。
「まあ、乱暴なこと」
隣に座っていたフィンレー伯爵夫人がフローレンスを労わる。
「父君は何を考えているのやら」
フィンレー伯爵が苦々し気に言う。
「あなた、他所のことをとやかく言うものではないわ。グリフィス公爵はきちんとお考えよ」
実はフローレンスの母親は、あちらこちらで「ここだけの話」と婚約解消の条件をこっそりご婦人方に耳打ちして根回ししていた。フィンレー伯爵夫人もその一人だ。
「ご心配、嬉しく思います」
フローレンスは礼を述べた。
そしてフィンレー伯爵夫妻と雑談しながらフローレンスは右手でグラスのボウルの下を支え、ステムを左手の指でなぞっていた。エルマーが押し付けたグラスには、強い赤ワインが入っており、それはフローレンスの好みではなかった。口をつける気にもなれない。
「そのワインはお好みではありませんか?」
ふいに声をかけられた。
声の主はサーレン王国のアーディン第二王子だった。
アーディンは近寄りすぎない適切な距離を保っていた。
「ええ。きつすぎますの」
目を伏せて答えるフローレンス。
アーディンは自然な仕草でワインのグラスをフローレンスの手から受け取り、別のグラスを手渡した。
「軽い果実酒です。我が国特産のベリーですよ」
フィンレー伯爵夫人にも同じグラスを渡す。
グラスからはほの甘い芳香が漂っていた。一口含むと、爽やかな風味が広がる。
フィンレー伯爵夫妻とフローレンスとアーディンは適切な距離を保ったまま、当たり障りのない会話を交わしていた。
周りには多くの人がおり、決して不適切には見えなかった。
比べてエルマーとローラはべったりとくっついて、不適切極まりない。
そんな二人をひそひそと腐す会話がそこここで交わされていた。
「いやだ、わたし達をいやらしいって言っている人がいるわ」
ローラが耳ざとく囁きを聞きつけ、エルマーにしなだれかかった。
「誰だ!?」
エルマーは近くにいた二人連れを睨んだ。
「俺達をばかにすると痛い目をみるぞ」
言われた青年は、エルマーを睨み返し言った。
「婚約者でもない女といちゃついてる男に言われる筋合いはない」
「なんだと!?俺は次期グリフィス公爵だぞ!」
青年はははっと笑った。
「何を言うかと思えば。君以外、皆知っている。次期グリフィス公爵はフローレンスだ」
エルマーは青年の胸ぐらを掴もうとした。しかしローラに止められた。
「見て、エルマー。フローレンスが浮気しているわ」
ローラが指さした先には、周囲と同じようにアーディンと談笑しているフローレンスがいた。
「現場を押さえてやる」
勢い込んでエルマーは、ローラを連れてフローレンスの元へ急いだ。
その場に着くと
「このあばずれが!!」
と叫んで、持っていたグラスの赤ワインをフローレンスめがけてかけた。
が、さっとアーディンが立ちはだかり、赤ワインはアーディンの胸にかかった。
「無礼者!」
アーディンが一喝した。
給仕が急いでアーディンにクロスを渡した。
「申し訳ございません、王子殿下。別のお衣装をどうかグリフィス家にご用意させてくださいませ」
フローレンスは立ち上がって謝罪した。
アーディンは
「ご婦人を守った名誉の礼服です」
と笑った。
「悪いのはこの女だ!婚約者がありながら他の男といちゃついて!」
「いちゃついているのは貴様だろう。私は彼女に触れていないし距離を保っている」
「それがこの女の悪どいところだ!」
「わたくし、あなたに貶される筋合いはございませんわ」
フローレンスは凛とした声でエルマーに言った。
他国の王族への無礼をはらはらして周囲が見ていると、鐘が鳴り、晩餐の時間を告げた。
この夜会はまず飲み物と会話で出席者を待ち合い、それから晩餐、そして舞踏室での舞踏会という形式だった。
フローレンスは立ち上がり、アーディンに礼を述べ、エルマーなど目に入らないとばかりに晩餐の間へ向かった。アーディンも素知らぬ顔でエルマーの横を通って行った。
フローレンスもアーディンも晩餐の間の入り口で招待状を見せ、席へと案内された。
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