姫君の憂鬱と七人の自称聖女達

チャイムン

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32.閑話~憂鬱な乙女の心模様~

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「シャイロ様って…」
 ランスフィアがわたくしをじっとみつめて言う。
「最初は怖い方かと思っていましたが、けっこう普通…いえ、ごめんなさい。今日のご様子を見たら親しみやすい方だなって思ったんです」

 わたくしは頬が熱くなるのを感じる。
 あんなこと…泣いてしまうなんて。
 おかげでザイディーと目も合わせられなくなってしまった。
 ザイディーの方もなんとなく気まずいらしく、ぎくしゃくとした感じになっている。

 しかし、ランスフィアのことで相談があると、報告会の後で二人で話をした。

 ジンダール侯爵家の養女になったラン、今はランスフィアだが、わたくしとは別の混乱のさなかにいた。ザイディー曰く「食も進まずあまり眠れていないようだ。怯えているようにも見える」

 それはわたくしのやりたいことを叶える口実にもなった。

 わたくしのやりたいこと。それはランスフィアから聞いた「ジョシカイ」だ。

「ねえ、いいでしょ?この後の詳しい打ち合わせや、やるべきことを聞いておきたいの。ランスフィアの不安も見当がつくわ。きっと力になれるから。お願い」

 父や兄達にそう言ってランスフィアを王宮に招いて、王女宮のわたくしの自室で過ごす時間を勝ち取った。普段強請らないわたくしに父も兄達も甘いのだ。ランスフィアと五日間、共に寝食を過ごせるよう取り計らった。

 確かにランは顔色が優れなかった。食欲もなかった。
 それは闇の精霊の話をする前から気づいていた。

 湯浴みの後、夜着に着替えてわたくしの寝室に二人きりになってすぐに理由は知れた。思った通り婚約の打診が原因だ。

 エイナイダ侯爵家の今年二十歳になる次男イアンと婚約を薦められていた。婚約が調い、婚儀が済めばイアンにはシュルツ伯爵が叙爵されることになり、領地も与えられ独立することになる。

 貴族の子息がこの年齢まで婚約者がいないことは珍しい。

 エイナイダ公爵家は王家に近く、イアンは神聖力の高い女性が現れた時に備えて二十歳を超えるまで婚約話を保留されていたのだ。
 しかしそろそろその役目を終わらせていい頃合いだ。

 イアンはこのシーズンのガーデン・パーティーでランスフィアを見初めていた。
 慎ましくおとなしやかなランスフィアの様子に好意を持ったそうだ。

 ランスフィアの小鳥のような、可愛らしく儚げな姿や所作に惹かれたのだろう。

 イアンはランスフィアを神聖力の有無はさておき、守ってあげたいのだと訴えた。

 エナイダ公爵家もジンダール侯爵家も否やははい。

 しかしランスフィアは貴族の婚約の有り様に戸惑っていたのだ。

「まだ正式ではなく打診よ?イアン・エイナイダは穏やかな人であなたを大切にしてくれると思うのだけど、何か気に入らないところがあったのかしら?」

 ランスフィアは俯いてかぶりを振る。

「それにあなたが学園を卒業するまで待つとおっしゃってくれるから、それまで考える猶予はたっぷりあるわ」

「私、ちょっと不思議なのですけど」
 ランスフィアが切り出した。

「貴族の方は家同士で結婚相手が決まるのですよね?」
「ええ、そうよ。だから学園と言えど恋愛を楽しんで、婚約者を切り捨てるなんてできないのよ」

 ランスフィアは思案顔で続ける。
「"ハナシュゴ"でよく、『彼女とは家同士が決めた婚約だから愛なんかない。君が本当の愛を教えてくれたんだ』みたいなセリフがよくあるんです。『君は本当の自分を見てくれる。愛のない結婚なんかできない』とか」

「それで学生気分の恋愛感情を優先して婚約者を捨てるの?貴族の子息が?有り得ないわ」

 首をかしげてランスフィアが問う。
「でも愛情がなくて、夫婦でいられるものなのですか?貴族の方は恋愛はしないのですか?」
「学園では勉学と人脈作りが第一よ。恋愛は結婚後にすればいいでしょう?」

 ランスフィアは目を見張る。
「それは浮気をするということですか?」
「浮気?なぜ?」

「だって結婚してから恋愛をするって」
「結婚してからじっくりと夫婦で恋愛をするのよ。一生続く関係ですもの」
 目をしきりに瞬かせるランスフィア。
「婚姻もしないうちに不適切な接触はしないわ。婚姻する前に何が起こるかわからないでしょう?戦争とか病気とか。この国の者はそう教えられて育つわ。だからこそ、ヒロインという人が婚約者がいる殿方と密接な関係になったり、触れ合ったり、愛を語らうことはわたくし達からしたら驚きなのよ」

 ランスフィアはなかなか理解できないらしい。
「自分の意思で選んだわけではない人を愛せるんですか?」
「無理強いはしないのよ。幾人か候補者がいて、何度か顔合わせをした上で決まるから、完全な独断で決められたものではないのよ」
「そうなんですね…」
「この国ではそうよ。他国では違うこともあるでしょうけど、エルダン王国では女性側の意思で決まることが多いの」
 心配そうなラン。

「婚約者や候補になれば、お茶会や庭園の散歩、夜会でのエスコートやダンスで人なりを知ることができるでしょうし、その間にどうしても嫌なら白紙に戻すこともできるわ。安心して」

 まだ戸惑った表情のランスフィアだ。

「婚約までいかなくても候補としてお付き合いをすればいいのよ」
 励ますように言ってみる。
「ガーデン・パーティーはまだあるし、それには"ヒロイン"がまた参加するけれど…」
 ここは懸念材料ではある。
「幸いあなたは"稀人"の間でも女王反対派の間でもは知られていないようだったわ」
「ほとんど部屋から出ていませんでしたから。面会も断っていました」
「では"侯爵令嬢ランスフィア"として出席すればいいのよ。そこでイアンとお話ししてみてはいかが?」

 ランスフィアは俯いていたが、少し顔を上げてためらいながら話し始めた。

「私、七歳の時に両親が離婚したんです」

 ランスフィアの両親は彼女が物心ついた頃には険悪な仲だったという。彼女が七歳の時に母親が他の男性の元へ去っていき、両親の夫婦間家は終わった。
 彼女は父親の元に残された。一年も経たずに父親は別の女性と結婚し、相次いで弟妹が生まれた。
 新しい母親はあからさまに自分の子供とランスフィアの間に差をつけ、弟妹の面倒をみさせ、時には勝手な気分のまま殴打した。それを父親は見て見ぬふりをしていた。

 ランスフィアの世界では、初等教育と中等教育は完全な義務となっていたが、彼女は高等教育を望んだ。
 初等と中等は無料なのだが、高等教育から授業料は有料になる。そこでランスフィアは「テイジセイコウコウ」という夜間に学ぶ学校に通うことをなんとか許可してもらい、代わりに昼間に働いて給金をギリギリまで搾取されていた。

「この寝間着だって元の世界で持っていたら…」
 わたくしが用意させた柔らかな布地の夜着とその上に羽織ったローブを撫でながら言う。
「外に着ていきたくなったでしょうね」

 普段は「チュウガッコウ」で来ていた「ジャージ」という服を中心に着まわしていたという。

「だから召喚された時は嬉しかったんです。ここで大切にされて暮らせるって」
 最初に話を聞いた時と同じことを言って、ほろりと涙をこぼした。

「いいのよ。もう大丈夫。あなたを元の世界に戻しはしないわ。もうあなたはランスフィア・エリス・ラ・ジンダール侯爵令嬢よ。ここで幸せになりましょう?」
 ランスフィアの手を撫でながら慰めると、さらにポロポロと涙をこぼすランスフィア。

「私、結婚なんて怖くって!!」
 わあっとばかりに泣き出した。

 ランスフィアのような環境だったら、結婚に恐れを抱いても仕方がない。
 しかし『ハナシュゴ』に乙女らしいほのかな憧れや興味があったのだから、完全に拒否しているわけではないだろう。

「ねえ、ランスフィア?」
 やや泣き止みかけたランスフィアに声をかける。
「わたくしは時期女王よ。早ければ数年後に女王なのよ」
 ランスフィアはきょとんとした表情になる。
「今でもこの国の女性では第一権力者だし、実は兄上達よりも順位は上だから、実質この国で2番目の権力者なのよ」
 何をいいたいかわからないらしいランスフィアに、わたくしは偉そうに言う。
「そのお友達のランスフィアを粗末に扱う者なんか、一捻りで潰せるのよ?」
 まだ涙が乾ききっていない目を、パチパチと瞬かせてわたくしを見る。

「もしもイアンが嫌だったら、それはそれでいいの。もっと気軽な気持ちでお話しするくらいいいのではないかしら?」
 まだ不安そうな表情のランスフィアを宥めるように言葉を選ぶ。

「少しくらいイアンに機会をあげて欲しいの。ちょっとでも嫌だったら、わたくしがエイナイダ公爵の輝かしい頭とイアンの横っ面を扇で張り飛ばしてお断り申し上げるわ」

 わたくし達はしばし見つめ合い、同時に吹き出した。

 笑いの中にお互いの少しずつ違う不安と憂鬱を溶かし、その後はエイベルに注意されるまでとりとめのない話を楽しんだ。

 かくしてイアンは求婚の機会を与えられ、わたくし達は無事に残りのガーデン・パーティーを乗り切った。

 いや、無事と言うには辛いことがたくさんあったのだけれど。
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