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+++ 悪役令嬢エステル視点です。+++
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(…どうしましょう。)
殿下があのような感情的な態度を取られた所を、わたくしは初めて見ました。
わたくしが殿下と出会ったのは、お互いに6歳の時でした。
わたくしは物心ついた時から、この国の第一王子の妻になるのだと両親に言われて育ちました。
幼い頃のわたくしは、ふーんそうなんだ程度に思っておりました。
でも、6歳の時に両親に連れられて王家へ赴き、初めて殿下にお会いした時、わたくしは殿下に一目で惚れてしまったのです。
それからは、いずれティタ二ア王国の王となる殿下を、少しでも支えられるようにと、日夜努力を重ねて参りました。
殿下は多忙な日々をお過ごしのようで、わたくしが殿下とお会いできるのは、国の重要な式典か王族の誕生を祝う催しのみでした。
そんな年に数回の中でも、わたくしが殿下と会話できたのは、互いの親から与えられた僅かばかりの時間のみでした。
6歳の時にお会いしてから10年。
わたくしが知っている殿下は、いつも柔らかな物腰で。
わたくしの話を優しい笑顔で聞いてくださって。
わたくしや周りに細やかな気配りができる、聡明な御方であるということです。
噂で聞く殿下のお話も相違はございませんでした。
でも今、衝撃的な殿下を目の当たりにしました。
このような辺鄙な場所に、殿下自らが足を運ばれた行動に驚き。
(‥まぁ、その後で起きた事象にも、多少は驚かされましたけれど。)
つい先程、殿下が一瞬の内に目前から[宮廷魔導士]のドートン様がいらっしゃる遠方へと移動した事象。
ただ、あの事象については、わたくしが持つ[闇]属性の空の魔力と同等であれば可能であると、わたくしは本能ですぐに解りましたので、それほどの衝撃はなかったのと、その件については心当たりもあることですし、一時保留とさせていただきますわね。
それよりも何よりも衝撃的だったのは。
わたくし達の後ろに居る、蒼白な面持ちの彼女に向かって、殿下が絶対零度の冷気を纏いながら無言で詰め寄り、強引に彼女を引き寄せた行動の方に、わたくしは強い衝撃を受けたのです。
( ───‥だって、殿下がわたくしに会いに来たことなど、ただの一度もなかったのに…。)
そんな殿下が、彼女に会うだけの為に、このような辺鄙な場所まで来られたのです。
それ程までに、殿下と彼女の間には“只ならぬ何かが在る”のだと、お二人の関係性は容易に導き出されました。
(あぁ‥どうしましょう…。)
わたくしは、彼女とは出会ったばかり。
彼女のことを、わたくしは殆ど存じ上げません。
ですが、彼女はそんな関係性の薄いわたくし達に頼ることしか手立てが残されておらず、わたくし達の後ろに逃げ込んだのでしょう。
わたくし達の後ろに隠れるように、震えながら身を潜めている彼女を見ると、顔色は蒼白を通り越し、それはそれは酷いものでした。
彼女の口から聞いた通り、彼女は本気で殿下からの制裁を恐れていることは明白でした。
(そうよね…彼女は何も悪くはないのに、怯える彼女に対して、わたくしは殿下を思うあまり羨望して、あろうことか仄暗い気持ちになるだなんて‥わたくしは駄目だわ…。)
そうよね。
わたくしはこの国を支える三柱の公爵令嬢だもの。
ならば、殿下の許嫁である私が取るべき行動は─────。
「───…殿下。少し、宜しいでしょうか。」
わたくしは確かめなくては。
殿下を。彼女を。
───どちらが正しいのかを。
僅かな沈黙の後、殿下は気まずそうにわたくしに微笑んでくれました。
「…あぁ。‥エステルはこの者と知り合いなのか?」
「そうですね‥、ほんの少し前に知り合いになった…といった所でしょうか。──わたくしは彼女に用があり、ここに居るアイリとマノンと一緒に彼女と話をしていたのです。…ね?アイリ、マノン。」
こんな微苦笑を浮かべる殿下を見たことがなかったわたくしは、少しだけ声が上擦ってしまいました。
「「はい。」」
そんなわたくしの緊張をアイリとマノンは感じ取ったのでしょう。
わたくしを支えるように、両端からそっと二人が寄り添ってくれたので、わたくしは何とか平静を保つことができました。
「…エステル、貴女がこの者に用があったと?」
「そうです。殿下が彼女と渡り廊下で衝突された折に受け取られた、院内の見取り図。──その裏面に書かれた内容の件で用がありましたの。」
「! ‥エステル、それは───…。」
彼女から聞いた話を殿下に伝えることで、わたくしは彼女から聞いた内容が真実であるかを確かめなくてはならないの。
「───‥聞いたのか…。」
わたくしは殿下に、静かに頷きを返しました。
───殿下の表情が…、
「…そうか‥。」
─── 一瞬だけ曇りました。
またもや初めて見る殿下の表情に、わたくしの胸はドクンと一際大きく跳ねました。
彼女が殿下に渡した物が恋文の類であれば、殿下はこのような表情にはならず、苦笑や煩わし気な表情になるでしょう。
殿下の表情が曇ったということは、
わたくしに知られたくなかったということ─────。
(‥あぁ‥そんな…。。)
わたくしの言葉は何も否定されずに、殿下はただ「そうか」とだけ肯定されました。
それはつまり、彼女から聞いた話が真実であり、『打首』という衝撃的な内容が確かに書かれていたということであり、殿下は肯定した上で“真実を知られたくなかった”ことを意味しています。
彼女から聞いた噂の真相は、確かに彼女が考察した通り、庶民が王族に非礼を働いたとも受け取れる点はありました。
でも、わたくしは彼女から聞いた『打首』という内容は、彼女が王族を恐れるあまりに飛躍して受け止めたのだと考えていました。
(だって、わたくしが知る殿下はとても優しくて、細やかな気配りができる、聡明な御方だったから…。)
先程の殿下は鬼気迫る勢いで、わたくし達の後ろに居る彼女を捕らえようとされていました。
きっと殿下は、わたくしが想像もつかない何かを彼女に導き出して、彼女を捕らえる為にこの場所まで来たと考えるのが筋道なのでしょう。
けれども。
殿下のその判断は、本当に正しい判断とは、わたくしは思えませんでした。
だって、わたくし達の後ろに隠れている彼女は、見るからに何も知らない庶民の反応で、王族である殿下や貴族であるわたくし達は、彼女のような弱い立場の庶民の方々を、守るべき立場なのですから。
(殿下は‥殿下は…、本当に彼女を捕らえて、打首にとお考えなのですか…?)
わたくしは喉まで出かかった言葉をグッと飲み込み、殿下を見つめました。
「──エステル‥…エリー。何を考えている?」
“ エリー ”
わたくしが幼い頃に殿下にお願いして以来、二人きりの時にだけ、殿下が私を呼ぶ愛称。
殿下がわたくしをそう呼ぶ時は、決まって私を諭す時でした。
これ以上、踏み込むのは良くないと諭す時でした。
切ない表情で笑う殿下は、きっとわたくしが考えていることを解っているのね。
6歳の頃からずっと貴方だけを見つめてきて。
こんなにも色んな表情の殿下を、わたくしは初めて見ました。
( ───もっと早くに、見たかったですわ…。)
殿下と出会ってから10年も経つのに、わたくしは貴方のことを本当は少しも知らなかったのだと気付かされました。
(…本当は全然、冷静でいられる心境じゃないのに…。)
殿下と過ごした日々は、ほんの数える程度ですけれど、それでもわたくしには殿下が望んでいることが解りますもの。
(これ以上、踏み込んで欲しくない…と。)
ですが、わたくしは殿下の良き許嫁であるよう育てられた者として、真意を確かめずには引き下がれないのです。
「…わたくしが考えていることは殿下のことですわ。──それで、殿下も彼女に用がお有りのようですが、わたくしと同じ理由でしょうか?」
「 っっそれは────…。」
殿下が、わたくし達の後ろに居る彼女へ視線を向けました。
「───‥済まないが言えない。」
切ない表情で優しく笑う殿下は、ハッキリと、わたくしに告げました。
「───エステル。その者をこちらへ渡してくれ。」
殿下の声がワントーン下がりました。
(…あぁ…そうなのですね…。)
殿下は、本気、なのですね。
「───‥できません。」
「エステル。」
「殿下に彼女を渡すことはできません。」
「それは───‥私に刃向かうということかな?」
「…殿下がそうお望みであれば。───アイリ、マノン。わたくしは彼女を保護します。」
「「‥!…───はい。」」
───殿下、わたくしは貴方をずっとお慕いしておりました。
今日は初めての殿下をたくさん見られて、もっと貴方のことが知りたいと、もっと貴方に近付けたらと思ってしまいました。
殿下を信じておりました。
…でも、殿下はそうではなかったと。
(…わたくしを信用することはできないと…。)
胸が張り裂けそうになりました。
わたくしが愛する貴方は。
(わたくしを必要とは、してくださらないのですね───…。)
視界が暗闇に落ちそうになるのを耐え、わたくしは殿下から視線を外しました。
後ろを振り返れば、わたくしと幼い頃から付き合いのあるアイリとマノンが、躊躇うことなく彼女を支えていました。
わたくしはこの国を支える公爵令嬢として、殿下の許嫁として、公正な目で見定めて、判断しなければなりません。
殿下が間違いを犯そうとなさるなら、正さねばなりません。
─────殿下。貴方がそうお望みであれば。
わたくしは貴方と敵対いたしましょう。
わたくしは決意を新たに蒼白な面持ちの彼女を見つめました。
見つめまし…‥・・・・あら?
アイリとマノンに支えられた彼女は、蒼白ではなく、必死な面持ちで首を左右に振っています。
殿下と敵対することを決めたわたくしを、わたくしの立場が危うくなることを憂いて、止めようとなさっているのかしら?
「‥そんなに心配なさらずとも、アイリやマノンはわたくしの味方ですし、大丈夫ですわ。」
「違うんです、アストリア様! その判断、根本から間違ってますっ!」
「・・・。(‥えっと…え?)、‥間違っている、‥んですの?」
わたくしの戸惑いながらの問いかけに、必死に首を縦に振っている彼女の目を見て、この場を凌ごうと嘘を言っている訳ではないことだけは分かりましたけれど‥。
でも、それ以外が分かりません。
それは、わたくしが見えていない部分があるということなのでしょうか…。
「…そう‥困りましたわね…。」
彼女の言葉に、わたくしは殿下との敵対に逡巡することになりました。
…仕方がないですわね。
「───殿下、近い日取りでお時間を作ることは可能でしょうか?」
「! ‥あぁ。分かった、調整しよう。」
苦悩顔だった殿下は、わたくしの提案を受けて、パッと明るい表情になりました。
( ────っっ‥なんて顔をなさるんですか…。)
幼い頃にわたくしが殿下に惚れるきっかけになった、あの笑顔を、こんな時に向けるだなんて…卑怯ですわ。
わたくしは火照る自分の顔を持て余して、扇子でそっと顔を隠しました。
(もうっ‥殿下はさっきから何ですの?…ころころと変わる殿下の表情に、ドキドキさせられっぱなしなのですけど…。)
周りの空気まで溶かすような、そんな優しい笑顔をした殿下を見ていたら、先程の決心が緩んでしまいそうになりますわ‥。
( ──‥ダメですわ。落ち着かないと…。)
気持ちの動揺を悟られないようにしないと。
わたくしは、ゆっくりと深呼吸して、彼女を守る為に言わなければならない言葉を続けました。
「では殿下。日時は手紙でお知らせくださいませ。それから彼女の身柄は、その時までわたくしが預からせていただきたいのですが…それくらいの酌量は認めてくださいますか?」
殿下の視線が、サッと両側に立つ護衛と魔導士へ向けられました。
「───分かった。構わない。」
彼ら二人の反応を確認した後で、慎重に頷かれた殿下に。
そんな筈はないというのに、殿下がわたくしを心配そうに見つめているような気がして。
「ありがとうございます、殿下。」
殿下より了承のお言葉をいただけたことに感謝を伝える際に、思わずわたくしは満面の笑顔を向けてしまいました。
「!…エリー‥。(その顔は反則だろうが…。)」
「あ‥これは、その…失礼をいたしました。//」
殿下の諭す呼びかけに、一瞬で我に返ったわたくしは、淑女らしくないことをしてしまったと、急いでお詫びを入れました。
そして、わたくしは濃紺色のドレスのスカートの裾を、優雅に両手でそっとつまみ広げ、殿下へ緩やかに一礼を捧げたのでした。
(‥あぁもう…。わたくしは殿下のことが、本当に本当に大好きなのですわ…。/// )
殿下と敵対することが延びたことに、ホッと胸をなで下ろしているだなんて。
わたくしは改めて殿下を恋い慕う気持ちを気づかされて、少しだけ恥ずかしくなりました。
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(…どうしましょう。)
殿下があのような感情的な態度を取られた所を、わたくしは初めて見ました。
わたくしが殿下と出会ったのは、お互いに6歳の時でした。
わたくしは物心ついた時から、この国の第一王子の妻になるのだと両親に言われて育ちました。
幼い頃のわたくしは、ふーんそうなんだ程度に思っておりました。
でも、6歳の時に両親に連れられて王家へ赴き、初めて殿下にお会いした時、わたくしは殿下に一目で惚れてしまったのです。
それからは、いずれティタ二ア王国の王となる殿下を、少しでも支えられるようにと、日夜努力を重ねて参りました。
殿下は多忙な日々をお過ごしのようで、わたくしが殿下とお会いできるのは、国の重要な式典か王族の誕生を祝う催しのみでした。
そんな年に数回の中でも、わたくしが殿下と会話できたのは、互いの親から与えられた僅かばかりの時間のみでした。
6歳の時にお会いしてから10年。
わたくしが知っている殿下は、いつも柔らかな物腰で。
わたくしの話を優しい笑顔で聞いてくださって。
わたくしや周りに細やかな気配りができる、聡明な御方であるということです。
噂で聞く殿下のお話も相違はございませんでした。
でも今、衝撃的な殿下を目の当たりにしました。
このような辺鄙な場所に、殿下自らが足を運ばれた行動に驚き。
(‥まぁ、その後で起きた事象にも、多少は驚かされましたけれど。)
つい先程、殿下が一瞬の内に目前から[宮廷魔導士]のドートン様がいらっしゃる遠方へと移動した事象。
ただ、あの事象については、わたくしが持つ[闇]属性の空の魔力と同等であれば可能であると、わたくしは本能ですぐに解りましたので、それほどの衝撃はなかったのと、その件については心当たりもあることですし、一時保留とさせていただきますわね。
それよりも何よりも衝撃的だったのは。
わたくし達の後ろに居る、蒼白な面持ちの彼女に向かって、殿下が絶対零度の冷気を纏いながら無言で詰め寄り、強引に彼女を引き寄せた行動の方に、わたくしは強い衝撃を受けたのです。
( ───‥だって、殿下がわたくしに会いに来たことなど、ただの一度もなかったのに…。)
そんな殿下が、彼女に会うだけの為に、このような辺鄙な場所まで来られたのです。
それ程までに、殿下と彼女の間には“只ならぬ何かが在る”のだと、お二人の関係性は容易に導き出されました。
(あぁ‥どうしましょう…。)
わたくしは、彼女とは出会ったばかり。
彼女のことを、わたくしは殆ど存じ上げません。
ですが、彼女はそんな関係性の薄いわたくし達に頼ることしか手立てが残されておらず、わたくし達の後ろに逃げ込んだのでしょう。
わたくし達の後ろに隠れるように、震えながら身を潜めている彼女を見ると、顔色は蒼白を通り越し、それはそれは酷いものでした。
彼女の口から聞いた通り、彼女は本気で殿下からの制裁を恐れていることは明白でした。
(そうよね…彼女は何も悪くはないのに、怯える彼女に対して、わたくしは殿下を思うあまり羨望して、あろうことか仄暗い気持ちになるだなんて‥わたくしは駄目だわ…。)
そうよね。
わたくしはこの国を支える三柱の公爵令嬢だもの。
ならば、殿下の許嫁である私が取るべき行動は─────。
「───…殿下。少し、宜しいでしょうか。」
わたくしは確かめなくては。
殿下を。彼女を。
───どちらが正しいのかを。
僅かな沈黙の後、殿下は気まずそうにわたくしに微笑んでくれました。
「…あぁ。‥エステルはこの者と知り合いなのか?」
「そうですね‥、ほんの少し前に知り合いになった…といった所でしょうか。──わたくしは彼女に用があり、ここに居るアイリとマノンと一緒に彼女と話をしていたのです。…ね?アイリ、マノン。」
こんな微苦笑を浮かべる殿下を見たことがなかったわたくしは、少しだけ声が上擦ってしまいました。
「「はい。」」
そんなわたくしの緊張をアイリとマノンは感じ取ったのでしょう。
わたくしを支えるように、両端からそっと二人が寄り添ってくれたので、わたくしは何とか平静を保つことができました。
「…エステル、貴女がこの者に用があったと?」
「そうです。殿下が彼女と渡り廊下で衝突された折に受け取られた、院内の見取り図。──その裏面に書かれた内容の件で用がありましたの。」
「! ‥エステル、それは───…。」
彼女から聞いた話を殿下に伝えることで、わたくしは彼女から聞いた内容が真実であるかを確かめなくてはならないの。
「───‥聞いたのか…。」
わたくしは殿下に、静かに頷きを返しました。
───殿下の表情が…、
「…そうか‥。」
─── 一瞬だけ曇りました。
またもや初めて見る殿下の表情に、わたくしの胸はドクンと一際大きく跳ねました。
彼女が殿下に渡した物が恋文の類であれば、殿下はこのような表情にはならず、苦笑や煩わし気な表情になるでしょう。
殿下の表情が曇ったということは、
わたくしに知られたくなかったということ─────。
(‥あぁ‥そんな…。。)
わたくしの言葉は何も否定されずに、殿下はただ「そうか」とだけ肯定されました。
それはつまり、彼女から聞いた話が真実であり、『打首』という衝撃的な内容が確かに書かれていたということであり、殿下は肯定した上で“真実を知られたくなかった”ことを意味しています。
彼女から聞いた噂の真相は、確かに彼女が考察した通り、庶民が王族に非礼を働いたとも受け取れる点はありました。
でも、わたくしは彼女から聞いた『打首』という内容は、彼女が王族を恐れるあまりに飛躍して受け止めたのだと考えていました。
(だって、わたくしが知る殿下はとても優しくて、細やかな気配りができる、聡明な御方だったから…。)
先程の殿下は鬼気迫る勢いで、わたくし達の後ろに居る彼女を捕らえようとされていました。
きっと殿下は、わたくしが想像もつかない何かを彼女に導き出して、彼女を捕らえる為にこの場所まで来たと考えるのが筋道なのでしょう。
けれども。
殿下のその判断は、本当に正しい判断とは、わたくしは思えませんでした。
だって、わたくし達の後ろに隠れている彼女は、見るからに何も知らない庶民の反応で、王族である殿下や貴族であるわたくし達は、彼女のような弱い立場の庶民の方々を、守るべき立場なのですから。
(殿下は‥殿下は…、本当に彼女を捕らえて、打首にとお考えなのですか…?)
わたくしは喉まで出かかった言葉をグッと飲み込み、殿下を見つめました。
「──エステル‥…エリー。何を考えている?」
“ エリー ”
わたくしが幼い頃に殿下にお願いして以来、二人きりの時にだけ、殿下が私を呼ぶ愛称。
殿下がわたくしをそう呼ぶ時は、決まって私を諭す時でした。
これ以上、踏み込むのは良くないと諭す時でした。
切ない表情で笑う殿下は、きっとわたくしが考えていることを解っているのね。
6歳の頃からずっと貴方だけを見つめてきて。
こんなにも色んな表情の殿下を、わたくしは初めて見ました。
( ───もっと早くに、見たかったですわ…。)
殿下と出会ってから10年も経つのに、わたくしは貴方のことを本当は少しも知らなかったのだと気付かされました。
(…本当は全然、冷静でいられる心境じゃないのに…。)
殿下と過ごした日々は、ほんの数える程度ですけれど、それでもわたくしには殿下が望んでいることが解りますもの。
(これ以上、踏み込んで欲しくない…と。)
ですが、わたくしは殿下の良き許嫁であるよう育てられた者として、真意を確かめずには引き下がれないのです。
「…わたくしが考えていることは殿下のことですわ。──それで、殿下も彼女に用がお有りのようですが、わたくしと同じ理由でしょうか?」
「 っっそれは────…。」
殿下が、わたくし達の後ろに居る彼女へ視線を向けました。
「───‥済まないが言えない。」
切ない表情で優しく笑う殿下は、ハッキリと、わたくしに告げました。
「───エステル。その者をこちらへ渡してくれ。」
殿下の声がワントーン下がりました。
(…あぁ…そうなのですね…。)
殿下は、本気、なのですね。
「───‥できません。」
「エステル。」
「殿下に彼女を渡すことはできません。」
「それは───‥私に刃向かうということかな?」
「…殿下がそうお望みであれば。───アイリ、マノン。わたくしは彼女を保護します。」
「「‥!…───はい。」」
───殿下、わたくしは貴方をずっとお慕いしておりました。
今日は初めての殿下をたくさん見られて、もっと貴方のことが知りたいと、もっと貴方に近付けたらと思ってしまいました。
殿下を信じておりました。
…でも、殿下はそうではなかったと。
(…わたくしを信用することはできないと…。)
胸が張り裂けそうになりました。
わたくしが愛する貴方は。
(わたくしを必要とは、してくださらないのですね───…。)
視界が暗闇に落ちそうになるのを耐え、わたくしは殿下から視線を外しました。
後ろを振り返れば、わたくしと幼い頃から付き合いのあるアイリとマノンが、躊躇うことなく彼女を支えていました。
わたくしはこの国を支える公爵令嬢として、殿下の許嫁として、公正な目で見定めて、判断しなければなりません。
殿下が間違いを犯そうとなさるなら、正さねばなりません。
─────殿下。貴方がそうお望みであれば。
わたくしは貴方と敵対いたしましょう。
わたくしは決意を新たに蒼白な面持ちの彼女を見つめました。
見つめまし…‥・・・・あら?
アイリとマノンに支えられた彼女は、蒼白ではなく、必死な面持ちで首を左右に振っています。
殿下と敵対することを決めたわたくしを、わたくしの立場が危うくなることを憂いて、止めようとなさっているのかしら?
「‥そんなに心配なさらずとも、アイリやマノンはわたくしの味方ですし、大丈夫ですわ。」
「違うんです、アストリア様! その判断、根本から間違ってますっ!」
「・・・。(‥えっと…え?)、‥間違っている、‥んですの?」
わたくしの戸惑いながらの問いかけに、必死に首を縦に振っている彼女の目を見て、この場を凌ごうと嘘を言っている訳ではないことだけは分かりましたけれど‥。
でも、それ以外が分かりません。
それは、わたくしが見えていない部分があるということなのでしょうか…。
「…そう‥困りましたわね…。」
彼女の言葉に、わたくしは殿下との敵対に逡巡することになりました。
…仕方がないですわね。
「───殿下、近い日取りでお時間を作ることは可能でしょうか?」
「! ‥あぁ。分かった、調整しよう。」
苦悩顔だった殿下は、わたくしの提案を受けて、パッと明るい表情になりました。
( ────っっ‥なんて顔をなさるんですか…。)
幼い頃にわたくしが殿下に惚れるきっかけになった、あの笑顔を、こんな時に向けるだなんて…卑怯ですわ。
わたくしは火照る自分の顔を持て余して、扇子でそっと顔を隠しました。
(もうっ‥殿下はさっきから何ですの?…ころころと変わる殿下の表情に、ドキドキさせられっぱなしなのですけど…。)
周りの空気まで溶かすような、そんな優しい笑顔をした殿下を見ていたら、先程の決心が緩んでしまいそうになりますわ‥。
( ──‥ダメですわ。落ち着かないと…。)
気持ちの動揺を悟られないようにしないと。
わたくしは、ゆっくりと深呼吸して、彼女を守る為に言わなければならない言葉を続けました。
「では殿下。日時は手紙でお知らせくださいませ。それから彼女の身柄は、その時までわたくしが預からせていただきたいのですが…それくらいの酌量は認めてくださいますか?」
殿下の視線が、サッと両側に立つ護衛と魔導士へ向けられました。
「───分かった。構わない。」
彼ら二人の反応を確認した後で、慎重に頷かれた殿下に。
そんな筈はないというのに、殿下がわたくしを心配そうに見つめているような気がして。
「ありがとうございます、殿下。」
殿下より了承のお言葉をいただけたことに感謝を伝える際に、思わずわたくしは満面の笑顔を向けてしまいました。
「!…エリー‥。(その顔は反則だろうが…。)」
「あ‥これは、その…失礼をいたしました。//」
殿下の諭す呼びかけに、一瞬で我に返ったわたくしは、淑女らしくないことをしてしまったと、急いでお詫びを入れました。
そして、わたくしは濃紺色のドレスのスカートの裾を、優雅に両手でそっとつまみ広げ、殿下へ緩やかに一礼を捧げたのでした。
(‥あぁもう…。わたくしは殿下のことが、本当に本当に大好きなのですわ…。/// )
殿下と敵対することが延びたことに、ホッと胸をなで下ろしているだなんて。
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