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《榊原の十一郎の謎解き》 その三
しおりを挟む赤龍は舌を出して顔をしかめた。
「厳しいですねぇ、最近の童女は。まあ、許されるとも思っておりませんでしたし、許されたいと思っていたわけでもありませんが」
自分も中庭に飛び降りる。足袋越しに玉砂利の感触があって、少し動きづらそうだが……、どうにでもなるか。
「赤龍法師。どうせ、この場で全員殺して、ぜんぶなかったことにする気なんだろう?」
「我が主からは、そうせよと言われております。周囲の……、茶坊主だの内勤のお侍様だのについては、どうする気なのかは知りません。あのお人でも、全てを口封じするのは、難しいんじゃないかと思うのですが……。やけくそなんですかねぇ」
やけくそで大量殺人されてたまるか。
「拙者も、貴様を逃がす気はない。始まれば、殺すか、殺されるかだ。だから……、まだ解けていない部分について、教えてくれないか」
「解けていない部分?」
「黒勝様の閉じこもる黒鉄庵に出入りした方法。それから、ご遺体しかない黒鉄庵に、わざわざかんぬきをかけた理由も」
「ああ、それですか」
赤龍法師は、ふわりと微笑んだ。
「理由については、大した理由じゃないですよ。躙り口を開けっ放しにして出て、あの三人に余計なことをされたものですから、今度は閉めておこうと思っただけです。……証拠を探すための、さらなる時間稼ぎになるかな、とも思いましたが」
二の二、なんのために、かんぬきを閉めたのか。
――解、ただの思いつきと時間稼ぎ。
「いやしかし、反省して行動した結果、変な疑惑が生じてしまった……、というのは堪えますねぇ」
「そうでございますね。あの、かんぬきの謎がなければ、やつがれが疑問を持つこともなく、下手人は芥川様だと思い込み、芥川様の自白を受け入れていたことでございましょう」
そうなっていれば、いまこの状況にはなっていない。かんぬきの謎が、赤龍法師の失敗がなければ、自分達は間違った人の首を落としていたに違いない。
かんぬきが、あったから――正しく、罪人を見つけられた。
「もうひとつ。出入りした方法についてですけれど……」
赤龍法師が、あおばをちらりと見た。
「そこの小鳥は、そちらも推理しているのでは?」
あおばがうなずく。
「もちろん。信憑性の薄い噂話でございますから、情報の確度が低く、最初に排除した推理ではございましたが」
我が隠密は、一瞬だけ自分を見て苦笑した。
「虫の一党であれば、黒鉄庵の四方一尺しかない大きさの排煙管を通ることも、不可能ではないのではないか、と……。加えて、毒まで使ったのでございますから、これはもう、虫しかないでしょう。いかがでございますか?」
赤龍法師が、にやりと笑って……、その体が、ごきん、と音を立てて変形する。肩が回り、あり得ない方向にねじ曲がった。関節を外し、捻り、体を変形させている。黒姫様が「ひ」と悲鳴をあげた。
あおばは、その光景から目を逸らさず、「ほう」と息を呑んだ。
「やはり、秘伝の忍術でございましたか。そのような人外の技を操る忍びが、この太平の世にまだ生き残っていたとは。敵ではございますが、同業の隠密として、お目にかかれたこと、少々、感激しております」
「……いやあ、嬉しいものですねぇ。敵に褒められると、なかなかどうして、気分が良い。あおばさんもお見事でしたよ。拙僧の正体に、ちゃんと辿り着いたのですから」
ごきごきと音を立て終わった赤龍法師は、まさしく異形であった。どう関節を外したのか、両腕が、直立していても玉砂利に着くほど、ひょろりと細長く伸びている。
「拙僧の名は、本当は蚯蚓と言います。穴を這い、不気味にのたうつ蚯蚓法師。竜なんかじゃなかったんですね、実は」
……曰く、毒術と身体奇術に秀でた裏隠密の一派、虫の一党には、関節を外し、常飲する毒物で内臓の位置や肉の柔らかさを変えて、頭ほどの大きさしかない穴でも通れるように体を作り替える技がある……、だったっけ。
一の二、どうやって、黒勝様が閉じこもる黒鉄庵に出入りしたのか。
――解、忍法で。にゅるっと。みみずのように、排煙管を通り抜けた。
いや、反則だろう、この解答は。
「……こんなもん謎解きしろったって、無理があるぞ」
思わずぼやきがでる。
「それなら、拙僧がもっとうまく立ち回っていれば、完全に騙し切れた線も残っていたのですかね。いや、残念です。……他に、ご質問は?」
「いや、ない。すべて、解き終わったとも」
すなわち、これにて完全解答――。
一、どうやって、やったのか。
一の一、どうやって、兵が取り囲む無人の来栖城に出入りしたのか。
――解、秘密の地下道があった。
一の二、どうやって、黒勝様が閉じこもる黒鉄庵に出入りしたのか。
――解、忍法で。にゅるっと。みみずのように、排煙管を通り抜けた。
二、なんのために、やったのか。
二の一、なんのために、黒勝様は殺されたのか。
――解、賄賂を受け取っていた黒幕による口封じ。
二の二、なんのために、かんぬきを閉めたのか。
――解、ただの思いつきと時間稼ぎ。
二の三、なんのために、城内を荒らしたのか。
――解、証拠を持ち去るため。
二の四、なんのために、芥川様は「己が下手人だ」と虚偽の自白をするのか。
――解、黒幕をかばって賄賂の事実を隠し、黒葛家再興の夢を見続けるため。
三、だれが、やったのか。
――下手人、赤龍法師こと、虫の一党が裏隠密、蚯蚓法師。
――黒幕、大目付、力原野心。
すべての答えが出そろった。もう質問はない。ただ、あえて問うとすれば。
「赤龍――蚯蚓法師。拙者に勝ったら、最後は自分も死ぬつもりかい? 乱心だか反逆だかで罪ぜんぶおっかぶさって、力原様の地位を守るためだけに、自分も使い捨てるのかい」
蚯蚓法師は首をかしげた。
「当たり前じゃないですか。それが、忍びって生き物ですから」
「……まったく、認めたくないな、そんな生き物は。忍びってのは、どうしてこう、自分の命を大事にしやがらないんだろう」
これは半ば、背後で童女と老人をかばって立つ、竹馬の友に向けて言う言葉でもあった。
あるいは、自分自身に向けての言葉でもあったかもしれない。
「富める家、貧しき家、いろんな生まれがあるだろう。だけど、せっかく拙者達は平和な江戸の世に生まれたんだ。その太平を楽しみ、満喫する権利がある」
考えるのは、このひと月ほどのあいだに出会った人々のことだ。
復讐のために身を売った町娘。親子三代の恨みをたぎらせる老婆。父親を殺すため舞い戻った武人。忠心のあまりすべてをなげうった家老。どれだけ失っても光り輝く矜持だけは失わない姫。本当に、いろいろな人がいた。
「そして、拙者のような恵まれた生まれの者は、恵まれない生まれの者に、太平を楽しみ、満喫させる義務があるんだよ。最近、そう思ったんだけど」
蚯蚓法師が、呆れ顔になった。
「いいことを言いますが、謎時殿。拙僧のような薄汚い異形の忍びに、太平の世は生きられませんよ。今さら、どう足掻いても……、拙僧は人殺しですし、あおばさんに毒を盛ったわけですし、平和になんて生きられません」
「それについては、許す気はないとも。だけど、平和に生きられないかどうかは、わからないだろ。為せば成る、だ。為さねば成らぬ、何事も。やってみないうちから諦めるのは、どうかと思うよ? あ、これ上杉鷹山って偉い人の言葉ね。知ってた?」
「知っていますとも。……すいません、実は今知りました」
「で、どうだ。平和に生きる気は、あるかい?」
「もちろん、毛頭ございませんね」
そして、問答は終わり、互いに構え合う。
自分はいつもの力を抜いた脇構え。蚯蚓法師は、だらりと腕を垂らしたまま前傾姿勢。
――蚯蚓法師の手が、動いた。ただ、長い。肘やら肩やらの関節を外したぶん、腕が伸び、鞭のようにしなっている。その先端、手で握り込んだ短い刃物は、ぬらりと光る太い針。鋭く砥がれた千枚通し。
「毒針か?」
「蚯蚓の毒を塗り込んであります。血から入れば、かすり傷でも半日以内に死ねますよ」
脇構えで、しなる両腕を迎え撃つ。逆袈裟の一刀で、右手首を切り落とす。……それは、蚯蚓法師もわかっていたことだろう。最初から、片腕は捨てるつもりで、かかってきている。本命、残った左手の千枚通しが自分に迫る――、が。
「は?」
蚯蚓法師が目を丸くする。
振り抜いた一刀は、途中から左だけで振っていた。素早く、右の逆手で抜いた脇差で以って、蚯蚓法師の右手首も切り落としたのだ。両腕から噴き出した血が、玉砂利の庭を赤く染めていく。
「……謎時殿、二刀流も扱えたのですか。道場では一刀だったから、脇差は飾りか、予備と思っていましたよ」
「これでも、いろんな流派に明るいもんでね」
「つくづく……、見た目通りじゃない男ですね、謎時殿は」
両手首から、大量の血を流しながら、美丈夫は微笑んだ。
「この蚯蚓。最期の相手があなたで光栄です」
言って、蚯蚓法師は玉砂利を蹴り、自分に躍りかかった。どういう理屈か、じゃきん、と両足の足袋の先から短く鋭い刃が飛び出す。忍びの隠し武器。これにももちろん、毒が塗られているのだろう。
「そうれ!」
さらに、両手首からまき散らす血を、目つぶし代わりに撒いてくる。痛みを感じないかのような姿に、一瞬、気圧されそうになるが――、すでに、見切っている。
左の順手で持った打刀と、右の逆手で持った脇差を振るう。空に乗せるように、気に沿わすように、流れる川に浮く葉のように。
するりと、しなる毒の両足を潜り抜け、蚯蚓法師とすれ違う。
ややあってから、蚯蚓法師が、口を開く。
「……厄介な、願い事なのですが。次に、拙僧じゃない虫に会う機会があれば……。誰かを殺しちまう前に、同じことを言ってやってくれませんか」
「……ああ。心得た。任せておけ」
そして、どう、と蚯蚓法師が玉砂利の上に倒れ伏した。たとえ、身体奇術の虫の一党であろうとも、もう起き上がることはないだろう。首と脇を、たしかに斬った。
仕事をするのも、大義を背負うのも、自分には似合わないが……、いけすかない美丈夫の遺言に耳を貸すくらいは、がんばってみようと思う。
残身を解く。最後の戦いが、終わったのだ。
「見事なり」
烏丸様が、そう呟いた。
「さすがは、江戸に名高い昼行燈――」
懐紙で刀の血を拭い、鞘に納める。緊張がほどけ、巨大な安堵の吐息が漏れた。
「――浮気刀の十一郎だな」
「あの、その呼び名、実は嫌いなんですよ。拙者も、あおばも」
いい加減、訂正しておかないと、公方様にまでそう呼ばれてしまいそうだ。
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