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《密室城》 その十二

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 小四郎は、頭を上げて目を見開いた。

「黒姫に……?」
「拙者が勝つってことは、芥川様に沙汰が下されるってことだ。最低でも斬首刑には処されるだろう。そうなると、黒姫様はおひとりになられる」

 髭面の武者は、気まずそうに、また顔を下げた。

「……あの姫が生まれる前に、俺は江戸の来栖屋敷を飛び出したんだ。今さら、兄貴面なんかできねえよ」
「それじゃ、立ち合いはなしだ。拙者達はすぐに芥川屋敷に戻り、罪人芥川三茶様を捕えることとしよう」
「わかった! ……わかった、わかったよ。その条件、ありがたく呑ませていただく」

 小四郎は立ち上がり、道場の端に立てかけられた木刀を二振り手に取る。一振りをこちらに放って寄越し、「おう、おまえさんらは、端に寄ってろ」とおみつさん達に場所を開けさせた。
 板間の中央に、自分と小四郎だけが残り、互いに一礼。
 自分は木刀を脇構えで持ち、肩の力を抜いて、ゆるりと立つ。
 小四郎は八相の構え。始まる前から、全身に気をみなぎらせているとわかる。

「柔の剣か。江戸じゃ、あんたがどこぞの道場の娘に手を出したって悪名ばかり聞いたが、剣の実力はどうだ?」
「……あおば。始まりの合図を頼む」
「承知いたしました。では」

 あおばが、向かい合う自分達を交互に見て、うなずく。

「はじめ」

 短く、しかしはっきりと発された開始の言葉。聞こえるや否や、きえい、という猿叫が道場に響き渡る。同時に打ち込まれた一刀。力強く、相当に練り込まれているとわかる。
 薬丸示現流の、一の太刀。全生命を一太刀に注ぎ込むとさえ称される、必殺の一撃。
 その迫力に圧されてしまえば、身動きすら取れないまま、叩き伏せられてしまうだろう。呑まれてはいけない。脇構えから木刀を鋭く打ち放ち、小四郎の木刀にあわせる。見た目通り、小四郎は力強い荒武者だ。膂力で競えば、自分が負ける。

 だから、力には逆らわない。力とは、流れだ。その流れに身を任せ、しかし、身を引きちぎられないよう、操るのだ。広い川を泳いで渡りたいならば、激流に逆らうよりも、心身無事なまま波に浮かんで利用するほうが、ずっといい。
 浮気刀とは、それだ。
 打ち合った木刀から伝わる力を受け流し、素早いすり足でくるりと身を翻し、小四郎の首元にぴたりと切っ先を当てる。小四郎の動きが、止まる。

「そこまで」

 あおばの声。どっと汗が額から噴き出すのを感じる。
 一合。たった一合でも、荒武者との立ち合いは、疲れるものだ。木刀を提げ、向かい合って一礼し、息を吐く。

「……浮ついたあだ名の割に、ずいぶん優雅な剣じゃねえか」
「言ってなかったけれど。拙者が浮気刀と呼ばれているのは、遊び人だからじゃないよ。浮気なんて、恥ずべき行為だろう。しないよ、そんなこと」

 怪訝な顔で首をかしげる小四郎と観客達に、すまし顔のあおばが継げる。

「御曹司は鏡新明智流、北辰一刀流、神道無念流、無外流、柳生新陰流などなど、多種多様な剣術道場に通われていたのでございます。毎日、日替わりで、それこそ朝から晩まで――十年以上、休むことなく」

 小四郎が表情をゆがめた。

「日替わりで、毎日……? なんだって、そんなことしたんだ」
「趣味だ」

 そう答えるしかない。

「役方の家に生まれたけれど、剣の方が楽しくてね。家でも勉強せず、棒ばっかり振っていたら父上が『榊原の子なのに剣術好きって、謎だなぁ』と言って、それで名が謎時になった。……謎解きも得意じゃないんだよ、実は」

 榊原家は代々、勘定方に勤めるためか、剣術については固定の流派がない。流派が決められていないがゆえに、自分はとにかくいろいろな道場の門を叩きまくれた。

「あらゆる流派に精通し、あらゆる剣技に対応する、風気の流れに浮く薄紙のごとき剣術。ひとつの流派に固執せず、あらゆる流派に手を出す浮気者の剣。ゆえに――、ついたあだ名が浮気刀の十一郎なのでございます」
「いつの間にか、あだ名の方が広まってしまって、ふしだらな男だと思われてしまっているのは、納得がいかないけれどね。むしろ、愚直に稽古に打ち込んでいただけなのにさ」

 自分の邪道な剣術を嫌った者達が、悪口代わりに方々であだ名を言いふらしたこともあって、悪名として広まってしまっているが。自分は付き合い以外ではお座敷遊びにすら行かない、真面目で硬派な男のつもりなのだ。……働いてはいないけれども。

「……すっかり騙されたぜ。俺の聞いた噂は、いつわりだったのかよ。俺も九州で相当に体を鍛え、技を磨き、胆力を練り上げたつもりだったが、完敗だ。……本当は、この剣で黒勝を斬るつもりだったんだがな」

 道理で、魂が入った一の太刀だったわけだ。背負うものが大きい男である。

「御曹司は、純粋な剣の腕で言えば、江戸で五指に入るのではないかと。もっとも、流派に属さない邪道剣術では正式な試合が組めず、剣豪番付には載っておりませんが。出稽古の相手にはもってこいだと、江戸中の剣豪から引っ張りだこでございます」

 江戸では、なんでもかんでも番付にして、瓦版で発表するのだけれど、当然、剣術の腕前についても番付が作られている。
 ……ただし、あくまで正式な試合の結果から決めるものであるため、道場で多種の流派を学びはしても、所属することなく野良試合しかできない自分の名前は載らないのだ。我流でも、与力や同心などの腕自慢は、たまに試合を組んでいるけれど、自分はまったく働いていないため、それもできない。

「……ねえ、あおばさん。十一郎様がそんなにお強いなら、護衛って必要なの?」
「おかげさまで、護衛のやつがれは、面目が潰れっぱなしでございます」

 すまし顔が、ほんの少しだけ、歪む。元服する少し前、忍術も有りであおばと手合わせして勝ってからだ、あおばが冷たくなったのは。当たり前と言えば、当たり前か。
 自分は彼女が生涯をかけて学んできた技と、自分を守るためにいるという意義を、わざわざ潰してしまったのだから。そういう意図はなかったのだが……、めちゃくちゃ泣かれた。号泣された。昼から夜まで、ずっと泣いていた。

「ともかく、これで決まりだ。悪いが、芥川三茶様が下手人であると、力原様に報告させていただくことになる。小四郎殿は、黒姫様をお守りください」
「負けた以上、文句は言えねえな。わかった。……ただ、じじいの処罰については、温情の処置を願うよう、力原様にお伝えいただきたい」
「わかった。拙者のできる限り、な。所詮、浮気刀の言だ。あまり期待はされるな」

 小四郎が、すっと頭を下げた。
 さて、これにて一件落着と言ったところだろうか。

「……すっきりした顔をしておいでですが、御曹司。まだ解けていない謎が残ってございます。かんぬきの謎が……。江戸に戻るのは、残った謎が解けてからでも、よいのではございませんか」
「あおば、たしかに謎は残っているけど、下手人がわかった以上、無為に引き延ばすわけにはいかない。力原様へ報告する日も決まっているんだ、独断で延ばしたら、それこそ失礼になってしまう」
「あいや、ちょっと待ちな」

 数珠の束を両手に巻き付けたやちよ婆が、道場の真ん中に勢いよく飛び出した。

「次は、あたしゃが相手をするよ。剣が強いのはわかったが、呪術の腕前はどうだい。へっへ、あたしゃが勝ったら、黒勝を殺したのは芥川様ではなく、あたしゃだったということにだな……」

 あっけに取られてしまう。呪術の腕比べなんて、できるわけない。めちゃくちゃだ。
 おみつさんも、なんだか決意を固めた顔で団子の串をどこからか取り出したし、赤龍法師は面白そうな顔で「いいですねえ、どんどんおやりなさい」と煽っている。
 どう収集をつければいいんだ、と顔をしかめていると。

「もうよい。そのあたりにしておけ、皆の衆」

 渋みのある声が聞こえた。
 はっとしてそちらを見ると、道場の入り口に、背の高い男がたっている。
 疲れた顔の、家老――芥川三茶、その人が。

「榊原殿もあおば殿も、どうかそのあたりで。もはや、争いは必要なく。――いかにも、黒勝様を弑したのは、儂なのですから」
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