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《黒鉄庵の姫君》 その六

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 来栖城のてっぺん、あまり大きいとは言えない天守に、その庵はあった。
 自分より、少し背が高い程度の大きさの、鉄製の四角い箱。ざらついた黒錆で覆われた表面が、なんだか異様な雰囲気を醸し出している。

「改易に先立って、暇を出す家臣達への分配金を稼ぐため、刀も鉄砲も弓も鎧も、いろいろと処分をいたしましたが、この箱だけは動かせませんからな。天領に接収されれば、来栖城も廃城となり、黒鉄庵も解体できるでしょうが」

 改易とか、廃城とか。芥川様はやはり、なんでもないことのように言うが、旗本十一男には大ごとだ。いや、自分でなくとも間違いなく大ごとであるはずだが。このご家老は、自分がいま驚いていることなど、とうの昔に受け入れ終わっているのだろう。
 驚き終わり、受け入れ終わり、慣れてしまっている――。

「畳以外は、床、棚、壁に至るまで、すべてが鉄製でしてな。中は二畳足らずと狭く、入り口は躙り口だけ。空気を通すための小さな穴や、煙を逃すための管はありますが」
「庵ってことは、茶室……、なんですか? これが?」

 芥川様は、鉄壁に手を当ててうなずいた。

「黒勝様が作らせたものです。……本当は、金や銀で作りたかったようですが。それこそ、かの太閤秀吉様の黄金茶室のごとく、豪華なものを」

 それは少々、ぜいたくが過ぎるかな。天下を取るほどの猛将でなければ作れない。

「意気揚々と七年前に着工したはよいのですが、金銀どころか、鉄を贖うにも資金不足で、完成が一年以上遅れましてな。完成したのは、つい五年ほど前のことです。いや、なかなか大変な事業でした」
「なるほど、ご苦労されたんですね。……でも、失礼ながら、これで完成なんですか? 窓や障子もないのでは、外の景色が見えないでしょう。茶室というからには、庭の眺めもあってこそだと思うんですけど」

 天守に作るなら、なおさら眺めを求めたくなるものだが。そんな問いに、芥川様は首を横に振った。

「外界とは隔絶した場所――、というのが黒勝様の望みでしてな。……見たくなかったのでしょう、自らが統治する国を。執務のとき以外は、たいてい、この黒鉄庵にこもっておいででした」

 己が継いだ国を、嫌っていたのか。なにひとつ継ぐもののない旗本十一男には、規模が大きすぎて、よくわからない感覚である。
 鉄の箱、黒鉄庵の周りをぐるりと回ってみると、小さな入り口があった。躙り口だ。高さと幅は二尺程度で、入るときは身をかがめて正座し、にじり寄るようにしなければ入れない、茶室特有の入り口。

「ええと、誰も彼もが同じように頭を下げ、その狭さゆえに刀も外さねば通れず……、よって、茶室の中では侍も民もみな平等と扱われる、だっけか」
「そうでございます、御曹司。茶会はお嫌いですのに、よくご存じでございますね。褒めて差し上げましょう」

 馬鹿にしないでくれ。茶はあまり嗜まないが、それくらいは知っている。頭を撫でようとするあおばから逃れて、ふと、気づく。

「躙り口は、引き戸ではなく、開き戸だったのですね。というか、扉が……」

 躙り口の四方に、無理やりひっかいたようなあとがある。近くの床板の上に、扉の残骸と思しき、ひしゃげた金属板が転がっていた。傍らには、同じく鉄製の捻じれた四角い棒も落ちている。あおばが棒を拾い上げた。

「これは……、扉に、かんぬきが備えてあったのでございますか?」
「いかにも。十三日前、黒勝様はこの中で亡くなっておいででした」
「この中で? 死因は、なんだったのでございますか?」
「全身に、痛めつけるように切り傷が刻まれており、指も半数ほどが折られ……、早い話が、斬殺でございますな。失血が主でしょう。検死役は儂が務めました。ご遺体には、鎌と鉈と小刀が突き刺さっておりました」

 聞くだけで、凄絶な死にざまだ。おそるおそる躙り口から中を覗き込むと、無骨な鉄の床が広がっているだけだった。

「……あれ、畳があったのでは? さっき、畳以外は、と仰っておりましたけど」
「血が染み込んでいたので、処分を。さすがに十三日も経っておりますゆえ」

 そりゃそうか。黒鉄庵内部に飛び散った血なんかも、しっかり掃除されたのだろう。素材のせいか、あるいは血の残り香か、鉄臭さはあるけれど、見た目に違和感はない……、鉄製の茶室そのものが違和感の塊であることを除けば。

「芥川様、ひしゃげた扉を見るに」

 あおばが、かんぬきの棒を指でつまんだまま問う。

「下手人は、躙り口の戸を破壊して、中に入ったのでございますか?」

 ああ、破壊してあるもんな。呪いを恐れたお殿様は、この躙り口のかんぬきを、しっかりと閉めていたことだろうから。だが、我が隠密は「それとも」と言葉を重ねた。

「ご家臣の皆様方が、黒勝様の死後に破壊されたのでございますか?」

 不思議な問いかけに、芥川様が嘆息してうなずく。

「いかにも、いかにも。さすがは鳥の一党ですな。血の臭いだけが漏れ出る中、力自慢の家来を総動員して、どうにかこうにか抉じ開けた次第です」

 そこでようやく、自分にも事件が奇妙と呼ばれる理由が……、町人だけでなく芥川様までもが、呪いか祟りか悪霊かと考えてしまうのか、理解できた。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。それじゃ、黒勝様がお亡くなりになったとき、黒鉄庵の扉は閉じていたんですか? 完全に閉じられた黒鉄庵の中で、全身に切り傷を負い、鎌と鉈と小刀を突き立てられた状態で、お亡くなりになっていたのですか……?」

 芥川様が、再度、うなずく。

「いわば、人の出入りができない、密室の状態であったわけですな。さらに、城の内部にも黒勝様以外に人はおらず、全ての門には門番が控え、水が満ちた堀の外は兵が巡回しておりました。城そのものもまた、密室状態であったと言えるでしょう」

 つまりは――。

「――密室城の中、鉄製の密室茶室の中で起こった殺人である、と?」

 口に出すと、なんだか馬鹿馬鹿しい状況に思えて、めまいがする。そんなところで、人が死んでいた? それじゃ、超常の仕業に違いないじゃないか。
 呪いか祟りか悪霊かは知らないが。調べても無駄だ、江戸に帰ろう。京に寄って、石清水八幡宮で厄払いもしたほうがいいな。
 だが、あおばはそうは思っていないようだった。

「そも、なぜ黒勝様は人払いをなされたので? 凶兆の夢を恐れていらしたと、城下でお聞きいたしましたが」
「……それは、誰から聞いたので?」

 芥川様が、一瞬、視線を光らせた。

「茶屋の娘でございますが」

 あおばが名を伏せて答えると、芥川様はなんとも疲れた顔で息を吐いた。

「おみつですか。……ええ、凶兆の夢を恐れたのは、事実でございます。黒勝様は、呪いや祟りといった魔のものを恐れておいででした。というのも……」

 芥川様は、言いづらそうに顔を逸らした。

「……信心深いお方でしたからな、黒勝様は」

 信心深いにしても、度が過ぎているように思うけれど。

「それで、凶兆を信じて城から人払いをし、黒鉄庵の中に籠られたと?」
「そうです。かんぬきを閉めて、城に誰も入れるな、誰にも会わん……、とおっしゃいました。信の置ける少数の手勢にてお守りしますと申し上げたのですが、断れてしまいました。……儂らのことも、悪霊の手先だと思っていたのかもしれませんな」

 寂しそうに、そう言う。

「黒勝様以外、誰も城内におられなかったのであれば、下手人が忍び込んでいたとしても、城の外にいる芥川様達にはわからなかったのではございませんか」
「忍び込むのは、不可能だと思いますな。あの日、儂らは確かに城外へ出ておりましたが、先ほども申しました通り、堀の外には密に兵を歩かせ、全ての門前に見張りを置いておりました。城の外の人員が豊富な日でしたからな、入れたものは……、まあ、おりますまい」

 少し興味が湧いて、口を挟んで問いかけてみる。

「ねえ、あおば。忍びなら、そういう状況の城にも潜り込めるんじゃないのかい」

 あおばは少しだけ思案し、首を横に振った。

「……堀も壁もあり、しかも、外周が長いとも言い難い小さな城でございます。兵の目を盗むことは、難しいかと」

 忍びの者でも、難しいときた。であれば、ますます超常の仕業に思えてくる。

「ご遺体を見つけたのは、いつごろ、どなたでございますか」
「朝、黒鉄庵を確認しに参った儂と武官達です。入城した折、二の丸に置かれた勘定所が荒らされていると気づき、これは尋常な出来事ではないと、急いでこちらまで」
「二の丸が荒らされていた? なにか盗まれたので?」
「確認した限りでは、なにも盗られておりませんでした。ただ、荒らされただけで」

 あおばは、顎に指を当てて考え込む。なにか、引っかかっているらしい。
 ……もう、いいんじゃないか?
 正直、自分はもう、いっぱいいっぱいだ。どうも、奇妙な話の聞きすぎで、頭が参ってきているようだ。「こほん」と咳を打って、芥川様に告げる。

「芥川様、失礼ながら、少々、外していただいてもよろしいでしょうか。いろいろと考えたいことがありまして」

 あおばが半目になったが、いまは無視だ。

「無論、かまいませんとも。その謎解きの頭脳、十分にお働かせくだされ。儂は邪魔せんよう屋敷に戻り、黒姫様のお相手をすると致しましょう」

 気のいいご家老が階段を下る後ろ姿を見送って、いなくなったことを確認してから、大きく息を吐く。

「……さて、それじゃ、江戸に帰って力原様に『悪霊の仕業でした』と報告しようか」
「そんな報告をしてごらんなさいませ。御曹司の元にも悪霊が出ることになります。夜な夜な、枕元で『ちゃんと働け』と囁く悪霊が」
「怖いこと言うなぁ」

 しかし、そう言われてもこの榊原謎時、もう無理だ。なぜならば。

「でも、今さらなかなか言えないよな。まさか、この謎時と名付けられた拙者が……」

 しゃがみ込んで頭を抱え、嘆息する。

「本当は謎解きなんて一切できない、ただの昼行燈だなんて」
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